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よみきりもの(異世界恋愛他中短編)

婚活終了令嬢の美味しい修道院カフェ生活

作者: 雲丹屋
掲載日:2026/08/23

 終わった……。


 貴族令嬢としての私の華やかな社交生活は、デビュタントの日に完全終了してしまった。


「お前との婚約を破棄する」


 まさか自分の人生でリアルにこのセリフを聞く日が、ここで来るとは思わなかった。完全に油断していたと言ってよい。

 公爵令嬢に転生してから15年。

 じわじわ思い出した前世の記憶と照らし合わせて、Web小説原作コミックの転生ものにしては、お城やドレスや生活全般がリアル志向すぎたので、コレは普通に生まれ変わったか、あったとしてもジャンル的には生活改善ものだとメタ読みしてしまった。


 くそう。まさか婚約破棄、悪役令嬢ネタだったとは。


 身に覚えもなければ、世界観的にもよくわからない難癖をつけられて、王族との婚約を解消されてしまった。なんか元婚約者の隣で勝ち誇った顔をしていた可愛い令嬢がいたから、彼女の策にはめられたらしい。


「日程前倒し作戦成功」とかなんとか日本語で呟いていたから、あっちも転生者だったのだろう。

 ジャンルガチ勢が相手だと、そりゃあ、勝ち目がない。


 見事に経歴に傷がついた私は、まともな結婚相手は望めなくなった。


「国の主だった貴族は、将来の国王夫妻に疎まれているお前を娶っても利がないばかりか害がある。国外に嫁がせれば我が家の謀反が噂される。生涯、嫁がずに我が家で過ごすにしても、この度の一件で王子側についたお前の兄が良しとすまい。かくなる上は……」


 毒杯は嫌ですよ?

 イヤなところでシリアス設定なの本当に勘弁してもらいたい。

 真面目に悩むと毒杯をあおりたくなる状況なので、これまであまり考えていなかった"前世思考"をフル活用して、自分の状況を客観視することでストレスコントロールをはかる。がんばれ無駄知識!


 よっしゃ。引きで見れば、まだ茶化して笑える。絶望のズンドコったって、まだまだ貴族令嬢身分。命の危険があるでなし、明るい明日はこの手でつかんでやるぜ。

 明日という日は明るい日と書くのよ、日本語では。



「というわけで、修道院に参ります」

「なんだと?!」

「親不孝な娘の最後のわがまま。どうかお聞き入れくださいまし」

「すまぬ。ふがいない親で苦労をかける」

「いいの。お父様、それは言わない約束よ」

「……そんな約束をしたか?」

「言葉の綾だから気にしないで」


 ともかくも、私は金持ちの変なスケベジジイの後妻の話なんかが来る前に、さっさと修道院に入ることにした。

 べーつに恋に生きるばかりが人生じゃなし。王子にも王子妃の座にも未練はないのよ。




【第1話 ウェルカムドリンクは知らないハーブティー】


 ゴトゴト馬車に揺られて、葡萄畑の間の坂道を上る。国境(くにざかい)にあるそのフラーゼルという修道院は巡礼ルートの有名どころだ。お父様に入りたい先はどこかと聞かれて、なんとなく聞いたことがある名前をあげただけなので、宗教や修道院に詳しくない私は詳細を知らないが、悪名の印象はないのでいいところなのだと思う。


 黒い髪を綺麗に結って、白い付け襟のついた黒いドレスに身を包んだ私は、修道院の三番目ぐらいに大きな建屋の来賓用らしき一室に通された。


 ……うん、大きいなここの修道院。

 なんか思っていた規模と違うぞ。


 建物も部屋も華美ではないが造りはしっかりしている。椅子などの調度類も、良い材料を良い職人仕事で仕立てて、長年丁寧に手入れして使っている感じだ。

 借りてきた猫を通り越して、獣医に連れてこられた猫の気持ちで、緊張して座っていると、案内の使用人と入れ替わりに、物腰の柔らかな綺麗な女性がやってきた。

 修道女だろうか。年のころは……妙齢?

 この世界、食習慣と美容と健康に関する医療知識が乏しすぎて、30代以降は急速に老化して寿命は50歳ぐらいなのだが、この人はなんか若い。いや、年齢が上なのは感じるが、前世での女優さんのように若々しい。

 ヒルダと名乗った彼女は、私をねぎらってくれた。


「エディス。いろいろとお辛いこともあったでしょう。私はあなたがここに来ることを選んだことが最善だったと思えるように努めます。この修道院があなたの安らぎの家となりますように」


 圧倒的光属性!

 私はさしてつらくもなかったのに、しばらく意味もなく泣いてしまった。


 差し出されたハンカチをぐしょぐしょにして、体中の水分を出し切った私にヒルダ様はお茶を淹れてくださった。もちろん紅茶や緑茶ではない。甘く爽やかでどこかスパイシーな香りがする。


茴香の種(フェンネルシード)樹脂香菊(コストマリー)のお茶よ。元気が出て、物事をしっかり考えられるように頭をすっきりさせてくれるわ」


 聞いたことのない植物の名前に目をぱちくりさせていると、ヒルダ様はこの修道院では薬草やハーブをたくさん育てているのだといった。修道院内に療養所があってそこで使うためらしい。


「フェンネルは葉や鱗茎も美味しくて、コストマリーは黄色い可愛らしい花ですよ」


 全然ピンとこない。

 顔に出たのだろう。ヒルダ様は「おいおい学んでいきましょう」と微笑んだ。

 学ぶというのは、薬草やハーブの薬効をということだろうか? いや、この世界は医学知識は未発達な上に学問は男性だけのもので女性には推奨されない。実家ではそれで苦労した。本一つ入手するのも大変な世界なのだ。きっと畑仕事や料理を覚えろということに違いない。


「でもまずは世俗の汚れを身体から全部出してしまいましょうね」


 私はそれから三日間、固形食を制限された。



【第2話 斎戒(さいかい)スープでデトックス】


 食を制限と言っても、ラマダンや断食というほどのものではない。パンや肉などの固形物を取らないで、スープとドリンクで過ごすだけだ。ちょっとした食事療法や意識高い系ダイエットメニューという感じである。……前世基準では。


 この世界標準。少なくとも私が生まれ育った王国のお粗末な食生活基準から考えると、謎にハイクオリティーなスープとドリンクを供されて、私はあごとほっぺが両方落ちるかと思った。

 真っ赤なビーツのスープにはフレッシュなペニーロイヤルミント、黄色いかぼちゃのスープはアーモンドミルクと生クリームで滑らかだが、セロリやフェンネルといった香味野菜に加えて、クミン、コリアンダー、ナツメグ、シナモンなどなどが配合されたと思しき、ほぼガラムマサラな感じにスパイシーな香りがした。


「どう考えても、自給自足じゃないですよね?」

「港も近いし、巡礼街道があるから、よその土地の珍しい物も手に入りやすいのよ」


 なるほど、丘の上に立つ修道院の食房の窓からは、果樹園や麦畑を越えて隣国に向かう街道や、遠く広がる海が見える。近くに森もあるので、森の恵みも豊富なのだという。海幸、山幸どんとこいだと?!

 ちなみにここから見える周囲一帯の畑も港も森も修道院の所有らしい。見渡す限り俺の土地って生半可な貴族より上じゃないか。え? 港向かいで海の向こうにも飛び地が? えっぐ!


 三日目のスープはスペルト小麦と粗挽きアーモンド入りの野菜スープだった。

 スペルト小麦は前世でおなじみだったパン小麦とはちょっと違う小麦だ。スペルト小麦で焼いたパンは、ライ麦パンほど黒くないが、パン小麦の白パンほど真っ白ではない茶色いパンになる。

 ネギやニンジン入りの野菜スープに荒く挽いたスペルト小麦を入れて煮たスープは、もったりして食べ応えがある。上に散らされた粗挽きアーモンドの食感もいいアクセントになっている。当たり前のようにオレガノが香るが、これは自家製だろう。


「オレガノは消化を助け、鎮静剤としての効果もあり、魔物を寄せ付けないから魔よけにもなるわ」


 薬学と信仰が混然一体のヒルダ様の解説にも慣れてきた。気分は薬膳講習会付きデトックスツアー。

 ちなみに修道院の野菜スープは厨房の大鍋でずーっと煮込まれているものがベースになっている。常時火を絶やさず、材料を継ぎ足し継ぎ足し煮込んでいるので、大変美味しい。これぞブイヨン。


 私は自分に割り当てられた簡素だが清潔な部屋の寝台で寝起きし、朝は日替わりで違うハーブや果汁が入るフェンネルティーを、夕べには栄養満点の美味しいスープを飲んで、修道院について学びながら、ゆっくりと旅の身体の疲れと俗世での精神の疲れを祓った。



