解決、その後
あの黒猫事件から3日後。
俺はいつも通りの朝を迎えていた。
母親の作ってくれた朝飯を平らげ、ジャケットを羽織る。かばんの中に忘れ物は無いか確認し、「いってきます」と声をかけ家を飛び出した。
向かうは、あそこだ。
あの日の夜、俺は懸命に走っていた。
目の前の猫はそんな俺をあざ笑うかのように飄々と逃げ回っている。
さすがにそろそろ体力の限界が近づいてきたその時。曲がり角を曲がった猫と同じように俺も角を曲がった。
するとそこには、黒猫を片手でつまみあげている人の姿があった。
「・・・・・・」
男だった。一瞬ここの港で働いているのかという考えに陥ったが、すぐさま却下した。
何故なら、港とは合わない風貌だったからだ。
すらりと長い体躯、その体に長さぴったりの白衣、長い亜麻色の髪を後ろで一つに束ね、これまた端正な顔立ち。
しかしその端正な顔立ちに似合わない、すごく大きく言ってしまえば古臭い眼帯をつけていた。
「・・・・・。」
男は猫を持ったまま動かない。猫はその姿勢が苦しいのかものすごく暴れまわっていた。
俺は呼吸を整えながら、その人物に話しかけた。
「あ・・・・あの・・・・。」
「・・・・・。」
「あのー・・・たぶんその持ち方じゃあ猫はつらいと思うのですが・・・・。」
「・・・・・」
男はこちらを見ると、俺の眼前に猫を差し出した。
おそらく受け取れということなのだろう、俺が手を出すと、猫は俺の腕に向かって飛び込んできた。
俺が正しい持ち方をしてやると、ようやく安心したのか、暴れることはしなくなった。
「あ、ありがとうございました。」
「・・・・・」
俺に猫を渡すと、男は踵を返しそのまま港の奥へと歩いて行った。
慌てて俺はその後ろ姿に声をかける。
「あの、名前は?お礼とかしたいし・・・・。」
そう言うと、男は歩みを止め、顔だけこちらに向けて言った。
「・・・・・否。生。」
「・・・・・・はい?」
いな?いき?どういう意味なのか俺が考えて一瞬瞬きしたその時。
もう目の前には誰もいなかった。
「・・・・・へ?」
何なんだろう、俺は夢でも見ていたのだろうか。しかしそれにしては妙にリアリティがありすぎる。
しかし不思議な人だった。さっきの言葉はどういう意味なんだろうか。
「・・・って考えててもしょうがないし、行くか。所長のところ。」
そう呟くと、腕の中の猫が「にゃあ」と鳴いた。
************************************
「おっかえりー」
俺が着くころには既に3人共揃っていた。
所長は海を見ていたし、隼さんは車の助手席でメールを打っていたし、一里さんは運転席に座っていた。
何だか、ほっとする。今日はよくわからない事がありすぎたせいか、この3人を見ると何故だかとても安心した。
「お、黒猫さんちゃんと手に入れたんだねー。よくできました!」
「ええ、まあ・・・・。手に入れたというか、もらったというか・・・。」
「どゆこと?」
俺はさっき起こった事を話すと、所長は「ああ成程」と直ぐに理解できたようだった。
「『烏』くんだよ、それ。」
「『烏』?」
「うん。お医者さんで、掃除屋さん。本業がお医者さんね。ちょっとお願いしたい事あったから来てもらったんだけどまさか千種に会うとはねー。」
「ああ、だから白衣・・・。」
「にしてもすごいよそれ。烏くんに会える事なんて滅多にないんだから。つっくんの機嫌のいい時くらいないんだから。」
「燕さんはどれだけ毎日不機嫌なんですか?」
「365日会ったら360日だね。」
「・・・・・すげえな・・・・。」
「それで、あんまり仲良くない人は烏くんの言葉は分かんないんだよね。僕はまあまあ仲良しだからけっこう分かるけど。」
「なんて言ってたんですか?」
「『お礼は必要ない。自分は生きている生物には興味がない。』・・・かな?烏くんは死体にしか興味ないから。ほらお医者さんだし。」
「それ医者関係ないです。」
その意味を聞くと何だかとてつもなく危ない人だったのではないだろうか。
俺なんか今日命の危険にさらわれ過ぎだと思う。
「ほらお二人とも。早く車に乗り込んでください。もう夜も遅いですから、このまま千種さんも家までお送り致します。」
「え、いや、いいですよそんなの!歩いて帰りますって!」
「遠慮しないでよ。ほらほら乗り込めー!」
「ぐっ!?」
俺は所長に思い切り突き飛ばされ後部座席に顔からダイブした。
そして所長は俺をもっと奥へと追いやり、乗り込んだと同時に車のドアが閉まった。
「んじゃ、千種の家目指してれっつごー!」
その掛け声とともに、車が勢いよく発進した。
***************************
俺の家に向かう道中、車の中では今回の事件について話していた。
「千種、気づいてる?」
「何がですか?」
「ヒント、猫見て御覧。」
