番契り(ツガイチギリ) ~番を千切って契る、心は貴方に~
最初2人は食堂の女将と旅人だった
次は木
その次は鳥
貴族と平民
海賊と捕虜
それから虫になった
深海の奥深くに沈んでいく
その音は鈍く
聴こえそうで聴こえない
普段は耳にしない濁流の音
どのくらい深く沈んでいたのか。
自分を呼ぶ声に我に返った。
「──キ王女殿下、ツバキ王女殿下」
声の方を見ると、王の側近が凄い形相で私を睨んでいる。
「あ……」
言葉がうまく出てこない。
「陛下。姫は長旅でお疲れのようです。
挨拶は日を改めましょう」
「うむ」
アーサー・パルトテン王は興味無さそうに頷き、無言で退出を促した。
「嫌だ。東の卑小国の人間は、挨拶すらできないの。
黒い目と髪だけでも魔女みたいで不吉なのに、礼儀もないなんて。
こんなのが側妃を名乗るだなんて許せない」
玉座の王妃は、蛆虫でも見るように嫌悪の目を向けてきた。
誰も諌めない。
側近が私に早く行け、と出口を示す。
3ヶ月に渡る船旅を労う言葉は、誰からもなかった。
自室へ向かう廊下を進んでいると急に左の小指が痛みだし、それは堪えられないレベルになり踞ってしまった。
付き従っていた侍女が、慌てて宮医を呼ぶ声がする。
少し経つと痛みが治まった。
見ると指輪のような赤い痣ができている。
こんなに器用に、ぶつけた記憶はないのだけど……。
動かしてみても特に異常はない。
首を傾げながら進んでいくと、向かいから医師がやってきた。
事情を説明しようとした矢先、玉座の間から医師を呼ぶ声。
振り返ると、側近が慌てて医師に救援を求めている。
私は痛くないので、その旨を告げて立ち去った。
宛がわれた部屋に辿り着き、着なれないドレスを脱ごうとしたが、脱ぎ方がわからない。
先程まで付いてきていた侍女を探すもいない。
廊下に出てもメイドすらいない。
仕方なく室内に戻り悪戦苦闘していると、バタバタと足音。
やっとメイドが来た。
ノックの音。
応えると──王の側近が、芋虫状態で蠢く私を見て固まる。
そのまま無言で姿を消して1分。
メイドを連れてきた。
「先程は大変、失礼いたしました」
テーブル越しに頭を下げてきた。
玉座の間で睨み付けてきた鋭さは、消えている。
側妃がドレスを脱げずに床を這いつくばってる姿を見れば、毒気も抜かれるのかもしれない。
ラミナス・テレセチカ子爵と名乗った、この男。
こうして見ると怜悧な印象ではあるが、面長で彫りの深めの顔立ちは整っている。
群青の髪と目は、落ち着いていて知的に見える。25歳くらいか。
「いえ、こちらこそお見苦しいものを」
そもそも私が側仕えを連れてこられれば良かったものを、王妃である継母が拒否したせいで孤軍奮闘するはめになった。
「とんでもないことです。
今後は、このようなことがないようにいたします」
「そのようにしてちょうだい」
「承りました。
それでは早速ですが、来訪の用件を伝えても、よろしいですか?」
「どうぞ」
と、紅茶に口をつける。
「そちらの小指の痣ですが、番紋です」
と、私の左小指を見る。
「え?」
「番紋とは、運命の相手と出会うと現れる印です。つまり番ということです」
「……」
「やはり獣人の血をひく方は、番が一目でわかる。というのは本当だったのですね」
「ええ、わかったわ」
「それはそれは……どうなさるおつもりで?
