12月1日(4) ロゼッタストーンと空想獣ワイバーン
2話同時更新の2話目です。
4号室は古代エジプトの部屋だ。
「先ほどの部屋とは随分と趣が違うのだな」
「2号室aは個人の邸宅などにあったものを収集して博物館に譲ったものです。こちらは神殿にあったものですから大きさが違いますよね。時代も場所も違います。あちらはイエス・キリストを信じている国の商人が500年前に作らせたものです。こちらは二、三千年前の、太陽などいろいろなものを神としていたエジブトという国の国王が作らせたものが多いです」
「なぜ異国のものがこんなにたくさんあるのだ?」
大英帝国略奪展示場の話をここでしなければならないのか。
「あれは何だ?人だかりができている」
「ロゼッタストーンです。石に古代の文字が掘ってあります。その時のエジブトには文字が何種類かあって、神官が使う文字と、普通の人が使う一般的な文字と、法律に使われるギリシアという異国の文字がありました。この三種類の文字で、同じことを三回書いているのです」
「大切なことだから三回言ったのか?」
「大切と言えば大切でしょうか。『プトレマイオス5世は王で、ちゃんと王で神だからみんな言うことを聞いて信じるように』という内容です」
かなり端折ったけど。
「確かに大切だがよくある文章だろう」
よくあるのか。
「なぜ随分と昔の王のことを書いたよくある文章なのにこんなに人だかりができている?」
「三回書いてあるからです。この石柱が発見されたとき、ギリシア文字を読める人はいたけれども、古代エジブト文字は読めませんでした。ギリシア文字と比較しながら古代エジブト文字を読めるようになって、そこから他の遺跡の古代エジプト語が読めるようになって、古代エジプトのことがいろいろわかるようになりました」
「なるほど。異国の言葉を解読する手がかりになったのだな。異国の者との言葉が互いにわからないと不便でならない。リリカ嬢もこの言葉を生まれながら学んだわけではないのだな? 母語ではない言葉で知的な会話を交わすこともまた高貴な生まれの証であろう」
普通(?)に話していると目立つみたいなので、私は英語で話すようにしている。フィリップさんの言葉は日本語に聞こえるので、私にはなかなか不思議な状況だが、周りの人にはこの方が違和感が少ないようだ。
「この国の言葉が公用語なので、話せる人は多いですよ。フィリップさんも高貴な方として、言葉を幾つか学んだのではありませんか?」
「母の言葉と、育った領地の言葉と、父上の領地の言葉と、公用語を話すことができる。だがここに来てからはどの言葉で話してもおなじように通じて、話した言葉に聞こえる」
言語チート、便利なような、不便なような。
六号室a は古代アッシリアの宮殿や神殿にあった彫刻が展示してある。
「この世界ではこういう生き物がいるのか?」
「実在する生き物ではなく、古代アッシリアの守護獣神です。頭が人間で、体が獅子で、翼があります」
「なるほど。脚が5本あるのか」
「動きを表現するために脚を多く彫ったようですね。いずれにせよ、想像上の生き物です」
「ワイバーンのようなものか」
「そうですね、ドラゴンみたいなものですね」
「何を言う。ドラゴンは実在する生き物だろうが。このあたりにはドラゴンはいないのか?」
そっちの世界にはドラゴンがいるのか。
「こちらは獅子だな」
「古代アッシリアの宮殿や神殿の入り口を悪霊から守っていたとのことです」
「この国にはライオンはいるのか?」
「この国にはいませんが、もう少し暖かいところにはいます」
「そうか。異国では剣闘士とライオンを戦わせることもあったようだが、私の国ではないな。いかんせん、ライオンがいない。父上はライオンと呼ばれていたが」
「勇ましい人だったのですね」
「そうだ。武将だった。女神の生まれ故郷である聖地を奪還しようと何年も戦い続けた。それなりの功績はあったのだが、聖地はいまだに異教徒のものだ。故郷での勢力争いが激化し内政を疎かにしているという批判が高まったたので帰国すると、今度は生地を奪還せず帰国したことを咎められ、心を痛めた。近隣の国と戦になったときは自ら兵を率いたが命を落とした。立派な最後だったそうだ」
「自慢のお父様ですね」
「ああ、父を誇りに思う」
フィリップさんはアッシリアのライオンの彫刻を長い間見つめていた。
考えれば考えるほど気の毒だ。お家騒動に巻き込まれて、命を狙われて、(本人から見れば)異世界転移して、しかも戻る方法がわからない。お父さんにあたる人は偉い人だったみたいだから、元の世界ではそれなりの立場だったのだろうけれども(どこかで聞いた話だなあ)、ここでは言ってみれば不法入国者のホームレスだ。しかるべき筋に出頭したら身柄を拘束される。不法入国者の末路は……強制送還? でもどこへどうやって送還する? となると永遠に英国連邦の入国管理局に無期限拘束?
「どうした、リリカ嬢?」
「あ、次は何を見ようか考えていて。18号室は外せませんよね」
フィリップさんに関する私の不安を口にしたところで、何も生まれない。私たちが楽しくロンドン観光するということは決定事項だ。そしてフィリップさんは英国連邦の外には出られないが、私は明後日パリに行くということも決定事項だ。パリに出発する前に差し当たっての生活のためのお金を受け取るか、一緒に然るべき筋に出頭するかを選んでもらう。そうしよう。
18号室はギリシアのパルテノン神殿にあった彫刻が展示されている。
「この部屋の彫刻は、その、写実的なのだな」
「ギリシアという国の神殿にあった彫刻です。知の女神を祀っていました」
「なるほど、女神は屈強な男を好んだというわけだ。まあ、当然だな。欠けているものが多いのは残念だな」
「二千年年以上前の神殿ですからね」
「おお、ケンタウロスか。ケンタウロスはここにはいるのか?」
「いません」
「そうか。私が見慣れているケンタウロスと違うのかどうか興味があったのだが。もしかして昔はいたとか?」
「昔もいません」
ドラゴンとケンタウロス以外にどんな生き物がいるのだろう。ユニコーンとかいるのかな。あとで聞いてみよう。
西階段を登り、博物館一番人気の展示がある62号室に向かう。
「ここもまたすごい人だかりだな」
「博物館で一番の人だかりかもしれませんね。エジプトのミイラです。当時のエジプトでは死体を丁寧に埋葬すると死後の世界で生き返ると信じていたので、権力者ほど丁重に、豪華な装飾品と埋葬されていました」
「偉人ほど葬儀が豪華なのはどこの世界もおなじだな。美しい棺だ。金箔が貼ってあるのか?」
「そのようですね。女性神官ヘヌトメヒトの棺とあります。相当の権力者だったのですね」
「これは猫だな。動物も埋葬するのか」
「そうですね。猫は神聖な生き物とされていたようです」
「猫が? 神聖? まあ、ネズミを捕るのは役に立つが」
「エジプトでは毒蛇も捕っていたらしいです。陽だまりが好きで、太陽神と結びつけたのかもしれませんね。子沢山なのも、古典的にはめでたいですよね。あと、夜目が効くし、柔らかいし、暖かいし、いい匂いがするし……」
「リリカ嬢は猫が好きなのか?」
「子供の頃飼っていました。フィリップさんは?」
「私が飼っていたというか、馬小屋に住み着いていたな。馬の飼料を狙うネズミを狩っていた」
「働き者の猫ちゃんですね」
「そうか?ネズミを捕ってはいたものの、藁の中や小屋の外の陽だまりで寝ている時間の方が長かったが」
「猫ですからね」
「そうだな。猫だからな」
異世界でも猫は猫らしい。