【第3話 サラダとリンゴと友達と】


 ヒルダ様は偉いお方でお仕事も多く、新米修道女の私のガイドをずっとするわけにはいかない。ここでの生活の日々の細かいことは、ルームメイトになったクレアが教えてくれた。

 クレアは私と同じぐらいの歳で、フワフワの亜麻色の髪をした明るくて可愛い女の子だ。彼女は8歳の時からここにいるという。私が来る前はもっと年上の修道女二人の部屋に付属する小部屋にいたので、同年代の私と二人部屋になれて嬉しいと喜んでくれた。


「年下だからって可愛がってもらってはいたんだけど、いつまでも小さな子ども扱いは、やっぱりちょっとつまらないでしょう?」


 年頃は同じだが、ここの生活では先輩になるクレアは、お姉さん気分になれるのが嬉しいらしく、何かと親切にしてくれた。とはいえ、共同生活に慣れているからか過干渉というほどのお節介な世話焼きではないのが、親しい人々から切り離されたばかりの私にはちょうどよい塩梅でありがたかった。


「一人で静かにしたいときに、誰かと共にあるのだなと感じられるところで、一人になれることって重要なのよ」


 クレア曰く、誰の存在も感じられないところで一人は、この世から見捨てられた気分になるからダメらしい。なんとなくわかる。そしてそういう気分をわかってくれているクレアが同室で嬉しい。


 修道院に入る前の俗世の身分は重要視されないと教えられたが、私がここに入るときに、お父様がかなり多額の寄進をしたのは間違いないだろう。私は覚悟していたような粗悪な生活や下女扱いは一切されることがなかった。

 召使が何人も付く公爵令嬢の生活から考えれば転落かもしれなかったが、前世感覚で言えば学校の寮生活のようなものだし、部屋の広さや調度品は学生寮を比べるのは失礼なくらいクオリティが高かった。なんなら、うちの王国は"ザ・中世の城"な文化レベルで、近世や近代寄りのナーロッパ仕様ではなかったので、住環境の満足度はここの修道院の方が高い。うちの王国ってこの世界基準では後進ワイルド寄りだったのだろうか?


「ここの畑は冬には根セロリ(セロリアック)を作るのよ」


 クレアは修道院内の菜園を案内しながら、セロリアックはフェンネルが取れない時期に収穫できるのだと教えてくれた。セロリのイメージしかできないが、根茎を食べる野菜らしい。茹でてサラダやスープにするのだそうだが想像がつかない。


「私はリンゴと合わせたサラダが好きよ。リンゴだけのほうが好きだけれど」


 クレアはくすりと笑った。

 彼女はビーツのスープにリンゴのジュースを少しだけ入れるととてもおいしくなるが、リンゴジュースはリンゴジュースだけで飲んだ方が美味しいので考えものなのだとも教えてくれた。


 リンゴは葡萄と同じく果樹園で大規模に作られているが、リンゴが食べ放題というわけではない。

 修道院の周囲に広がる広大な畑や果樹園は、修道院に所属するが修道士ではない農民が維持していて、修道院の厨房の建物のすぐ近くにあるこの家庭菜園規模の小さな畑だけが修道士の管理となっている。


「でも、療養所の前庭にリンゴの木があって、そこのリンゴは好きに食べていいの」


 どうやらオフィシャルな食事以外に、クレアのような食べ盛りがこっそり間食を摂る自由度はあるらしい。厨房の裏メニューに焼きリンゴがあると教えてもらって、私はリンゴの季節が待ち遠しくなった。


 その日の夕食のサラダは、フェンネルの茎と早生のリンゴとチーズのヨーグルト和えだった。

 それぞれの材料に異なる風味や味があるのに、合わさると全く思いもよらなかった美味しさがあるのは驚きだ。


「リンゴは美味しいけれど、ずっとリンゴだけなのではなくて、こうやって他のものと合わせて素敵なお料理になって色々な可能性を知ることができるのって素敵ね」

「それ、ヒルダ様に言ったら、とても喜ばれると思うわ」


 三種の麦と二種の豆とキビの粉で作ったナッツ入りのパンを、野菜スープに浸して食べながら、私とクレアは秋が深まったらとれる栗で作るメニューについて楽しく語り合った。



【第4話 酒は百薬の長にして馬のニンジン】


 ヒルダ様が健康食のカリスマなために、ここフラーゼル修道院では色々なハーブティを飲む。

 ハーブは薬草園で育てられているが、葉や実が食べられる草木は修道院内の各所に植わっている。

 私とクレアは生垣のドッグローズが実を付けたので、ローズヒップ摘みに来ていた。


「私、薔薇は花の印象だけで、実って初めて見る気がするわ」

「ドッグローズは、ローズだけど花を楽しむ大輪の薔薇とは違うから」


 赤い実を摘みながら、クレアは初夏に咲く素朴で可愛い小さな花のことを話してくれる。クレアといるとこの先に訪れる季節が楽しみになる。



 摘んだローズヒップは種を取ってお湯に入れてローズヒップティーにするが、ここではそれをワインに入れて飲むこともある。

 修道院は広大な麦畑と葡萄園を所有するビールとワインの大規模醸造所でもあるのだ。

 私やクレアのような年齢の修道女にも、朔日の晩餐では沸騰させてアルコール分を飛ばして水で割ったワインが出される。ワインは儀礼用の飲料であり、薬とみなされている。

 ローズヒップワインはこの水割りワインにローズヒップと蜂蜜を入れたもので、風邪や肺の病、気鬱にも効くという。たんに蜂蜜が甘くて喉に良くて栄養があるのでは? あとビタミン……というのを口に出さない程度の分別はある。異世界なんだから、何が正しいかなんて、この地で確認しないとわからない。

 そういう意味では、ヒルダ様はここの療養所で食と健康に真摯に向き合っていると思う。


 私は濃く入れたローズヒップワインを入れた錫のタンブラーを、療養所で療養中のドランさんが座る籐椅子の脇の小テーブルに置いた。


「どうぞ」

「……ああ」


 ドランさんは私が初めて介護を担当した療養所の患者さんだ。筋骨隆々の男性で、ぱっと見では療養が必要そうな身体には全然見えない。たぶん知識皆無の新人の私に重症患者の世話をさせるわけにはいかないので、症状が一番軽いこの人の担当になったのだと思う。実際、手間は全然掛からない。

 手足に軽い痺れがあるらしいのと、ふさぎ込みがちなのと、気難しくてすぐにイライラしやすい状態にあるというポイントさえ押さえておけば、まったくもって手のかからない扱いやすい人である。

 少なくとも、自分で自分が悪い状態にあるという自覚があって、私を怒鳴りつけかけた時にぐっとこらえてくれる分、元婚約者のアホ王子よりなんぼかマシだ。

 ドランさんは今はちょっと具合が悪いだけで基本的には理知的で冷静な大人なのだと思う。


「ワインは混ぜ物なしで飲みたい。こんな子供向けのシロップは勘弁してくれ」

「ここは酒場じゃなくて療養所です。お薬に酒精を求める酒飲みは大人じゃなくて酒カスですよ」

「大人しい修道女を担当にしてくれとお願いしたのにどうしてこんなガキが……」

「大丈夫! ドランさんが今これしきの事で無駄にイラつくのは、きっと病のせいです。これを飲んで気長にのんびり療養すれば必ず治ります」


 私は籐椅子からだらりと投げ出されているドランさんの脚の膝のところをポンと叩いた。

 やっぱりだらりとしたままで元気がない。


「ほっておいてくれないか」

「これを飲んだら、食欲が出ます。食欲が出たら食事が食べられます。ちゃんと食べたら身体が元気になって気分が前向きになります。そうしたら……」

「そうしたら?」

「混ぜ物なしのワインをお出しして、思う存分放置してさしあげます」


 ドランさんはローズヒップワインを一気に飲み干して、「食事を持ってこい」と言った。



【第5話 パスタと水餃子の差は生地ひとえ】


 修道院では様々な人が働いている。

 修道院には修道女しかいないと思っていたから意外だったが、実は修道女は数十名で、それ以外に男の修道士やそれ以外の使用人も大勢いる。農場の人々はもちろん、鍛冶屋や粉ひきなど、大きな荘園にいる職業の人々は一通りそろっていると言ってよい。それに加えて、港の船乗りや交易商人、巡礼者なども宿場として立ち寄るし、療養所で療養する人々やその治療をする医療従事者もいる。

 前世の半端な記憶から、修道院というのは閉ざされたところで、修道女というのは女だけで閉じこもってお祈りばかりしているという印象があったのだが、このフラーゼル修道院は全然そんなことはなかった。


