第1話 白龍は怯えない
白い鱗は、恥だと言われて育った。
この世界には、龍の血を引く者と、そうでない者がいる。
遥か昔、大陸を支配していた龍たちは、やがて人と交わり、子を成した。その末裔が貴族だ。龍の血を引く者だけが「龍化」の力を持ち、人の身から龍の身へと姿を変えることができる。
龍化した時の鱗の色は、血の濃さで決まる。
金龍は王族。始祖の龍に最も近い、至高の血。
銀龍は公爵。
紅龍は侯爵。
蒼龍は伯爵。
翠龍は子爵。
そして白龍は――男爵。もっとも龍の血が薄い、貴族の末席。
龍の血を引かない平民からすれば、白龍でも立派な貴族様だ。だが貴族社会の中では違う。白龍とは、「もう少しで平民」の烙印に等しかった。
「リーゼ、あなたは白龍に生まれた。それは変えられない事実よ」
母はいつもそう言った。
「でもね、恥じることはないわ。龍になれるだけで、ご先祖様に感謝しなくちゃ」
優しい声だった。でも母の目がうっすらと潤んでいたのを、幼いリーゼロッテは見逃さなかった。
× × ×
リーゼロッテ・フォン・ヴァイス、十六歳。白龍の男爵令嬢。
今日、彼女は王立龍騎学園の門の前に立っていた。
「…………でかい」
思わず声が漏れた。
見上げるほどの白亜の城門。左右に翼を広げた龍の石像が鎮座し、門柱だけでヴァイス家の屋敷が三軒は入りそうだ。
王立龍騎学園――龍騎士を育成する、この国最高の教育機関。卒業すれば宮廷龍騎士団への道が開ける。生徒の大半は伯爵以上の上位貴族の子女で、男爵家の人間が足を踏み入れることなど、本来ありえない。
五年に一度の特待生枠。爵位に関係なく、龍力の素質だけで選ばれる唯一の入学方法。リーゼはそこに引っかかった。
理由は自分でもわからない。白龍の、それも男爵家の娘に、そこまでの龍力があるとは思えなかった。選考委員会の手違いじゃないかと、父は三度も確認の手紙を送ったらしい。
三度とも「間違いない」と返ってきた。
だからここに来た。
古びた鞄を肩にかけ直す。母が夜なべして縫い直してくれた鞄だ。新品を買う余裕はなかったけれど、持ち手は丈夫で、裏地には小さく「がんばれリーゼ」と刺繍がしてあった。
「あら、あなた。道にでも迷ったの?」
背後から声をかけられた。
振り返ると、目が眩むほど豪奢なドレスの少女が立っていた。絹のような赤い髪を巻き上げ、扇で口元を隠している。傍らには侍女が二人。
「使用人の入口は裏手よ?」
「使用人ではありません」
リーゼは背筋を伸ばした。
「今日からこちらに通います、リーゼロッテ・フォン・ヴァイスです」
「ヴァイス? ……男爵家?」
少女の目が見開かれた。それからくすくすと、こらえきれないように笑い声が漏れる。
「まあ、白龍が龍騎学園に? 特待生のお話、本当だったのね。珍しいこともあるものだわ」
侍女たちも顔を見合わせて笑う。
リーゼは鞄の紐をきゅっと握りしめた。
「珍しくて結構です。それでは失礼いたします」
頭を下げ、門をくぐった。振り返らなかった。
振り返ったら、涙が出そうだったから。
× × ×
教室に入った瞬間、空気が変わった。
宝石のようなドレスや仕立てのいい制服を纏った生徒たちの視線が、一斉にリーゼに集まる。
リーゼの制服は支給品だった。特待生に貸与される、一番安い生地のもの。周囲の生徒が身に纏うオーダーメイドの制服とは、素材も仕立ても違う。見る者が見れば一目でわかる差だった。
「……あれが特待生?」
「白龍ですって」
「よく来られたものね、この学園に」
ひそひそ声。全部聞こえている。
リーゼは聞こえないふりをして、空いている席を探した。教室の後方、窓際に一つだけ空席がある。あそこがいい。窓際なら外を見て気を紛らわせられる。
そう思って歩き出した時、前の席の少年が慌てた様子で振り向いた。
「あ、待って。そこは座れないよ」
「え?」
「その席は四龍のために空けてあるんだ。……知らないの?」
「四龍?」
少年が答える前に、教室の扉が開いた。
空気が凍った。
比喩ではない。肌が粟立つほどの圧が、扉の向こうから押し寄せてきた。龍気――龍の血が発する、力の気配。それも、尋常ではない濃さの。
四人の青年が入ってきた。
