5
強くなった、とは言ったものの、私が強くなったのは自分の気持ちに対してであって、外面の現実世界に対しては、相変わらず滅法弱かった。怠惰と退屈に対する免疫のなさ、一つの事に集中できない飽きっぽさ、他人攻撃に酒浸り、精神病との戦い、要するに何も改善されていないのだ。勿論、これは「受け入れて開き直る」ことから導かれた当然の結果である。周りは何も変わっていない。ただ「他人の評価なんか気にするな!」という自分の唯我独尊的態度が少し強固になっただけであった。これは私の生まれついての自尊心の高さ故に、ちょっとやそっとでは少しも揺るがないくらいにまで私の生活態度に根を張っていた。しかし私だって社会における生活者である以上、それだけでやっていける筈はないのである。
私はある夜、会社の立食パーティーに参加した。この立食パーティーというやつが、実に苦手なのだ。始まってめいめいのテーブルについて、誰彼が祝辞を述べるまでは良いものの、乾杯のご発声をしてから後、あの地獄の「暫しご歓談」タイムが訪れる。何がご歓談だ!今更何を話す事があろうか?そして各々がいつもと代わり映えしないような仲間とくっちゃべっている。話題なんてどうでもいいのだ。要するにぽつんと一人取り残されるのを恐れて、懸命に何かどうでもいい事をしゃべりまくっているのだろう。馬鹿馬鹿しい。こんなのに付き合っていられるか!高校生じゃあるまいし、下らん仲間意識はほどほどにしろ!
私はビュッフェの料理を皿に山盛りにして、それをこれでもかと夢中で頬張った。そしてあらかた食い終わると、ワインを一口なめて、颯爽と便所に向かった。そして便所の個室に入ると、ハイデガーの『存在と時間』をポケットから取り出し、それを無我夢中で読み始めた。世界広しと言えど、便所の個室でハイデガーを読んでいる間抜けがどこにいるだろう?これを聞いて君たちは「そんな事をするくらいなら、さっさと帰ればいいじゃないか」と言うに違いない。しかしそこは私にも何かと事情があるのである。まず、この立食パーティーは人里離れた山奥のホテルで行われていて、行き帰りは貸切バスで、他には何の交通手段もない。タクシーも呼べない事はないが、それだと片道だけで相当の出費だ。これは痛い。そしてまた貸切バスに乗る時に、点呼をとられる。そこでいないと、途中で帰った事がバレる仕組みだ。そして次の日に上司にねちねちと文句を言われる寸法である。こうでもしないと皆馬鹿馬鹿しくて帰ってしまうのであろう。そういえば、こんな山奥のホテルで催しているのも、途中でタクシーに乗って帰られないための策かもしれない。大した策士だ。お陰でこんな便所の冷たい便器に腰掛けて二時間近くも『存在と時間』を読む羽目になった。世界=内=存在ってなに?
十分な時間が過ぎて、ようやく私が会場に戻った時、意に反してまだパーティーは続いていて、演壇で何か表彰式のようなことをやっていた。
「○○さんは、今期問い合わせ平均応答時間最短記録を更新し、優秀な業績をおさめたので・・・」
演壇では受賞者と思しき男性社員が照れた笑いを満面に浮かべながら、賞状を渡されるのを待っていた。やれやれ、人が便所に籠って訳の分からない哲学の本なぞ読んでいる時に、もう片方ではこんなに誉められおだてられながら表彰されていい気持ちになっている奴がいるとは、いい気なもんだ!だが別に羨ましいなんてこれっぽっちも思わない。あんなに誉められたって気持ちが悪いだけだ。ましてあんな表彰なんてされたら、プレッシャー以外の何物でもないではないか。ある集団を洗脳して組織に対して従順にするには、集団内にヒエラルキーを作るのが一番だ。お互いに競争心を刺激され、結束する事無く、無我夢中で自分の野心のために働き続けるからな!だが俺はその手には乗らんぞ。目の前にぶら下げられたニンジンに猪突猛進するなんていうのは馬のする事であって人間のする事ではない。全く、世俗的な野心や我欲なんて持ってはいかん!そんなものはせいぜい利用されて振り回されて終わるのがオチだ。皆が欲しがるものを欲しがってはいかん!それは確実に不幸になる道だ。
しかしそうは分かっていながら、私は何となく不満だった。不満というよりは、癪に障っていた。表彰台で症状をもらう優秀な社員、そしてそこら中でテーブルを囲み、ワインなど飲みながらがやがやと立ち話をしている平凡な社員。そして自分はと言えば今まで二時間も便所に籠って本を読んでいる不良社員。俺は紛れもなくヒエラルキーの底辺じゃないか。我欲に取り憑かれて失敗した挙げ句、自尊心を満たすどころかピラミッドの底辺に位置づけられ、話す相手も見つけられずに便所に押し込められているのは俺の方じゃないか。我欲に取り憑かれた馬は俺自身じゃないか!
大げさに輝きを放つシャンデリアの下、もっともらしく振る舞う愚鈍な社員達の中に一人立ちつくし、私はいても立ってもいられなくなった。私は、すぐさまホテルを飛び出した。あまりに気が動転していたせいか、そこからの記憶が全くない。気が付くと、私はタクシーに乗って自宅に帰っていた。何だそれなら便所などに籠らずに最初から帰れば良かったじゃないか、というのは後の祭り、私は家に帰るのに結局一万円以上も浪費し、挙げ句次の日に無断で帰宅した事をネタに上司から厭味を言われた。体調が悪かったんです、と嘘をついたが、あながち嘘ではないなと、後になって思った。しかし、それにしても不愉快な上司である。別に途中で宴会を抜け出したからってなにをそんなに困る事がある?いや、奴個人にとっては大いに困るのだ。上層部から何か指摘が来るなどということは、自己保身欲求で頭が一杯の奴にとっては恐ろしい事この上ないのだろう。ただ私は奴の保身のために働いているわけではない。私は会社のために働いているのではあっても、奴個人のために働いているのでは決してない。奴にとって不都合だからと言って、それがなんだろう?私にはそれに応える義務はない。全く上司という生き物は不愉快極まりない。これだからサラリーマンはやってられん。
そんなストレスを胸の中に押さえ込みつつ生きていたら、いつしか右目の瞼が勝手に痙攣するようになった。すぐに治るだろうと思っていたら案外長引いている。ストレスに苛まれると度々こういう体の不調が起きる。眼医者には行かなかった。自分のストレスの証しとして、この症状はぜひとも保持しておきたかった。私は症状コレクターかも知れない。だって病気のない人生なんて詰まらないじゃないか!病気の苦痛は生きる事の苦痛を軽減してくれる。