 そして、あたりまえだが修道女も働く。

 驚いたのは、その労働の種類が自給自足のための肉体労働よりも、知識階級の頭脳労働が多いということだった。私に限らず元が貴族という女性が多いからだろうか。


 菜園の手入れや、掃除、洗濯など一般の農村の婦人が行う仕事は、皆で分担して行うのだが、すべてを自分達で行っているわけではない。それほど多くはないが雇われている女性使用人もいるのである。

 針仕事も、刺繍やレース編みといった芸術的素養と図案やパターンに対する理解が必要な仕事が多く、普通の仕立て仕事は本職の仕立て屋が居たりする。

 厨房の仕事も、当番制で回ってくるのだが、メインの料理人は元は貴族家に仕えていたという本職がいる。どこかの貴族令嬢がここに身を寄せた時に付いてきて、そのままここに居ついたのだという。


「ルゴール、あなたぐらい腕のいい料理人が居たら、親とは別れても、あなたのいない生活は考えられないと思ったとしても仕方ないと思うわ」

「ありがとう。世辞だとしても嬉しいね。くいしんぼんのエディス。君のリクエストする料理は風変わりで作り甲斐があるよ。良いインスピレーションを得られる」


 この腕と気のいい料理人は、こんな感じのものは作れるか? と前世知識の料理をほのめかすと、いい感じのアレンジメニューを作ってくれる天才だ。小麦粉とバターと卵があるなら、パスタもパイもクレープもいけるだろうと、おりを見て小出しにリクエストしている。

 前世通りの味のものは食べられたためしがないが、想定外の料理が出てくるのがなかなか面白い。

 ラビオリや水餃子みたいなものをリクエストしたら、手のひらサイズの巨大な代物がスープに入って出てきたのは驚いた。


「風変わりでないリクエストも歓迎だ。なにかあるかい?」

「焼きリンゴを作って」

「はっはっは」

「バターと蜂蜜をたっぷり入れて、シナモンも少し」

「さては、クレアに入れ知恵されたな。では干し葡萄も入れてやろう」

「二つちょうだい」


 修道院の食事が朝晩の2食で量が控えめなのは、このルゴールに好きに作らせると修道女が全員豚のように肥え太るからだと思う。



 日常の肉体労働を行わない代わりに、フラーゼルの修道女が行う仕事は、この世界では世間的に女性向けとはされない仕事だった。


 学問である。


 フラーゼル修道院には独立した建屋の立派な図書館があり、薬学や医学はもちろん、天文学や地理や数学を探求する学者が何人も滞在していた。

 なんでも、かつてこの辺りには非常に文化的に進んだ国があったのだが、戦乱で敗れたのだという。フラーゼル修道院の図書館は、今は亡きその国の叡智を記した貴重な文献を今に伝えている場所らしい。


 フラーゼルの修道女は知に仕える聖なる巫女として、その図書館を訪れる学者達の手助けをした。司書のように適切な文献を案内し、必要な個所の写しを作成し、口述筆記を行い、研究成果のまとめと清書を手伝ったのだ。

 そして機嫌よく帰っていく学者達には、綺麗な結論の清書という断片を渡し、フラーゼルは学者達の基礎研究と論理展開方法、諸々の試行錯誤の失敗事例をすべて間近で学び、確保するというわけだ。


 誰が考えたのか知らないが、なんとも呆れた商売方法である。

 フラーゼルの文献は散逸せず、知識はアップデートされていく。……それも費用は相手持ちで。


 図書館の脇にある学房と呼ばれる建物には、写本室や紙やインクの工房の他に、学者の生活するスペースがある。図書館の文献を閲覧するには、ここに泊まって洗濯や食事のサービスを受け、修道女のサポートを受ける必要があるのだが、これがすべてお高い!


「やあ、エディス。今日は学房務めかい? 僕の研究を手伝っておくれよ」

「こんにちは、リンツ先生。私はまだまだ見習いだから先生のお手伝いはできませんよ。今日は学房の食堂のお手伝いです」

「今日のメニューは何だい?」

「栗とフェンネルのテリーヌです」

「あの"偽兎"のテリーヌか。ここの食事は美味しいが、たまには本物の兎肉が食べたいな」

「肉料理は追加料金ですって」

「貧乏学者に世知辛いことを言うなよ」


 ここに研究に来ている学者の中では比較的若いリンツ先生は、困った顔でぼさぼさの頭を掻いた。

 年配の学者に合わせた学房の食事は、彼には少し食い足らないのだろう。


「もう少ししたらソーセージ作りが始まるそうですよ。パンにソーセージと酢漬けキャベツを挟んでマスタードをたっぷりつけると……」

「やめてくれ、腹が減ってきた! 研究費を食いつぶしちゃったなんてシャレにならない」

「リンツ先生なら、試験を受けて修道院付きの専属学士になれるんじゃないですか?」

「ダメだよ。故郷で貴族に借金してここに来ているんだ。研究成果を持って帰らないと」

「頑張ってくださいね。今度、学房の食堂用に"笑顔包み"のダンプリングをお出ししますから」


 小麦粉を練った皮の中に肉と野菜の団子を詰めて、半月状に包んで茹でたものだと説明し、「一口食べると口の中に美味しい肉汁入りスープがじゅわーっと……」と説明すると、先生は耳を押さえて悲鳴を上げて逃げ出した。


 私はルゴールに焼きリンゴは三つにして、と頼んでみようかと考えながら、リンツ先生の後ろ姿を見送った。



【第6話 聖なるカフェのパンケーキ】


 フラーゼル修道院は神を祀っている。この神は、あたりまえだが前世のどの宗教とも無関係だ。

 前世でも信心深いとはいいがたかった私は、今世でも信仰には目覚めていなかった。

 しかし自ら修道院に入ると言い出し、今は修道院に身を寄せる身になったので、私は初めて真面目にこの世界の神話に向きあった。


 思ったより難しかった。


 一神教というよりはアニミズムで精霊信仰の多神教なのは間違いない。主神に相当する存在はちょっと聞いた感じだと大地母神だ。しかしよく説法を聞くと、神は大地であり、そこに生きとし生ける生命であり、なんなら天空も海も全部含んで一つの存在だと説かれる。ガイア理論か?!


「我々人間も含めてすべての自然と生物は概念として一つの生命体であり、自己を存続させるために調和的に働く。その意思こそが神であり、一は全にして全は一である。……というような感じの理解であってますか」

「素晴らしい! この短時間でその境地に到達できるとは!!」


 すみません。前世のなんちゃって知識のつぎはぎです。

 どうもそういう雑学の下地がないこの世界の平均的な人にとっては、大変理解が難しいらしい。

 ビフォア「地球は青かった」だと、たしかにガイア理論は直感的理解が難しいよなぁ。


 主神以外はというと八百万信仰並みになんでも神様化するのだが、よくよく聞くとそれらはどれも主神の別の側面でもあるとか言い出す。融通無碍と言えば聞こえがいいが体系だっていなくて分類も無茶苦茶でアレンジが大きいので、各神の特徴が覚えにくいったらない。

 聖書的な統一テキストもないのか、説話集が御伽草子や遠野物語ぐらい断片的な小話集でしかない。

 それはそれで無茶苦茶面白いんだけどね! 短編集大好きだから!!


 しかしこのメインヒーローが居なくてシンボリックなキャラクター性が弱いコンテンツで、よくもまぁ巡礼が出るぐらいの信者を国を跨いで抱えているなぁ、などと罰当たりなことを考えてしまう。


 そのあたり皆さんどう思っているのかと、巡礼者の集うエリアに行って聞いてみた。

 修道院には巡礼者向けの宿坊があり、敬虔な善男善女が旅の疲れを癒し一息つくためのエリアが確保されている。


 巡礼対応の修道士らの話では、短期間しか滞在しない巡礼の人らに、この難しい話やとっ散らかった説話をどうやって簡単に説いたらいいのかは悩ましいところで、解決策を模索中だという。やっぱり課題だとは思っていたらしい。


 逆にくる側はどういう意見なのか、宿坊に滞在している巡礼の方々にお伺いしてみたところ、やはり皆さんあまりちゃんと理解していなくて、あっちの神様とこっちの神様の話が混ざっていたりした。

 それはそれとして"商売繁盛"や"病気快癒"という定番の願い事は皆さんお持ちで、手っ取り早くそういうお願いはどうやって祈ればいいのかとよく質問されて、素人修道女としては大変に困った。

 また、面白いことに、せっかくありがたい修道院に来たのだから、それっぽいことをしたいし、ここまで来た証拠をお土産に持って帰りたいという声も意外に多かった。そういう俗なところは前世も今世も変わらないらしい。


 目印チャームやアクスタみたいに、ぶら下げることができる小物とかちょっとした置物を作ったら受けそうだけれど、そういうの無いんだろうか。そういえば神像的なものを見たことがない。