教室にいた全員が、息を呑んだ。
先頭を歩くのは、銀色の髪をした長身の青年だった。
切れ長の蒼い瞳。白い肌。顔立ちは完璧に整っていて、だからこそ人間味がなかった。美しい、とは思った。けれどそれ以上に、冷たい、と直感が告げた。
その半歩後ろに、柔らかな微笑みを浮かべた紅い髪の美形が続く。さらにその横を、にやにやと楽しそうな蒼い髪の少年が歩いている。最後尾には、黒い長髪を無造作に束ねた無表情の青年。
「……あれが四龍よ」
隣の席の少女がこっそり囁いた。
「この学園を支配する四人。先頭の銀髪がルシアン・ヴォルフリート様。銀龍公爵家の嫡男で、学園最強の龍騎士よ。逆らったら終わりだから気をつけて」
「紅い髪がアレクシス・ローゼンハイン様。侯爵家の次男で、見ての通りの美形。蒼い髪はカイル・ドラクロワ様、伯爵家の嫡男。そして黒い髪がレオンハルト・シュヴァルツ様……この方だけ出自不明で、黒龍なの。珍しいでしょう?」
四人は当然のように教室の最後列に向かった。
――リーゼが座ろうとしていた、あの窓際の席に。
生徒たちが道を空ける。まるで王の行列を見守るように。
ルシアンがリーゼの横を通り過ぎようとした時、ふと足が止まった。
蒼い瞳がリーゼを捉える。
上から下まで、ゆっくりと視線を滑らせた。品定めをするように。値踏みをするように。そして最後にリーゼの瞳を見て――何の感情も浮かべないまま、視線を外した。
虫を見るのと同じ目だった。
そこにいるのに、いないものとして扱われた。
リーゼの中で、かちん、と何かが鳴った。
怒りだ。
見下されることには慣れている。白龍として生きてきた十六年、ずっとそうだった。でも、存在ごと無視されるのは別だ。それは相手を人として見ていないということだ。
「あの」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
「その席が四龍の席だというなら、最初からそう書いておいてもらえますか。知らない人間もいるので」
教室が、静まり返った。
誰かが息を呑む音が聞こえた。前の席の少年が青ざめている。隣の少女は目を見開いて固まっている。
ルシアンの足が止まった。
銀色の髪が揺れ、蒼い瞳がゆっくりとリーゼに戻ってきた。
今度は――ちゃんとリーゼを見ていた。
「……誰だ、おまえ」
低い声だった。冷たいのに、どこか重い。龍気がわずかに揺れた気がした。
「リーゼロッテ・フォン・ヴァイス。今日からの特待生です」
「ヴァイス」
ルシアンが復唱した。その響きに、嘲りの色が滲んだ。
「白龍か」
「はい、白龍です」
リーゼは正面からルシアンを見上げた。身長差がかなりある。見上げる形になるのは癪だったが、目は逸らさなかった。
「白龍が、俺に意見するのか」
「席に名前が書いてなかったことに意見しただけです。龍の色は関係ありません」
しん、と沈黙が落ちた。
蒼い髪のカイルが「ぷっ」と小さく吹き出した。紅い髪のアレクシスが、面白いものを見つけた子どものように目を細めた。黒髪のレオンハルトだけが無表情のままだったが、ほんのわずか、リーゼに視線を据えた。
ルシアンはリーゼを見下ろしたまま、数秒間動かなかった。
蒼い瞳に何が映っているのか、リーゼには読めなかった。怒りか、苛立ちか。あるいは――。
「……面白い白龍だな」
それだけ言って、ルシアンは歩き出した。
何事もなかったかのように最後列に座り、頬杖をついて窓の外を見た。もうリーゼのことなど眼中にない、という態度だった。
リーゼは結局、教室の一番前の端っこに座ることになった。
誰もが避ける不人気席。教壇に最も近く、四龍からは最も遠い席。
でも、小さな窓から中庭の薔薇園が見えた。赤い薔薇が、初夏の風に揺れている。
悪くない、と思った。
心臓はまだばくばくしている。膝の上に置いた手が、かすかに震えていた。
でも、下は向かなかった。
母がくれた鞄を膝の上で抱きしめる。持ち手の裏に指で触れると、小さな刺繍の凹凸が伝わってきた。
――がんばれリーゼ。
白龍は、怯えない。
どんなに血が薄くても、龍は龍だ。
リーゼロッテ・フォン・ヴァイスは、静かにそう誓った。




