第14話:招かれざる客
少し間を置いてから、彼女の口調は変わった。今度は静かで、しかしはっきりとした声音だった。
「ハバート様が私たちを見つけたのは、最初から探していたからよね。……あなたたちのどちらかが、私たちのことを彼に話したの?」
ヴェクサの喉が強張った。彼女はリリの方をちらりと見た。リリは二人の間で硬直したまま横たわり、天井を見つめて微動だにしていなかった。
「……私よ」
ヴェクサは認めた。声は囁き声に近かった。
ミレイユは首を傾け、彼女をじっと観察した。
「そう?あまり詮索はしないわ……でも、知る必要があるの」
「……何を?」
ヴェクサの声はかすかに震えていた。
「あなたが彼に話したことよ」
ミレイユは優しく、しかし探るような口調で言った。
「それは……良いことだったの?」
ヴェクサはこめかみを伝う汗を感じた。鼓動が強く打ち、思考の音をかき消すほどだった。
彼女は唾を飲み込んだ。
そして、ようやく口を開いた。
「……嘘はついていない」
それだけだった。
それ以上でも、それ以下でもない。
ミレイユはゆっくりと頷いた。
言葉の裏を読み取るように。
「……そう」
彼女は小さく言い、リリへと視線を向けた。
その瞳には、かすかな可笑しさ――あるいは好奇心が宿っていた。
「あなたも……何か考えているのが分かるわ。
ほら、聞いていいのよ」
リリは唇を強く結んだ。
指先が毛布の上で小さく動いた。
「……誤解しないでほしいんだけど……」
声がかすれた。
「どうして……そんなに“小さく”見えるの?」
「最後に見たときは……もっと……大きかった」
一瞬、空気が不自然なほど張り詰めた。
「その通りよ。今の私は子供みたいな姿ね」
ミレイユは落ち着いた声で言い、唇の端にかすかな笑みを浮かべた。
「結界が、私の魔力の大半を食い尽くしたの。死に近づきすぎると、こうなるのよ」
「……結界?」
ヴェクサが尋ねた。
「ええ」
ミレイユは頷いた。
「冥界王が、私と他の者たちを一緒に閉じ込めたの。私は自分の魔力で結界の侵食を遅らせた……そして、その代償がこれ」
そう言って、軽く自分の身体を示した。
「あなたたちが見ている“今の私”よ」
沈黙が落ちた。
そこに、ひとつの思考が忍び寄る――ゆっくりと、不快で、鋭く。
待って……全部、嘘だったの?
ドレヴァス家は、逃げてなどいなかった。
最初から、逃げる運命ではなかった。
「……もう寝るわ」
ヴェクサは背を向けて言った。
「明日、リリと市場に行くの。いくつか買い出しがあるから」
「分かったわ」
ミレイユは柔らかく答えた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
リリも言った。
部屋は再び静寂に包まれた。
「……もう朝?」
ミレイユが目を細め、部屋に差し込む朝日を見ながら呟いた。
「ええ」
ヴェクサが答えた。
「起きて。もうお風呂は用意してあるわ。リリと私は今日、市場に行くの――昨日言ったでしょう?」
「おはよう」
リリは短剣を鞘に戻しながら言った。
「おはよう」
ミレイユはそう返し、ベッドを降りて入浴のため部屋を出ていった。
扉が閉まると、ヴェクサが言った。
「リリ、そろそろ行きましょう。準備は全部できてる」
「ええ……でも、その前にルシアンとルキウスに伝えないと」
リリが答えた。
「そうね」
ヴェクサは頷いた。
二人は寝室を出て台所へ向かった。
ルシアンとルキウスはテーブルに座り、静かにコーヒーを飲んでいた。
セレスティーヌはコンロの前で鍋を睨みつけ、不機嫌そうに立っていた。
動きには苛立ちがにじんでいた。
思い通りにいっていないのだ。
「……こんな味になるはずじゃないのに」
セレスティーヌは小さく呟いた。
ヴェクサは時間を無駄にせず切り出した。
「今から出かけるわ。エリンドールに物資を買いに行くの。屋敷に必要なものよ」
ルシアンは顔を上げた。
「分かった。無事に戻れよ」
「もちろん」
リリが答えた。
時は静かに流れた。
リリとヴェクサはすでに出発し、ルシアンとルキウスはコーヒーを飲み終え、
セレスティーヌはようやく台所での苛立ちから解放され、
ミレイユも入浴を終えていた。