陛下は王妃殿下を寵愛されてます。
ここにいても渡りはありません」
だからこそ男である自分が後宮に入れるのだ、と付け加えた。
「『どう』と言われても、祖国に姫は私しかいない。だからこそ、私は離縁してまで嫁いで来たのでは?」
私はヒーイズル国、唯一の王女。
4年前、17の時に自国の将軍に降嫁した。
そして今回の政略結婚のために離縁し、ほぼ身1つでやってきた。
子供がいないのは幸いだった。
いや、できるはずないか。
閨は1度しか共にしていないから。
「しかし、獣人は番が手に入らないと狂うと聞いています」
「ならば、そちらの王族を婿として連れて帰れば解決ね。
物理的に離れれば、狂っても被害は受けないわ」
「それができないことくらい、おわかりでしょうに」
言外に「あなたは人質なのだから」と言っている。
「だったら、私を閉じ込める?」
「何故そのように冷静なのです?
てっきり陛下に『会わせろ』と喚かれる覚悟でした」
「まず私は獣人の血をひいてると言っても、人間との混血ですので獣性は強くないの」
私の見た目は、普通の人間と変わらない。むしろ小柄な部類だ。
人間と違うのは、少し力が強いのと寿命が短いこと。あと耳と鼻がいい。
もっと言えばイタチの獣人なので、虎や狼に比べると獰猛でない。
「それに王族としての教育も受けている」
みっともない真似は矜持が許さない。
「……わかりました。
とりあえず今日は、お疲れでしょうから失礼します。
何かお困りごとがあれば、あちらの侍女に」
視線の先には、部屋に着くなり姿を消した中年女性。
正室が私に嫌悪感を持ったのを見て、冷遇しようとしたのだ。
そうでなければ、あのタイミングで一言もなくいなくならない。
私はフッと息を吐いた。
「私に付ける侍女候補者を集めてちょうだい。面接するわ。彼女はダメ。
決まるまではメイドだけでいいから」
「メイドの権限はさして多くない。
不便が多くなりますよ」
「だったら、あなた──テレセチカ子爵に必要なことを、その都度お願いするわ」
「は? いえ、私は王の世話がありまして……」
「他にも側近はいるでしょう」
「しかし……ええ、わかりました。仰せの通りに」
「なら早速」
和洋折衷の動きやすい服を注文した。
母国の正装は和服、こちらは洋服。
慣れないドレスを着てると疲れるが、いつまでも民族衣装を着ているわけにもいかない。
「嫁入りで持ち込んだ衣装をリメイクすれば早い」というテレセチカ子爵に「『元婚家で使用した物、仕立てた物を持っていくのは縁起が悪いから、必要な物は嫁ぎ先に用意させろ』という名目のカツアゲにあったため荷物は殆んどない」と伝えようか迷ったがやめた。
それを言えば、実家からも前夫からも大事にされてなかったと思われ侮られる。
実際にされてなかったが、それをここで言うのは得策じゃない。
「こちらの生活に早く馴染むため、母国の衣装は最低限にしたのよ」
「わかりました。
夫人予算内で、なるべく早く準備します。
デザインもありますので、最低1週間は見ていただきます」
「構わないわ。お願いね」
「随分、変わったデザインのドレスね」
後宮の庭を散策していると、軽やかな声がした。
見なくても誰かわかる。
「第1側妃殿下に、ご挨拶申し上げます」
「そんなに畏まらなくていいわ」
私は、ゆっくり顔を上げる。
この国の平均身長より高い……170くらい。
出るところは出てる体と、オーカーの髪を持つ迫力美女がいた。
「挨拶に出向けず申し訳ありません。
陛下に先にすべきと思ったのですが、お目通り叶わず」
「ああ、あれは放っておいていい」
と、吐き捨てるように言った。
反射的に聞き返しかけたが、どう考えても"あれ"はアーサー・パルトテン国王だろう。私"たち"の夫の。
初対面を果たした、あの日から10日ほど経ったが1度も会ってない。
あの時の対応からして番だと認識したのは、私だけだろう。
でも番紋が現れた。
