セックスしないと出られない部屋
「へぇー、ここが『セックスしないと出られない部屋』かぁ。なんか殺風景ですねぇ」
その男は部屋を見回しながら、そう言った。
クリーム色の壁に灰色のカーペット調の床のワンルーム。トイレと風呂は別。当然、ベッドがあり、しかも大きい。横には小さな棚。そこにはコンドームやら何やらが置いてある。テレビはなし。冷蔵庫はある。そして、女は……あり。
「……セックスするためだけの部屋ですからね」
彼女はそう言うと目を伏せた。うん、ありだ。全然というかむしろあり。好みのタイプ。
そう、彼は舐めまわすように女を見つめ、そして言う。
「特化している訳ね……ねえ、お姉さんだったらどうします? こんなところに閉じ込められちゃったらさぁ……」
「さぁ……どうなっちゃうんでしょうね」
ありだ。脈ありかもしれない……!
彼は女の微笑みを受け、そう思った。そしてニヤッと笑い、先程よりも入念に品定め。
唇にかかった髪が最高にいやらしい。体の線がもろに出ているスーツも。ワイシャツから覗く素肌も。メガネも、ああ、全部が良い。いやぁ、部屋を見てみたいと言ってみるもんだなぁ、と彼はゴクリと喉を鳴らし、次いで渇きを覚え冷蔵庫に目を向ける。
「……と、あれ。冷蔵庫、結構でっかいんですねぇ」
「……ええ、食料とか一応、ね」
「おお、本当だ。水とか缶詰とか入ってますね。ん、だけど、はははっまあ確かに。抵抗感あるだろうから閉じ込められて、そうすぐおっぱじめるもんでもないでしょうからねぇ。でも、相手が仕方ないと納得。落ちるまで待つのもまた――」
「一興」
「は、はい! へへ、それにしてもいや、ほんと美人すっねぇ! お姉さんとならいや、へへへ……あ、でもセックスするまで出られないって、その判定は誰がするんですかね? いや、そういうエロ系の創作物があるとは知ってるけど読んだこととかないんで」
「見ている者がおりますので」
「ああ、監視カメラとかっすか、でもなぁ……」
「嫌ですか?」
「うーん、まあ気は進まない、かな……?」
「でも見られながらするのも」
「一興すか? へへへへ、いいっすね……あ、ちなみに隣の部屋もですか?」
「いいえ。隣は当ホテルのお食事、人気メニュートップテンを全て当てないと出られない部屋です」
「おぉ……なんか盛り上がりそうというか、うるさそうっすね」
「完全防音なので気にしなくていいですよ」
「ふーん、でもセックスって言ってもちょっとほら、抜き差しするだけでいいんなら、案外、サッと済ませて出られちゃったりするんですかね」
「……したがる方は『サッと』じゃ済まさないんじゃないでしょうか。あと、したがるのが男性の方だけとは限りませんしね」
女はそう言うと指で彼の背中をツゥーとなぞった。服越しとはいえ、ぞくぞくする感覚。彼は「おほぉ」と声を漏らし、期待に満ちた顔で振り返った。
すると女はクスッと笑って離れ、部屋の中を歩きながら言った。
「それで、どうします?」
「え、と、それは」
「この部屋になさいますか? お泊りになるのは……」
「え、あ、いやぁ、どうしようかな、はははは。いや、興味はありますけど、まず相手がいないしなぁ。ナンパすればいいかもしれないけど……今からかぁ、遅い時間だしなぁ、うーん……ってまあそういう設定なだけで真面目に考えなくてもいいっすかね。はははは……あ、ちなみに隣の部屋、もうひとつのほうは?」
「カラオケで100点取らないと出られない部屋です」
「なんか両隣、バラエティチックっすね……。まあ、この部屋もジャンル的にそうなのかな」
女はまたクスッと笑うと「他にも色々あるので見て行きますか?」と彼に言った。
ここは、こうした『○○しないと出られない部屋』しかないホテル。恐らく、客足に苦労しているのだろう、このように変わった取り組みをしているのだろうと彼は思った。
