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王宮の広間では盛大な夜会が開かれている。
着飾った貴族令嬢達は男性からのダンスの誘いを待ちつつ、とりわけ熱い視線を王太子に向けていた。
しかし、当の本人は彼女達ではなく、エレーンの姿を探していた。長い間、広間中を探し回ったが、一向に本来なら招待されている彼女が見つからない。
(何故だ?)
ジルフォードは青ざめて動けなくなった。原因はきっと自分だ、そう思うと胸が張り裂けそうになった。
突然彼女にあんな事を言うべきではなかった。きっと私は嫌われたのだろう。それが彼女がここにいない理由なのだ……。
ジルフォードはざわつく広間の中でひとり後悔の中にいた。彼はエレーンと初めて会った時の事を思い返した。
◇◇◇
『あの、わたし、今日初めてここに来て。えーと、名前はエリーって言うんだけど……』
突然目の前に現れた少女は、澄んだ青い瞳をこちらに向け、自分にこう話かけてきた。
言葉遣いが周りと違う。私が誰なのか知らないのだろう。自分も少女のことは初めて見る。
「エリー、私の名前はジル」
そう答えると、彼女は緊張した様子を消し、にこりと微笑んだ。
『初めまして、ジル。ねぇ、王宮のお庭ってとっても広いのね!わたし、実はお兄様とはぐれちゃったの。ここにいれば会えるかしら? ライー兄様、ライアスって言うのだけど、知ってる?』
そういえば、ここはもう庭園の端だ。自分は消えたアルフォードを捜しにここまで来たが、彼女が一人でこんな所にいるのは不自然だ。何故こんな所まで来たのだろう?
『ハルト家のライアスのこと? あぁ、知ってる。君は彼の妹なんだ。でもここはいつも遊んでる場所から随分離れてるよ。一緒に戻ろう。どうしてこんな所まで来たんだい?』
『実はね、今日は風が強いでしょう? だから髪をきつく結われてたんだけど、気持ち悪くて、自分で結い直そうとしたらリボンが飛んでっちゃったの。お母様が私の髪に合わせて選んでくれたものだから、無くしちゃいけないと思って、捜しに来たの。でもどこに行ったか分からなくなっちゃって……』
よく見れば彼女は長い金髪を結わずにおろしたままにしている。しかも風のせいか、かなり乱れていた。
『うーん、そうだなぁ、一緒に探してあげたいけど、そろそろ皆帰る時間だから、君も戻らないと。母君には正直に話すしかないかな。出来るだけ僕も後で探しておくよ。リボンの色は?』
『赤よ。でも本当は深紅って言うんですって』
『分かった。深紅色だね』
『そういえば、ジルこそどうしてここにいるの? それにジルも帰らなくっちゃいけないでしょ?』
それを聞いてこの少女は本当に自分のことを知らないんだな、と確信した。
『弟を探しに。多分厩舎だと思うから近道でこっちを通ってきたんだ。弟は馬が好きでよく乗ってるから』
『近くに厩舎があるの!? 私も馬に乗れるのよ! お父様が乗馬が上手いから私にも小さい頃から教えてくれているの。でも、お母様は危ないからっていつも嫌な顔をするわ。一緒に行きたい!』
『それはすごいな。でも乗馬はまた今度。とにかく君をライアスの所に届けないと』
『せっかくお母様に内緒で遠乗りできると思ったのに……残念だわ。でも、弟さんを探さなくてもいいの? その後帰らないの?』
『……あぁ』
『変なの。まるでここに住んでるみたい。って、もしかして……』
彼女は話を止めて、じっと自分を見た。
『ジルって、あなた、もしかして、王子様のジルフォード様?』
『……そうだけど』
彼女は明らかに動揺し、次第に泣きそうな顔になっていった。
『どうして……、どうして最初に言ってくれなかったの? ジルって言われただけじゃ分からなかったわ!』
『だって親しい人にはジルって呼ばれてるから、君にもそう呼んでもらいたかったんだ』
『でも……』
『君だって本当の長い名前があるだろ?』
『えぇ。でも長くはないわ。本当はエレーンて言うの』
『ほら、おあいこだ』
『でも……わたし、どうして分からなかったのかしら。ごめんなさい!』
すぐにまた彼女が笑いかけてくれると思った。しかし彼女は黙り込んだまま下を向いてしまった。今まで気安く話かけてくれていたのが嬉しかっただけに、その沈黙が辛かった。
