5月の風と初めての約束
4月も中旬になり、桜は散り始め、校庭には淡いピンクの絨毯が広がっていた。蒼人は朝、教室の窓からその景色を眺めながら、少しぼんやりしていた。隣の席の空とは、入学式から1週間ほど一緒に帰ったり、昼休みに弁当を交換したりする関係になっていた。まだ友達と呼べるほど親しくはないけれど、空の明るさがクラスを明るくするのを感じていた。
「ソ：おはよー、蒼人！ 今日、なんかいい天気だね！」
空が教室に入ってくると、いつもの元気な声が響いた。制服のネクタイが少し緩んでいて、髪は朝の風で少し乱れている。
蒼人は顔を上げ、「うるさいな」と小さく呟きつつ、内心でその無造作な雰囲気に目を奪われた。
「ア：おはよう。…確かに、風が気持ちいい」
「ソ：だろ？ 午後から外で何かしたいね。なあ、一緒にサッカーでもやろっか？」
空が目を輝かせて提案してきた。蒼人はサッカーはあまり得意じゃないけど、空の楽しそうな顔を見ると断りづらい。
「ア：えっと…俺、運動そんなに…」
「ソ：大丈夫だって！ 俺が教えてやるから！ 約束だよ！」
空は笑いながら、蒼人の肩を軽く叩いた。その手が触れた瞬間、また胸が小さく跳ねた。なんでだろう。この感じ。
午前の授業は、新しい教科書の匂いと先生の説明で少し眠かった。
国語の時間に、空がこっそりメモを渡してきた。「午後、体育館裏で待ってるぜ！」と書いてある。蒼人は少しドキドキしながら、ノートに隠してしまった。体育の時間になると、先生が「クラスでペアを作ってバレーボールの基本を練習する」と発表。空がすぐさま蒼人の手を引っ張った。
「ソ：蒼人、俺とペアだ！ 絶対楽しいから！」
「ア：え、待って…俺、ボールとか苦手なんだけど」
「ソ：大丈夫だって！ 一緒ならなんとかなるよ！」
空の自信満々な笑顔に、蒼人は押されるように頷いた。クラスメイトの視線が集まる中、二人は体育館の隅でボールを渡し合った。空は軽やかにボールをトスし、蒼人はぎこちなく受け止める。
「ソ：お、蒼人、悪くないじゃん！ もう一回！」
空の褒め言葉に、蒼人の顔が少し熱くなった。失敗しても、空が「次は大丈夫！」と励ましてくれるから、嫌いじゃない時間だった。
昼休み、約束通り体育館裏で空と会った。そこにはサッカーボールが転がっていて、空はすでにシューズを履き替えていた。
「ソ：ほら、蒼人！ ちょっと蹴ってみて！ 簡単だよ」
「ア：本当に大丈夫？ 俺、足つまずくタイプだから…」
「ソ：笑わないから！ ほら、こうやって…」
空は蒼人の横に立ち、優しく足の置き方を教えてくれた。背中が近くて、制服の匂いと草の香りが混じる。蒼人は集中しようとするけど、空の声が耳に残って、ドキドキが止まらない。ボールを蹴ってみると、ぎこちなくもゴールっぽい場所に転がった。
「ソ：やったー！ 蒼人、才能あるかも！」
空が飛び跳ねて喜ぶ姿に、蒼人もつられて笑った。初めての感覚だった。誰かと一緒に何かをする楽しさ。
放課後、二人で部活見学に行くことにした。空はサッカー部に入るつもりで、蒼人はまだ迷っていた。グラウンドに着くと、先輩たちがボールを追いかけて汗をかいていた。空は目を輝かせ、「かっこいい！」と呟く。蒼人はその横で、空の横顔を見ていた。夕陽に照らされた笑顔が、なんだか特別に美しく感じた。
「ソ：蒼人、俺、サッカー部入るよ。蒼人も一緒にどう？」
「ア：え、俺なんか…足引っ張るだけじゃ…」
「ソ：そんなことないよ。俺、蒼人と一緒ならもっと頑張れる気がする」
空の言葉に、蒼人の胸がまた熱くなった。一緒なら頑張れる、か。初めてそんな風に思える人がいることに、自分でも驚いた。
帰り道、夕焼けが空を赤く染めていた。空は今日のことを興奮気味に話す。
「ソ：今日、蒼人とサッカーしてて楽しかったよ。明日も一緒にやろうぜ！」
「ア：…うん、いいよ。明日も」
蒼人は小さく頷きながら、空の笑顔を見つめた。友達として楽しい時間。でも、胸の奥で何か違う気持ちが膨らんでいる気がした。家に着く前に、空が急に立ち止まった。
「ソ：なあ、蒼人。俺、君と友達でよかったよ。本当に」
「ア：…俺も。空と友達でよかった」
その言葉を口にすると、蒼人の心が温かくなった。でも、同時に、友達以上の何かを感じてしまって、少し混乱した。
夜、母が夕飯の味噌汁をよそいながら、「今日、楽しそうだったね」と聞いてきた。
「ア：うん…クラスで仲良くなった子と、部活見学に行った」
「母：それはいいこと。どんな子？」
「ア：明るくて…なんか、元気もらえる子。星野空って言うんだ」
母は「いい友達ね」と笑った。蒼人も笑ったけど、心の中では空の笑顔がぐるぐる回っていた。友達、だよね。でも、なぜかその言葉に納得いかない自分がいた。
次の日、教室で空がまた「蒼人、おはよー！」とやってきた。蒼人は「うるさい」と言いながらも、笑顔で迎えた。授業中、空がこっそりメモを渡してきた。「今日もサッカーな！」と書いてある。蒼人は小さく頷き、胸がまたドキドキした。5月の風が教室を抜けていく。新しい季節が、蒼人と空を少しずつ近づけていた。