心境は、どのように変わったのだろうか。
小指の赤い痣が視界に入る度、どうしても考えてしまう。
獣人の本能として、番に出会った奇跡には興奮してしまうのだ。
政略結婚で関心を持たれてない、寵妃のいる相手でも。
それから私と第1側妃ケイミーは茶会をし、現状と今後を話し合った。
それから更に1ヶ月。
第2側妃、つまり私の御披露目パーティーが開催された。
王からという建前で衣装が届いた。
どんなドレスが来るかヒヤヒヤしたが、豪華で美しい出来映えだった。
さすがに国の面子があるので、変なものは着せられないのだろう。
私がテレセチカ子爵に頼んだ普段着は、リボンやフリル過多で、嫌がらせなのか流行なのかデザイナーの感性なのかサービスなのか、判断できないものばかりだった。
とりあえず余分な装飾は、メイドに取ってもらった。
身支度を整えて待つものの、出発予定時刻になっても誰も来ない。
今夜くらいは王が来るだろう。と思っていたのに、それがない。
せめて護衛騎士にでも案内させればいいのに。
30分過ぎた頃、廊下に慌ただしい気配を感じソファから身を起こした。
やってきたのは、髪と息を乱した側近テレセチカ子爵だった。
「遅くなり、申し訳ありません」
私は笑うのを堪えながら、首を振る。
「会場に戻るなら、ヘアセットした方がいいわ」
「え、あ」
「ほら入って。そこの鏡を使っていいから」
と、リビングへ入室を促す。
テレセチカ子爵は手早く乱れを正すと、私に手を差し出した。
「僭越ながら、私が会場までエスコートします」
「残念だけど、本日は欠席します」
体を包んでいたストールを、床に落とす。
すでに正装から部屋着に替え終わっている。
全容披露である。
「なっ」
ドレスアップしていると思い込んでいたテレセチカ子爵は、驚き固まりかけたがすぐ気を取り直す。
「今からでも着替えてください」
「着替えても、湯浴みしてから部屋着になるだけよ?」
「1000人近い招待客が来てるのですよ?!」
「だから? 『体調不良』と言えばいい」
「そんな我が儘、通りませんよ!」
「『我が儘』? 本来30分前に、ここへ来るのは陛下のはずでしょ?
どちらが我が儘?」
「それは……しかし……」
「どうせ陛下は、正室をエスコートして先に会場入りしたのでしょう?」
「っ……」
「そこに1人で入っていって嘲りの対象になれと?
夫と離縁し3ヶ月の距離を渡って、たった1人で知らない土地に嫁いだ私に何の恨みが?」
「申し訳ありませんでした。
私の不徳の致すところです」
「そうね。どうも陛下は、長い治世は望んでないみたいね」
「っ……面目もありません」
「今夜は、もう休むから下がって」
テレセチカ子爵は食い下がらず出ていった。
私はフウッと息を吐いた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「ちょっと、あんたどういうつもりよ?!」
舞踏会が終わったであろう夜中に、王妃が押しかけてきた。
入室許可もとらないどころかノックもなくズカズカ入ってきて、寝仕度の終わった私に掴みかかってきた。
なので、その手を思い切り捻り上げた。
獣人の血をひく私に、人間の女の力などたわいもない。
「ぁぐあっ」
王妃が手を押さえてしゃがみ込んだ。
それから顔を上げて睨み付けてくる。
王妃の顔をきちんと認識したのは、この時が初めてだった。
頬骨が出ており痘痕も多く寸胴で、お世辞にも美人とは言い難い。
赤い髪に合わせた同色のドレスに着られている。
これが王妃?
品も知性も美貌もない。継母の方がマシに見える。
第1側妃が教えてくれたことを思い出す。
15歳で王位継承せざるを得なかった少年アーサーは、プレッシャーのためか占い師に依存するようになった。
この赤い正室カトレアは、件の占い師の娘である。
現在19歳の国王に対し、彼女は31。結婚は3年前。
……色んな犯罪の臭いが……。
「おのれっ、私にこんなことして!
