12月2日(2) ビッグベンとお姫様ではないだっこ
気合いで更新しちゃいました!
徒歩移動は旅の醍醐味だと思う。街並みや道ゆく人に自分の地元との違いを感じる。地元の古い建物が洋風建築と言っても、その建物はロンドンの街並みのコピー、いや、オマージュだったりする。西洋建築ではなくて、洋風建築なのだ。しかも実物の西洋建築がいつまでもいつまでも続く。ロンドンの人が私の地元を歩いたらなにか面白さを感じるのだろうか。
右手に見張りをしている騎乗の兵士がいる。華やかな赤い隊服と金色に輝くヘルメットからたなびく長いタッセルは近衛騎兵の証だ。
「ホース・ガーズはあとで交代式があるので、それにあわせて戻ってくる予定ですよ」
馬を気にしていたフィリップさんに言うと、顔が少しだけ綻んだ。騎士だけに、馬は好きらしい。
右手にビッグベンがあったので、写真を撮る。時計をちらっとみるとあと2分くらいで9時だ。交差点を右に曲がって近づいてみる。
「リリカが行きたかった寺院はそちらなのか?」
「ちがいます。あの大きな時計はビッグベンと言って、ロンドンの象徴のようなものです」
「ビッグベン?リトルベンはあるのか?」
「うーん、土木工学技師かボクサーにちなんで名付けられたらしいので、リトルベンは人間ですね。で、あの時計、もう直ぐ鳴るのです」
「もうすぐ鳴る?」
「はい、あと1分くらいで」
「なぜわかるのだ?」
「9時になりますから」
通販サイトのポイントで買ったお手頃価格のスマートウォッチを指す。時間は8時59分30秒だ。
「あの大きな時計は正確なのか?」
「週に何回か調整されているので、かなり正確なはずです。振り子にコインを入れて振幅を調整するらしいですよ」
ビッグベンのチャイムがなる。高校時代が懐かしくなるキーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーンの音の後、9時なので9回ゴーン、ゴーンと響き渡る。
「時計を持っていない者も時間がわかって便利だな」
「まあ今時、時計を持っていない人は時計を持ちたくない人ですけどね。ロンドンの象徴ですから、必要よりも伝統です。昔はいろいろと役に立ったでしょうね。時計は高価でしたから」
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「あの像は過去の王か?」
「うーん、近いですね。首相です。70年くらい前の。大きな戦争でこの国を勝利に導いた人ですね。まあ、負けたのは私の国ですけど」
もとの通りに戻ってウェストミンスター寺院を目指している。角にはチャーチル像がある。
「リリカ嬢の国が戦争に負けたのか? リリカ嬢のように聡明な者が多くいるのに?」
「その頃は女性は人間扱いされていませんでしたからね。女性がもっと活躍していれば戦争に––いや、それ以前に戦争をしない道を探したかもしれません」
「で、あの者は王ではないのか?」
「首相です。人々に選挙で選ばれた最高責任者です」
「王が最高責任者なのではないのか」
「王は象徴ですね。実際に物事を決めるのは人々に選挙で選ばれた議員です。議事堂はあっちです。午後だと審議を見学できるんですけど、アフタヌーンティーの予約入れちゃったんですよね」
「王が国の頂点ではないのか?」
「この国は違いますね。私の国でも違います」
「王が国の頂点ではない……」
異世界騎士にとって議会制民主主義はショートパンツと同じくらい刺激が強いようだ。
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ウェストミンスター寺院は実に荘厳な建物だ。
「大きいな。塔がいくつもある。寺院だと言ったな。乙女から生まれたという例の神を祀っているのか?」
「宗派によって違いますが、この教会では神様ですね」
「天井が恐ろしく高いな。造りもすばらしいが、崩れて落ちてきたら痛いではすまなさそうだ。あの窓は昨日の店の窓のように美しいな」
どちらかと言うとパブの窓がゴシック建築のステンドグラスを真似ている感じだと思うけど。
「これは玉座か?」
「戴冠式の椅子ですね。この国は最近新しい王が生まれたので」
「そうか、若返りか。良いことだ。新しい王は何歳だ?」
