プロローグ
「直親」
真っ白な病室。
白いカーテンは風に揺られてはためき、其処から流れ込む薫風が消毒液のきつい臭いを掻き消している。
一番奥のベッドに腰を落ち着かせる女性の艶やかな黒髪を、カーテンを撫でた風が静かに揺らした。
それと同じ色の髪を持つ少年は、女性の言葉にふと顔を上げる。
「あなたは本当に、名前通りの子に育ってくれたのね」
目尻を下げながら頭を撫でる女性に、少年は何処かむずがゆそうに頬を掻いた。
しかし、彼は自分の頬に触れた途端、微かに顔をひそめた。
彼は頬や膝など体のあちこちに無数の擦り傷や痣をこしらえており、白い肌は絆創膏やガーゼで覆い隠されていた。
その傷はどれも転倒などで自然に出来るようなものではなく、明らかに誰かと喧嘩をして出来たような傷痕である。
それに気付きながらも、女性は少年を問い質さず静かに微笑んでいた。
「ねぇ、おかあさん。どうしてオレのなまえは『直親』なの?」
不思議そうに首を傾げる少年。
微かに目を見張っていた女性は、笑みを湛えながらすっと目を伏せた。
「直親には、何処までもまっすぐで曲がらない素直な子に育ってほしかったの。たとえ、親や親しい友達に何を言われたとしても、自分の正しいと信じたことを最後まで貫ける――そんな、芯の強い子に育ってくれたらって」
「でもオレ、まちがってない自信ないよ。今日だって、先生にすごくおこられた」
途端にしゅんと俯く少年に、大丈夫よ、と女性は優しく声を掛けた。
「あなたはとても優しいから、たとえ何があっても誰かを傷付けるような答えは選ばないわ。それでも間違っていないか心配になったら、お友達に相談しなさい。きっと、本当に“正しいこと”は何なのか、一緒に考えてくれるわ。……だけど、これだけは覚えておいて」
再び少年の頭を撫でた女性は、眉を下げながら心なしか寂しそうに笑顔を作った。
「最後に答えを選ぶのは、直親、あなた自身よ。あなたがそうと信じたことは、何があっても曲げてはいけないわ。……それがたとえ、お母さんのことを切り捨てる答えだったとしても」
少年―――直親はただ、母の弱々しい笑みをじっと見つめていた。