いいわ、お前なんか首をはねてやる」
「開戦するのですか?」
「は?」
「そうなれば戦争になると、わかってますよね?」
小さな島国であるヒーイズルが侵略されなかったのは、民族の戦闘力が高かったから。
難点は繁殖しにくく、産まれても男が多いということ。
種族の違いもあり閉鎖的に過ごしてきた我が国だったが近年、大金脈を見つけ一気に豊かになった。
先進国ではあるが貧しいパルトテンと、金は余っているが独自文化だけのヒーイズル。
父王が最初に欲しがったのは、軍事力だった。
パルトテンは武器と金を交換した。
永続的に益を得られるよう人質(私)を条件に。
私はパルトテンからの使者と父王の会談の場に赴き「定期報告が途絶えた場合、植民地とする」という文を契約書に加えさせた。
獣人は鼻がいい。特に犬の純血種は。
血やフェロモンの匂いで、個体をかぎ分けられる。
毎月送る母国への現状報告書には、私の血を付けることを確約させた。
つまり血の付いた手紙が届かなくなる=人質(私)が殺された→植民地にする、ということだ。
しかし現実に、そうなればパルトテンは抵抗して戦になるだろう。
「ふん、少数民族が偉そうに。
お前たちのような卑小国の土着蛮民が、我が国に勝てるわけない」
「どうでしょう?
開戦ならば私は真っ先に、あなたの首を獲ります。
片手で捻るだけで、すぐに殺せますから」
私は脅しに屈せず背筋を伸ばした。
本当に私を殺せると思うなら、もうやってるだろう。
悔しそうに鼻を鳴らす王妃。
「何を揉めている」
そこにやってきたのは、アーサー王。
私は文句の1つも言おうと、顔を向け──
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン
心臓が暴れ始める。
額から汗が吹き出て、顎から落ちていく。
獣人が番に会えば、どうなるか知っていた。
しかし自分は半人と高を括っていた。
初対面で頭が真っ白になったのは、出会った衝撃のせい、と。
「アーサー! 酷いの、この女!
パーティーを欠席したことを咎めただけなのに、暴力を!
ほら、見て、この手」
と、夫に泣きつく。
アーサーは本妻の肩を抱き、わたしを忌々しげに睨み付ける。
それでわかった。
彼には"番"としての認識がない。
この、今すぐ押し倒して自分のものにしたい衝動と溢れんばかりの感動に似た情は、私だけが感じているのだ。
「自分の立場を弁えよ。
正室に手を上げるなど言語道断」
何か言い返すべきだと思うのに、言葉が出てこない。
「おい、聞いているのか?
