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昼下がりの園遊会、春の陽射し、咲き乱れる色とりどりの花々。東の小国、エルトの王宮庭園は庭師達の腕によって見事に仕上げられている。
今日の園遊会は年内でも特に盛大なもの。沢山の貴族達が招かれていた。貴族達はこの園遊会で、さらに人脈を広げようと社交に忙しい。
ライアス・マーク・ハルトもその一人。父が不在の間、代わりに有力貴族達に媚びを売らなくてはと必死なのだ。
もう一つ、彼には重要な用事があった。亡き母に代わって、妹エレーンの結婚相手を探すことだ。彼女は今年18歳になるが、婚約者すらまだ決まっていなかった。
彼の4歳下の妹は、社交界に必須のダンス、話術、礼儀作法はすべて苦手といった具合。茶会に出席するよりも、遠乗りに出かける方が好きで、宮廷にはほとんど顔を出さなかった。妹の縁談がなかなか進まないのは、彼女が社交界に興味がなく、自分の縁談に無関心である事が、一番の問題だと兄は常々思っていた。
ライアスは必死でエレーンを顔見知りの貴族達に紹介する。彼女は最初のうちは兄の隣で社交話に応じていたが、慣れない場にすぐに疲れがピークに達してしまった。
そこで彼女は兄に気づかれないよう、そっとその場を離れ、奥のこじんまりした庭園へ逃げだした。
「ああ、やっと抜け出せたわ!ずっとつまらないお喋りばっかり。しばらくここでゆっくりしてようっと……」
エレーンは誰もいないのを確認して、ほっと息をつく。彼女は人が多く、特にこういった華やかな場は気後れがして嫌いだった。こうして誰の目も届かない場所にいるのが一番居心地がいい。彼女は足元の珍しい品種の花に顔を近付けた。甘い香りに緊張が解けていく……。
「エレーン」
突然背後から彼女を呼ぶ声が聞こえた。低いが張りのある、澄んだ声。どこか聞き覚えのある優しげな響きにエレーンが振り返ると、そこにはエルトの王太子ジルフォードが立っていた。
癖のない茶色の髪に、端正で優しげな顔立ち、精悍で均整がとれた身体。非の打ちどころのない美形の王子で宮廷中の憧れの的だった。
濃い緑の両目が自分に真っ直ぐに向けられている。彼女はそれを見て、間違いなく王太子が自分を呼んだのだと認識した。
「これは……殿下、ご機嫌麗しゅうございます。本日は、真に良き好天の下、…また国王陛下におかれましても――
エレーンは慣れない王族向けの挨拶に言葉が詰まった。こんな挨拶をするのは初めてである。
「益々のご健勝であられまして、…庭園も見事な出来、このような園遊会にお招き頂き深く感謝しております」
下手な子供の挨拶みたいだ…とエレーンは情けない思いで一礼した。ぎこちない動作にこの場から逃げ出したくなる。
エレーンが王太子と話をするのは、子供の時以来、かなり久しぶりだった。緊張で足が震え、顔が強張っているのが分かるがどうしようもできなかった。
しかし、そんな彼女の様子を解すかのように、ジルフォードは微笑みながら話しだした。
「エレーン、私も君が出席してくれて嬉しい。その花はロゼリア、義母上の名にちなんで名付けられたんだ。もし気に入ったなら持って帰るといい」
エレーンは王太子の思いがけない提案に驚いた。
「め、滅相もございませんっ! こうして観賞させて頂くだけで充分でございます! 」
エレーンは全力で断った。いくら王子の提案とはいえ、庭園の花を切り取れば、絶対庭師に恨まれるに決まっている。
「…別に遠慮はいらないのだが。持ち帰るのを禁じている訳ではないし。この隅の庭園には滅多に人が入らないから、君は珍しい花に興味があるんだと思って」
「は、はい、もちろん、花は好きでございます。お心遣いありがとうございます、殿下。それでは私はこれで……」
すぐにこの場から、変なヘマをする前に王太子から離れなければ、とエレーンは思った。
それに今頃ライアスが自分を捜している頃だとも思ったからだ。
エレーンが歩き出そうとすると、ジルフォードは慌ててそれを止めた。
「待ってくれ! 私は君を見かけて追いかけてきたんだ! その、もう、君は覚えてないだろうが、私達はよくここで遊んだだろう?」
「?……は、はい」
この国では貴族の子弟が、王子の遊び相手として王宮に招かれるという慣習があった。
兄ライアスは王子達と歳が近く、ギリギリ遊び相手が許される身分だった為、王宮に出入りを許されていた。エレーンもたまに兄に付いていくことが出来た為、王子達とは幼い時に顔を合わせた事がある。
とは言ってもかなり昔の話である。月に数度の遊戯会や自分のことを王太子が覚えていることに、エレーンは驚いた。
「……殿下、私の事を覚えて下さっていたのですね」
「当然だ。何故なら、私は幼い頃からずっと……エレーン、ずっと君を想っていたのだから」
(え???)