「ヒルダ様、大地母神さまってどのようなお姿をなさっているんでしょうね」

「お姿? どうかしら、考えたこともなかったわ」

「では、戦や火の神は? 男神なのでしょうか。見た目の年頃は若いのでしょうか? 髪の色は赤かな?」

「神々を人のお姿で考えるなんてよく思いつきますね」


 どうも"擬人化"という概念と発想がものすごく希薄なようだ。ヒルダ様に限らず図書館にいる神学者の皆さんからもあまりピンとこないという顔をされた。


「ひょっとして、神々を人の姿で表現することって禁忌ですか?」

「いいえ、禁じられてはいないと思いますよ。そもそもそんな話は聞いたことがないわ」


 森羅万象擬人化せぬものはなしという国で生まれ育った記憶が、なんてもったいない! と絶叫した。


 属性と逸話てんこ盛りの神話体系が一つ丸ごと手つかずでここにある。

 用意できる資本は潤沢、箱物はすでにしっかりあって、ウケのいいグルメ素材も職人も確保済み。

 金を落としたがっている客は世界中にいて口コミが広まればどんどん来る。


「巡礼者向け守護神コンセプトカフェ! これだ!!」


 天啓だと思った。


 こうして私はクレアやルゴールだけではなくリンツ先生まで巻き込んで、神話の体系化と神々のキャラクタ性の整理とシンボルの明確化から着手して、各々の神にちなんだグッズと料理を提供するカフェの企画書を作成し、ヒルダ様に提出した。


 カフェメニューの第一弾はスペルト小麦のパンケーキ"大地の恵み"、季節の果物と野菜を添えて。


 修道女全員での試食会の結果、修道院全体で本計画を本格的に協議することになった。



【第7話 新しい始まり(ヌーボー)のための仕込み】


 葡萄の収穫や新酒の仕込みでてんてこ舞いな時期が終わり、すっかり秋が深まったある日、私は療養所のドランさんを、いつもとは違う時間に訪ねた。


「ドランさん、みーつけた!」

「なんだ小娘。今日はもう朝の食前薬は飲み終わっているぞ」

「偉いですね! 大分調子がよさそうじゃないですか。お肌つるっつるですよ。日々、隠れてトレーニングしている成果が表れていますね」

「な……っ、お前」

「今度からご一緒させてください」


 無理なリハビリは逆効果になることもあるから監督は必要だ。ついでに護身術とか教えてもらいたい。


「おっと、そんなことはどうでもよくてですね。今日はご協力いただきたいことがあってお願いに上がりました」


 まま、座って座って、と彼を座らせる。彼はとても背が高いので立ち話をするとずっと見上げないといけないので座ってもらった方が話しやすい。


「何のようだ」

「モデルになってください」

「なに?」


 モデルという概念がないドランさんに、これから修道院で戦の神の姿絵や彫像を作るからその見本になってくれと頼むと、とんでもないと断られた。


「いいじゃないですか。その見事な筋肉、ものすごくイメージぴったりです。とっても強そうで」

「このくらいは、どこにでも……」

「いいえ、ドランさんはスタイルがかーなーり良いんですよ。しっかり筋肉はついているけれど鈍重そうではなくて均衡がとれていて、むちっとしているところはボリュームがあって、それでいてしなやかで、いい感じに引き締まっていて、こうちょっと色気のある感じがとてもいい」

「若い娘が男の身体をそういういやらしい目で見るな!」

「ちゃんと顔もカッコいいと思っていますよ。私、身体だけじゃなくて、ドランさんの顔も性格も全部合わせてすごく好きですから大丈夫」

「お前の大丈夫は全く信用ならん!」

「もー、取って食おうってんじゃないんだから、そんなに怯えないでくださいよぉ」


 私はぺちんとドランさんの膝を叩いた。反射で足先がぴょこんと跳ねる。


「ほら~、足先はもう私と一緒に出掛けたくてウキウキしてますよ。身体は正直だなぁ」

「勝手なことを言うな」


 籐椅子のひじ掛けをしっかり掴んで抵抗される。その指先にしびれや麻痺はなさそうだ。

 長期の過酷な遠征で、おそらくは脚気にかかっていた彼の身体はすっかり回復している。


「ドランさん、身体の方はすっかり回復しているんですから、ここで一つ神のご加護を頂いて完全復活しましょう」

「神のお姿の見本になるなど恐れ多いだろう」

「なにを言いますか。描かれるのはドランさんであってドランさんではありません。あなたが鍛えて今日までしっかりと生きてきた証のこの体に宿る戦の神の息吹を、画家や彫刻家が感じ取って絵筆やノミで現すのです。我ら人の子は大いなる全ての中に内包される一つであり、我ら一人一人の中に神の多面性は現れうるのです。あなたの場合はそのたぐいまれなる資質が戦神の御心を表すのに適しているということで……聞いてます?」

「もういい! どこへなりと連れていけ。モデルだか何だか知らんがやってやる」


 ナイス度胸。言質ありがとうございます。


 画家達がいる部屋に連れて行って、私が部屋を出て扉を閉めるまで、私は彼に戦神のモデルは裸になる必要があるということは知らせなかった。


 私は彼にワインの新酒のボトルを送った。




【第8話 太陽のハンバーグと月のオムレツ】


 私達は発案からの一年間を、試作とマーケティングと材料の確保などの準備に当てた。


 一年を四つのシーズンに分け、各シーズンに一回、目玉企画とする祝祭(フェス)を選定。各企画のコンセプトの独自性とフラーゼルとしての統一性をきっちり確保したうえで、"どれも外れなし"と思っていただけるようにバランスを調整した。「どうせフラーゼルに行くならこの時がベスト」などという口コミが広まって、巡礼客が短期間に集中すると、サービスの質が落ちて満足度が下がりリピーターが減るからだ。


 想定顧客層をプロファイリングし、グローバルにマスの動向を意識するというインチキ前世発想をフル活用して私はイベントの計画を立案した。季節による食材の違いや収穫量、薪などの消耗品の備蓄や交易の感覚は、数字で見るだけではなく、実際の季節の経過に合わせて体験しながら肌感覚で勉強した。

 いくら前世知識があると言っても私のそれは絵空事の素人考えだ。この世界で、実際にそれを扱っている専門家たちの話を聞きながら実情にすり合わせていく過程を挟まないと、絵に描いた餅になる。


「秋冬はともかく、春先にそうそう家畜は肉用に潰せないし、夏は日持ちが悪いでしょう?」

「かと言って、商隊の護衛の方なんかはパンケーキやサラダじゃ満足できないわよ。もうちょっと食べ応えがないと」

「野菜が中心なのは外せないとして、肉っぽさか……鶏と卵は増やしやすいわよね」

「あと、チーズ!」


 私がカフェメニューとして提案したハンバーグもオムレツも、ヒルダ様とルゴールによってフラーゼル風に最適化された。

 ニンジン、根セロリ、玉葱、ニンニク、ガランガー、ベルトラム、オレガノ、タイム、パセリ、ディル……およそハンバーグの材料とは思えないもので作られた野菜料理はハンバーグに見えたし、ハンバーグとは似ても似つかない味がしたが美味しかった。

 チキンのハンバーグは、生地にマスタードとヨーグルトとライ麦パンが練り込まれていて、山羊のクリームチーズが中に入っていた。チーズインハンバーグをリクエストしてこんなものが出てくるとは想定外にもほどがある。

 かと思えば、オムレツはチーズとバターたっぷりでつやつやでピカピカで、思った通りを通り越えた先の姿で出てきたりもする。これはルゴールにとっても新境地だったようで、彼自身が感動していた。


 本当に、この世界の流儀に着地させて、新しいものを生み出すというのは、大変で、大切で、輝かしいことなのだ。



 私達はイベントだけではなく、神々のプロモーション方法についてもかなり詳細に戦略を練った。

 幸いキャラクタービジネスモデルには一日どころではない長がある。


 キャラクタービジュアルの個性の出し方、イメージカラー、シンボルマーク、キーアイテム、マスコット的神使、名シーン、決め台詞、決めポーズ。

 どんなに作画が崩壊していても、これを持っていたら、このポーズをしていたら、あるいはこの色だったらこの神! と言える個性の確立はグッズ展開上きわめて重要だ。オフィシャルグッズのクオリティは維持できても、今回、協調して一緒にキャンペーンを張る他所の修道院や神殿などでの品質はどうにもできない。かなりわかりやすく一覧にして早見表を配布するが、一点ものでない場合は工作精度は期待できない。


「いいですか、皆さん。今回、主要十二神の像については、こちらの原型師が作った像の金型を1セットずつ提供させていただきます。各地でのアレンジは可能ですが、必ず守っていただきたい部分があります。配布した冊子をご覧ください……」