王の言葉に無言を返すとは」
唇が乾いて、変な呼吸音がする。
業を煮やした王が、手を挙げようとする。
「お止めください。
非があるのは、こちらです」
王の後を追ってきた側近テレセチカ子爵が止めに入る。
「しかし、この女は余に対して挨拶も問答もせず、披露目をすっぽかし、正室に手を」
「側妃殿下は、道理の通らない方ではありません。
受け答えできないのは番だからでしょう。
人間の我々とは違うのです」
王と王妃が出ていくと、テレセチカ子爵はメイドに水を用意させ、私の口に含ませてくれた。
私は、しばらくテレセチカ子爵に身を任せボンヤリしていた。
番の本能と言うより、その事で動けなくなったのがショックだった。
それから私は、一方的に謹慎処分にされた。
王に会うと自分が何をするかわからず怖かったし、心を落ち着けて今後のことを考える時間も必要だった。
ちょうどいい、と思った。
思ったが、半年も部屋から出られないとは予想してなかった。
庶子ではあるが王女として生まれ、自由に外出できない身で育った私でも発狂しかけた。
狂わなかったのは、ラミナス(テレセチカ子爵)が通って来たからだ。
花束や流行りの菓子や本を携えて、不便がないか御用聞きに来た。
最初は週1だったのが、気付けば毎日足蹴く通ってくる。
その度にメイドたちが冗談で「旦那様が、お見えです」と笑った。
もちろん私の戸籍上の夫はアーサー王だと、誰もがわかっている。
後は第1側妃が様子見に来てくれたので、彼女の仕事を手伝った。
本来は、正室:第1側妃:第2側妃=5:3:2のはずの仕事の割合が1:9:0だった。
正妃カトレアは、王とのお出掛けデート公務だけして、それ以外は全部ケイミー妃に押し付けていたのだ。
なんという……。
暗殺しないのかケイミーに聞いたら「カトレアが没して自分が正妃に繰り上がったら、子供を産まなきゃいけなくなる」と。
つまり王に抱かれたくないのだ。
平均寿命が50歳の、この国では27歳以上は高齢出産になる。
27歳まで我慢すれば褥を共にしなくて済む、ということらしい。
あと5年もあるのに大丈夫だろうか。
「客観的に見て容姿が悪いとは思わないけど、もう生理的に受け付けない」
赤茶色の癖毛は少し長めで、同色の目は丸く、年齢より幼く感じさせる。
骨格はしっかりしているが、身長は平均並み。
眼光は鋭いが頼りない印象。
というのがアーサー王の外見。
私は番フィルターのせいで全て好ましく見えてしまうが、ケイミーにすれば産業廃棄物のように感じるのだろう。
番の私すらカトレアの機嫌ばかり窺う王を、どうかと思うし。
2回しか会ったことないけど。
いっそ、ケイミーを私の祖国へ逃がしてやりたい。
密かに考えを巡らせた。
しかし思考はすぐに中断される。
「また来た……」
窓の外から、こちらの様子を窺っているのがわかる。
獣人は気配を察知しやすい。
その相手が番なら尚更。
初めは心臓が暴れて大変だった。
だが100回目ともなれば慣れる。
私は窓を開けた。
相手は気付かれてる、とは夢にも思ってなかったようだ。
固まったまま、呆けている。
番でなければ、きっと様々な、いや、有らん限りの罵声を浴びせただろう。
イタチは、見た目によらず苛烈な性分なのだ。
それよりも勝手に体が動いた。
窓枠を飛び越え、棒立ちの体を草むらに押し倒して唇を奪った。
唾液は蜂蜜を白ワインに溶かしたような味がした。
気が付くと自室のベッド上におり、横にアーサー王が眠っていた。
いや、気絶しているのか。
一糸纏わぬ裸は互いに爪痕、歯形、鬱血痕だらけだ。
何をすれば、こうなるのか。
草むらで舌を絡めるうちに、彼が猛ったところまでは覚えている。
……そっと彼の首に顔を埋める。
匂いと体温と感触に、懐かしさがこみ上げる。
ああ、ああ、会いたかった。
「ん……ツバキ? なぜ……泣いている?」