『エリー、どうしたんだ?』
『わたしどうしたら……。どうかお兄様にはこのこと黙っていて……くださいね。王子様に失礼がないようにって散々言われてたの……です。とても馴れ馴れしかったでしょう?』
『いや、全然そんなことはない。それよりもそんな風に、急に態度と言い方を変えないでくれないか。さっきのままでいいから』
そう言うといつの間にか彼女の両手を握り締めていた。彼女はびっくりして、私を見つめた。青い瞳がわずかに潤んでいるのに気がついた。
『本当に?』
『あぁ』
そう言うと彼女は再びにこりと笑ってくれた。
『ふふ。私、王子様ってもっと偉そうにしてるかと思っていたの。それに、ジルって名前もそんなに珍しい訳じゃないでしょ? 親戚にも一人ジルって子がいるのよ。だからジルが王子様だなんて全然気づかなかったの。本当は今日初めてここに来たから、最初にお兄様が教えてくれるはずだったのに、ジルも弟の王子様もいないんだもの。……本当にお顔知らなかったの』
『分かった。別に気にしてないから。もう落ち着いた?』
『うん。でもね、お兄様の前ではジルにちゃんとした言葉で話さないといけないわ。でも、本当は難しい言葉遣いって苦手なの。いつも先生に間違いが多いって言われてるわ』
『じゃあ、二人の時は普通に友達のように話して。いいね?』
『でも、どうして? ジルは気にならないの?』
『何が? 僕は周りが王子ってだけで気を遣って話されるのが嫌なんだ』
『ふーん、そうなの? わかったわ! ねぇ、やっぱり戻らないとだめ?この辺り、もっと散歩したい!』
『ああ、僕も案内したいけど、やっぱり戻らないと。今度また連れてきてあげるから』
『……分かったわ。きっとね』
彼女ともっと一緒にいたかったが、僕らは王宮の方へと歩きだした。こんな風に女の子から親しげに話をされるのは初めてだった。自分がそれを新鮮に、嬉しく感じているのに気がついた。
案の定兄のライアスはかなり心配した様子で立っていた。自分達を見るとすぐさま駆け寄ってきた。
『エリー、どこ行ってたんだ? やみくもに探す訳にもいかず、ずっと待ってたんだぞ! それにその髪、ボサボサじゃないか! 殿下、申し訳ございません!!妹がご迷惑をお掛けしてしまったようで……』
ライアスは顔を青くしながら謝ってくる。エレーンといたのは迷惑ではなく、むしろ楽しかったのだが、ライアスには適当に返事を返しておいた。
『いや、気にしないでくれ。途中から一緒に戻って来ただけだ』
『エリー、殿下にお礼を!』
エレーンは兄に促され、
『ジル殿下、ありがとうございました!』
と言うと両手でスカートの端を摘んで広げ膝を折って一礼した。
『あぁー!! 違う、ジルフォード殿下だろっ!勝手に略すんじゃない! 殿下、大変失礼致しました!! 申し訳ございません!! どうかご無礼をお許し下さい! 妹がお世話をお掛けしました!それではこれで失礼致します!』
ライアスは深々と一礼して、エレーンの手を取って離れていった。
去り際、エレーンがそっと後ろを振り向き、自分に笑いながら手を振ってくれた。その様子がとても可愛いらしく、ドキっとしたが、すぐさま自分も彼女に手を振った。こんな挨拶をされたのは初めてだった。周りの貴族の子らは、徹底的に教え込まれているのか、子供ながらも自分に距離を置いて接しているからである。その時からエレーンは私の特別になったのだった。
◇◇◇
「『殿下』か……」
今では彼女は自分を『殿下』と敬称でしか呼ばなかった。本来は当たり前である筈だが、彼はかなり落ち込んでいた。
出会ってからもう何年も経ち、互いにもう子供ではない。ずっと一緒にいた訳でもない。互いを愛称で呼び合うなど彼女にはもう考えられないことだろう。
まるで自分だけが過去に執着しているようだ。
彼女はもう前のように接してはくれないのだろうか。そしてあの笑顔を見せてくれることも……。
それはもう子供ではないからか、それとも……。
考えてもキリがなかった。
しかしこのままでは駄目だ。
もう一度彼女と話がしたい。あんな中途半端な告白では彼女を混乱させてしまっただけだ。
次に彼女に会える日はいつになるだろうか……。
ジルフォードは相変わらず、令嬢達の視線に構うことなく広間に立ち尽くしていた。