 グッズ展開は、息の長いコンテンツにするために最初からフルスロットルにはしない。

 他の修道院にもアイディアは安売りしないつもりだ。どうせ真似されるが中心の座を渡す気はない。

 スタンプラリー、ランダム商法、期間限定、来場特典、リピーター特典など切れる手札は豊富にあるので、テコ入れの必要性を見ながら順番に投入していけばいい。人の欲は強い刺激にすぐに慣れてしまう。提供する側が疲弊するプランは商品戦略として賢くない。


「私達はそれほど儲ける必要はないですしね」


 ヒルダ様にくぎを刺される。


「もちろんです。私は多くの方にここの美味しい食事を楽しんでいただいて、ヒルダ様の良き食の教えを知ってもらいたいのです」


 これは建前ではなくて本音だ。"食は喜びなり"は、大地母神信仰よりもよほど私に染みついている。

 あ、これ大地母神の格言に入れておこう。

 内緒なのだが、実は主神のビジュアルイメージは私のリクエストにより、かなりヒルダ様なのだ。


「ヒルダ様のレシピのこのクッキーの名前は、"(よろこ)びのクッキー"っていう名前にしましょう」

「さんせーい」


 私とクレアは、星形に成型して修道院の紋章を型押しした全粒粉のクッキーを試食した。鼻に抜けるシナモンやクローブの香りと、噛みしめる穀物の甘味に、全身に力がみなぎる気がした。



【第9話 神の恩寵は万民をクレープのように包む】


 巡礼者用の施設である宿坊区は、修道院の聖堂や図書館から離れた、やや丘を下ったところにある。


 馬車停めや厩舎を併設した宿坊は、いくつかの建屋が連なって、かなり大きな中庭を囲んでいる造りだ。開け放たれた大門から入る中庭は、交易商人の馬車がそのまま入ってぐるりと回れる広さで、木陰を提供する木々とベンチがある。木のいくつかは種類の違う果樹で、訪れた者に目の楽しみ以外にもちょっとした潤いを与えている。巡礼だけではなく旅の商人も立ち寄るので、中庭で敷物を敷いてちょっとしたものを売っている者もいる。


 その金の紋章がついた豪奢な馬車は、葡萄畑の間の坂道から宿坊区に入ってきて、中庭をぐるりと回って私達のカフェの前で停まった。


「なぜワシがこのようなところに立ち寄らねばならないのだ」

「ベルビス祭司様、ここに"異端"と"奢侈飽食"の嫌疑の訴えがあった食房がありますのよ」


 馬車を下りてきたのは立派な法衣をきた聖職者の男女だった。スサエラの中央神殿の視察だ。

 がっちりした体格の中年の男は、食房の中に案内すると、「これが奢侈とは片腹痛い」と顔をしかめた。


「造りは大きいが、伝統的な食房ではないか」


 たしかにここの食房は、昔からの建物そのままだ。吹き抜けの高い天井に大きな梁と太い柱。中央の空間には木の長いテーブルと素朴なベンチが並んでおり、柱で区切られた先には小テーブルがある。調度品は年季が入った手入れのいい木製品だが、レイアウト的には大学の学食っぽさが少しある。小テーブルのあるあたりはロフト的な中二階があって、そこにも席があるのは、少し酒場的かもしれない。


「訴えた者はよほどの物しらずの貧民なのではないか? レイレ」


 さっさと帰りたい様子の祭司様を、レイレと呼ばれた連れの若い女は引き留めた。ツンと気取った感じで歳は私とあまり変わらないかもしれない。南の有名な修道院の紋章の入ったベールを身に着けている。


「席はここだけ? ベルビス様をお通しできる個室はないの?」

「静かにお食事をなさりたい方のために、個室のご用意もあります」


 ほらね、という顔をしたところを見ると、彼女は豪華な貴賓室が隠されていると思っていたのかもしれない。そんな彼女は、私が案内した個室を見て、がっかりした顔をした。


「何にもない部屋ね。板壁に木の格子のはまった丸窓にランプが一つ? 机の上に花を置くにしてもこんな小さな壷に一輪だけだなんて」

「ふむ……」


 ベルビス祭司は部屋を見回して、席に着いた。


「だが、この席から見える風景はよいな。この格子が実にいい塩梅だ」

「そうですか? ただの不揃いな格子に見えますが」

「これは、君。古典詩の韻律だよ。弱……強……五歩格(ペンタメトロス)? いや六歩格(ヘキサメトロス)か。この木のコブをそのままにして強弱の反転する遊びを一つ仕込んでいるのが心にくい」


 うちのリンツ先生がヒルダ様と意気投合して、趣味に走って作り込んだ誰にもわかりそうにないネタを一目でわかる祭司様すごい。これだから文化人は……というか、ひょっとしてこのレベルって基礎教養なの?

 不安になった私は、祭司様の隣で唖然としているレイレを見て安心した。彼女は私と同レベル。ヨシ!


「自然の中にあるひそやかな規律を感性で静かに感じ取ることは、万象である大いなる神のお声を聴くことでもありますから、おのずから心は安らかになります」


 ニコニコともっともらしいことを語ってその場をやり過ごす。ここの神様は八百万信仰&ワビサビと相性がいいから、前世知識でアレンジすると、基礎教養が足らなくても大変いい感じにそれっぽい説明ができる。


 飲み物と軽食をお出しして、ゆっくりとお話を伺ってみると、どうやらこの顔が怖めの祭司様、金満旦那ではなく意外にいい人だった。大粒の宝石の付いた指輪を幾つもゴテゴテつけているから、そういう成金趣味の人かと思ったら、普通に身分相当の装飾品がそれだから身に付けざるを得ない偉い人らしい。


 レイレさんの方もなんかツンツンしているから、粗さがしに来た意地悪な人かと思ったら、単に真面目な人だった。口さがない者達が妬みであらぬ噂を大声で叫び出すといさかいの火種になるので、有無を言わさぬ総本山の偉い人を連れてきて「問題ない」というお墨付きをくれたのだ。

 ありがとう! ツンデレ気味だけどあまり裏表のないレイレさん。クレープ好きなの? 心の中ではレイレちゃんって呼んでいい?

 もっとも、これでダメだったら、カフェ計画は開始早々に一発アウトだったので危ないところだった。

 レイレちゃんは鋭い質問をビシバシしてくる人だったので、私は途中ヒヤヒヤした。


「ここは有料なの?」

「はい。個室の利用や特別な料理には、いくらかのご寄進が必要です」

「それは金持ちへの優遇ではなくて?」

「いいえ。それは提供する我々がここを訪れる皆様と対等であるための対価です。私どもは身分の貴賤かかわらず、同じ対価で同じものを提供します。ここを訪れる人は施しを受けるのが当然な貧者の心に身を落とすことなく、我々やここに集う皆を共に生きる同胞と感じることができるのです」


 我々は神に仕える身だが、お客様は神様ではない。

 慈善事業は行うが持続的なサービスには収入は必要だ。


「でも、貧富の差は厳然としてあるのでしょう? これらの食事が神の恵みや恩寵を知るために身を養うものだというのなら、金を持っているものだけがそれを受けれるのは危険だわ」


 その通りだ。

 だから私達はカフェを始めるにあたっても、従来提供していた基本的な食事はなくさなかった。

 ここの宿坊はそもそも有料だ。旅館と同じである。宿泊者は入門時に申告した日数分の料金を支払えば、部屋とその間の食事が提供される。また決められた追加料金を支払うことで施設内の貴重品保管庫や浴場といった設備や、常駐する職人や通訳、書記、両替商などのサービスを受けられる。

 カフェはこのオプションサービス部分なのだ。


 そして、修道院の宿坊がただの営利施設の宿と違うのは、巡礼者特割があるというところなのである。

 我々が受け入れられる範囲内で、との条件はつくものの、巡礼者は一定日数、無料で基本の宿泊が可能なのだ。金がなくても飢えることなくここに泊まることはできる。さらに……。


「より多くの喜びを皆と分かち合いたいと志すお方のご寄進があれば、私達はそのお気持ちを大切にして、ここを訪れた巡礼の皆様にこれらもできるだけ無償で提供させていただいております」


 作れる量に限りはあるため数量限定で競争率は高いが、厳正なる抽選(状況を鑑みた手心あり)による提供を行っている。盗賊や場内治安の管理のために武器を持った警備の修道兵はいるので無法やインチキ、強欲は許さない。神の御前でみっともないことをする奴は院内規則で裁いて放り出す!


