第一話:私の決断
「名前はアンディ・ヒューバート。二十四歳。身長はだいたい五フィート八インチ。肌は黒くて、ドレッドヘアは……ずっと前に人生を諦めたみたいに垂れ下がってる。俺と同じだ。」
「この世界は壊れてる。毎日同じだ。殺人、汚職、生き延びるための盗み。神なんて、本当にいるとしても、上で何もせずに座ってるだけだ。」
「俺たちが腐っていくのを、ただ眺めてる。」
ニュースを見るたびに思っていた。もし俺にあいつらの力があったなら、世界は違っていたはずだ、と。
飢える子供はいなくなる。路上に血は流れない。
彼らが放棄したすべてを、俺が正してやる。
存在する価値のある世界を、俺が作る。
家の中は、淀んだ空気とタバコの臭いで満ちていた。
テレビは何時間も誰もいない部屋に向かって喋り続けている——政治だの、起きもしない奇跡だの、同じ話の繰り返しだ。
俺はそこに横たわっていた。半分は目覚め、半分は死んでいるような状態で。
点滅する光が壁をなぞり、まるで「映す価値のあるもの」を探しているみたいだった。
「……疲れた。ただ、少し休もう。」
瞬きをした、その瞬間——すべてが消えた。
テレビの光も、空箱のタバコも、失敗の臭いもない。
あるのは草だけだった。冷たくて、澄んでいて、確かに“本物”の感触。
空気には煙も埃も都市の腐臭もない。
静寂は重く、自分の心臓の音だけがやけにはっきりと聞こえた。
そして——聞こえた。
声だ。
穏やかで、機械的で、やけに近い。
まるで、思考の内側に直接語りかけてくるような。
《マスター・アンディ。》
それだけだった。
名前も、姿も、説明もない。ただその一言。
俺は答えなかった。答える理由がない。
どうせ幻覚だろう。
だが声は再び響いた。忍耐強く、確信に満ちて。
《結論:あなたには力が付与されました。命令を。私は従います。》
「力、か……」
思わず笑いそうになった。
俺は何一つコントロールできたことがない。
仕事も、人生も、自分自身でさえも。
それなのに今、何か——誰かが俺を“マスター”と呼んでいる。
神の悪趣味な冗談かもしれない。
それでも、俺はここにいる。
《結論:あなたは神々の意志によってこの地へ召喚されました。この世界は混沌に飲み込まれ、修復不可能なほど腐敗しています。あなたの使命は均衡を取り戻し、長く壊れてきたものを正すこと。成功すれば、神々はあなたに昇天を与えるでしょう。》
「こんな弱い俺に、世界を救えって?
外に出た瞬間、四肢を引き裂かれたらどうするんだよ。」
《結論:高速再生を取得しました。》
「……はは。
俺が神に文句言ったから、仕返しってわけか。
にしても、やり方がエグいだろ。」
「なあ、その頭の中の声。どう呼べばいい?」
《結論:個別識別名は未設定です。》
「じゃあ仮でいい。“システム”って呼ぶ。
名前みたいなもんだ。会話しやすいし。」
『システム……悪くないな。』
《オペレーショナル識別名を“システム”に設定しました。》
「よし。」
同じ場所に留まる意味はなかった。
正すべき世界を見る必要がある。
殺人、汚職、強盗——何でもいい。
力さえあれば、全部直せる。
「今、最低限知るべきことは?」
システムが情報を流し込んできた。
《情報同期完了。この世界は地球と強い類似性を持ちますが、発展段階はより古い時代に相当します。技術は未発達である一方、生物的・社会的多様性は非常に高い。 複数の知的種族が共存しており、人間はその一部に過ぎません。エルフ、ドワーフ、その他分類された種族が存在し、それぞれ異なる身体的特徴、寿命、文化体系を有します。 高度技術の代わりに魔力が文明の基盤です。そのため、生存、階級、戦争の法則は現代地球とは異なります。 要約すると——ここは“馴染みある世界”でありながら、“未知の法則”で動いています。》
要するに、過去の地球みたいな場所だ。
しかも種族が山ほどいる。
エルフやドワーフって……種族っていうか、別の生物だろ。
正直、途中からあまり聞いてなかった。
それから約二か月、外を彷徨いながら自分の力を試した。
今のところ覚えたのは、《武器操作(剣)》、《ソウル・テザー(感情結合)》、それと少しの炎魔法。
システム曰く、「今はこれで十分」——つまり、まだ弱いってことだ。
生き延びるために、食べられそうな草や野菜を片っ端から口にした。
「……ピザ三切れのためなら、今なら何でもするな。」
苦笑しながら、まともな飯のためなら本当に人を殺しかねない自分を自覚していた。
やがて、村に辿り着いた。
俺は人々に自分の存在を伝えようと決めた。
中央に立ち、深呼吸して、できるだけ“それっぽく”話す。
「聞いてくれ。」
間抜けに聞こえないよう必死だった。
「俺は神に選ばれてここに来た!
俺を信じてくれ!
ついて来てくれたら、この世界を良くしてみせる!」
言い終えた瞬間、何か反応があると思った。
笑い、怒り、罵声——何でもいい。
だが、彼らはただ見つめていた。
一人残らず。
瞬きもしない。
動きもしない。
時間が止まったみたいだった。
俺だけが呼吸している。
十秒。
もっと長かったかもしれない。
耳鳴りのように鼓動が響く。
そして——
拍手。
大きくて、唐突で、何かがおかしい。
「はい、我らが主よ!」
「従います!」
「救世主様だ!」
笑顔が広がる。
遅く、機械的に。
皮膚が笑顔を思い出しているだけみたいな。
俺は一歩下がった。
胃の奥が嫌な感じにねじれる。
システムが警告を出した。
《結論:敵意を検知。》
だが、もう遅かった。
村長が近づいてきた。
完璧な笑顔のまま、拍手をしながら。
「あなたは真実を語った。私はダニエル、この村の長だ。」
「……ヒューバートだ。よろしく。」
「ぜひ食事を。もてなさせてほしい。」
信じたかった。
疲れていたのかもしれない。
他の連中より、彼だけが妙に落ち着いていたからかもしれない。
俺はついて行った。
家の中は、薬草と煙の匂いがした。
妻がシチューを出してくれる。
俺は自分に言い聞かせた——これは緊張のせいだ。
この世界では、これが普通なのかもしれない。
「座りなさい、ヒューバート。」
村長の声は穏やかすぎた。
「長旅だっただろう?」
「ええ……想像以上に。」
「神が、あなたを?」
一瞬、言葉に詰まる。
「そう言えますね。」
彼はゆっくり頷いた。
目は一度も逸れない。
「あなたの前にも、神に選ばれた者はいた。
勇敢で、優しい者たちだ。
皆、この世界を良くすると言った。」
身を乗り出す。
息が生温く、酸っぱい。
「自分は違うと思うかね?」
「……まだ分かりません。でも、やってみます。」
妻が小さく笑った。
それは“喜び”ではなかった。
笑い方を思い出しただけの音。
「やってみる、ですって?」
「ええ……皆そう言ったわ。
この世界は変わるのを嫌うのよ、若者。
まして、よそ者になど。」
俺は器を見下ろした。
シチューが妙に光っている。
「……彼らは、どうなったんですか?」
村長は笑った。
歯が黄ばんでいる。
そして、多すぎる。
「善良な男が行く場所へ行っただけだ。
——火の中へな。」
俺は凍りついた。
彼は酒を注ぐ。
「食べなさい。休みなさい。
力が必要になる。」
そして——
意味を問う間もなく——
意識は、闇に沈んだ。




