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12月1日(5) 映画のチェス駒と異世界の結婚観

2話同時更新の1話目です。

 2階(イギリス英語ではファーストフロアと言うらしい)をぐるりと回って、40号室の中世ヨーロッパの展示に向かう。フィリップさんに先ほどのような興奮はない。この世界観は馴染みのものということだろうか。


「これはチェスの駒だな」

「世界一有名なチェスの駒ですね」

「似たようなものが育ての父の部屋にあった」


 あ、やはりそういう世界観の異世界から来たのか?


「これは千年くらい前のものです。映画にも登場しました」


「映画とは?」

 そこかい。


「演劇の絵と音を記録して、あとで大きな画面に映し出してあわせて音を出して演劇を楽しみます。演者が出向かなくても色々な場所で演劇を楽しむことができます」

「ほう。見てみたいな」

「こんな感じですよ」


 展示の解説モニターを指す。


「もっと大きな画面と大きな音で、内容が演劇のようなものです」

「絵が動くのか。どういう魔法だ」


 デジタル動画録画・再生は立ち話として説明できない。科学も魔法あまり変わらないような気がしてきた。


  二時くらいまで展示を見てから、お土産屋さんに行った。フィリップさんはやはり大ホールのガラスの天井が気になるようだ。


 大英博物館のお土産ではゴム製の黄色いアヒルが有名だ。スフィンクス風、ローマの歩兵風やサムライ風まである。フィリップさんが見入っていた女性神官の棺に少し似た、エジプト女王の装いをしたアヒルを買い、フィリップさんに渡す。


「ありがとう……って、これはなんだ」

「アヒルのおもちゃです。お部屋に飾ったり、お風呂に浮かべたりしてください」

「……大切にする」

「まあ、ご笑納くださいってやつですよ」


 いかんせん、アヒルがクレオパトラなんだから。


 博物館を出てすぐの観光客向けのパブに入った。ステンドグラスの窓がきれいで、趣がある。こういう店はビールが主役だが、ランチになるシンプルな食事が手軽にとれる。


「メニューは読めますよね? 好きなものを選んでいいですよ」

「その……このあたりの貨幣は……」


「そういうことは気にしないでいいと言いましたよね? やっぱりロンドン来たんだからフィッシュアンドチップスかな。フィリップさんも同じのでいいですか? それともチキンがいいですか?」

「肉も魚も好きだが––」

「じゃあ二人ともフィッシュ&チップスにしましょう。今日は観光するだけだから、ランチだけどビールいっちゃいます? やっぱりロンドンだからギネスかな」


 フィリップさんが無駄な遠慮をする前に店員さんにフィッシュアンドチップスとギネス2つずつの注文を伝える。


「美しき乙女は––」

「フィリップさん、私は美しくありませんし乙女ではありません」

「乙女ではないということは既婚か?夫君が一人旅を許したのか?」

「夫はいません。婚約破棄されました」


 フィリップさんが眉を顰める。


「乙女の純潔を婚前に奪って婚約を破棄したのか?」

「その前から乙女ではありません……ってなんてこと言わせるんですか」


「美しき乙女はどこぞの男に清らかな心を弄ばれ、欲望の捌け口に使われ、ボロ切れのように捨てられたのか? その獣はどうした? 当然、美しき乙女の父君か兄君の手にかかったのであろうな?」

「人の話聞いています? 美しくないし乙女じゃありませんって昨日からずっと言っていますよね? 父は母とともに五年前に交通事故で亡くなりました。子供はもともと私1人です」


「ではその獣はまだ日の当たる場所にいるのか?」

「別に獣じゃありませんけど、多分普通に生活しています。おととい金曜日は有給とっていましたけど。一夜を共にしたから結婚しなくてはならないという文化も、結婚しなかったら親族に殺されるという文化も私の国にはもうありません。婚約したら結婚するのは一般的ですけどね。そもそも私の、ええと、『純潔を奪った』のはその人じゃありません」


「その鬼畜はどうなった? 未だ大地を歩いているのか? 婚約者が叩き切ったのか?」

 この男の処女性への執着が怖い。


「別に鬼畜じゃなくて普通にいい人でしたよ。大学を卒業した時に別れました。今は確か千葉で漁協の職員をやっているはずです」

「私の刀の錆にできたら––」


「物騒な話はやめてください。学生時代の恋人と付き合っている間は楽しかったし、大切にされたし、大切にできたし、別れた時も話し合って二人ともお互いそれが一番いいって納得して別れました。婚約者は婚約解消のときに慰謝料をもらいました。純潔だけが女性の価値ではありません。まあ、昔はそういう価値観もあったようですけど。私くらいの歳だとよくあることですよ」


