契約と声
轟々と腹の奥に響くような音と僅かながら機体を歪ませる大気の摩擦。上空12000フィートの上空で安定した飛行に移行した我等が輸送機は順調に飛行していた。むき出しの簡素な防音材が機体壁一面に張られただけの機内はやや寒々しい印象を受けたがこれはうちの機体ならではで人間の為の装備は最低限に効率を最重視する民間企業らしい内装だ。
別にこの機体前部にある気圧室は高度12000フィートの上空、低酸素低気圧でも快適にとは言えないが取り敢えずリラックスできる程度には物が整えられていた。俺は気圧室のなかで簡素なイスに座って本を眺めている。もう安定飛行に入ったからシートベルトは外している。
黒い表紙の本を手の中で弄びながらこれからを考える。確かこれからの予定では本社に行って契約の遂行に関する折衝とそれが終わったらマウリ少佐にお届け物を届けて本件は終わりだったな。その後は今の所は予定なしっと。取り敢えず半年振りのバカンスでも楽しみますか。場所はイスタンブールかバハマ辺りなんていいな。この時期ならゆっくり過ごせるだろう。
今後の予定に一通り考えを巡らせて最後は休暇まで思考が飛んで頬が緩んでしまったが、そう言えばと弄んでいた本に視線を戻す。再び本を開くと真っ白なページ達の中で一行だけ文字が記されていた。
__おかしい。先程、車の中で見た時には確かに無かったはずだ。
その文字を良く見ると見慣れない文字でこう書かれていた。『彼方は力を欲しますか?成れば私と契約を。その血を持って契約とします。』見て思う。意味が解らない。力を欲す?何の力だというのか。金策の力なら是非欲しい所だが、多分違うのだろう。なんか悪魔との契約をする昔見た映画を思い出して苦笑いしてしまった。
だがその時、先程の一文がページから吸い込まれる様に消えて滲んだように新しい一文が現れた。『あなたの望む力を得られるように力を貸します。ですから、契約を』まるで、こちらの心を読んだかのような一文に眩暈がしそうだ。この本はこちらの思考が読めるなら何か試してみるべきだと思い試してみる。
__もし、契約するとどんなメリットがあるんだ?。
そう思うとまたもや先程の一文が消えて、新しい一文が浮かび上がる。先程とは異なり流暢に?語り始めた。
『あなたに力を貸します。もちろん、彼方の身体的な力が上がる訳ではありません。たとえば、彼方の身を守ったり、持ち物をこの本の中に収納したり、所謂、魔法と呼ばれる物まで使えるようになります』
__なんかおかしな物まで在った気がするが、まぁいい。次に、お前と契約したとしてデメリットはあるんだろう?
先程書かれていた物が本当だったとして、これらが本当に使えるようになればどれだけメリットになるか計り知れない物がある。一文にも在った物を本の中に収納できるといった物が何処まで収納できるか解らないが、本に収納して本自体を消してしまえば何処に持ち込もうと危険物だろうか輸出規制品だろうが関係なく持ち出し出来るといった物だ。
本当にそれだけの事が出来るなら当然何がしかのデメリット、もとい俺側に対する要求、いや強制義務が発生するはずで有名な所だと、命や魂といった物から体の一部、果ては大事な人の命までこの手の話は事欠かない。
そこの所を聴かなければ話にさえならない。武器商人とはいえ商人は商人契約は大事だ。そこを怠って契約して不利益を被ったとしても自業自得だし仲間から笑われてしまう。だからどんな返事をしてくるのか、固唾を呑んで紙面を凝視する。
『デメリットは、まず一点目に彼方の魔力を私が貰います。と言っても、私の必要な分だけですので心配在りません。二点目は、契約の暁にはある物を探して壊してもらいたいのです。三点目は、先の二点目に繋がるのですが彼方にはある世界に行って戴きたいのです。勿論、こちらの世界に返られなくなるわけではありません。と言っても一日に数回も行き来と言うのはさすがに無理でしょうが。後、根本的にこの契約は魂と魂が繋がります。この場合のデメリットは隠し事が出来ないと言う事です』
