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うぬぼれ  作者: 北川瑞山
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 ともかくその後は、新宿に戻った。前に何度か入った事のあるバーに行って酒を飲み、したたかに酔った。スプモーニとかジントニックとか、ともかく大衆的な酒ばかり飲んだのを覚えている。その後近くのカプセルホテルに泊まったはいいが、詳細は覚えていない。目が覚めると、あの人を人とも思わないような狭さのカプセルの中で真っすぐに寝ていて、しかもちゃんと寝間着に着替えており、体もべたついてはいないので、風呂にも入ったと思われる。早く目が覚めたので、そのままホテルを出た。

 明け方に、一人歩く街。それは先も見えない砂漠を歩くように心細かった。昼間はあんなに膨大な数の人がいて、あれだけの騒音を醸しているのに、今は物音一つ聞こえない。路上の空き缶が転がる音が、遠くから聞こえるくらいだ。ふつふつと湧いてくる後悔の念を、寝ぼけ眼の朧げな精神力で何とか抑え付けていた。ともすると、この街のどこかの小さな暗闇に、自分がふっと溶けいってしまいそうな気がした。まるですぐそこにいる浮浪者たちのように。しかし私は彼らとは違う。私は何も落ちぶれたわけではない。進んでこうなったのだ。私の場合は、言わば能動的脱落であり、気力の面においては彼らとは比較にならない。しかし待てよ、気力だけで何か物事をやり遂げられるものだろうか?彼らがもし私と同じくらいの気力を持てば人生をやり直せるのだろうか?そうは思われない。確かに、私には資金だってある。だが大した額ではない。すぐに生活費に消えるだろう。すると私とこの浮浪者達の違いとは何だろう?見た目に綺麗か汚いか、単にそれだけの事ではないだろうか?そればかりか、彼らは努力して、それでも止むに止まれずこうなったのかも知れない。それに比べて私は単に自分の困難から逃げ出してきたに過ぎない。それを考えると人生に対してどちらが能動的だかも怪しくなってくる。所詮私は駆け出しの浮浪者で、今でこそ服も体も綺麗で異臭もせず、まして残飯をあさったり、駅の構内で寝たりなどみっともないことをしていないが、時間が経てばそうした行為に滑落しかねない予備軍なのかも知れない。

 そういう悲観的かつ現実的な考えは、私をとかく追い立てた。一刻も早くここから脱出しなくては、彼らと同じ道をたどってしまう。そうした焦りはまた。私にとって意外でもあった。私は世俗的な欲望を放り出してきたのではなかったのか?しかし私はここに来て、ある種のプライドを必死で守ろうとしているのである。浮浪者を初めとした社会的な敗者、ヒエラルキーの底辺にはなりたくないと、心から思った。そしてそうした差別意識の為に突き動かされていた。これはおかしな話である。絶対に後悔しない。そう自分に約束して、私は生活を抜け出してきた筈なのだ。それなのに何だ、自分が今全く後悔していないなどといえばそれは嘘になるだろう。早くも二日目でこんな不安に取り憑かれているようでは先が思いやられる。その時の私は惨めなくらいに、内心狼狽していた。狼狽しつつ空港へ向かった。やはり沖縄だ。沖縄に行けば何とかなる。

 二枚目の空港行きモノレールの切符を買って空港に向かう途中、どう言うわけか体が痒くなり始めた。腹や背中や、首筋や間接の裏側など、どうしても痒くてしょうがない。モノレールの車内で、私は掻き壊さんばかりに無我夢中で体中を掻きむしり続けた。尤もこの季節になると、こういう事はこれまでもあった。気温が上昇して汗をかき始めると、どうも痒くなるらしい。だから別に考えてみれば不思議でもなんでもないのだが、その時の私にはそれが大きな不安の材料になった。というのも、こうして体中を掻き続けていくうちに、皮膚はただれ、ぼろぼろになり、体中かさぶただらけのフケだらけになり、あっという間にあのどろどろの垢と脂にまみれた浮浪者になってしまうのではないかという一種の強迫観念に捕われたからだ。頭の中の半分はその強迫観念、もう半分は「痒い、痒い」という呻きで満たされて、そのうちに空港に着いた。体はともかく、精神的には、既に満身創痍だった。

 とは言え、前に進まなければならぬ。空港で当日の航空券を買って、雑踏の中、館内のベンチに座って出発を待つ。そうした時間が眠れぬ夜のようにもどかしかった。ラウンジに入ろうかとも思ったが、そんな贅沢をする気にもなれなかった。人間思い切った決断をした後には、思い切り保守的になってしまうものらしい。私はそれを馬鹿げた事だと思ったが、それも障害故のバランス感覚の欠如と言えるだろうか。

 ああしかし私は生活から逃げ、問題や悩みからも逃げ、障害だADHDといって自分の行動に対する責任からも逃げ、逃げて逃げて一体どこに行きつくのだろうか?私はこうした自己批判からは逃れられなかった。空港のベンチで待つ間も、ずっと自分の自尊心からくる逃避癖について考えていた。俺は甘やかされて育ったから、目の前の不都合な状況と対峙することができなくなってしまったのではないだろうか?あるいは、自分が何かしらの被害者だと思い込む事の居心地の良さにすっかり味を占めて、そこに安住し、そこで物乞いをしているのではないか?こうした精神的乞食に身を窶して日銭暮らしをしてきた人間が、やがては物質的にも乞食になるのは自明の理ではないか?

 しかし一方ではこうした自己批判が必ずしも正しいとは言えない、ということも頭に浮かんだ。自己批判が正しく見えやすいのは、自己批判する事自体が殊勝なことだからである。よしそれが正しいにしたって、それが即自分の生き方の誤りを証明するものではないだろう。同情を得ようとし、哀れみを乞い、そういうところに生き甲斐を見つけていくのだって立派な人生じゃないか。人間誰でも同情が欲しいのである。そんな幼稚な、と思うなかれ。人間はいつまでも幼稚なものである。強くなりたい、勝ちたいというような単純な思考だって十分に幼稚である。太宰より三島が正しいと、誰が断言できるだろう?

 こうした思考の編み目をくぐり抜け、それを取り払い、私は搭乗口に向かった。行けるところまで行ってやろう、というがむしゃらな気持ちだった。結局、考えたって始まらないのだ。

 離陸前、飛行機は、滑走路を行ったり来たりしていた。まるで私を焦らしているように。なぜ飛ばない?次は必ず飛べよ?まだ飛ばない?いつまでやってんだ?それが何度も続いているのが、私の今までを見ているみたいでおかしく、鼻で笑ってしまった。それがとても自嘲気味で、自分でぞっとした。気持ち悪い。

 待っていたって始まらない。何かしていれば、じきに飛び立つ時が来る。そう、じきに飛び立つ時が来る。私は無理にでも眠ろうと、目を閉じた。そうしたら、滑走時の圧力が体にかかり始め、機体が浮き上がった。


 嫌だ。


 飛び立つ瞬間に、一瞬、心のどこからともなくそれが聞こえた。私はどうしても、それを聞こえないふりする事ができなかった。


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