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今際の青  作者: 由科
第一章 灰舞う桜
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悪夢の足音




 ―――情けない。



 そんな言葉が胸をひどく締め付ける。


 何が、と言われたらキリがない。


 奇怪な病に侵され床に臥す母には、何もしてやることが出来ない。


 心配して声をかけてくれる幼馴染にすら、素直に感謝を伝えることも出来ない。


 それどころか、ひねくれた冷たい言葉しか返す言葉が見つからなかった。



 それが、間違った言葉だということくらい理解していないはずもない。


 たとえ向こうがどれだけ身を案じてくれていたとしても、今はそれを素直に受け取る気にはなれなかった。



 親しい相手にも素直になれなくて、何が『直親』だ。


 名前負けも甚だしいじゃないか。



「……くそっ」



 駆けていた足もすぐに止まり、やるせない後悔ばかりが深々と心に降り積もる。


 元々運動が得意な方ではなかったこともあり、体は慣れない行為にすぐ音を上げた。


 こんなところばかりが馬鹿正直で、自分にほとほと嫌気が差してくる。



 病室を飛び出し、どれだけの時間走っていたのか。


 窓から見えた空はまだ明るかったというのに、気付けば辺りは夜闇に包まれていた。


 それだけ走り続ければ体が悲鳴を上げても当然である。


 心身共に疲弊しきったオレは、ふらふらになりながら自宅へと続く道を歩いた。




 ――クスクス――




 ふと、耳に届いたキーの高い笑い声に足を止める。


 それが聞こえてきた路地を見るが、其処に人の姿は見えなかった。


 しかし、確かに其処から子供のものらしき笑い声が聞こえてくる。



 なんだ……?