アーサーが目を覚まし、私の眦を拭った。
泣いていたことを知った。
「あなたを愛してる」
考えるより先に言葉が出た。
自分なのに自分じゃないような、熱に浮かされたような、形容し難い感覚だった。
しばらく唇を確かめ合ったのち、メイドの湯浴みの準備をさせた。
アーサーを横抱きで風呂場へ運び、体を拭い、髪を乾かし、服を着せて手づからブランチを食べさせた。
王女だった私は自分の世話すらできないくせに、どうしてか流れるように作業できた。
彼は、ずっと為されるがままだった。
そのうち側近ラミナスが「謁見がある」とアーサーを呼びに来た。
私を見た群青の眼には失望があった。
ラミナスは私を好いている。私も彼を好意的に感じている。
それは、この半年で気付いていた。
しかし番以外に性的接触をされるのは、本能的に無理なのだ。理屈ではない。脊髄反射だ。
覚束ない足取りで部屋を出ていったアーサーは、その夜にまた戻ってきた。
未通女ではないが、未経験に近かった私の体はギシギシ痛んだが、彼を見た瞬間に欲しくなった。
だから抱き着いて「欲しい」と素直に伝えた。
翌朝、体に噛み痕が増えていた。
お渡りは連日、続いた。
カトレアが黙ってないだろうと思うものの、蜜を絡めとると思考が溶けた。
そうして触れ合っていると、体がひっついて取れなくなるような錯覚に陥った。
そして陽が高くなり離れる時には、魂が千切れそうに痛んだ。
アーサーは自身が政務へ赴く度に泣く私を、痛ましそうに見ていた。
小指の番紋は日に日に濃くなっていった。
謹慎は解けたが外出制限をされ、相変わらず自由のない私は、建国祭に出席することになった。
1年ぶりに後宮から出る。
準備を終えるが、時間になっても誰も来ない。
やはり前回と同じかと、ドレスを脱ぎかけた。
そこへ息を切らせて駆けつけたのは、ラミナスではなく「アーサー……」
「遅くなって悪かった、ツバキ。
出かけに、ちょっと……気にしなくていい」
私は、夫の髪を手櫛で整え「大丈夫」と伝えた。
どうせ正妃が、ごねたのだろう。
長めの口付けを終えると「行こう」と手を出してくる。
「少し待って」
と、手鏡を見ながらルージュをひいた。
キスしたら落ちてしまうし、会ってキスを我慢するなんてできないから、唇だけ裸でいた。
彼は、そんな私を見て愛しそうに目尻を下げた。
もう私を邪険にした日の影はない。
大広間で始まったパーティーで、私は王から側妃として紹介を受けた。
ファーストダンスを正妃、セカンドを第1側妃、サードを私と踊ったアーサーは、壇上の椅子に腰かけた。
彼の左横が正室、2人の斜め後ろに私とケイミーが着席した。
これからマジックショーが始まる。
心待ちにしていると、王妃の父であるエリバーグ男爵が進み出てきた。
元は平民だったがアーサーが叙爵した。
「ご歓談中、失礼いたします。
早急に申し上げたき儀がございます」
「赦す」
頭を垂れる男爵に、王が威風堂々と返す。
「先日、満月の夜に新しい啓示を受けました。
そちらのヒーイズル国王女は魔女であり、我が国に禍をもたらします。
即刻、処刑なさるべきです」
「なんだと?!」
アーサーが素っ頓狂な声を出す。
なぜ驚くのか。
こう来るのは予想していた。
嫁いで来た時、港への王家の迎いを断った。
入城前に、逃走経路を確認しておく必要があったからだ。
「エリバーグ男爵。
証拠も無しに妃殿下を処刑とは……覚悟の上か?」
壇下で控えていた側近ラミナスが、怒気を含ませる。
「その黒い髪と目こそ、魔女の証拠です。
魔女の髪と目は黒いと決まっていますから」
「ヒーイズル国民は皆、黒髪黒目だ。
全国民が魔女だと?」
ラミナスは呆れて息を吐く。
アーサーもホッとした様子だ。
「獣人そのものが呪われているのです。
人と獣の血が混ざり合うなど、おぞましいこと限りない。
自然の摂理に反しています!
存在そのものが邪悪です!
