犯人は隣人です
ある日のこと。
とある一軒家にて、殺人事件が発生した。
同居人の通報により、警察が到着。
ほどなくして刑事も現場入りし、初動捜査が始まった。
「被害者の遺体はこちらです、刑事殿」
「うむ、ごくろう」
殺人現場は被害者宅のリビング。
被害者はソファーに横たわる形で息絶えていた。
正面から腹部を包丁で一突きされており、辺り一面が血に染まっている。
「この家から無くなったものはなにかあるのか?」
「いえ、同居人の話だとカネもモノも盗られていないようです」
「そうか、それじゃあ強盗というわけではないのか」
刑事は現場をひとしきり見回したあと、見たままを手帳にメモした。
「刑事殿、こちらをご覧いただけますか?」
「ああ、さっきから気にはなっていたんだが……」
現場警官が床の一ヵ所を指差す。
刑事は首をひねる。
そこには、被害者の血で書かれたと思わしき文字があった。
そこにはこう書かれている。
「犯人は隣人です」と。
ダイイングメッセージというやつだろうか。
死にゆく被害者が、最期の力を振り絞ってこれを書いたのか。
もしそうであるならば。
今回の事件は早めにカタがつきそうだ、と刑事は思った。
これだけの凄惨な殺人現場だ。
通りすがりの強盗でないのなら、強い怨恨によるものだろう。
ならば人間関係を洗えば、動機のありそうな人物が出てくるはずだ。
犯人が隣人だというなら、そちらを当たれば手っ取り早い。
まあこれが犯人による捜査撹乱じゃなければの話だが。
「とりあえずは隣人とやらに事情聴取だな。今から向かおう」
「いや、それが……」
警官は困ったように肩をすくめながら、言った。
「この家なのですが……隣の家が二十三軒あるんですよ」
★
★★
★★★
「は?」
原稿を読んでいたキヌちゃんが、真顔でこちらを見た。
夕焼けの差し込む放課後の教室。
その端っこで、私とキヌちゃんは隣り合って椅子に座っていた。
ここ数日の私は、なろう公式企画「春の推理」に投稿するための推理小説を執筆していた。
その冒頭部分が出来上がったので、その原稿をキヌちゃんに読んでもらっていたところだったのだ。
「なにかおかしいところがあった?」
「おかしいところしかないよ! なんなの、隣の家が二十三軒って!! どんな立地だとそんな設定が成立するの!?」
まっとうな指摘が返ってきた。
実を言うと、私もそれについては上手く答えられない。
「春の推理」の今年のお題は「隣人」。
パッと思いつくのは、「何か事件が起こってその犯人が隣人だった」という感じのあらすじである。
そこで私は、隣人の数を極端に増やせば容疑者を増やすことができるのではと思い至った。
だからこその「二十三軒の隣家」という舞台設定である。
問題は、その舞台が映像イメージとして全く頭に浮かばないところだ。
一般的な感覚だと隣家は二軒、せいぜい多くて八軒だろう。
舞台が宇宙空間なのかもしれないし、多次元空間なのかもしれない。
事件現場の家の周辺をたくさんの家が円のように取り囲んでいる。
というのが、とりあえずの私の中の結論になっている。
まあ細かい詳細の描写は、読者の想像にお任せしたい。
「そんなことより、私の小説の感想はどうよ」
「感想が出るほど入り込めなかったよぅ。舞台が全く想像できないし」
「斬新でしょ? これ思いついた時は自分の才能に震えたもん」
「感性が小学生みたいだよ」
「そんなことより」
ばたん、と机を叩いて私は身を乗り出した。
「犯人は誰でしょーかっ? あんたに分かる~?」
「は?」
再びキヌちゃんが呆けた声を出した。
心無しか、苛立ちが見てとれる。
「なんでそんなこと聞くの?」
「だってこれ推理小説だもん。だったら読者が犯人を当てなきゃでしょ」
「いや、でもまだ冒頭までしか読ませてもらえてないよね? 二十三軒の隣家があるという情報以外、完全にノーヒントなんですケド?」
たしかに、冒頭のみの原稿だと情報量は少ない。
ここから犯人を当てるのは、至難の業だろう。
そもそも隣人がテーマなのに、隣人がまだ一人も登場していない。
そんなことは分かっている、が。
「推理小説を読み慣れた読者だったら、冒頭だけでもある程度は展開やトリックの先読みができるってもんよ。知らんけど」