 首を傾げながら路地の暗闇を見つめるが、どうもその中へ足を踏み入れようという気は起きない。


 否、これは第六感的な何かが「行くな」と警鐘を鳴らし、その方向へ足を進めることが出来なかった。


 まるで、目の前に見える路地を覆う透明な壁に阻まれたかのように、体が方向転換をすることすら許さない。




 ――クスクス、可哀想ナ直親――




「……は?」



 それは、名前を呼ばれたことに対する疑問だったのか。


 はたまた「可哀想」などと言われたことに対する、純粋な不快感だったのか。


 どちらとも言えない曖昧な声が、思わず口から零れていた。



 オレが反応を示したからか、その声はより大きく反響しながら音量を上げた。


 徐々に不気味さを増していく笑い声に顔をひそめていると、路地の暗闇の中から小さな人影が姿を現した。



「え……、子供?」



 目を丸くするオレをよそに、暗がりから現れた子供は相も変わらず不気味な笑い声を響かせ続けていた。


 数年前に流行っていたアニメに出てくる猫を模したキャラクターがプリントされたシャツを着ていて、一見するとそれなりに小奇麗なようにも見える。


 しかし、その足に普通なら履いていて当然な靴がなく、よく見れば肌も異様に青白い。



 自分よりひと回りも幼い異常な少年に、ゾッと全身が泡立つ。


 ひたり、とアスファルトを踏みしめる素足の音が、やけに静かな住宅街に響き渡る。


 登下校に毎日使っているはずの通学路が、まったくの別空間のように思えてきた。



 あぁ……、この感じ。



 何処か懐かしい既視感に、彼と同じ年くらいの時に体験した奇妙な出来事が脳裏をかすめた。



 あれは、母が眠り姫病を発症したか否かという頃のことだった。


 幼い頃のオレは、所謂“霊感持ち”と言われる体質だったらしく、普通の人間には見えないはずのものが見えていた。


 見えるだけならまだしも、その類を際限なく引き寄せてしまうため、なお性質が悪かった。


 俗に言う幽霊というのは、無害なものから有害極まりないものまで多種多様存在していた。


 特に、後者からの好感度は何故かべらぼうに高く、それ故に苦労も多かったのだ。


 体調が突如悪くなることは日常茶飯事、運が悪い時はあわや大惨事というレベルの事故にも頻繁に巻き込まれた。



 それこそ本当に物心がつくか否かという頃は、ただ見えるだけで奴らは何の害も加えてこなかった。


 しかし、母が眠り姫病患者になった辺りから、その境界線を容易く超えてくるものが急増した。


 元々同年代のリーダー格とは反りが合わず、事ある毎に対立していたことも関係していたのだろう。


 奴らは文字通りそういった連中に“肩入れ”し、その度オレは体中に傷をこしらえた。



 そんな、俺にとって普通でも周りの人間から見れば異常な日常は、或る日を境に気味が悪いほどピタリと静まり返った。


 あの日以来姿を見せることのなかったそれが、今になって再び蠢き出した。




 ――可哀想ナ直親、皆ガキミヲ傷付ケヨウトシテイル――




「……っ」



 じりじりと後退り続け、ついに行き止まりを告げる壁の感触が背中を押す。


 後ろはコンクリートの高い塀が行く手を阻み、前からは得体の知れない何かが迫ってきていた。


 逃げようにも足が竦んでしまい上手く動けない。


 それどころか、逃げたとしてもあれからは逃れられない気すらしてくる。


 言いようのない不安が地面から足を伝い這い上がり、静かに喉元へと手を伸ばしているような悪寒が全身を襲った。



 助けを呼ぼうと口を開くが、喉が塞がり音もなくただ開閉することしか出来ない。


 逃げることも助けを呼ぶことも出来ず難渋しているうちに、手を伸ばせば届く距離までおぞましいそれが近付いてきていた。



「―――」



 声が出ない。


 両の目をくり抜かれたように、何処までも暗く光のない瞳。


 それを見ていると、何かが体の中に流れ込んでくるようで身の毛がよだつ。


 ゆっくりと伸ばされた小さな手が、ぶくぶくと黒く禍々しい泡を立てながら歪んでいく。




 ――皆思ッテルヨ。直親ガ、卑怯デ臆病ナ大嘘吐キダッテ――




 ぐにゃり、と視界が歪に曲がっていく。


 平衡感覚も失って、いっそのことこのまま倒れてしまいたい衝動に駆られる。


 それでも踏ん張り続けるのは、心の奥底で彼の言葉を否定したいという気持ちが残っていたからだろうか。



「……ち、がう……っ」



 顔をしかめながら、強く首を横に振る。


 大きく歪んだ少年は、不気味に弧を描く口元を崩すことなくオレの視界を覆い尽くす。



 今にも折れそうな心を必死に繕い、分厚い虚勢で塗り固める。


 すると、少年が現れた路地の暗がりから、もう一つの人影がじっとこちらを見据えていることに気付いた。


 暗闇で何故か赤く輝く二つの目が、すべてを見透かすようにきらめいては歪な三日月を作る。



 目の前にいる少年とは違い、その人影ははっきりとした“声”を発した。



「何が違うの? キミのお母さんを“あんな風”にしたのは、紛れもないキミ自身だろう?」



「違うッ」



 感情に任せて乱暴に叫んだ途端、視界が一瞬で開けた。


 それと同時に、凄まじい風圧が鼻頭を掠る。


 思わず目を瞑ったが、次に瞼を開けた時には不気味な少年の姿も気味の悪い人影も綺麗に消え去っていた。



 その代わり、身の丈にしてはやや大きく感じる傘を閉じた状態で手に持つ、見覚えのない少女が突如目の前に現れていた。



 ―――誰?



 そんな使い古された陳腐な問いすら声にならず、ただ呆然と少女の栗色の髪が風に揺れるのを眺める。


 ふと振り返った彼女は、オレの鼻先に向かって傘を突きつけた。



「刀祢直親くん。突然ですが、あなたはこのままだと不幸の“思い”に押し潰されて、一週間以内に大切なモノすべてを失います」



 そう言い放つ少女は、信じられないほど清々しい笑顔を湛えていた。





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