即刻、処刑なさるべきです」
「妃殿下の輿入れが決まった時は、むしろ喜んでおられたと記憶しますが?」
「その時は、まだ天からの警告がなかったのです」
「くだらない……陛下、取り合うまでもございません」
「うむ。
エリバーグ男爵は疲れているようだ。
自治領で休養せよ」
アーサーが締め括る。
「ならば仕方ありませんね」
と、手を挙げる。
護衛として配置されていたはずの騎士たちが、抜刀して王族を囲む。
「これは、どういうことだ?」
「陛下が魔女に傾倒してる間に、城内を掌握させていただきました」
エリバーグ男爵は、狸親父のように口の端を歪めて笑う。
アーサーが肘掛けの上で拳を握った。
そしてポケットからピンキーリングを出すと、慣れた手付きで嵌め番紋を隠した。
「わかった。
そなたの言う通り、魔女は処刑しよう」
「ご理解、痛み入ります」
思考はクリアで冴えていた。
王族はクーデターに備えて、シュミレーションや訓練をするものだ。
足音が近付いてくる。
それがアーサーでないのは間違いない。
小指のリングを見て、はっきりわかった。
やはり彼に、番の自覚はなかった。
中核が不安定なアーサーは性欲に負けて、依存先を占い師から私に変えたせいで飼い犬に噛まれたのだ。
「あなたに思春期から囲われてたら、そうなるわね」
目の前で立ち止まった王妃に告げた。
「っ、どういう意味? 何が言いたい?!」
私から先に言葉をかけられると思ってなかったらしく、鉄格子越しに動揺している。
私が入れられたのは、貴族牢ではなく凶悪犯向けの地下牢だ。
「体の相性が良かったって話。
まるで、その為に創られたみたいに」
事実、生まれる前から決まってた。
「このっ!」
ガシャンと、扇子を持つ手で格子を殴り付けた。
そんなことしたって自分の手が痛いだろう。可哀想な脳をお持ちで。
「もしかして、あなた本気でアーサーのこと好きなの?
信じられない、趣味悪っ!」
私はアハハと笑い転げる。
「お、お前は番なのでしょう?!
趣味が悪いって、どういうこと?!」
「どうもこうも、そのまま。
あなた私の立場で考えたことあるかしら?」
「は?」
「無理やり離婚させられ、船に揺られて3ヵ月。
知り合いもいない土地に21歳で政略的に嫁いできたら、夫は占い師に依存してて、その娘──1回りも上の女の太鼓持ち。
しかも、女はヒステリックなだけで仕事もせず遊んでるだけ。
番紋が現れても大事にされず、獣人で力が強いとは言え女に手を上げ……と思ったらストーカー、からの性欲に溺れて寄生先を、こちらに変えて刺される無様な子供。
それがアーサーという男。
なんで、これが好きなの? 趣味悪い」
「……」
「獣人の番に、ここまで言われるって、よっぽどよ?」
「……そ、れは……」
「はぁ、要件は?」
「え?」
「何しに来たの?」
「は、そ、そう。この手で殺しに来たのよ!」
「何で? 処刑は?」
「自分の手で片を着けないと、気が済まない」
「アーサーが好きだから?」
私が同情すると、悔しげに口を歪ませ50cm程の銃を侍従から乱暴に捥ぎ取った。
「銃なら獣人の反射神経でも避けられないわ!」
と、勝ち誇った表情で銃口をこちらへ向けてくる。
「冥土の土産に教えてやるわ。
お前の予算は私が止めた(着服)の。
持参金もない無一文のお前の生活費、誰が払ってたと思う?」
そして引き金をひいた。
──バアンッ
乾いた音に続いて、ドサリと体が地面に倒れる音。
銃を撃った衝撃で横転したようだ。
練習してなかったようで本人が1番、驚いた顔をしている。
練習してたとしても、私には当てられなかったが。
「「「……」」」
沈黙を破ったのは伝令の声。
「妃殿下! 城がアレフレイ公爵軍に包囲されています! 早くお逃げください!」
新たな謀反を聞いた侍従はカトレアの腕を掴んで立たせると、そのまま一緒に走り去って行った。
入れ替えにラミナスが、やってきて開錠する。
まったく裏切らない男である。
「アレフレイ公爵が、エリバーグ男爵の不穏な動きを察知して簒奪の準備をしていたようです。
捕まれば、どうなるかわかりません。早く行きましょう」
「もう体の感覚がなくなってきたわ。
そろそろやりましょう」
「あなたって人は……疑わないのですか?
