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レイニー・レイニー・ディ

作者: 汐梨



わたしはその男のことを傘なし雨男と呼んでいる。




わたしがその男を傘なし雨男なんてあだ名をつけたのは至極安直な理由からである。その男を見かけるのはいつも雨の日で、その男は傘を差さないから。その雨がたとえお天気雨であっても、バケツをひっくり返したような土砂降りであっても、彼は傘を差さないのだ。不思議な男。

そして、また雨の日。わたしはその男が校門から出て行くのを3階の教室から見るのである。

(また傘なしだ……天気予報で降水確率70パーセントだったのに)

降水確率70パーセントなんて、滅多なことがない限り必ず雨が降る。それなのに傘を忘れるなんて、とんだ雨男。

「優奈ってば、まぁた佐藤のこと見てるの?」

そうわたしに話かけるのは、友人の明日香だった。わたしの日課を見てくすくすと笑っている。

「あの人、佐藤っていうの?」

傘なし雨男なんてあだ名を勝手につけていたけれど、わたしはその人の名前を知らなかった。ずいぶんと平凡な名前だ。

ずっと前からわたしがその佐藤という男のことを見ているのに知っていたらしい明日香は、呆れながらその佐藤のことを教えてくれた。

名前は佐藤アキ。同じ3年生で、1組の生徒らしい。明日香がその佐藤のことを知っていたのは同じ中学出身だから、とか。

「なんであの人いっつも傘持ってないのかな」

わたしの独り言のようなつぶやきに、明日香は「そうねぇ」と少し考える素振りをしたが、すぐに首を振った。

「わかんないわ。でも、忘れ物キングだから、傘忘れちゃったんじゃない」

なるほど忘れ物キング。確かに忘れ物が多いなら、傘を忘れて雨に濡れてしまうということもありえそうな気がした。

忘れ物キングの傘なし雨男。実に変な男。




また次の雨の日。

今度は学校ではなくて、休日のバス停でその姿を目撃した。

わたしは友達とショッピングに行って、帰りのバスを待っていた。次のバスが来るまで20分。休日だから、バスの本数も少ない。さて、この時間をどう潰そうかと考えていた時に、傘なし雨男に会ったのだ。

その傘を忘れた人がまさか傘なし雨男本人だとはすぐに気づかなかった。わたしがいつも見るのは3階の校舎から校門を抜けるこの人で、遠目からしか見たことがなかったことと、制服じゃなかったことが主な理由。

(……また傘忘れてるや)

今日も降水確率が60パーセントと高かったのに。出かけるなら長い傘か、折りたたみ傘を持つようなそんな天気の日に出かけたのに。

わたしはその姿を確認すると、すぐに目を逸らした。わたしが一方的にこの人にあだ名をつけて観察しているだけであって、つい先日までこの人の名前すら知らないそんな間柄なのだ。2人きりで待つことになっても、話すことはない。他人だもの。

けれども、一方的に知っている人がいる中無言というのは少し気まずい感じがする。だからと言って、話かけるようなことはできないのだけれど。わたしは少し彼を横目にやって、すぐに携帯を開いた。現実逃避。

そしてしばらくの沈黙を破ってきたのは、彼の方だった。

「次のバスって、いつ来るんだ?」

わたしはその声に瞬きをした。声を聞いたのははじめてだった。低すぎずかと言って高すぎず、耳によく残る声だった。独り言かもしれないと思って、わたしは再び携帯に目をやった。ここで関わるのはどうかと思う。

「なぁ、知ってるか?」

わたしが無言で反応しなかったのを見たのか、今度はわたしの方を見て言ってきた。話しかけられている。

「……もしかして、わたしに話しかけてます?」

「他に誰かいるって言うんだよ」

確かに、このバス停で次のバスを待っているのは彼以外にわたししかいなかった。わたしは時計を見た。

「えっと、あと15分くらいです」

反対に言えば、この人と遭遇して何となく気まずい感じになってからまだ5分も経ってなかったのか。バス早く来い。

「……そうか。ありがとう」

そして沈黙が続く。あと15分耐えられる気がしなかったわたしは、口を開いてしまっていた。

「あの、傘忘れたんですか?」

もっと突っ込めば、なんでいつも傘を忘れているのか。忘れ物キングってレベルじゃないと思う。忘れ物キングだってもっと傘の所持率は高いはず。

「あぁ、そうだな」

「コンビニで傘買おうとか、そういうことは思わなかったんですか?」

「霧雨だったから差しても差さなくても濡れるって思ってたからな」

確かに今は霧雨だった。霧雨って傘を差しても濡れるし困った雨だと思う。

「土砂降りの時はどうして?」

ふと、口がそう滑っていた。これって、この人が土砂降りの時も傘を差さないっていうことを知ってなきゃ言えない言葉。つまり、わたしがこの人のことを知っているということに直結していた。

やってしまった、とちらりと傘なし雨男もとい佐藤を見ると、少し遠くの方を見ながら言った。

「一目惚れした女がいたとする」

「はい?」

なんでいきなり仮説から入るのか。賢そうな人って大体遠回りに話す傾向がある気がする。

「自分はその女の名前だとかクラスとか知っているけれど、相手は自分の存在を知らない。かと言っていきなり告白するなんてそんな賭けはしたくない。どうしようかと思っていたところで、ある雨の日に傘を忘れた。仕方ないから走って帰ろうとした時、ふとその女のクラスの方を見ると女が自分の方を見ていた。気のせいかと思えばずっと自分の方を見ていて、どうやら雨の日は教室から外を見る癖があることに気づいた男はどうすると思う?」

「……えっと、傘を忘れ続ける」

わたしがそう答えると佐藤はにっと笑って、すぐに呆れた顔をした。

「これだけ言ってもまだ気づかねぇのかよ」

「へ?いや、えっ?」

この流れに気づかないほどわたしは天然ちゃんではなかったけれど、それが本当かどうか、それを判断はできなかったから、ここまで言われると困惑した。

先日まで名前も知らなかった人から告白された。

「なんで、わたし?」

クラスも違えば、接点なんてわたしの友達と同じ中学だったくらいで遠すぎるものなのに。名前すらこないだ知ったくらいなのに。

「だから一目惚れって言ってんだろ、この馬鹿!」

ちらりと佐藤を見ると顔をうつむかせていた。けれど、耳が赤かった。本気だ。これが演技だったら人間不信に陥る。

「えっと、その……わたし」

傘なし雨男なんてあだ名をつけて、雨の日は必ず教室の窓から見るようにしていたのは、最初は好奇の対象だったからだ。けれどもそれはいつしか日課になって、あまり好きじゃなかった雨の日がほんの少しだけ楽しくなった。それは、名前も知らなかった傘なし雨男が好きだったからかもしれない。わたしはこの状況ではじめてそれに気がついた。

「答えは、どうなんだよ」

「………えぇっと」

わたしは。

「好きかも、しれない」

「かも?」

「わたしは、あなたのこと名前と雨の日に傘を忘れることしか知らなくて、あなたのことまだ知らないから」

数ある情報の中から、この人が好きとそう感じた。それはきっと嘘じゃなかった。

「あなたのこと、知りたい」

わたしがそう言うと、佐藤はわたしのことを抱きしめた。霧雨で濡れた体温が伝わってきた。



そうして、傘なし雨男もとい佐藤アキはわたしの恋人になった。

ちなみに、この後雨の日に傘を差さないで帰って風邪を引かなかったのかって聞いたら、3回に1回の確率で風邪を引いたらしい。阿呆なんだか何だかわからないけれど、何か愛しく感じたからわたしはたぶんこの人が好きなんだと思う。





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