出張先。手違いで今夜のホテルを取れなかった彼はそれと知らず、何の気なしにこのホテルに入ったのだ。しかし……。
「すみません。やっぱり自分にはもうちょっと普通のとこが……。いや、楽しかったですけどね」
「そうですか……」
「はい、あ、このドア開かないなんてこと……ないっすよね。ははははっ、チッ」
彼と従業員の女は廊下に出てエレベーターに乗った。
その際、先程防音と言っていたのに廊下では嬌声が漏れ聞こえていたので「なんだよ、やっぱ古いホテルだなぁ」と彼はフッと口角を上げた。が……
「え、あの、今」
「はい?」
彼の顔から笑みが消えた。エレベーターが閉まる直前、悲鳴を聞いた気がしたのだ。だが、それはエレベーターの扉が閉まる音だったのかもしれない。外観からして、そう新しくはないホテルだ。廊下や先程の部屋も改装はしているように見えるが、エレベーターは他の部分よりも古い気がする。あちこちに傷や汚れがある。それに、ボタンがどこかアンティーク調というか古めかしい。
そう、ボタン。今、彼が何より気になったのはエレベーターのボタンの数の多さであった。来るときは『セックしないと出られない部屋』があると知って興奮しており気づかなかったが、その数は十、二十、三十……。
「着きましたよ。お降りにならないんですか?」
「あ、はい」
女に促され、彼はエレベーターから降りた。そんなに背の高いホテルだっただろうか……と釈然としない気分のままホテルの出入り口に向かう。探せば他のホテルがあるだろう。妙なところに泊まり、高額請求やあとで会社の連中に揶揄されるのも御免だ。最悪、ネットカフェでもいい。そう考えていた。
「すみませんね。見せて貰っただけで、じゃあ、また今度……え」
そう言い、ドアに手をかけた彼だったが
「え、あれ? あ、開かないみたいなんですけど……え、まさか」
「ええ、当ホテルは条件を満たすまで出ることはできないんですよ」
「え、ええ……そんなオチってあり……?」
と彼は冗談めかして笑い、またドアノブを押すがびくともしない。
女は、まるで高級レストランのメニュー表のような赤い皮張りの冊子を広げ、微笑む。
「さあ、まずはどのお部屋になさいますか? このリストからどうぞ。お選びください」
「……そんな、こんなの監禁……」
「どれになさいますか?」
「あ……いや、じゃあ、セックスしないと出られない部屋で! それも、あなたと一緒にってのは……あり? ははは……」
「……ええ、構いませんよ」
「え、マ、マジか」
と、思わぬ展開続きに彼は少々、錯乱気味であったが小踊りし、女と二人、先程の部屋に戻った。ドアを閉め、ロックされたことを確認するとベッドに向かう。上着を脱ぎつつ、がっついてないと取り繕うように言った。
「で、でもよかったんすか? 俺とで……」
「あなたこそ、他にも色々なお部屋がありましたのに。よく見ておられなかったようで」
「へへへっ。そりゃ、名前にインパクトがありますもん。つい引き寄せられて、はははは。ちなみに他にどんな――」
「十一日間、水のみで耐えしのがないと出られない部屋。
室内にいる虫を食べつくさないと出られない部屋。
一定量の血を、肉を、臓器を差し出さないと、出られない部屋。
一人、生贄を差し出さないと出られない部屋。
最後の一人になるまで出られない部屋。
生涯、このホテルに、あのお方に忠誠を尽くすと心から誓わなければ出られない部屋。
などなど。ふふふっ、この次はどのお部屋になさいますか?」
『まず』どのお部屋にするかっていう意味はまさか……。
彼は女に何も訊ねることができなかった。「これも儀式の一つです」そう呟き、服を脱いだ女の裸を目にした瞬間、その口からは悲鳴しか出せなかったのだ。