桃花ノ霊
美しく咲き誇る桃花の里。
そこに、一際美しい桃の花を咲かす巨木があった。
だが、どうしてだろう。
その花は美しいにもかかわらず、どこか悲哀の色を浮かべており、見る者の心を掴んで離さない。
そんな、とても不思議な桃の木だった。
ある時、里の若者が、小さな疑問を抱いた。
“この桃の木は、どうしてこんな場所にあるのだろう”
他の桃の木が、里の内部に植えられているのに対し、この木だけは里の外れに存在する。
まるで、人目から隠れるように、ひっそりと……。
若者は里の古くを知る老人たちにそれを尋ねて回った。
だが、どういことだろう。
老人たちですら、それを知らないのだ。
誰もが、気づいたら存在していた、といい、詳細を知りはしない。
里の古くを語る書物を見ても、載っていない。
若者は、知ることを諦めようと思いもした。
だが、どうしてだろう。
なかなか、その興味を捨てきれない。
結局若者は、その桃の木について調べることを続けた。
一月が経ち、半月が経った。
若者は未だに調べていた。
人々はそんな若者に呆れていた。
諦めてしまえばいいのに、と誰もが思ったが、口に出しはしなかった。
じつは、今までに何度か口に出しはしたのだ。
それを、若者が聞き入れなかっただけで。
その為に、人々はそれを口に出すことはしなかった。
どうせ聞き入れはしないと、理解していたから。
そんな時だ。
若者の前に一人の老人が現れたのは。
老人は、霧がたち込める真夜中、桃の木の前に立っていた。
霧の中だというのに、桃の花はしっかりと見える。
それどころか、老人と共に並ばせることで、普段以上に美しく、そして儚く見える。
まるで、互いを思い合う恋人同士のように、木と老人が寄り添って見えた。
それは一種の絵画のようで、自然と目を奪われていた。
「……お前かい? この木について調べている若いもんってのは」
しわがれた声で老人は問う。
その声で、理性に戻された。
老人の言葉に答えようと、老人の方をみて……驚愕した。
そこには老人だけでなく、桃色の髪を靡かせた美しい女性が、凛と佇んでいた。
赤と白だけで色取られた巫女服はどういうことか赤土が付き、汚れている。
しかし、彼女の腕に通された薄桃色の羽衣は全く汚れていない。
第一に、何処から現れたたというのだろう。
女性は老人に微笑みかけ、老人もそれに答えるように微笑み返す。
たったそれだけなのに、触れてはいけない神聖なもののように思えた。
驚き言葉を失っている若者の様子に、老人は穏やかに言った。
「見えるのだね、君には。彼女の姿が」
彼女、というのは桃色の女性のことだろう。
唖然としたまま、若者は頷く。
「……では、話をしよう。お前の知りたがっている、この木の話だ……」
目を細め、懐かしそうに語り出す……。
遥か昔。
この里は妖怪の被害に怯えていた。
妖怪は天変地異を起こし、人々を苦しませていた。
人々は毎日その被害に悩み苦しみ、泣いていた。
以前は妖怪を討ち果たそうとしたのだが、今ではそんな行動をとる者はいない。
なんどか試み、逆に殺されてしまったからである。
里の者たちは毎日集まり、案を出し合った。
が、どれもこれもが不発に終わり、時にはこちらが被害を被る。
もう、いっそのこと、里の者全員でここから離れようか、そこまで考える者も出た。
しかし、この里から離れても妖怪が追ってきたら、もともこもない。
皆が一層頭を抱えた。
そんな時だ、旅の陰陽師が訪れたのは。
陰陽師は里の者たちと共に、妖怪を退ける方法を考えた。
そして、一つの案を出した。
“この里一番の美女を、巫女として妖怪に差し出してはどうだろう”
つまりは、生贄である。
その案に、里の者は皆悩んだ。
家族も同然の仲間を生贄に差し出すなど、したくはない。
だが、このままでは里事態が妖怪に滅ぼされてしまう。
その事実を前に、里の誰もが生贄を差し出すことに同意した。
ただ一人を、除いては。
その若者は一人、生贄に同意しなかった。
何故なら、生贄に選ばれた里一番の美女とは、彼の恋人だったから。
彼は恋人を守ろうと必死になった。
恋人を連れて里から逃亡しようとも考えた。
恋人以外の里の皆を殺して、それを生贄にしてしまおうとまで、考えた。
が、それを止めたのは他ならぬ恋人だった。
恋人は若者の反対を押し切って、自ら生贄として、妖怪に捧げられていった。
そして、里の皆の前で、妖怪に生きたまま喰われて、死んでしまった。
妖怪は恋人を喰い満足したのか、二度と里には手を出さず、そして、姿も見せなかった。
里の者が陰陽師に感謝の言葉を述べ、妖怪が去った祝いに宴を設けていた。
しかし、若者は宴に参加することなく、一人、恋人が喰われた場所に訪れていた。
そこには、恋人の骨と、着ていた巫女服だけが残されていた。
恋人の面影は、どこを探してもない。
若者は泣き崩れ、泣き続けた。
いつまで泣いたのか、分からないほどに泣き続けた。
涙の壺が壊れてしまったかのように、ずっと。
一生分の涙を今ここで流すかのように、ずっと……。
涙が涸れ果てると、若者はその場に穴を掘り、恋人の骨と服を、その穴に埋めた。
そして、その上に、桃の木を植えた。
彼女の好きだった、桃の木を。
自らを呈してこの里を守った彼女を、誰もが忘れぬ為に――――――
老人の話を聞いて、若者はすぐに理解した。
この桃こそが、話に出てきた若者の恋人の墓標となっている桃なのだと。
この桃は、里の平和を証のようなものなのだと。
老人の隣に寄り添うように佇む女性は、きっとその恋人なのだと。
そして、この老人こそが、この桃を植えた本人なのだと。
老人に感謝を伝えようと、若者は顔をあげる。
しかし、そこには老人の姿はなく。
ただひたすらに美しい、桃花が舞っているだけだった。




