春、君と隣の席
桜の花びらが校庭を舞う、4月の入学式。新しい制服の襟が少し硬くて、蒼人はそわそわしながら体育館の椅子に座っていた。名前は山崎蒼人、今日から中学1年生。少し内向的で、知らない人に話しかけるのは苦手だ。でも、どこかで期待していた。この新しい場所で、誰かと友達になれたらいいな、と。
体育館の壇上では校長先生の話が続く。蒼人はぼんやりと周りを見回し、隣の席の男の子に目が留まった。少し日焼けした肌、くしゃっとした明るい笑顔。名前を呼ばれた瞬間、彼は「はい!」と元気よく返事をし、立ち上がって手を振った。会場が小さくどよめき、笑い声が響く。蒼人はその様子に、なんだか胸がざわついた。ああいう人、友達になれたら楽しそうだな。
「ねえ、君、めっちゃ静かだね!」
入学式が終わり、教室に向かう廊下で突然声をかけられた。振り返ると、そこにはさっきの男の子がいた。蒼人は一瞬固まり、言葉を探す。
「ア:え、うそ、静かじゃないよ。普通、普通!」
慌てて答えると、彼はにっと笑った。
「ソ:ふーん、普通か! 俺、星野空! よろしくね、えっと…」
「ア:山崎蒼人。よろしく」
蒼人は少し緊張しながら名乗った。空は「蒼人、いい名前じゃん!」と気軽に言い、さっさと教室へ歩き出す。その背中を追いながら、蒼人は思う。なんでこんなに自然に話しかけてくるんだろう。なんか、変なやつ。
教室に着くと、担任の先生が黒板に座席表を貼り出した。1年A組、26人。蒼人は自分の名前を探し、窓際の後ろから2番目の席を見つける。隣を見ると、そこには「星野空」と書かれていた。
「ソ:お、蒼人! 隣じゃん! やった、よろしくな!」
空が教室に入ってくるなり、大きな声で言った。クラスメイトの視線が一斉に集まり、蒼人は顔が熱くなる。
「ア:う、うるさいって…静かにしてよ」
「ソ:えー、いいじゃん! 隣同士、運命感じるね!」
空は大げさにウインクし、席にドカッと座る。蒼人はため息をつきながらも、なんだか悪い気はしなかった。運命、なんて大袈裟な。でも、隣が空でよかったかもしれない。
最初のホームルームは、自己紹介とクラスのルール決めで賑やかだった。
空は自己紹介で
「サッカー大好き! みんなと仲良くしたい!」
と明るく話し、クラスの雰囲気を一気に和ませた。
蒼人は自分の番で
「えっと、山崎蒼人です…よろしく」と小さく言うのがやっとだったけど、
空が「蒼人、声ちっちゃいぞ!」と茶々を入れ、みんなが笑った。
恥ずかしかったけど、どこかホッとした。
空がいるだけで、クラスが明るくなる。
放課後、蒼人は教室の窓から桜並木を見ていた。新しい環境にまだ慣れず、ちょっと疲れた気分。そこへ、空が荷物を抱えてやってくる。
「ソ:蒼人、帰る? 一緒に帰ろうぜ!」
「ア:え、でも…家、どっちの方?」
「ソ:俺、東の方! 蒼人は?」
「ア:俺も東…かな。じゃ、いいよ」
蒼人は少し迷ったけど、空の笑顔に押されて頷いた。二人で校門を出ると、桜の花びらがふわりと舞う。春の風が柔らかくて、蒼人の緊張を少し解いてくれた。
帰り道、空はまるで昔からの友達みたいに話し続けた。好きなサッカーチームのこと、昨日見たアニメのこと、コンビニで新発売のスナックのこと。蒼人は相づちを打ちながら、時々小さく笑った。空の話は単純で、でも妙に楽しくて、聞いているだけで気分が軽くなる。
「ソ:なあ、蒼人ってさ、なんか落ち着くんだよな。話してると、ほっとするっていうか」
空が急に真面目な顔で言った。蒼人はびっくりして、思わず立ち止まる。
「ア:え、なにそれ。急に変なこと言うなよ」
「ソ:変じゃないって! ほんとほんと! 蒼人、いいやつっぽいもん」
空はケラケラ笑いながら、蒼人の肩を軽く叩いた。その手が触れた瞬間、蒼人の胸が小さくドキッとした。なに、これ。変な感じ。蒼人は慌てて目を逸らし、歩き出す。
家に着く頃には、夕焼けが空をオレンジに染めていた。空の家は蒼人の家から少し離れたアパートで、「じゃあ、また明日な!」と手を振って別れた。蒼人は一人、部屋に戻ってカバンを下ろす。机の上には新しい教科書と、入学式でもらったクラスの名簿。そこに「星野空」の名前を見つけて、なぜかじっと見てしまった。
夜、夕飯の支度をする母に、蒼人は何気なく話した。
「ア:今日、クラスで隣の席のやつ、めっちゃ明るいんだよね」
「母:へえ、どんな子?」
「ア:うーん、なんか…太陽みたい。話してると、元気出るっていうか」
母は笑いながら、「いい友達ができそうね」と言った。蒼人も笑ったけど、心のどこかで、さっきのドキッとした感覚を思い出していた。友達、だよな。まだ会ったばかりなのに、なんでこんなに気になるんだろう。
次の日、朝の教室で空はまた大きな声で「蒼人、おはよー!」とやってきた。蒼人は「うるさい」と文句を言いながら、でも内心ちょっと嬉しかった。授業中、空がこっそりメモを渡してきた。そこには「昼、弁当一緒に食おうぜ」と殴り書き。蒼人は小さく頷き、メモを握りしめた。
昼休み、二人で教室の隅に座って弁当を広げた。空の弁当は唐揚げが山盛りで、蒼人の卵焼きと交換しようと言い出す。
「ソ:なあ、蒼人の卵焼き、めっちゃうまそう! 一つくれよ!」
「ア:え、じゃあ…唐揚げ、くれる?」
「ソ:おっ、取引成立! はい、ほら!」
空は笑いながら唐揚げを箸でつまんで、蒼人の弁当にポンと置いた。蒼人も卵焼きを渡し、二人で笑い合う。その瞬間、教室の喧騒が遠く感じられた。まるで、世界に二人だけみたいな、不思議な時間。
放課後、また一緒に帰った。空は昨日よりさらにリラックスして、蒼人にいろんな質問を投げてくる。好きなゲーム、好きな食べ物、どんな音楽を聴くか。蒼人は最初は戸惑ったけど、だんだん自分のことを話すのが楽しくなってきた。空はどんな話でも「マジ? それいいな!」と目を輝かせて聞いてくれる。
「ソ:なあ、蒼人。俺、なんかさ、君といるとすげえ楽しいわ」
空が夕陽を背に、ふと言った。蒼人はまた胸がドキッとして、言葉に詰まる。
「ア:…俺も、楽しいよ。空といると」
やっと絞り出した言葉に、空は「だろ? 俺ら、絶対いいコンビだよ!」と笑った。その笑顔が、桜の花びらより眩しくて、蒼人は目を細めた。
家に帰って、蒼人はベッドに寝転がって天井を見た。まだ中学校生活は始まったばかり。クラスには知らない子ばかりで、先生も、勉強も、全部が新しい。でも、空がいる。それだけで、明日がちょっと楽しみだった。
「ア:星野空、か…」
小さく呟いて、蒼人は名簿を手に取った。空の名前を指でなぞりながら、なぜか笑顔になった。友達、だよな。でも、どこかで、ほんの少し、違う気持ちが芽生え始めていることには、まだ気づいていなかった。