「えーと、76歳です」
「––そうか。まあ、実際の政治は別の者が行うのだしな。そういえばリリカ嬢の国に王はいるか?」
「天皇がいます。最近上皇が隠居して、新しい天皇になりました。私たちの国では天皇が変わると、元号、年の数え方も変わるのですよ」
「それは何年だかわからなくなるのでは?」
「ここで使っている年と同じ表記もします」
「今は何年だ?」
「2024年で、令和6年です」
「そうか。しばらく続くといいな。今の天皇は何歳だ?」
「64歳です」
「私の国では王になる前に女神の国に召されそうだな。これは過去の王の墓か?ずいぶんと立派だな」
「そうですね。ヘンリー7世のお墓ですから、500年くらい前の王でしょうか」
「これも王の墓か?」
「このお墓はアイザック・ニュートンのお墓だから、王ではありませんね」
「どのような聖人だ?」
「聖人ではなくて科学者です」
「王でもなくてもこのように立派な神殿に墓ができるとは、どのような偉業を成し遂げたのだ?」
ああ、立ち話で運動の法則とか万有引力の法則説明できない。
彫刻の大作のような墓標もあれば、タイルのように寺院の床に埋め込まれた墓石もある。スティーブン・ホーキング博士のお墓もそのひとつだが、万有引力を説明できない私に理論物理学の説明はもっと無理だ。そっと立ち去った。私のように床を眺めて知った名前を確認する観光客もいるが、多くの人は荘厳な天井を眺めながら当たり前のように墓石の上を通る。日本人としてはその感覚が不思議だ。
「フィリップさんは墓石の上を歩くのは気にならないのですか?」
きょとんとした大きな目が私を見下ろす。立ったままお互いの目を見た会話は首が痛くなるかもしれない。主に私が。
「避けるべきだったか?」
「私の国では避けるでしょうね。上から踏みつけるのは死者を冒涜していることになるので」
「直接踏みつけているわけではないし、間に敬う墓標があるので、問題ないと思うが」
そうか、文化の違いなのね。
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綺麗なステンドグラスや墓探しに熱中してしまったら、ウェストミンスター寺院を出るのが予定よりも遅くなってしまった。ホース・ガーズの交代は衛兵の交代よりも見やすくて穴場だというネットの情報を信じて予定に組み込んでみたものの、かなりの人混みだった。
「私、ホース・ガーズをハウス・ガーズと読み間違えて、さすがイギリス国王、自宅を守る兵士がいるのね、とか思ってしまって」
「あ、H-O-R-S-EとH-O-U-S-Eと、RとUを間違えたのですね」
「騎兵が国王陛下の家庭をお守りしているのだから、間違っていないのでは?」
私たちの前にいる日本人観光客と思われる女性グループは本当に楽しそうだ。でも私だって楽しい。ウェストミンスター寺院を楽しみ過ぎて、場所取りを失敗したけど。
定刻に整列した馬が行進してしてくる、と言いたいところだが。
「なんて見事な馬だ! あの脚を見よ! 調教がすばらしい。一頭残らず、まわりの者には見向きもせず、揃った足並みで進んでいる。しかも毛の色まで揃っているだと? 騎士服の色も美しい。あのヘルムの輝きを一目見て敵は尻尾を巻いて––リリカ嬢、見えるか?」
「前の人の背中しか見えません」
フィリップさんは周りの人よりも文字通り頭ひとつ出ているのでよく見えるが、背の低い私は前の人のトレンチコートの色しか見えない。まあ、フィリップさんが楽しそうだから良しとしよう。
「触れても良いか?」
「はい?」
突然、軽々と抱き上げられた。しかも、横抱きではなく縦抱きで。
フィリップさんと同じ目の高さになると視界がまったく変わる。地面が遠くなり、ほどんどの人の頭頂部が見える。そして、ホースガーズの騎乗している兵士の真紅の服も、馬の筋肉も、フィリップさんが喜んでいた輝くヘルメットもよく見える。
よく通る隊長の声に合わせて馬が止まり、進み、ターンし、また進む。
騎乗している兵士と目があったような気がするが、きっと気のせいだ。
ふと、あることが気になる。
「フィリップさん、重くありませんか?」
「師匠の装備よりはだいぶ軽い」
さすがに羽のように軽いとは言ってもらえなかった。