__思ったより良心的だな。だが、そもそも俺に魔力?があるのか?
『勿論あります。彼方の魔力は私の魔力の質に似ているのです。最早、瓜二つと言えるほどに。それは、魂の質が似ていると言えます』
__そ、そうなのか。ってことは魔力があるなら俺にも魔法?が使えると言うのか?
『いえ、彼方一人では多分無理でしょう。彼方の、いえこの世界の方々に言える事ですが魔力をもって居ても自覚できる人は居ませんし、そもそも、根本的に此方の方は彼方も含めて魔力を放出出来ないのです』
__放出出来ないってどう言う事だ?
『放出とはそのままの意味で体から魔力を放出して世界の真名を用いて魔法を行使する事です』
__そうか。よく解った、後は、壊すと言っていたがそれはなんだ?
『それは・・・向こうの世界に在るメガルプールと呼ばれる物です』
__メガルプール?どういう物なんだそれは?
『メガルプールは強制魔素変換装置と呼ばれる物です。今も世界の各地で猛威を振るっているはずです。私がもう少し早く気づいていればこんな事には為らなかったのですが・・・』
__すまない。聴くがその強制なんとか言う物を壊せば良い訳なんだな。其方の世界?だったか其方の人間で如何にかできないのかそれは?
『出来ない訳では無いでしょうがとても時間がかかると思います。しかも、向こうにはメガルプール自体の存在を知っている人はもう居ないでしょうし。』
__それは、どう言う事だ?
『メガルプールは向こうの世界時間で今から1000年位前に出来た物で、そのメガルプールを作った人間が世界を壊してしまったのです。世界大破壊の後、生き残った人は全人口の1割を切っていたと思います。その世界大破壊の折に世界から魔素が大量に失われて高度だった文明は滅びました。なぜなら、魔法に依存した文明だったからです。その為に記録していた大量の記録は失われ文明は此方で言う中世初期程まで戻ってしまいました。今は何処まで回復しているか解りませんが、メガルプールが在る内は魔素が少ないので魔法が発展できそうに無いのです』
__なるほど、だからメガルプールを壊したいのか。そのメガルプールはどの程度の強度を持っているんだ?あとこちらの兵器を向こうの世界?で使えるんだろうな?
『勿論、この本に収納していだければもって行けますし、問題無く使えるはずです』
__そうか・・・。後は、どうすれば契約完了と成るんだ?
『メガルプールをすべて壊す事になりますね。それは、私の魂に誓ってお約束します。ただ、もし良ければ、契約解除後も私を持っていて欲しいのですがお願いできませんか?彼方の魔力はそれ程希少なのです』
__それは、今後決める事にしよう。っで?どうすれば契約出来るんだ?たしか、血が必要とか言っていた気がするが。
『簡単ですよ。この本に血を一滴垂らして、我契約を遂行する者なり。と言っていただくだけです』
__そうか。では早速やって見るか。面白そうだし。
そう思って、右の脹脛に付けた小振りのナイフスフールから刃渡り6センチ程の両刃のナイフを出してひと指し指の腹に滑らすようにナイフを滑らせる。ツプッと赤い血が玉になりゆっくりと指を這うように流れ始めた。流れた血を黒い表紙の本の広げたページの上に移動させて垂れ落ちるのを待つ。
指を伝った赤い血は、第一関節付近で溜まりそこで珠になって落ちた。開いたページに血が落ちると蜘蛛の巣のように血が広がり流れてそして消えた。それを見て驚きながらも、言葉を一言一言確かめる様に紡ぐ。
「我、契約を、遂行する、者なり」
「ありがとうございます。これで正式に契約がなされました。私の名前は、ローラ・ミロティナ・ニエトと言います。これからよろしくお願いします」
言い終わった瞬間、頭の中に優しげな声が響いた。その声は余りにも美しく幻想的でなぜか儚い印象を受けた。周りを見渡すがこの場に女性は居ない。と言う事は、この本から話しかけてきていると言う事なのだろうか。何故突然喋れるようになったのかと、それならば話して貰った方が意味が解ると言っても知らない文字を目で追っかける必要は無かったのにと首を傾げているとそれに対する返答が帰ってきた。
「本契約しないと魂の繋がりが弱い為に声が届けられなかったのです。これで、やっと話しが出来ますね。こうやって話をするのは実に1000年振り位です」
そう言って彼女は嬉しそうに笑った。