第9話:私たちの取引
結界は破壊された瞬間に崩壊した。
あの重苦しい圧迫感は、一瞬で霧散する。
俺はゆっくりと降下し、魔力の残滓が完全に消えるのを感じながら、ブーツで地面を踏みしめた。
そして――彼女たちの屋敷へと振り返る。
俺は再び屋敷へ戻り、ミレイユたちが待つ部屋へ真っ直ぐ向かった。
「約束の取り分を受け取りに来た」
ミレイユは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
視線を逸らすことなく、こちらへ歩み寄る。
そして――誰も反応できないうちに。
彼女は、片膝をつき、深く頭を垂れた。
「情報以上のものを、差し出します」
「私は千年以上を生き、能力と経験を積み重ねてきました」
「どうか……私、ミレイユを、あなたの従者としてお受け取りください」
セレスティーヌの目が、驚愕に見開かれる。
――なに……?
――ミレイユが……
――ただの人間の前で、跪いている?
……あり得ない。
だが、双子の執事は違った。
二人は、歯を剥き出しにしたまま、大きく笑っていた。
俺は、跪いたままのミレイユを見下ろす。
「……だが、正直に言う」
「お前をどう扱えばいいか分からない」
「連れて行くこともできないし――だから、その……」
「お願いします、マスター・ヒューバート!」
俺が言い終わる前に、彼女は叫んだ。
――こいつが、俺の役に立つのか?
――それに、こんなのをどうやって面倒見る?
《結論:同行は、今後の展開において有益です。
強力な協力者が増えることで、成功確率は上昇します》
――……それでも、分からない。
「……俺は――」
答えようとした、その時。
双子が、一歩前へ出た。
二人は、寸分の狂いもなく、同時に片膝をつく。
先に口を開いたのは、一人目だった。
その声は落ち着き払い、血の時代を幾度も越えてきた重みを帯びている。
「私はルシアン」
「千年以上、この世界を歩いてきた者」
「お許し頂けるなら、私の思考と、永遠をあなたに捧げます」
「どうか……従者として、お受け取りください」
間髪入れず、もう一人が続く。
「私はルシウス」
「力、忠誠、そして無数の夜で培った経験を持っています」
「あなたを、我が王と定めました」
「ゆえに、ここに跪きます」
「どうか……お受け取りください」
セレスティーヌはよろめき、後退した。
信じられないものを見る目で。
彼女は踵を返し、入口へ駆け出しながら叫ぶ。
「なに、これ……?!
どうかしてるわ、全員!!」
「ミレイユ! ルシウス! ルシアン!」
「復讐のためだったでしょう?!
私たちの、たった一度のチャンスだったのに!!」
「こんな人間、どうでもいいじゃない!!
ただの普通の人間よ!!」
「叩き潰して、ここに置き去りにすればよかったのよ!!」
ミレイユは、静かに顔を上げた。
振り返り、氷のような視線でセレスティーヌを捉える。
「……見苦しいわ」
「黙りなさい」
「そして――跪きなさい」
セレスティーヌの動きが、完全に止まった。
「私が、弱者に跪くとでも思った?」
ミレイユは淡々と続ける。
「凡庸な存在に?」
ミレイユの腕が振るわれた。
――轟音。
空気が裂けるような衝撃。
セレスティーヌの脚は、膝から先が綺麗に断ち切られ、
彼女の身体は悲鳴と共に床へ崩れ落ちた。
血が、石床に広がる。
「――ぐあっ!!」
だが、その脚は即座に再生した。
肉が不自然な音を立てて繋がっていく。
「……何を考えてるのよ……!」
「あなた、弱――」
言葉は、最後まで紡がれなかった。
ミレイユが、セレスティーヌの髪を掴み、無理やり引き寄せた。
「私を侮辱する気?」
ミレイユは低く唸る。
「勝てないと分かっていて、私を愚弄する?」
「それに……マスター・ヒューバートの前で、その口の利き方」
「――躾が、足りなかったようね」
セレスティーヌが起き上がろうとした瞬間、
ミレイユは彼女を再び叩き伏せた。
「どこへ行くつもり?」
「まだ、終わっていないわ」
――叩きつける。
――叩きつける。
容赦なく、淡々と。
衝撃音が、部屋に何度も響いた。
「……わ、分かった……!」
「正気に戻った……もう、やめて……!」
ミレイユは、ようやく手を離した。
セレスティーヌはふらつきながら立ち上がる。
痣は瞬く間に消え、肉体は完全に再生していた。
そして――震えながら、片膝をつく。
「……お願い……」
「私も、連れて行って……マスター・ヒューバート」
俺は、何も言わずに立っていた。
表情は、読み取れないまま。
ルシアンとルシウスは、今も跪いたままだ。
「……行くぞ」
「受け入れてくださり……感謝します」
ミレイユが言った。
俺は、答えなかった。
彼らが一歩、近づく。
俺を囲むように。
「――シフト」
世界が、折り畳まれた。
――屋敷にて――
「リリ!」
ヴェクサが叫ぶ。
「はい!」
リリが答える。
「マスター・ヒューバートが、も――」
彼女は、凍りついた。
――なに、これ……?
――嘘……
扉が、開く。
俺たちは、中へ足を踏み入れた。
その瞬間――
驚愕したのは、リリとヴェクサだけではなかった。
四人の新たな従者全員が、硬直する。
――今のは……?
――空間魔法?
ミレイユの冷静さが、初めて揺らいだ。
ルシアンとルシウスが、視線を交わす。
そして――
理解した者だけが浮かべる笑みが、ゆっくりと広がった。
「……誇張ではなかったようだな」
ルシアンが呟く。
「空間そのものを、あれほど容易く……」
ルシウスが続けた。
リリとヴェクサは、その場に立ち尽くしていた。
部屋を満たす、圧倒的で未知の気配に。
ヴェクサは、心の中で叫ぶ。
――……本当に、見つけてきた。