やるべきことはなく、屋敷は完璧に整い、
全員がどこか不穏な静けさの中に落ち着いていた。
――そのとき。
冷たく、正確な声が静寂を切り裂いた。
「ミレイユ。セレスティーヌ。身なりを整えろ。来客だ」
「ええ、分かってるわ、ルキウス」
ミレイユは即座に答えた。
「私も戻るわ」
セレスティーヌが言った。
「どれくらいかかるか分からないけど、対処する」
ルシアンとルキウスは着替えなかった。
彼らはいつもそうだった。
常に正装、常に準備万端――まるで、こういう瞬間を想定しているかのように。
――コン、コン。
「誰か来たな」
ルシアンはそう言い、ルキウスの前を通って玄関へ向かった。
ルキウスは静かに後ろに立ったままだった。
――コン、コン。
ルシアンは扉に手をかけ、開いた。
外に立っていたのは巨大な存在だった。
広い肩、裂けるような筋肉、圧倒的な体躯。
山羊の頭、人型の上半身、獣の下半身。
その存在感だけで、空気が重くなる。
「我が名はルローク」
怪物は宣言した。
「ダリウス様に仕える者の第三位」
唇を歪め、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「貴様らは強いと聞いた。だが、俺も強い。
貴様らを冥界へ“死体”で引きずっていけば、ダリウス様は王から称賛を受け、俺も報酬を得る。
だが“生きたまま”連れて行けば……」
笑みがさらに広がった。
「報酬は、もっと大きい。
さあ――来い。俺と来い」
ルシアンは、露骨な嫌悪を込めて彼を見た。
「……弱い」
平坦に言い放つ。
「あまりにも弱い。今すぐ去れ。そうすれば、お前がここに立っていたことを忘れてやる」
「そうか」
ルロークは一歩踏み出した。
「なら、難しい方を選ぶというわけだ」
敷居を越えた瞬間――
その首は、肩から滑り落ちた。
スローモーションのように、異様にゆっくりと床へ落ちていく。
反射的に手を伸ばしたが、ルシアンの方が速かった。
胸部への残虐な蹴りで、胴体は床を滑りながら吹き飛ばされる。
首が地面に落ちる前に、
ルシアンは空中でそれを掴み取った。
まるで壊れやすい仮面でも扱うかのように、両手で静かに支えながら。
「機会はやった」
ルシアンは低く吐き捨てた。
狂気じみた光が瞳に宿り、指が首を締める。
「ハバート様の家で……俺たちの家で……
血を流すとは、いい度胸だな」
首は虚ろな目でこちらを見つめ、
胴体は数メートル先に転がっていた。
ルシアンは首を投げ捨て、
血に濡れた手をハンカチで拭きながらルキウスの方へ歩いた。
まるで、ただの作業を終えたかのように。
「……価値はあったか?」
ルキウスが尋ねた。
必要だったのは、一言だけ。
ルシアンはすぐ理解した。
「まったくない」
苛立ちをにじませて答える。
「他に二体いる。殺せ。
生かしておく意味がない。もう十分見た」
ルキウスは迷わなかった。
「了解」
屋敷から数メートル離れた場所で、二つの影が待っていた。
一人は虎人族の縞模様の身体を持ち、半分だけ人型。
もう一人は進化したゴブリンのような姿で、痩せた体躯と鋭い眼光。
二人は不安げに屋敷を見つめていた。
「ルローク、遅すぎないか?」
虎人が呟いた。
ゴブリンが鼻で笑った。
「分からないのか?」
彼は背を向けた。
「多分もう死んでる。
ここはドレヴァス家だぞ」
そして一歩踏み出した――
その瞬間、ルキウスが目の前に立っていた。
「行かせない」
ルキウスは静かに言った。
しばらくして、ルキウスは戻ってきた。
証拠として、二つの死体を引きずりながら。
「戻った」
そう言って、屋敷の玄関前に死体を落とす。
鈍い音が響いた。
「……そうか」
ルシアンは答えた。
意識はすでに別のところにあった。
ミレイユとセレスティーヌが、普段着のまま姿を現した。
「言っとくけど、私聞いてたわ。弱かったんでしょ?正直、無意味だと思う」
セレスティーヌが言った。
「同感ね」
ミレイユも頷いた。
ルシアンは黙ったまま、思考に沈んでいた。
長い沈黙の後、ようやく口を開く。
「……分からないのはそこだ」
「なぜダリウスは、こんなに弱い者を送った?」
「しかも、たった三体だけ?」
ミレイユの目が大きく見開かれた。