「おら、こんなうめぇものさ、食ったことね」

「村さ帰ったら、みんなに一生自慢できるな」


 中庭のベンチに座って、"悦びのクッキー"をニコニコ食べている、こういう善良な一般の巡礼の人こそが、最高のお客様なのだ。


「豊楽だな。万民豊楽。豊かにしてよろずの人皆楽しむ」


 なんかいい感じのことを言って、ベルビス祭司は機嫌よく帰っていき、うちのカフェは中央神殿公認になった。

 そしてレイレちゃんはその後、クレープメニューの入れ替わり時期を狙って何度も単独でやって来るようになり、結局、私達は文通友達になった。



【第10話 黒鉄の指輪】


 修道院での生活は、季節ごと日ごとに新しい発見と工夫の連続で同じ年はなかったが、いずれの年も素晴らしかった。私はカフェやフェスによる布教活動で充実した日々を過ごした。


 薬草園や療養所を手伝うことも少しはあったが、最初の年のように特定の療養者の担当になることはなかった。ドランさんとは、彼が回復して退院してから会っていないが、戦神の像を見ると彼が今もここにいてくれるような気がして、疲れた日でも、なんだか少し愉快な気持ちになって元気が出る。ご利益てきめんだ。教えてもらった基礎トレは健康のために続けている。修道院生活って意外に体力勝負なのだ。


 新年の祝いが一段落して旅人の減る冬の時期は、巡礼区の滞在者も減り、長期滞在の学者や療養の方が中心になる。そんなとき私達は新しい年の計画を立てた。前世で二月から三月が年度末で、次年度の計画立案に追われたのとなんとなく似ている。エンタメは顧客動向を読んだ仕込みが大切なので、静かな冬は私達の大事な仕込み時期なのだ。


 夏祭りの新作奉納劇のシナリオと曲が書けた頃、街道の雪が解けて春がやってくる。

 春は新しい出会いの季節だが、その年の春は思いがけぬ懐かしい人との出会いがあった。


「お嬢様! エディスお嬢様ではありませんか! 私です、お屋敷に出入りさせていただいておりましたデルトロです」

「本屋さん?!」


 彼は公爵家に出入りしていた大商人だ。もちろん商品は本だけでなく手広く扱っていた。彼はませた子供だった私の求めに応じて、女児向けでは全然ない学術書を調達してくれた。もちろん商売っ気が八割だったのだろうが、彼はあとの二割で私の要望を真剣に取り合ってくれた。

 子どもの頃に綺麗な装丁の素晴らしい写本をたくさん読むことができたのは、デルトロのおかげで、その体験は今の生活にとても役立っている。


 恰幅のいい商人は、「なんとお元気そうで」と言葉を詰まらせて、年甲斐もなくハラハラと泣き始めた。王都の大商人がこんなところに何故と尋ねると、デルトロの嘆きはさらに大きくなった。

 なんと彼は王都の店を畳んで、出てきたらしい。


「王都の古き良きものは、もうすっかり滅茶苦茶です」


 私の元婚約者のバカ王子が王太子となり、王太子妃と共に新たな取組みを矢継ぎ早にあれこれ始めているのだという。


「古きを改めること自体は咎めだてすることではないのですが、やり方が問題でして」


 王太子夫妻は、何か新しいことを思いついたら、王国の資本で大々的に事業を立ち上げる。そして、その事業に関連することを生業としている関係者や、従来の方法をすべて"旧悪"呼ばわりして、権力で叩き潰すのだという。


「"ざまぁ"というのだそうで……。私の商売仲間やお得意様もずいぶん"ざまぁ"されました」


 それでうまくゆくならまだしも、焼け野原になった市場に王太子の新方策が根付かないと、彼らは"損キリだ"といってさっさと撤退するというからたちが悪い。王太子が利益だけ吸って、自国の産業を次々潰す行為に他ならない。公益という言葉を知らないのか?

 知らなさそうだな。私利私欲なら知っていそうだ。


 そこで私欲に走って民から資産を吸い上げて、贅沢三昧や放蕩に走るなら、一応、経済は回り文化的にあだ花の咲く余地もあるのだが、新事業が的外れで次々失敗するために、単に国庫が疲弊する結果になっているのだというから目も当てられない。

 食中毒被害で多数の死者を出したマヨラの惨劇や、高級商店の並ぶ美しい通りを悪臭漂うスラム街にしてしまったラーメ横丁事件の話を聞いて、私は目の前が真っ暗になる思いがした。


「お諫めする者はいなかったのですか?」

「はい、いないこともなかったのですが」

「……"ざまぁ"されたのね?」

「はい」


 父は、王太子と彼に反発する者達の間に入って双方をなだめ、惨劇が拡大しないように心を砕いたのだそうだが、結果的に双方から恨まれることになったそうだ。


「そんな!」

「閣下は、自分とかかわりをもっていると害が及ぶからと言って、わたくしに出入りを止めることをお勧めになられまして」


 デルトロは沈鬱な表情でかぶりを振った。


「閣下の悪い癖です。あの方は心を置いた者を、自分から遠ざけることで守ろうとする」


 私も遠ざけられた。

 父に切り捨てられたのではなかったのだと思ったら、目の奥が熱くなった。


「意地で残ってやろうかとも思いましたが、ここで王国と心中するのは閣下の心労を増やすだけかと思い、店を畳んでこうして出てまいりました」


 これを機に世界を周って、商人として一回り大きくなってやろうと思いますと、目を赤くしたまま笑ったデルトロは良い商人だ。私は彼に、もうじき早春恒例の交易商人向け大規模見本市が、この丘を下りた先にある港町で開催されるから、それまでここに滞在していくよう勧めた。


「旦那、滞在なら護衛の契約はここまでですか?」


 ふいに声をかけてきたのは、金属板の付いた革鎧を着た傭兵っぽい男だった。

 デルトロが雇った護衛らしい。修道院領内は警備の修道兵がいるから安全だが、街道は獣も盗賊も出るから、資金的に余裕のある旅人は護衛を雇う。

 デルトロは、滞在と言ってもそれほど長期でないのなら、この先のこともあるのでできれば引き続きお願いしたい、と交渉した。腕と性格の良い護衛なのだろう。

 私は護衛の男を見上げて、心中で一つ訂正した。彼は顔と腕と性格の良い護衛だ。


「なんだい? 修道女さん。俺に惚れちゃった? ダメだよ。俺は戦場に行っちゃう男だから」


 私はもう一つ訂正した。彼は顔と腕と調子の良い護衛だ。


「あなたに戦神のご加護があらんことを」


 私がお守り代わりにベルトに一つ下げている戦神の小さな像を手にして祈ると、彼は目を丸くした。


「それは戦の神?」

「ええ、そこの礼拝所に行けばもっと大きな像がありますよ」


 壁龕に主要な十二神の像が飾られた礼拝堂に案内すると、護衛の男は予想外の反応を示した。

 戦神の像を見て大笑いしたのだ。


「ぶはっ、これ……これが戦神……うはははは!」


 腹を抱えて笑い転げた男は、困惑顔の私に気づいて謝罪した。


「す、すまない。これは不敬だった。気を悪くしないで欲しい。ただ、この戦神の像が……俺の知り合いにそっくりで……ぶふっ」


 口を押えて悶絶している彼に、私は微笑んだ。


「まぁ、それほど似ているということは、その方はよほど神の恩寵を受けた方なのでしょう」

「ああ、そうですね。たしかに、あいつは戦の神の申し子みたいな奴だ」

「そうですか」


 私はどうしてなのかふと思いついて、ベルトに下げていた小さな戦神の像を外して彼に差し出した。


「では、その方にお会いすることがあったらこれを渡してください」

「いやいや、受け取れませんよ」


 護衛の男は「こんなものをずっと持っていたら、笑い死んでしまう」と口ではおどけながら、像を丁寧に私に返した。


「では、こちらを」


 私ははめていた指輪を外した。土産物の試作品で作ってもらった安い指輪だ。表に修道院の紋章、内側に戦神のシンボルが入っている。男の指にははまらないだろうが、身につけて欲しいわけでもない。

 男は指輪を見て眉を寄せた。


「戦場を周っていれば、そのうち会うでしょうが、傭兵稼業だ。味方として会えないこともある」

「その時は、これはあなたのご自由になさってください」


 苦笑しながら指輪を受け取ってくれた男は、結局デルトロより早くここを去った。


 デルトロも港町に行ってから半月ほどした、日差しの穏やかなある日。

 レイレからの手紙が、彼女の国と私の父のいる王国が戦になると知らせてきた。



【第11話 枯れ果てたはずの希望のひと雫】


 ひどい夏だった。


 戦争がはじまり、街道を踏みしめるのは軍馬と兵と避難民ばかりになった。やがて、敗残兵崩れの山賊とその略奪にあった者達が追加されて、状況はさらに悪くなった。王国の治安は早々に崩壊し、居住地を追われた難民が略奪する側に回る負の連鎖で、周辺地域にまで被害は広がった。


 修道院は王国から流れてくる避難民を野放図に受け入れず、修道院領内の民を優先した。宿坊区の大門は閉ざされ、丘の麓の柵は強化され、修道士も護衛兵と共に槍や弓を取って領内の防衛に参加した。