ジルフォードは頬を紅潮させ、エレーンをじっと見つめる。
「エレーン、信じてもらえないだろうが、私は幼い頃から君をずっと好きだったんだ。もちろん真剣に……」
エレーンは王太子の言わんとしていることが分からず、ただただ、ぽかんと彼を見つめた。
「突然こんなことを言ってすまない。だが、ずっと伝えたかったんだ。ただ、その機会を逃してしまっていた。私は幼くして婚約させられたし、その後すぐ、君は他国に行ってしまったから…」
ジルフォードの顔が少し歪む。
エレーンはその間にジルフォードと幼い頃の自分の様子を必死に思い出していた。昔ジルフォードが彼女に、友として接してほしいと言ったことがあり、かなり馴れ馴れしく接したことがあるのを思い出した。それ故、彼は自分の事が印象に残っているのかもしれないと思った。
「ありがとうございます、殿下。私も殿下と幼い頃に接する機会があった事は光栄に思っております。私の事を思い出して頂けて本当に嬉しく思います」
その慇懃な返答を聞いたジルフォードは、自分の想いが全く伝わっていないと気付いた。彼は少々気が沈んだものの、気を取り直し、もう一度エレーンに向き合った。
「エレーン、私が言いたいのは、私は君を女性としてずっと想っていたという事だ。君が婚約者であればどんなにいいと思ったことだろう」
それを聞いてエレーンは驚きで口を開けて固まってしまった。ジルフォードはどうやら女性への愛の告白をしているようだ。しかしエレーンは冗談にしか思えなかった。小さい頃、宮廷の大人達がわざと嘘の告白をして女性を困らせる遊びが流行っていると兄から聞いた事がある。ジルフォードがそんな事をするように思えないがそれしか考えられない。
「……殿下、ご冗談を。これは何かのお遊びをしていらっしゃるのですか? ……申し訳ございません。私、こういった遊びは慣れておりませんで…… 」
「ああ、もう!違う、冗談でも、遊びでも賭けでもない!どうしたら分かってもらえるのだろう!」
ジルフォードは片手で顔を覆い困惑している。エレーンはどうしていいか分からず、とりあえず必死で子供の頃の記憶を辿ったが、ジルフォードが自分を好きという心当たりは全くない。彼女の家柄は政治的に全く影響力がなかったし、彼女の父が何か手柄を立てたと言う話も聞かない。王太子が自分を好きだと言うメリットは何も無いのだ。
エレーンが必死で考えていると、雲の間から太陽が光り、一瞬、彼女はクラッとした。ほんの一瞬だったが、
「エレーン!」
とジルフォードは両手でエレーンの肩に手を置いて彼女を支えてくれた。
「あっ、殿下、大丈夫ですっ! 申し訳ございません!! ーーあの、その、殿下、お言葉、大変嬉しく思います。……ですが、私には大変もったいないお言葉で……」
エレーンはなんとか返事はしたものの、その後なんて続ければいいのかわからない。
どうしようかとまごついていると、
「殿下、王太子殿下! どこにいらっしゃいますか?どうか早くお戻りください!」
と、遠くからジルフォードを呼ぶ男の声がした。
ジルフォードは、はっとした様子で
「エレーン、突然君にこんな告白をしてすまない。たが冗談じゃないんだ。 迷惑かも知らないがどうしても君に伝えたかった。私はこれからすぐに戻らねばならないが、後でゆっくり話を聞いてほしい」
そう言うと、ジルフォードはエレーンの手を取り、甲に唇を寄せて口づけると、声の方へ立ち去って行った。
エレーンはライアスが捜しに来るまで王太子が去った方向をずっと見つめていた。