俺は所長に言われ所長に抱かれて気持ちよさそうに眠っている黒猫を観察する。
上から下まで見ていって、俺は重大な事実に気づく。
「宝石がない!!」
「正解!もーいままで気がつかなかったなんて鈍感だなあ。」
「え?あれ?俺、落として・・・あれ!?」
「落ち着きなよ。あれは烏くんが持っていったから。」
「へ!?」
「依頼料としてね。烏くん宝石売るの得意だから。」
・・・あんな何言ってるか分かんない人がどうやって宝石売るんだろうか・・・・。
しかし、俺が落としたんじゃなくて安心した。
せっかく猫捕まえて褒められたのに宝石落としましたじゃ恰好悪すぎる。
「それでその7割僕らがもらえるの。3割は烏くん。んふー久々の大金だねえー。入金されたら千種にもあげるから安心してね。」
「あ、ありがとうございます。それで、この猫どうするんですか?」
「あげるよ。今回お世話になった人に。その人動物が大好きだから、猫一匹増えるくらいどうってことないさ。今度千種にも会わせてあげる。」
「どうも・・・。」
しかし今回の事件で数々の変わった人たちに会ってきたから、おそらくそのお世話になった人も若干変わっている人なんだろうな・・・。
「それと。数実ちゃんの事なんだけど。」
「曳舟、数実ですか?」
「そう。最初僕は言ってたよね。『彼女は僕らを殺すためにこの事務所に猫探しを依頼した』って。これは完全に僕の推測に過ぎなかったよ。ううん、頭悪いねえ僕。もっとシンプルな理由だった。」
「それは・・・?」
「『猫を助けてほしかった。』」
「・・・・・え?」
俺は耳を疑った。何故なら本当にシンプルな理由だったからだ。
猫を助けてほしかった?
「彼女色んな探偵事務所とかに依頼してたらしいよ。それも全部偽名で。つっくんに調べてもらったら一発だった。依頼したのは全てこのクロエを探してほしいばかり。そう、クロエは本当に曳舟数実が飼ってた猫だったんだよ。正確には彼女の恋人がお世話していた黒猫。その恋人の家によく遊びに来ていたのを二人でお世話していたんだって。あ、ちなみに恋人は一般人。そんでもって彼は彼女の仕事を知っていたのにも関わらず彼女との関係をそのまま保った。いい人だよね。勿論大蔵組には秘密の関係。正にロミジュリ!だから猫の存在を知っていたのは2人しかいなかった。そして曳舟数実は決心する。組織から逃げ出して、彼と見知らぬ土地にいって人生をやり直そうと。たまたま宝石の担当になったものだから、そうだ。この宝石を売って、海外へ逃げようと計画した。うまい事持ちだす事はできたけど、すぐさまバレてさあ大変。困った彼女は彼と猫だけは助けたいと猫の首輪に宝石をつけ逃げるよう指示した。彼にも猫と一緒に逃げてといったらしいけど、彼は彼女だけ残していくわけにもいかないって一緒に逃亡生活していた。しかしそれにも限界は来る。そこで彼女はAMCに依頼した。煮え湯を食わされている僕らになら、猫は救ってもらえるんじゃないかと。依頼後は再び逃亡。そして見つかり、自供。拷問。殺害。ニュースにはやらなかったけど彼の死体もきっとどこかにあるんだろうね。」
「・・・・・そうだったんですか・・・。」
「結果はまあ彼女の願いどおりに猫は助かった。宝石も無事だった。そして大蔵組は終わった。なんとも言い難い結末だね。」
「けど・・・・これで、いいんですよね?」
「ん?」
「多分、とゆうかとりあえずは、いいんですよね?」
なんと表現したらいいのか分からなかった。
猫は助かった。宝石も無事だった。けれど彼女は、そして彼は救われなかった。今だってまだ彼の死体は見つかっていない。これは、よかったのか。悪かったのか。俺には理解できなかった。
そんな俺の頭を、所長は優しく撫でてくれた。
「それは僕にもわからないよ。事件の結果にいいも悪いもない。何が正しくて悪いのかもわかんない。でも猫は無事。今日はそれでいいんじゃないかな?ね?」
「・・・・・所長。」
「優しいね、千種は。・・・と、もうお家着いたね。」
所長が言ったので外を見ると、いつの間にか俺の家の前に到着していた。
俺は慌てて車に積んであった自分の荷物を取り、車から降りる。
「あ、ありがとうございました!すんません、なんか長々と!」
「いんやー別に。んじゃ、今日はゆっくり休んで。また3日後ね。」
「はい・・・って、え?」
聞き間違いだったのだろうか。だがはっきりと3日後という単語が聞こえた。
「最初に1週間お試し期間っていったでしょ。3日後がちょうど一週間なの。だから3日休んで、よく考えて。」
「何をですか・・・?」
「この仕事を続けるか、続けないか。」
「・・・・・・。」
「今日見てもらってわかったと思うけど、僕らが生きてるのはこんな世界。千種にとっては驚きの連続だったでしょ。だからまたあえて聞く。続けるか続けないか。今日みたいな事は、また起きる。その度に心痛めるのは人としてはいいことだけど、僕らにはそんな感情は要らない。・・・千種は優しすぎるんだね。だから、考えて。」