 ここは前世の物語に出てくる"善良なる無限の慈悲の女神に仕える慈善の宮"などではない。どちらかというと、がっつり僧兵が常備軍として存在する武装宗教団体だ。伊達に戦神を主要十二神格の一柱として祀っていない。


 カフェの営業も夏祭りも中止となり、私は薬草園の仕事や、宿坊に運び込まれた負傷者の世話にもあたった。できる人ができることを何でもする必要があったのだ。変わった仕事では港町などとの間の伝令もやった。公爵令嬢時代に乗馬も嗜んでいた私は、馬に乗れる男が軒並み護衛兵として出てしまった修道院では、貴重な人材だったのだ。


 刺し子入りの厚手の下着の上から従騎士のお下がりの革鎧を着ると暑かったが、馬で駆けるのは爽快だった。私は戦神のお守りと一緒に、少年兵のような格好で手紙を運んだ。


 各地から入る戦況は思わしくないものばかりだった。王国の敗色は濃厚で、漏れ聞こえてくる国内状況は大変みっともなかった。

 "ざまぁ"で煮え湯を飲まされていた地方貴族は、次々に敵方に寝返った。それでも、お父様を含む古くからの重臣は、停戦交渉も視野に何とか状況を立て直そうとしたようだが、王家から"弱腰"のそしりを受けて劣勢の前線に送られたらしい。中枢で大局を見るべき人材を死地に送ってどうする。


 結局、戦術的勝利で局地的に立て直すことはあっても、空洞化した王宮の戦略の失策により、そのまま王都にまで攻め込まれ、王族は王宮を捨てて、国内第二の都市であるルーベルに撤退した。


「ルーベル……近いですね」

「ヒルダ様、嫌な予感がします。王国の敗北は決まったも同然ですが、あの王太子らがどこまで無茶をするかがわかりません」

「願わくば、諸人が少しでも災いを逃れられる行く末にならんことを」


 ヒルダ様の願いも空しく、私の嫌な予感は現実になった。



「王国軍?」

「はい。数はさほど多くありませんが正規軍のようです。王族の旗があります」


 うちの主力部隊が修道院を離れている隙をつかれた。

 修道院のある丘からも見えるところまで侵入した王国軍は、畑を踏み荒らして天幕を張った。幸いスペルト小麦の収穫は終わっているが、収穫前だったとしても彼らは気にしなかっただろう。


「修道院の物資と兵をすべて供出せよと?」

「なにを考えているのだ。そんな切取り強盗のような要求に我々が従うと本気で思っているのか?」


 王国第二の都市とはいえ、交易都市で農業生産は弱く貯えの少ないルーベルでは兵を養えず、国境外縁のこの修道院に目を付けたのだろう。王国軍は厚かましくも、修道院長を使者に立てるか、軍を修道院内に入れることを要求してきた。


「私が参ります」

「ヒルダ様!」


 高齢の修道院長を、王族とは名ばかりのならず者共の中に行かせるわけにはいかないとヒルダ様はおっしゃった。いやいやいや、それ貴女様も行っちゃいけないやつですよ!!

 お止めしたが、ヒルダ様は思ったより武闘派だった。


 修道院の奥にしまってあったらしい青銅の鎧を身につけたヒルダ様は、戦の女神という風情だった。


「私もお供します」


 使者なら自分の役目で、馬にも乗れるからと押し切った。

 その他にいま連れていけるだけの護衛兵は集めたが、主力部隊がいないのは痛い。


 何とか話し合いで時間を稼ぐか、穏便にお引き取り願おう……と思っていたのだが、相手は初手から話し合う気などさらさらなかった。


「ここを接収する。三日以内に退出せよ。抵抗なく素直に出ていけば命は助けてやろう」


 言語道断だった。


「お断りします。お帰りください」


 ヒルダ様は、ぴしゃりと言い切った。夏なのに冷気で皮膚が切れそうな気がするピリピリした空気の中、両陣営の間に置かれた簡易陣幕の前に座った王太子は、フンと鼻で笑った。


「祈るしか能のない修道女風情が、骨董品の鎧を着ていきがっても滑稽だぞ」


 彼が軽く手を上げると、脇にいた小姓が夏の真昼間だというのに赤々とたかれていた篝火に何かの塊を投げ込んだ。篝火からモクモクと黒煙が上がる。狼煙か? どこへの何の合図だ?

 王太子は昔よりも一回り肉の付いた頬をゆがめてにたりと笑った。


「お前は美人だから、謝る気があるのなら、殺す前に兵達に与えていい思いをさせてやってもいい」


 近くの森の向こうから軍勢が現れた。伏兵だ。

 目の前の軍だけなら、ぎりぎり今ここにいる護衛部隊で相手ができそうだったが、新たに現れた兵が加わると無理だ。


「ヒルダ様を修道院へ!」


 私は、ヒルダ様の手を引いて、味方の修道士の方に押しやった。

 籠城戦に持ち込むしかない。それには精神的支柱のヒルダ様は不可欠だ。

 ここは私が時間を稼ぐ。私は被っていたベールを投げ捨てて、顔が良く見えるようにして前に出た。


「ヒルダ様への狼藉は私が許しません」

「ほう……お前、エディスか。これは面白い」


 王太子は、捨てたゴミが道に落ちているのを見たような目つきで私を眺め、それから気色の悪い興味の色をその眼に浮かべた。


「余興が増えた」


 私は手にしていた本の中から短剣を引き抜いた。

 無駄なあがきと笑わば笑え、"戦神"直伝の近接戦闘術だ。ヒルダ様が逃げおおせられるまでの時間稼ぎに何人道連れにできるか、目にもの見せてやる。

 短剣を腰だめに構えて、まっすぐ王太子を狙って突撃してやると、奴はアワを喰ってひっくり返った。


「ちっ、外したか」


 何が起こったのかにわかに理解できていなかった王太子の周囲の者が、ハッと我に返って、私に襲い掛かってくるのを躱して、陣幕を崩して篝火の方に蹴倒してやる。ひっくり返った王太子の上に被さった幕に火がついて、場は騒然とした。


 私が陣幕を支えていた棒を振り回して、数人薙ぎ払ったところで、盛大な鬨の声が上がった。


 何が起こったかと視線を走らせると、土埃が見え馬蹄の響きが聴こえた。新手の軍勢だ。

 王国軍にこれ以上増援が来たのなら、籠城しても難しいかもな……と思ったところで、「敵襲~」の声が王国軍から上がっているのに気づいた。


 現れた軍勢は全く思いもよらない味方……”戦神”ドランの傭兵団だった。



【第12話 海鮮料理は終戦後に】


 重要なことがいくつかあった。


 まず、ヒルダ様はご無事だった。護衛兵の皆さん、ありがとう。

 ものすごい勢いで突撃してきた傭兵団に追い散らされて、王国軍は這う這うの体で撤退した。


 私はというと、取り囲む敵に激辛唐辛子の小袋を投げつけて最後のあがきをしている最中に、かろうじて救出された。

 バカでっかい真っ黒な馬に乗って、何もかもを蹴散らして突っ込んできた傭兵に、横抱きにかっさらわれたときは、本気でもうダメかと思った。

 「バカ野郎!」と私を罵りながら、馬上に引っ張り上げて抱え直してくれた相手が、ドランだと気づいたときには、言い返す言葉が何も出てこなかった。


 私が目も鼻も真っ赤にして泣いてしまったのは、たぶんぶちまけた激辛唐辛子粉末のせいだと思う。だってあのドランもちょっと涙ぐんでいたから。……ついでに、馬も相当不機嫌で辺りの王国兵を蹴散らしまくっていた。ドランが痛いほどしっかり抱きかかえてくれていなかったら、落馬していただろう。



 王国兵が去って、修道院に戻って一息付けたところで、もう一つサプライズがあった。


「エディス……!」

「お父様?!」


 なんと、ドランが王国の激戦地から父を救出して、連れてきてくれたのだ。

 どうやっても負け戦確定の戦場に送られた父の下に傭兵団として入ったドランは、父と一緒に局地的にだが戦況をひっくり返して、なんとか生き延びたのだという。

 え? 伝令やっていたから多少は小耳にはさんでいたけど、あの状況から生還するってミラクルが過ぎるのでは? 神か?! "戦神"だったわ。流石すぎる。


「よくぞご無事で」

「お前こそ、よく生きていてくれた」


 公爵領も戦地になり、母は兄と一緒に戦火を逃れようとしたが、馬車を賊に襲われたのだという。


「護衛は十分にいなかったのですか?」

「目立たぬようにと夜陰に紛れて少数で出立したらしい」


 領民を見捨てて夜逃げとは、公爵夫人とその嫡男にあるまじき行いだ。

 しかし、兄がその選択をしたというのは納得できる。兄は己の情を優先する人だった。

 一概に怯懦と謗ることはできない。それほど戦況がひっ迫していたということでもあったのだろう。兄とはそりが合わず、兄びいきの母には疎まれたが、家族の非業の死には胸が痛んだ。

