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うぬぼれ  作者: 北川瑞山
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 暑いので、会社を辞めた。辞めたというかばっくれた。オフィスが暑くてたまらない。あんな所で仕事をするのはもう限界だ。だから黙って出てきてやった。尤も外に出てきたらもっと暑かったが、だからって戻ろうなんて思わない。

 いや、暑いから辞めたなんていうのは、冗談だ。少し強がり過ぎた。実を言えば、前々からいつ辞めようかと考え続けていたのだ。いつ辞めるか、そのために上司にいつ退職願を出すか、どんな口実を付けるか、来る日も来る日もその事で頭が一杯で、仕事が手に付かなくなったので、勢い任せに出てきてしまった。考えが煮詰まったら、めんどくさいので実力行使。これが一番だ。

 私はバスに乗った。もうこんな土地とはおさらばだ。永久にな。バスの奥の方の席に座って、揺られながら、車窓の外を流れる見慣れた街の景色をぼんやりと見ていた。感傷なんてない。うんざりする程の野暮ったい街だ。よくもこんな辺鄙な所に何年も住み続けていたものだ。こんな詰まらん所は俺のいる場所ではない。そういえば、携帯の電源を切っておかないとな。会社から電話があると困る。俺のアパートもそのまんまだが、どうせ金目のものなんておいていない。引っ越しも面倒だし、そのままにして放っておけ。そういえばあまり持ち金がない。ちょっとおろさなきゃな。いや、ATM使用履歴で後を付けてこられても困る。ありったけの金をすぐにおろす事にしよう。その金で、そうだな、沖縄にでも行ってみるか。それだけ遠くに高飛びすれば、誰も追っかけては来るまい。海も綺麗だろうしな。収入の当てもないし、仕事にもありつけるかどうか分からんが、なに、一人で食ってくぐらい何とでもなるさ。何ともならなかったら、その時は岬の先端から海にダイブだ。思い残すことなど何もない。爽快爽快。今を楽しく生きることが何より大事じゃないか。やりたいことを今やることが重要じゃないか。でも俺のやりたいことって何だ?なにがやりたいのかと聞かれるとなにも出てこない。いや、この際逆にやりたくないことを徹底的にやらないように心がければいい話だ。快楽を求めるより、苦痛を回避する方が簡単だからな。するとそのうち本当にやりたいことに辿り着くだろう。やりたいこととか、使命とかいうものを、何もないくせに、安易に身近にあるもので手っ取り早く済ませてしまおうというのはやってしまいがちな間違いだ。これを見つけるのが人生で一番重要な問題と言っても過言ではないのだから、焦って決めてしまってはいけない。

 そんなことを考えていたら、バスが駅に着いた。財布をみたら、小銭がなかった。私はバスカードを持っていない。このバスはICカードも使えない。運転手に一万円札で払えるかと聞いたら、ダメだと言われた。小銭がないと言うと、じゃあ今回はいいよと、運賃を負けてくれた。とても悪い気がしたが、かといって一万円札でバスカードを買う気にもなれなかった。なにせこのバスにはもう金輪際乗らないのだから。私はその後近くのATMでなけなしの預金を全額おろし、東京行きの新幹線に乗った。

 新幹線には、サラリーマンと思しきスーツ姿の人間が多数乗っていた。きっと東京に出張にでも行くのだろう。新聞を読んだり、パソコンで資料作りをしたり、昼寝をしていたり…。世間様は、皆真面目だ。驚く程、呆れる程真面目に生きている。それはそうだ。真面目に生きなければ、食いっぱぐれてしまう。そうしたら生きていけない。つまり真面目であることは大いなる自己保身だ。そしてこの自己保身をずる賢い連中に利用され、遂には食い尽くされて人生を終える。はっきりいって間抜けである。自己保身のつもりが、すっかり自己破滅になっているのだから。破滅は、今日もその身に忍び寄る。真面目に生きている人の身にこそ、穏やかに、虫も殺さぬような顔をして。そもそも真面目とは何なのか?それは多分、罠に引っかかりやすい事だ。騙されやすい事だ。他人の言う事を聞けば、他人の為にしかならない。社会の言う事を聞けば、社会の為にしかならない。当たり前の話だ。なぜ皆自分の為に生きようとしないのだろう?他人に利することが自分を利することだなんて、一体誰に教わったんだろう?集団的マインドコントロールに嵌って、間抜けな自意識に苛まれて行動するのは、実はちっとも真面目なんかじゃないのだ。実は怠惰なのだ。金を稼ぎたい野心も、仕事への情熱も、愛も家庭も、友達も、果ては立派な車、家、美服に至るまで、それらは全て罠なのだ。それに気付かないのか、気付かないふりしてる自己欺瞞か、それは分からんが、どうにも付き合いきれない。俺は全力で人に嫌われるぞ!全力で人に迷惑をかけるぞ!全力で罠から遠ざかってやる!破滅願望じゃない。破滅願望はお前らの方だ。俺は俺の為に生きられるんだ!

 私は、手帳とペンを鞄から取り出し、自分の「やりたくない事ことリスト」をしたため始めた。やりたいことを見つけるには、やりたくないことを明確にする、という先ほどの考えがまだ残っていたからだ。


 やりたくないこと!


・ 他人に媚びへつらうこと。

・ 嫌な上司や同僚や客とつきあうこと。

・ 強制的な長時間労働。

・ 他人に侮辱されること、またそれを我慢すること。

・ 衛生的でない仕事。

・ 肉体的苦痛に耐えること。

・ 発狂するくらいの極度な単純作業。

・ その他、我慢すること全般。


 案外凡庸なものしか出てこないものだ。全部誰でも嫌だろう事ばかりだ。というか、最後のなんて何を我慢したくないのか、それを書かなければ意味がない。どうしてもやりたくないことを、乾いた雑巾を絞るようにして、引き続き列挙してみる。


・ 暑いとか、寒いとか、空腹とかを我慢すること。

・ 危険の伴う仕事。

・ 理不尽な要求に従うこと。

・ 騒音を我慢すること。

・ 虫に触る事、また目にすること。

・ 怖い人といること。

・ バカと話すこと。

・ 重い責任を背負うこと。

・ 人の尻に敷かれること。

・ 親と暮らすこと。

・ 人間関係に悩むこと。

・ 退屈に耐えること。

・ 長時間じっと同じ姿勢で耐えること(研修とか説教とか座禅とか)


 全く順序がバラバラで、統一感がない。重複しているのもある。しかし、如何にも罠にはまった人間のやりそうなことが目白押しではないか(虫はどうか知らんが)。もう少し思い付くだけ書いていこう。


・ 意味のない作業(朝掘った穴を夕方に埋めるとか)。

・ 他人の物差しで自分を測られること。

・ 眠れない夜。

・ 便秘。

・ あせも、湿疹によるかゆみ、虫さされ(虫が多いな)。


 もう辞めた。馬鹿馬鹿しい。これこそ意味のない作業じゃないか。その都度やりたくないと思ったことをやらなければいい話だ。私はペンを投げ出して、窓の外を見た。暗雲が立ちこめていて、今にも雨が降りそうだった。窓ガラスに自分の顔がはっきり映るくらいに、外が暗い。途端に気が滅入ってきた。何もかもやっていられない。

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