「そうなのか」

「そうです。誰にでも体を許すというわけではありませんが、恋人同士ではよくあることです。二人で話し合って決めることですから」


「子をなしたらどうするのだ」

「子供ができたことをきっかけに結婚する人はそれなりにいますね。でも子供ができないようにする方法はいくらでもあります。大抵は話し合って然るべき方法を選びます」


 自分で言って心が少し痛む。少しだけど。


「そうか。生まれた子供が誰の子であるかはどう判断する」

「基本はお互いの信頼ですね。結婚している人が配偶者以外と子供をつくることは不貞とされていて、大抵の夫婦は配偶者以外の人以外とは体を重ねません。あと、今は、ええと、血を調べる方法もあります」


 DNA鑑定を説明するにはDNAから説明しなくてはいけないし、ギネスと揚げたてのフィッシュ&チップスが来たから話は簡単にしておきたい。


「ほう。朝の、ええと、ハッシュ––」

「ハッシュポテトです」

「そう、ハッシュポテトに似た味わいだ。衣がいいな。中身は意外と淡白だな。素揚げの芋もいい」

「味が薄かったら塩胡椒やお酢をかけてください」


「このエールもいい」

「ほのかにフルーティーですね。好き嫌いがあるって聞きましたが、私は好きです」


「リリカ嬢はエールよりもワインが似合いそうだな。あ、あくまでも高級ワインだが」

「ワインは時々飲みますよ。普段は手頃なものしか飲みませんけど。私の国では日本酒と言って、米でできた酒も一般的です」

「米か。その発想はなかったな。米は異国の食べ物で、あまり手に入らない」

「そういうことでしたら、普通に炊いて食べるのが良さそうですね」


「城––ええと、屋敷の料理人はチーズと煮込んでいた。なかなか美味だった」

「リゾットみたいな感じですか。美味しそうですね」

「料理人にこの魚を作らせ、客人にふるまいたい。後ろ盾が強くなりそうだ」

「人の心を掴むのならまず胃袋からと言いますものね」


 そこからフィリップさんは身の上話をしてくれた。


 フィリップさんのご両親は結婚していなかったということ。


 母親の夫の子として育ったということ。母親に読み書きと貴族としての振る舞いを教わったということ。七歳の時に養父のの部下に弟子入りして、騎士の修業したこと。十七歳の時に聖地奪還のため鎧持ちとして師匠と養父と実のお父様と出陣したということ。戦闘で師匠と養父が命を落とし、葬儀を行なったこと。帰国し、母に養父の遺品を渡した時、泣かれたこと。そして母に実父のことを明かされ、養父の優しいが平凡顔を思い浮かべ、国一の美丈夫と言われていた実父の顔を思い浮かべ、ああ、事実なのだなと思ったこと。


 っていうか、美丈夫って美丈夫としての自覚はあるのね。まあ、当たり前か。


「髪の色も、顔立ちも、養父には全く似ていなかった。父上とは髪と目の色も顔立ちも背格好も似ている。噂は耳にしていたが、養父と師匠には大切にされていた記憶しかないので、疑問を抱くのは二人の想いに背くことだと思っていた。今でも二人には感謝しかないし、父のことも誇りに思うのだが、今回の後継の騒動だけは本当に遠慮したい」


  実父は異国の貴族令嬢と結婚したものの、結婚後はほとんど出陣していたので正妻との子はいない。実父の血を受け継いでいるのはフィリップさんだけ。後継は実父の弟か、婚外ではあるものの実子であるフィリップかと勢力が二分される。フィリップさんの叔父様は末弟で母親のお気に入りだった。「にもかかわらず」と言うべきか、「したがって」というべきか、施政者としての厳しい教育を受けることなく、騎士の弟子になるわけでもなく成人したらしい。


「聡明な人だ。後ろ盾が適宜助言すれば特に困るとは思えないのだが」


 正式な婚姻によって生まれた子供が優先されるべきという神殿の聖職者の言い分と、血を受け継ぎ武将としての経験がある者こそ指導者であろうという軍部の言い分が真っ二つにわかれている。貴族はどちらにつくか風見をしている様子がとても悲しいらしい。


 これって、戻らない方が楽じゃないのかなあと思ったのは秘密だ。

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