 私は(こうべ)を垂れて母と兄の冥福を祈った。



 負傷していた父はそのまま修道院に滞在して療養することになった。

 しかし意外なことに、父はただの無駄飯ぐらいの居候になるような男ではなかった。


 父は、リンツ先生ら学房の学者達をこき使って図書館の古い資料から、200年以上前の誓約書と当時の諸々の記録をほっくり返した。そしてそれを根拠に、修道院の自治権と土地の所有権を理路整然と主張する書簡を送り付けて、スサエラの中央神殿の公認を取り付けると、その権威を利用して周辺諸国の王にも、フラーゼルの自治と中立性を認めさせた。

 ほぼ負け確定の王国の非道をあげつらい悪役認定し、かわいそうな被害者ヅラで「我々は無垢で善良な平和の信奉者です」という顔をして、領地の独立性を勝ち取るのは、さすが元王国の大貴族の古だぬき。え? そこにまず使者を送るの? みたいな根回しのからめ手戦法がえぐい。


 私は父の指示に従ってドランと一緒に各地を回り、様々な人と会って交渉を重ねることで多くを学ぶことができた。



「半島の南方のナーバの漁師町では、タコを食べるのよ。スパイスたっぷりでグリルして、ニンジンとライムのソースを……」

「エディス、ズルいっ。お使いで食べ歩きして!」

「全然味が想像つかないけど、おいしそうな気がする。タコとライムならうちの港町で手に入るかな」


 厨房で野菜スープの大鍋に刻んだ野菜を入れながら、私は親友のクレアや料理長のルゴールと、新メニュー談議に花を咲かせた。


「レシピは貰ってきたわ。タコは見た目が敬遠されがちだけど、ぶつ切りにして小麦粉や野菜の衣をつけて丸く仕立てたらきっと食べやすいと思うの。カフェの開業はまだもう少し後になると思うけれど、秋の収穫祭にはまた美味しい料理をたくさん作りましょう」


 私は自信をもって二人に向かってニッコリ笑った。


「戦争はもうすぐ終わるわ」


 夏の終わりに、戦争は王国の滅亡で幕を閉じた。



【最終話 日々の糧をあなたと分かち合うことを誓う】


 青空が爽やかに高くなり、夜に冷え込むようになると、葡萄の収穫期だ。

 粒の大きさや色味を見ながら修道院総出で手摘みした葡萄は、ワイナリーで丁寧に醸造、熟成される。

 収穫の時期は日課が収穫中心になるので、特別な日の気分で皆ちょっと高揚気味だ。


「おつかれさま。さぁ、こちらで軽く召し上がって一息ついてくださいな」


 仕事終わりはちょっとしたカフェタイムになる。葡萄畑の中の草地に出されたテーブルに並んだ軽食や甘味を摘まみながら、皆で歓談する。

 重苦しい夏から解放された今年は、ひときわ皆の表情が明るい。


 塩とニンニク、ベルトラム粉、ガランガーで下味をつけた鶏もも肉を焼いて、白ワインと生クリームで煮たチキン料理は好評だ。ローリエの他にヒソップも使っているので体に良い。"鶏とワインにはヒソップ"とはヒルダ様の格言。今日はチキン以外にウサギの香草蒸し焼きも出ていて、修道僧でもないのに収穫に駆り出されたリンツ先生が、感激で涙ぐまんばかりに頬張っていた。

 彩が楽しい野菜のタルトや飴色玉葱のパイの他に、一口大のリンゴのタルトもあって、こちらはクレアが二つ目を食べていいか真剣に悩んでいた。


 私は飴色玉葱のパイを二切れ取り分けて、ドランのところに行った。

 チーズ風味の生地に、バターでよく炒めた玉ねぎとサワークリームのフィリングを詰めたこのパイはとても美味しい。

 ドランは、石垣で段を作った見張り台の上にいた。今日は農夫のような仕事着姿だが、そんな恰好でも、そうやって高いところに立って彼方を見ている姿は物語の英雄のようだ。


「ドラン、玉葱のパイよ」


 彼はパイの皿を受け取ると、もう片方の手で私を見張り台の上に引き上げてくれた。

 風が心地よい。

 葡萄の丘とその先に広がる畑や果樹園の向こうには、遠い山々と夕暮れの空の色を映した海が見えた。


 二人で並んでパイを食べる。

 穀物の風味がしっかりしたパイを嚙みしめると、玉葱の甘みがじゅわりと口に広がる。


「うまい」

「うん」


 幸せだ。そう思う。

 こうして大切な人と大地の恵みと喜びを分かち合って生きていけるのは、まことの幸いだ。


 王太子は修道院から敗走した後、手ひどい裏切りで命を落とした。王太子妃が自らの助命を条件に、敵軍に包囲されたルーベルの城門を開けたのだ。真偽のほどは定かではないが、顔に火傷を負った王太子に愛想をつかして、見目の良い敵軍の将に乗り換えようとしたという口さがない噂は聞いた。

 王太子妃は私と同じ世界の記憶を持っている可能性はあったが、結局のところそれを直接確認する機会はなかった。

 敵軍の将は、国を売り夫を敵に差し出した女を、愚かしい魔女だと罵って切り捨てたという。


 この世界で、家族を得て、祖国と民を愛して幸せになる道もあっただろうに。

 私の祖国を奪った彼女にとっては、それは単なる異郷での絵空事のシンデレラストーリーでしかなかったのだろうかと思うと、夕風が少し肌寒く感じた。


「エディス」


 隣にいたドランが私の方に一歩近づいて、やや気づかわし気に私の顔を覗き込んだ。


「食べ終わって物足りないなら、テーブルに戻っていいぞ」

「そういうことじゃないわよ。くいしんぼ扱いしないで!」


 ドンと叩いた相手の胸に何か硬い物があるのに、私は気づいた。


「なに? ペンダント?」


 首に掛けられていた細い鎖を引くと、服の胸元から指輪が出てきた。

 黒鉄の指輪。

 私が以前、ここを訪れた傭兵に預けたものだ。


「これは……」


 彼を見上げた私を、ドランは面映ゆそうに見つめた。


「お守りだよ。腐れ縁の知り合いがくれたんだ。どんな戦場でも生き残って大切な人のところに帰ることができるご利益があるそうだ」


 彼は指輪を鎖から外して、私の指にはめた。


「ダメよ……そんなご利益があるなら、あなたが持っていなくちゃいけないわ」

「もう、いいんだ」


 彼の穏やかな声音の真意がわからなくて、私は急に闇が迫ってくるような空を背景に立つドランを見上げた。


「……行ってしまうの?」


 彼は傭兵だ。これまでは修道院にいて、伝令を務める私の護衛や、修道院の警備を手伝ってくれていたが、戦争も終結した今、彼がここに居続ける理由はない。彼は戦場に生きる"戦神"なのだ。


 胸が痛いのに、心臓に効くハーブが何だったか思い出せなかった。


「エディス」


 名前を呼ばれて、自分がうつむいてしまっていたことに気づいた。


「なにを考えているのかはわからんが、違うぞ。俺はどこにも行く気はない」

「え?」

「正式に修道院の護衛隊に入ることになった」

「えええ?!」


 彼は私の手を力強く握りしめた。


「ずっとお前と一緒にいる。結婚しよう」


 この世界の神は神に仕えるものの婚姻を禁じてはいない。

 黄昏時の紫紺の空の下、彼の姿だけがキラキラと光輝いて見えた。すべてのものに祝福あれ!



 こうして、私の婚活は始まりもしないうちに、完全に終了した。

 この年の収穫祭は、私とドランの結婚式とカフェの新装オープンでとても賑やかなお祝いになった。

フラーゼル修道院

五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒、厄除け、縁結び、家内安全など、よろずご利益ございます。

ぜひお立ち寄りください。


お読みいただきありがとうございました。

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P.S.

2026年8月24日[日間]異世界転生/転移〔恋愛〕1位いただきました。ありがとうございます!

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はぁ~相変わらず、好きぃ 本当は真面目に考えると毒杯あおりたくなるし、父親に愛されてたから遠ざけられたと知って涙ぐむってことはずっと捨てられたと思ってたってことだし… エディスが本当は絶望に沈みかけ…
めちゃくちゃ読み応えがあって、とっても面白かったです。お腹空きますw エディスがノリが良く、生き生きしているのがすごく伝わってきました。 謎なのはヒルダ様。どこであんな知識を得たんでしょうね。そし…
エディスの肝っ玉ぶりが爽快! ご飯も美味しそう!
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