もし失敗したら、どうするのです?
今なら解毒剤を飲めば──」
「フフフフフ」
「何が可笑しいのです?」
「私ね、このまま生きていても心と体と魂と意志がバラバラになって、いずれ壊れてしまうと思うの。
だって、今だってアーサーに会いたくて仕方ない。
あなたが、せっかく私を貰ってくれるというのにキスもできない」
涙が溢れてきた私を、ラミナスは柔らかく抱き締めた。
彼は私が謹慎させられてる間「下賜して欲しい。妻にしたい」と頼んでいたそう。
多分アーサーが様子を見に来たのは、そのせいだろう。
要らないと思ってるものも、他人から「価値がある、欲しい」と言われると惜しくなるような。
私の心と意思は、ここにあるのに。魂と体は向こうに行きたがる。
私たちは朽ちかけた山小屋の床に、白い正方形の布を敷き、その上に座っている。
左の小指は止血の糸のお陰で、紫に変色している。
私達は互いのそれを口に含め、噛み千切った。
2つの小指を布の中心へ繋げて並べ、その隣に寝そべる。
「ねえ……聞いておきたいことがあるの」
「何なりと」
「私の御披露目パーティーのドレスも、あなたが?」
「あれは陛下です。
でも私が贈りたかった」
「良かった」
「え? 私からでは嫌でした?」
「あれね、切り刻んでカトレアに『怪我させた詫び』として送ったの」
「くはっ……くくく」
「もし、あなたからの贈り物だったら死んでも死にきれなかった」
「もし、そうしたら新しいものを贈るだけです」
「ありがとう、ラミナス。
そろそろ……眠くなって……きた」
瞼が、もう開かない。
ラミナスが残った小指同士を絡めた。
彼が何か言ってるけど理解できない。
続きは来世で。
最初2人は、食堂の女将と旅人だった。
未亡人になったばかりの女が、1人で店を切り盛りしていた。
ある日。
軒下で休んでいる旅人が怪我しているのを見て、女は手当てをした。
旅人は女1人で店をやっていくのは危険と思い、放浪をやめて夫になった。
女は狭い世界しか知らずに生きてきたが、夫の話を聞き王都に引っ越したいと考えるようになった。
夫婦は、その夢を叶えるため必死で働いた。
そして資金が漸く貯まったところで、強盗に殺された。
現世では働き詰めだったので、来世はあくせくしたくないと願った。
すると木に生まれ変わった。
元々人間だった2人は、木でいるのが退屈だった。
次はもっと自由に動きたい、と願うと鳥に生まれた。
貴族と平民に生まれた時は、貴賤結婚に厳しい国で夫婦になれなかった。
伯爵夫人となった女が使用人として男を邸宅に招き入れ、愛人として過ごしていたが、当主にバレ追放先で病死した。
次は身分を気にせずに愛し合いたいと願うと、海賊と捕虜として出会った。
男は妻となった女のために危険の少ない仕事に就きたかったが、すでに指名手配されており断念した。
多くの命を奪った2人は、虫に生まれては殺されるというサイクルを100回繰り返した。
それでも2つの魂は、離れなかったため完全に結びついた。
海底のひび割れから生まれた泡が
上へ上へと昇っていく
その度に少しずつ
青の色は薄くなっていった
やがて空に辿り着く
瞼が震えて視界がクリアになった。
軒先から落ちた雨水が、地面を染め変えていく。
往来の人々は、着物を濡らさないよう紙の傘をさしている。
灰色の景色を彩りある傘々が流れていく。
老人が入ってきて、藁で編んだ雨具を頭から外した。
視線が交わる。
見たことある群青の瞳。
ああ、左の小指が疼いた。
□完□