「所長・・・・・・。」
「3日後、いつもどおりに出勤。じゃあ、ね。」
所長がそう言うと車の扉が閉まり、再び発進していった。
残された俺は、とりあえず家に入ることにした。
母親から色々言われたが、とりあえず疲れと眠さが限界だった。
風呂もご飯もいいと伝え、部屋のベッドにダイブする。
この仕事を続けるか、続けないか。
それだけ考えて、眠りに落ちた。
*********************************
そして3日経った1週間。俺はAMC石投事務所の扉の前にいた。
いつも入っていく時間の5分前。俺は扉の前で深呼吸した。
3日間ずっと考えていた。無い知恵を振り絞って必死に考えた。
そして出した、俺の答えを。
「・・・これはデジャブってやつかな?」
知っている声。俺は急いで振り向く。
「所長!」
「はろーい、久しぶりー。」
ひらひらと軽く手を振りながら、所長は言った。
1週間前と同じ光景に、思わず笑ってしまった。
そう、1週間前と同じ格好で、同じ距離。
「所長。」
「ん。」
「これからも、よろしくお願いしますね。」
「・・・・・続けるってことなんだね。」
「はい。あれからすっごい考えて、やっぱり俺頭悪いからあんまり上手には言えないんですけど。俺はやっぱり、ここで働きたいです。あの事件の事は、すごいつらかった。でも俺は、つらくても、悲しくても、全ての事件に一喜一憂していきたいんです。俺に感情をなくさせるのは無理です。」
「・・・・ふうん・・・。」
「それにですね。」
「うん?」
「常識人とゆうか一般人とゆうか、普通のリアクションできるような人間がこの事務所には必要だと思います。つーか変人ばっかりですもん所長の知り合い全て。」
「むむむ!?」
「そんな変な人たちにここ数日囲まれてしまったもんだから、普通の日常がちょっと退屈なんですよ。暇なんです、暇。そうなった原因はもちろん所長にあると思うんです。」
「えええー。」
「だから、責任とってくれませんか?責任とって、俺をこの事務所で働かせて下さい。てか働かせろ!」
「最後だけ命令口調!今までずっと丁寧だったのに!って変人ばっかとは失礼だな!割にまともだと思うけど!」
「まともな人間はハッキングしたり気絶させたり銃撃ち落としたり簡単に敵倒したり死体が好きじゃないんだよ!まともって辞書で引いてみろ!全然意味違うから!!」
「うううう・・・・・!」
「だから!俺みたいなふっつーの人間がここには必要です!俺はハッキングも気絶も銃を撃ち落とす事も敵簡単に倒す事もできないし、死体はむしろ嫌いです!それに突っ込んでくれる人がここには必要です!だから!俺は続けます!このまま変わらず、ふっつーの人生で生きていきます!」
そこまで言い終えて、俺は乱れた呼吸を整えた。
あまりにも一気にしゃべりすぎて所長は少し困っている様子だったが、俺はそんなこと気にしなかった。
とりあえず言いたい事は結構言ったので満足だ。
「・・・・・はあー。面白いとは思ってたけど、ここまでとは考えてなかった。うははは。うん、分かった。君の正式採用を認めよう。」
「!!」
「その代り、一つ約束ね。」
「約束?」
「僕の前から黙っていなくならない事。これだけ守ってくれれば、何したっていい。いなくなるなら、せめて一声かけてから。黙っていなくなるのだけは、やめて。守れる?」
そんなの、答えは一つに決まってる。
「守りますよ。守ってやりますよ。その代わり、所長も俺に黙っていなくならないで下さいよ。」
「僕も約束するの?」
「当たり前です。守れますか?」
「・・・わかった。守る。やくそく、だね。」
すっ、と所長は右手の小指を差し出した。
俺も自分の右手の小指を出して、所長の指に絡ませた。
「ゆっびきりげーんまんうっそついたらつっくんにめっちゃ怒られる刑にするーゆびきった!」
「厳しくないですか!!?」
「針千本飲めるの千種?」
「・・・・それでいいです。」
所長は笑うと、俺の右手をそのままひいて、事務所の扉を開けた。
そこには、俺がここ最近ずっと見てきた、慣れた風景。
そして所長は再びこっちを見て笑いながら言った。
「ようこそ!AMC石投事務所へ!」
その笑顔につられて、俺も思わず笑った。
そのまま事務所の方へと引っ張り込まれた。
可愛らしい少女の所長、イケメン執事の副所長、器用な大男の副所長補佐。
そして普通で普通の一般人の副所長補佐の補佐の俺。
今日からここが、俺の新しい職場。
AMC石投事務所
果たして今日は依頼が来るのだろうか。
ひとまず一里さんが淹れてくれた紅茶でも飲もう。
なかなかネットに繋げず遅くなってしまいましたが、完結です。
一応このAMC石投事務所はシリーズものとなっておりますので、次回作もまた考えております。