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12月1日(1) 洗浄魔法とサンドイッチ

同時2話更新の1話目です!

「子供ができたんだ」


 知識も手段も十分あるはずなのに、避妊しなかったのかな、と思った。


「気が緩んだんだ。彼女の優しさが居心地よくて。俺のことをたててくれて」


 私は優しくなかったってこと?たててくれるってどういこと?わざわざたてなくてもあなたの素晴らしさは誰もが知っているはず。


 まあ、婚約中に外で子供つくるあたりはあまりすばらしくないけど。


「守りたくなるんだ。小さくて、健気で」


 小さい?私だって背が低めの普通体型だ。

 健気?婚約している人と寝る女性って健気なのだろうか。

 それとも、あなたが私のことを隠したのだろうか。

 だったらなぜ?


「子供を1人で育てることなんて、彼女には無理だ。父親としてそばにいてやらなければ。李梨花なら1人でも生きていけるだろう?」


 確かに私は人よりも逞しいとよく言われる。仕事にも恵まれ、同年代のたいていの女性、いやたいていの男性よりも経済力がある。

 でもあなただって二人で生きていこうという話に同意してくれたのでは?


 今更そんなこと気にしても、結婚するはずだった相手が他の女性とこどもをつくったという事実は覆らない。


「わかった。確かに私たちは結婚はできないね。子供に罪はないし、父親がいたほうがいいというのはわかる。別れよう。結婚式は中止。入籍もやめる」

「ありがとう」

「その代わり、式場のキャンセル料、新婚旅行のキャンセル料、今回の引越し代金は全額払ってほしい。

「そうか、わかった」


「そこから賃貸マンションの敷金・礼金、新しく買った家電と家具の半額を引いて、精神的苦痛分を上乗せした額が妥当な慰謝料だと思う」


「えっ」


「そんなに変なこと言っていないと思うけど。もし彼女とあのマンションに住みたいんだったら、それでもいいよ。あの不動産屋に行って賃貸契約の名義変更して、家電と家具置いて行くから、慰謝料に加えて私が払った分の契約料と家電と家具のお金を––」


 彼が大きなため息をつく。


「李梨花のそういうところだよ」


 そういうところって、どういうところ、って思った。

 そして、それを聞いても心地よい返事は来ないだろうな、と思った。


「あなたも私もも今すぐ転職というわけにはいかないから、お互い納得できて、周りからもわかりやすい形をとった方がいいと––」


「だから、そういうところだよ」


 浮気をしたのはそっちなのに、偉そうに。平手打ちなどせず、言葉だけで済ませた自分を今でも誇りに思う。

 まあ正直なところ、思考が停止していただけだけど。


 ***


「美しき乙女」

 私は美しくない。

「美しき乙女」

 乙女でもない。

「美しき乙女」

 でも、「そういうところだよ」と言われるよりはかなり心地いいな。


 そんなことを考えながら目を開ける。見慣れた少し面長な日本人男性ではなく、例の美丈夫不審者の顔があった。今に限って言えば婚約破棄されたことが夢で、目覚めたら翡翠色の目に見つめられているということが現実のようだ。選べるのならどちらの夢がましだろうか。


 口の中の嫌な感触から、歯磨きをせずに寝てしまったことに気づく。外はまだ暗く、スマホを見ると時刻は朝の6時だ。そしてバッテリーは20%以下に減っている。そういえば昨日はモバイルバッテリーをとりに戻ったくせに、スマホは充電せず、シャワーも浴びず、歯磨きもせずに寝落ちしてしまったのだ。


 言ってみればこの男のせいで。


「ひとりでファルコンブリッジ村に向かうかもしれないと思っていたのですが」

 できればそうしてほしかったのだが。


「あの扉は何度も再確認したが、村への抜け道はなくなったままだ」

「外出できる服を用意したのだから、自分で出ていくかもしれないと」

 できればそうしてほしかったのだが。


「ここまでしてもらって礼一つ言わずに立ち去るのはエセックス家の騎士として恥になる」

 私は別に構わなかったのですけど。

「あと、村へ行く方法がわからなかった」

 まあ、そうですよね。


 フィリップさんに断って、およそ48時間ぶりのシャワーを浴びた。もちろんバスルームのドアは鍵をかけて。お湯は温かく、水圧は十分だ。備え付けのシャンプーとボディーソープは少し香りがきつい。あとでドラッグストアに寄ってみるのもいいかもしれない。そうだ、フィリップさんだって歯磨きをしていない。送り出す前に歯ブラシを売店で買おう。なんだったら、石鹸とかタオルとかカミソリとか、差し当たって必要な日用品も買ってあげてもいいかもしれない。


「フィリップさんもシャワーどうですか?バスタオル、未使用のありますよ」

「いや、洗浄魔法でいい」


 洗浄魔法?

 フィリップさんがなにかの呪文を唱えると、石鹸の匂いがした。同じ呪文を麻のナイトシャツに唱えると、石鹸の匂いが強くなった。


「べ、便利ですね」


 彼、今、魔法って言ったよね?

 何だか混乱してきた。

 空腹のせいだろうか。


 そうだ、昨日買ったサンドイッチ––


「非常に美味だった。そうか、片方は美しき乙女の分だったのだな。すまない」


「––いいえ、大丈夫です。どっちみち朝ごはん行こうかと思っていたので。下の食堂でビュッフェがあるんです。フィリップさんも行きましょうよ」


 これだけの筋肉量を維持するのにサンドイッチ2個では足りないだろう。


「フィリップさんの街では腹が減っては戦はできぬとは言わないのですか?この国は朝ごはんとお茶が美味しいんですよ」


 この国は朝ごはんとお茶しか美味しくない、とは言わないことにした。

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