そう言うと、キヌちゃんはむっと黙って原稿を最初から読み直し始めた。
この子は割と読書好きで、「だいたいの物語は冒頭読めばオチが読める」などと日頃から自慢している。
そんな彼女の自尊心に、どうやら火がついたらしい。
だがいろいろと思索しているものの、なかなか答えは出てこないようだ。
「ふっふーん。流石のあんたも、どうやら犯人が『読めない』みたいねー?」
「……なんだか今日のなーみん、めっちゃウザくない?」
「なーみんって呼ぶな。その呼び名は嫌いなんだから」
「くそう。読書ガチ勢を舐めるなよおお!!」
「聞けや」
気合いの籠った声を無駄にあげながら、原稿を何度も読み込むキヌちゃん。
そんなに熱心に読まれると作家冥利に尽きる。
「――二十三軒の隣家、これは伏線? いや、この設定はミスリードなはず。読者が脳内で消化しきれないトリックを持ち込むのはアンフェアだし……まさか隣人全員が犯人なんてギャグみたいな展開はないよね。次にダイイングメッセージだけど、これは本物? 捜査撹乱の可能性は作中で言及されているから、セオリー的には本物……いやでも逆に? うーん、ぶつぶつ……」
「めっちゃ真面目に考察するじゃん」
それからだいたい十分くらい考え込んでいた。
だが、それでも答えは出てこない。
やはりこの子でも難しかったか。
「……やっぱり情報無しはきついよお。ヒントちょうだい!」
「どうしよっかなー」
「じゃあ質問! 二十三っていう数字には意味はあるの?」
「意味と言われても、とくには考えてないけど」
数字に意味はない。
最初のうちは今年の西暦にちなんで二千二十三軒だったのだが、それだと文字数が余計に増えて読みにくいので下方修正しておいた。
「じゃあ次! 犯人は本当に隣人なの?」
「それは間違いないわ。この冒頭でそうじゃなかったら読者も怒るでしょ」
「そうかあ。じゃあ実は刑事が犯人という展開もなさそうだね」
犯人は隣人、それは間違いない。
一応今年の「春の推理」は隣人をテーマにした企画だから。
隣人という要素が謎解き部分に多少は絡む必要があるだろう。
「実は刑事か警官が隣人だったりしない?」
「しないわよ……ちょっとそのネタも考えたけど」
「舞台は現実世界って考えていい? 異世界ファンタジーだったりしない?」
「そうね。現実の話と思って大丈夫よ」
「日本で起きた事件って考えてもいい?」
「別にいいけど……って、質問多くない?」
これじゃあ推理小説の犯人当てというよりも、ウミガメのスープ的な水平思考クイズになっているような気がする。
「日本、かあ。そして、隣人、ねえ。だとすると……?」
キヌちゃんが思考を反芻するようにして小さく呟く。
そして。
彼女は、にんまりと笑った。
「……もしかして、使われているのはあのトリックかな?」
へえ。
閃いたんだ。
私も、挑発するようにして口角をあげて見せる。
「聞かせてみなさいよ。あんたの推理を」
作者からの挑戦状。
それを受け取ったキヌちゃんは、こほんと咳払いをした。
◇◇◇
「まず確認だけど、舞台は日本でいいんだよね」
「別にいいけど、それがなに?」
「じゃあさ。隣人のなかに『米』って漢字が付く苗字の人はいる? 米田とか米原とか、そんな感じの」
「……なにが言いたいのかしら?」
「とぼけちゃって。こりゃ当たりかなあ?」
確信したようにキヌちゃんはこちらを見た。
そして、彼女の推理を口にした。
「冒頭のダイイングメッセージだけど、これはやっぱり偽物だったんだね」
「偽物って言われても、犯人は偽りなく隣人なんだけど?」
「たしかにそうなのかもしれない。でも被害者は本当は『犯人は隣人です』と書きたかったわけじゃなかったんだよ」
自信たっぷりにキヌちゃんの説明が始まる。
「犯人の苗字を仮に米田さんとしようか。そう考えると、ダイイングメッセージにはある可能性が出てくるよね」
「可能性、って?」
「きっと被害者は、『犯人は米田』って書きたかったんだと思う。でも途中で力尽きたんだ。つまり――『犯人は米』まで書いて死んじゃったの」
「ほほう?」
「そしてメッセージに気付いた米田さんは当然焦る。自分の苗字が血文字で残されてたら警察に目を付けられてしまうから。でもすぐに閃くんだ。『隣』という漢字の中に『米』という字が含まれていることにね」
