第六話:何か問題でも?
食事を終え、皿をきれいに平らげて店を出た。
中に残っていた温もりは、外の空気に包まれるとすぐに薄れていく。
衣料区画へ向かう道は徐々に狭くなり、石壁が両側から迫っていた。
沈みかけた太陽の光が影を引き伸ばし、足元に長く落ちている。
その時、俺は彼に気づいた。
人の流れに逆らうように歩く、たった一人の男。
フードを深く被り、顔は見えない。
歩調は落ち着いていて、無駄がない――行き先を持たない者の歩き方ではなかった。
その存在は街の雑音に溶け込みながらも、なぜか無視できなかった。
俺は彼を見ていた。
恐怖からじゃない。 本能だ。
すれ違う瞬間、彼はほんのわずかに歩みを緩めた。
「……俺の顔に、何かついてるか?」
低く、苛立ちを含んだ声だった。
「いや」
俺は淡々と答えた。
「だったら見るな。気色悪い」
彼は振り返ることもなく、そう吐き捨てた。
マントを揺らしながら、彼は俺の横を通り過ぎていく。
足音が完全に遠ざかるまで、俺は動かなかった。
そしてようやく振り返り、彼の背中を目で追う。
彼は真っ直ぐ、王城の方へ向かっていた。
街を見下ろすようにそびえ立つ塔――沈黙した裁き手のような城へ。
「なにあの人……」
ヴェクサが不満そうに呟いた。
リリは舌打ちする。
「感じ悪いバカね」
二人の言葉も、あの男の侮辱も、俺にはどうでもよかった。
男はもういない。
石と人波に飲み込まれて消えた。
重要なのは――あいつが残していった“感覚”だ。
動きに緊張はなかった。
警戒もない。
抵抗されることを想定していない――いや、する必要がない者の自信。
俺は静かに息を吐いた。
……強い。
そして、そういう人間が理由もなくこの街を歩くことはない。
俺たちは衣料店へ向かった。
店内は混雑しており、色とりどりの布地が並ぶ棚が壁沿いに続いている。
俺は、金のためなら実の母親でも売りそうな短髪の男と一緒に選び、
リリとヴェクサは店の女性に案内され、女性服の区画へ向かった。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなお洋服をお探しですか?」
店員の女性が明るく声をかける。
「可憐な女性に見える服は嫌。
お姫様みたいなドレスだと……動きにくくなるし」
ヴェクサは腕を組みながら答えた。
「でしたら、フォーマルな装いはいかがでしょう?」
「あ……はい」
リリが頷く。
「それがいいです。色は……暗めがいいですね」
少し間を置いて、小さく呟いた。
「……ご主人様は、こういう服装の方がお好きでしょうか……」
ヴェクサがにやりと笑う。
「たぶん好きよ。あの人、そういうタイプだもの」
「こちらへどうぞ、奥様方」
店員が小さく笑いながら、試着室へ案内した。
俺は、店に入る前から欲しい服は決めていた。
「お客様は、どのような服をご希望で?」
男が揉み手をしながら聞いてくる。
「名前はヒューバートでいい。
葬式に出るような、フォーマルな服を頼む」
「なぜ、葬式なのですか?」
「適切だからだ。
そう教えられた」
「素晴らしい趣味です、ヒューバート様」
男は軽く頭を下げた。
「それと……また来られそうな気がしますので、
私のことはルコンとお呼びください」
「ルコン、か」
俺は小さく笑う。
「ずいぶん自信があるな」
「その服装を選ぶ方は、必ず戻ってきます。
私の経験上、間違いありません」
「では、こちらへ」
「わかった」
買い物を終え、俺も彼女たちも十分な量を揃えた。
二人が着替えて出てきた瞬間、正直驚いた。
選んだ色は暗め――俺と同じ系統だ。
……屋敷で働く者の正式な服装、これでいいな。
「似合ってる。いいセンスだ」
なるべく平静を装ったが、本心だった。
初めて褒められたのか、二人とも子供みたいな反応をする。
「あ、ありがとうございます……」
ヴェクサは照れたように笑う。
「ご主人様のも、かっこいいです」
俺は咳払いをした。
「……そろそろ行こう」
そこで、思い出した。
「そうだ、忘れるところだった。
これ、二人に」
ネックレスを差し出す。
「こ、これは……?」
リリの目に涙が滲む。
「こんなふうに扱われたこと、ありません……
本当にありがとうございます、ご主人様」
ヴェクサも深く頭を下げた。
「……ああ」
どう反応していいかわからず、短く返す。
「次は武器だ。
それで全部揃う」
「はい」
リリは涙を拭った。
三分も歩かず、武器屋を見つけた。
中には整然と武器が並んでいるが、扉は閉まっている。
ノックしても返事はない。
「今日はもう閉店かもしれません……」
リリが言った。
ヴェクサも頷く。
「そうですね、ご主人様」
「ここまで来て帰る気はない。
こういう店は、必ず中に人がいる」
二人の思考がざわつく。
――また、何をするつもりなの……?
