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うぬぼれ  作者: 北川瑞山
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 私が子供の頃、確か幼稚園の年長の頃の事だ。こんな事があったのを覚えている。冬の真夜中に、私達の住む地方に雪が降った。そして朝になると、窓の外は一面の銀世界だった。私達園児は大喜びで幼稚園に行き、庭にたっぷりと積もった新雪で思い思いに遊び始めた。ある者は雪車に乗り、またある者は雪合戦をして甲高い笑い声を冬空に響かせていた。私はというと、もう二十年以上前の事なので名前は忘れたが、もう一人の友達と雪だるまを作っていた。私達のがんばりと、雪の豊富さも手伝って、この雪だるまは一時間もすると巨大なものになっていた。こんなに大きな雪だるまを作っている園児はどこにもいなかったに違いない。私は誇らしい気持ちで、トイレに行った。用を足してから庭に戻ってみると、そこに悪夢が待ち受けていたのである。もう一人の友達が、私の雪だるまを転がしながらこちらに微笑みかけて、

「やあ、もうひとまわり大きくなったよ」と言ったのである。

 これは多分彼にしてみればよかれと思ってやった事なのだろうが、私はと言えば、その時、その刹那に自尊心をあっという間に打ち砕かれていたのだ。自分がやっとの思いで作り上げた雪だるまに、友達の、他人の力が紛れ込む事が許せなかったのだ。なんて余計な事をしてくれたんだ!

 私は途端に泣き叫んだ。そしてけたたましい奇声を発しながら、その巨大な雪玉を砂場に蹴り落とし、ばっくりとひびが入った雪だるまを、蹴り続け、砕いて壊してしまった。

 友達はきょとんとして、何も言わなかった。ただ自分が何か悪い事をしたのだろうという罪悪感を表情に浮かべながら、また一から雪だるまを作り始めた。

 私も小さな雪だるまを泣きながら作り始めてはいたが、もうそれをやっている間はずっと泣き止まなかった。他の園児が遊び過ぎて、庭の雪はもう無くなりかけていた。雪だるまを作る雪が足りない。私は雪が欲しくて、先ほど壊した巨大な雪だるまの所に行って、雪を両手一杯に調達してきた。それを見て、私の友達もそうした。だがすぐに自分が壊した雪だるまの雪を使うのが何だかとても悔しく思われて、両手の雪をまたわあわあ泣きわめきながら捨てた。友達も俯いたまま渋々そうした。結局、私達が新しく作った雪だるまが小さいままお遊戯の時間は終わり、園児達は部屋の中に入れられた。そこから誰の雪だるまが一番大きかったとか、そういう話が先生からあったが、私は友達の方を一瞥もせず、ただふてくされていた。本当なら僕のが一番大きかった筈なのに…。私がその後いつ機嫌を直したのか、それは思い出せない。

 しかしそれは今思い起こせば、後々の私の性質を語るのに象徴的な出来事だった。私は、他人から干渉されたり、他人の助力を得たりするのが恐ろしく嫌いだったのだ。というより、私の眼中に他人という存在はなかったのである。他人という概念はなかったのである。この気持ちはなかなか伝えるのが難しい。ありがちな表現を用いれば、他人というのが全て例外なく自分の人生という劇に登場する登場人物のような気がするのである。つまり本物の人間は私一人で、他の人間は全て人間である振りをして、実は人格を持っておらず、私の人生を盛り上げる為に送り込まれた役者であり、私の与り知らぬ所ではその着ぐるみを脱いで、神様やなんかに「お疲れさん」とか何とか声をかけられているのである。いやいや、これはまた前置きをしておいたとは言え本当にありがちな例えである。実につまらない。実際には、私はそんな事をこれっぽちも信じちゃいない。皆それぞれ人格を持っているに違いない。でもそれをときどき忘れてしまう程自己中心的だというだけだ。

 そういえば今思い出したが、こんな事もあった。小学生の頃、読書の習慣をつけるための一環として、「夕読み」なるものをやらされた。要するに夕方本を読みましょうということで、毎日決まった時間(大抵は五時頃)に家で読書をしましょうということだった。そしてどの本のどのページを読んだのかを「夕読みカード」に記録して月に一回くらい担任の教師に提出するのであるが、この際夕読みのシステムは大して重要ではない。重要なのはカードの方だ。その「夕読みカード」には勿論、読んだ本やページ数以前に、表紙に名前を書くのだが、私の弟が私の夕読みカードに自分の名前を書いてしまったのだ。間抜けな事に弟は自分のカードと私のカードの両方に名前を書いてしまった。そしてもっと間抜けな事には、折り目も正しく、綺麗な方(これが本来私のだった)にはボールペンで名前を書き、ぼろぼろの汚い方には鉛筆で名前を書いていた。私は汚い方の弟の名前を消しゴムで消し、その上から自分の名前を書いて、一ヶ月間その夕読みカードを使わなければならなかった。これは自己中心的な私にとって耐え難い屈辱であった。私の夕読みカードはもっと綺麗な筈だ。それなのにこんな折り目の曲がった、消しゴムで消した弟の名前の上から自分の名前を書いたものを使わなければならないなんて。私は泣きながら弟に罵詈雑言の限りをぶつけ、折檻した。弟は私があまりに激していたからか、一言も口答えできずに黙って目をパチクリさせていた。しかし私はどうしても弟を許す事が出来なかった。

 もしかすると、私が長男で、服なんかもお下がりとかいうものを使った事がないし、弟に気を遣った事なんか無く、両親も私をいつも何かと一番として扱ってくれたものだから、いつも自分が一番でなければ気が済まない我が儘な性格に育ったのかもしれない。とにかく、人の代用品なんてまっぴら。人の為に生きるなんてまっぴらだ!自分にとっては自分こそ全て!自分しかこの世界に存在しないと思っていたって問題なし!自分が死んだ後の世界なんてどうでもいい!この世の中は自分の為に回ってるんだ!「身の丈に合った生活」なんてバカな、身の丈を大きくしろ!まさかそんな極端な事をはっきりと口に出したり考えていたわけではないが、しかし無意識のレベルでは私がそんな人間だった事は間違いない。私はどうしようもなく自己中心的な人間だ。尤も私の場合、この事実を認める事にすら相当な長さの年月を要するくらいに自己中心的だったわけだが、ともかくこれだけは知っておいてもらいたいのだ。なぜならこれから語る話は、こういう自己中心的な人種が陥りがちな、滑稽極まる、しかし本人にとってみれば実に悲惨な話だからである。


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