そこまで言うと、キヌちゃんはビシッと人差し指を私に突き付けた。
「だから米田さんはダイイングメッセージを改変して『犯人は米』を『犯人は隣人です』に書き換えたんだよ。そうやってピンチを切り抜けながら、同時に容疑者を二十三軒の隣人たちにまで広げることで捜査を攪乱しようとしたんでしょ?」
「……ふ、ふうん? そう推理したわけね」
「で、どうなの、なーみん? 私の推理は当たってる?」
きらきら目を輝かせるキヌちゃん。
その表情には確信がみなぎっている。
もうちょっと引っぱってもいいが、どうやら潮時のようだった。
数秒ほど間を置いて、私は観念したように両手をあげた。
「よくできました。正解よ」
「よっしゃああああああああああ!!!」
放課後の教室にキヌちゃんの咆哮が轟く。
よっぽどうれしかったのだろう。
「よくこの冒頭だけでそこまで考えつくわよね」
「成績最底辺のなーみん如きが考えつきそうな推理ギミックなんて、そんなに複雑じゃないだろうからね。とんち系の一発ネタだろうなって推理したんだよ」
「……一発ネタで悪かったわね」
散々な言われようだったが、気にはならない。
この子がちゃんと推理を導いたことには、正直少し感心していたから。
「なんか楽しかったなあ。ねえ、なーみん。この小説っていつ書き上がるの?」
「短編にする予定だから、まあ一週間後くらいね」
「完成したらなろうに投稿する前に私に読ませてよ。ばっちり荒探ししてあげるからっ!」
「はいはい、分かった分かった。気が向いたらね」
読書ガチ勢に批評や添削をしてもらえるのはありがたいことだ。
表向きはあしらいつつも、キヌちゃんの申し出を私は内心嬉しく思った。
「それじゃあ私は、家に帰って続きを書くとするわ」
「頑張ってね。期待してるよっ」
すでに陽は暮れかけていた。
私たちは二人並んで帰路についた。
投稿した小説がバズったらどうしよう、なんて夢みたいなことを話しながら。
◆◆◆
その日の夜。
私は自室で、ノートパソコンで推理小説の執筆をしていた。
青白いモニターに、文字が高速で打ち込まれていく。
昨日まではあれだけ停滞していたのに。
今日は面白いように執筆がすいすいと進む。
それはそうだ。
新鮮なネタが提供されたのだから。
それも、素人が推理小説の構成を考える上で最もやっかいであろう「解決編」パートのネタが。
そう。
つまりはそういうことだった。
数日前。
私はなろう公式企画「春の推理」の告知を見て、さっそくネタ出しを始めた。
そしてお題の「隣人」から、「二十三軒の隣家を持つ被害者が登場する殺人事件」という物語設定をひねり出したのだ。
だが。
そこからが進まなかった。
肝心の推理部分をどうするか、犯人はどんな設定にするか。
それらがまったく考えつかなかったのである。
どうしよう。
設定から見直すべきか。
いや、もう冒頭部分を書いちゃったし、これ消すのもったいないよ。
まじでどうしよう。
誰だよ、二十三軒の隣家とかいう作者も持て余すような舞台設定を考えたやつは。
せめて二十三人だったら、まだ現実味があったものを。
行き詰った私は、今流行りの無料チャットAIに助けを求めた。
現代技術の叡智が、小説の続きを考えてくれることを期待して。
だが返ってきた回答は、読む気も失せるような支離滅裂なものばかりだった。
そもそも「二十三軒の隣家」という要素がAIには上手く処理できていないようだった。
質問を重ねるたびにいちいち回答が英語に戻って、そのたびに「日本語で答えろや」と指示するのに疲れた私は、ほどなくしてAIに頼るのを断念した。
そんな感じで悩んだ末、今日の放課後に私はある策を弄した。
自称読書好きのキヌちゃんを挑発して先の展開を考えてもらい、彼女の回答をそのまま小説に採用しようと考えたのだ。
小説に使えるレベルの答えが出てくるかどうかは、正直賭けだった。
そしてご存知の通り、私は賭けに勝った。
あの子は冒頭を読んだだけで、使えそうな推理ギミックを考えてくれたのだ。
読書好きの経験値がAIの集合知を上回った瞬間を垣間見た気がした。
高度なトリックじゃなくてゆるゆるな一発ネタだったけど、むしろそれがいい。
さっくりと読ませる短編小説とは、相性が良いはずだから。
ありがとう、親友。
これで私もようやく、飛べる。