俺はもう一度、今度は強くノックした。
「閉店だ!帰れ!」
中から、酒に濁った怒声が飛んできた。
一瞬黙ってから、返す。
「客だ。
用がある、開けてくれ」
「み、見られてます……」
リリが不安そうに囁く。
突然、扉が勢いよく開いた。
立っていたのは、上半身を半分しか覆っていない女性。
大きな胸元、傷跡の残る肌、鍛え上げられた体。
圧のある存在感だった。
「帰ればよかったのに」
彼女は吐き捨てる。
「こんにちは」
俺は落ち着いて言った。
「は?随分な度胸ね。
で、何の用?」
「今日はどうだ?」
俺はそう聞いた。
舌打ち。
「最悪になったわ」
「名前は?」
「リンダ」
(……こいつ、私をからかってるの?)
「リンダ、俺はヒューバートだ。
急いでてな。仕切り直そう」
彼女はしばらく俺を見つめ、口角を上げた。
「……いいわ。
その態度なら、相手してあげる」
気になっていたことを、俺は口にした。
「さっき怒鳴ってたのは、あんたか?」
ヴェクサの目が見開かれる。
(今、何を聞いてるの……!?)
「違うわ!
うちのクソ親父よ、スティーブ!」
「……どこにいる?」
「ここ。
隣」
「えっ!?」
リリが悲鳴を上げる。
そこには、疲れ切った小柄な男が立っていた。
灰色の大きな髭、金属製の兜。
小さすぎて、完全に視界に入っていなかった。
俺はため息をついた。
「……もういい。
選んで、金払って、帰る」
店内を見て回り、
リリは一振りの短剣の前で足を止めた。
「それがいいのか?」
俺は長剣を手にしながら聞く。
「はい」
「そうか」
武器をカウンターに置く。
「それにするのね」
リンダが言った。
金を払い、店を出る。
屋敷へ戻った。
夕食は、リリとヴェクサが作った。
……こんな大人数で食事をするのは、いつ以来だろうな。
静かで、穏やかな食卓だった。
不意に、リリが口を開く。
「ご主人様……恋人、いたことありますか?」
「ああ」
椅子にもたれかかる。
「最初で、たぶん最後だ」
二人が黙ってこちらを見る。
「他の男と寝てるところを見た」
部屋が凍りついた。
「俺は平均以上だし、技術もある。
それでも、そうされた」
リリの顔が青ざめる。
「ご、ごめんなさい……」
「無礼をお許しください」
ヴェクサも慌てる。
「気にするな」
俺は手を振った。
重たい沈黙。
誰も、それ以上踏み込まない。
「もう寝る。
疲れた」
「わ、私のせいですか……?
罰を……」
「いや。
何もしてない」
「ただ……少し考え事をしてるだけだ」
「……はい」
部屋へ向かう途中――
《結論:なぜ、あのような言い方をした?アンディ》
「……詮索されたくなかった」