ネタという名の翼を授かった今の私は、このままどこまでも文章を紡いでいけそうな気がした。
こうして私は、作品の完成を目指して執筆に打ち込んでいった。
最高の推理小説が書き上がるという確信。
親友への感謝の気持ち。
それらをないまぜに胸の中に抱きながら。
パソコン画面の中で、新たな作品が産声をあげる音が聞こえた気がした。
完。
☆
☆☆
☆☆☆
「は?」
ここまで原稿を読んでいた私が、真顔でキヌちゃんを睨んだ。
夕焼けの差し込む放課後の教室。
その端っこで、私とキヌちゃんは隣り合って椅子に座っていた。
ここ数日のキヌちゃんは、なろう公式企画である「春の推理」に投稿するための推理小説を執筆していたらしい。
その完成原稿が出来上がったというので、その原稿を半ば無理やり読まされていたところだったのだ。
で、その原稿の中身だが……。
「なにかおかしいところがあった?」
「おかしいところしかねえわ! なんで私を勝手に主人公にしてんのよ!」
彼女の作品の中では、なぜか私が推理小説を執筆するキャラになっていた。
そして作中で小説のネタ切れを起こした私は、親友(作中の表現)をなかば騙す形でネタ出しに参加させ、そのアイディアをパクることに成功する
ラストは作品執筆が無事に進んで、めでたしめでたし。
ざっくりいえば、そんな感じのプロットだった。
これが推理小説なのかどうかは、かなり意見が分かれるのではないかと思う。
推理小説が劇中に登場する短編小説、くらいが関の山だろう。
なお言うまでもないが、私は無断で作品に登場させられている。
まじでふざけんなよ。
「これじゃあなんだか私が、友達を利用して小説のネタ出ししてるズル賢い人間みたいじゃない」
というか、肝心の推理ギミックがガバガバすぎる。
「米」に部首などを書き足して「隣」にするという作中のネタは、実際にやると文字のバランスが明らかに崩れるので警察はすぐに気付くはずだと思う。
「ていうかそもそも名前出さないでよ。あだ名とはいえ、特定されてネットに出回ったりしたら嫌なんだけど?」
「どうせ読む人少ないから大丈夫だよぉ。それに特定云々の話をするなら、SNSに自撮り写真を上げてるなーみんの方が危ないと思うなあ」
「そういう話はしてないし……はあ、もういいわ」
私は小説どころか作文すらまともに書けない。
だからキヌちゃんがこの作品を書き上げるのにどのくらいの労力を費やしたかなんて全く推測もつかない。
だからというわけじゃないけれど、「こんな作品は書き直せ」とは安易には言えなかった。
きっと彼女なりに一生懸命書いたのだろうから。
「もう出来上がっちゃったもんはしょうがない。あんた自身がそれで満足してるなら、投稿でもなんでも好きにすればいいわ」
「わあい! 流石なーみん! ありがとう! さっそく今夜投稿する!」
「その代わり、私のことはもっと美少女っぽく描写しなさいよね」
「うん! 分かった!」
事後承諾を得たキヌちゃんは跳ねあがって喜んだ。
それを横目に、私はやれやれと肩をすくめる。
それにしても。
この子に小説を書く趣味があったとは知らなかった。
投稿されたら、私も読んでコメントでも残してやるか。
「じゃあそろそろ帰るわよ。準備しなさい」
「はーい! ……あ、そうだ」
下校しようと身支度をしていると、キヌちゃんが思い出したように声をあげた。
「ねえ、なーみん。帰り道なんだけど、駅横の洋館に寄ってかない?」
「いきなりなに言い出すのよ。あそこって無人でしょうが」
駅横の洋館。
今は誰も住んでいないはずの、ぼろぼろの建物。
だが夕方になるとその窓に白い服を着た女性が立っている、というのを目撃した人が大勢いるという噂だった。
要するに夏の怪談的なスポットなのだが、あいにくと今の季節は春だ。
一体なんの目的で洋館に行くというのだろうか。
唐突、かつ申し訳程度に出てきた推理要素に私は困惑した。
「肝試しにはまだ早すぎるんじゃない? なんでまた急にそんな」
「いやあ、実はなろう公式企画『夏のホラー』の今年のお題が『帰り道』なんだよねえ! だからなーみんを主役にした恐怖小説を書きたくて……」
いい加減にしろ!!
そう思いつつも、結局は洋館探検に付き合わされる私なのだった。
おあとがよろしいようで。
完。