第1章 第3話 価値観の違い
「はい、どうぞ!」
「……ありがとう」
木々に囲まれた公園の奥で、赤い炎と白い煙が黒の空に溶けていく。こんなちょっと大きなだけの普通の公園で焚火なんてしていいのだろうか。いや絶対に駄目だな。
「おいしいですか?」
「うん……まぁ……普通……」
木の棒に突き刺さった魚にかぶりついてみたが、これが精一杯のお世辞。正直言えばどぶ臭いというか……この魚食べられるものなのだろうか。いや絶対に駄目だな。
「えー、こんなにおいしいのに。まぁ好みですからね。わたしもそこの草苦手ですし。全然気にしないでくださいね!」
「だってそれ野草……」
いや、焚火や魚、野草以前にそもそも厳密に言えばホームレス自体がアウト。ついでに言えば彼女が着ている服だって駅前に行けば警察に通報されるだろう。だが仕方ない。こうしていかないと生きられないのだ。彼女……そして俺のような、ホームレスは。
「えーと……アンちゃん、だっけ?」
「はい! どうしました? えーじくん」
俺たちはまだ自己紹介して焚火の準備をして魚を焼いただけの関係。もっと深掘りしなくてはならない。
「君はどうしてホームレスなの?」
「どうして……? あぁなんか聞いた話によると、赤ちゃんの頃公園に捨てられてたらしいです。それで色んなほーむれすの人にお世話してもらって今に至ります」
「……その割には敬語だよね」
「これ敬語って言うんですか? えーと、丁寧な言葉遣いをするだけでものごい? の成功率アップって話でした。よくわからんです」
「そういえば何歳だっけ?」
「さぁ。そもそもたんじょうび? とかいうのもわからないですし。10歳くらいとかですかね?」
なるほど……ある程度この子のことがわかってきた。つまり生まれてから今までずっとホームレス。故に名前も年齢も適当。ある程度の常識こそあるが、常識的とはとても言えない。会話は成立するが、おそらく前提が噛み合っていない。でもとりあえず言えることは……。
「アンちゃんはホームレスをやめられる。俺が協力するから脱出しよう」
「え? いやですけど」
……まぁそういう返事が来ることはわかりきっていた。でもアンちゃんが思っているより、この状況は危険だ。
「そもそもホームレスがいけないことって認識はある?」
「はい。スーツの人がよく来て話してくれてます。そのたびに引っ越ししなきゃいけないので大変です」
「でもその人だって意地悪で言ってるわけじゃないんだ。家がないっていうのは危険なんだよ。凍死や窃盗、暴行……ええと、危ない目に遭う可能性があるんだ。ましてや君は女の子。しかもかわいい。こう言うのもなんだけど、俺がもし悪人だったら君はその……酷い目に遭う」
「それくらい知ってますよ。でもそれが生き物ってやつでしょう? わたしだっておさかなさんたちを殺して食べてます。もっと強い生き物に食べられちゃうのは仕方ないことです」
「食べられ……! いや……君は人間だ。健康で文化的な生活を送る権利がある。そんな危ないことはしなくていいんだよ」
「じゃあえーじくんはなんでそれをしないんですか?」
「俺は……その、上手くやられたっていうか……」
「じゃあわたしもそれでいいです。別に今のままでも問題ありませんしね。あ、頭食べないならもらっていいですか?」
……わかっていない。この子は何もわかっていない。この人間の世界が、野生の弱肉強食の世界よりもよっぽど危険だということを。だったら仕方ない。失うもののない俺の、唯一の使い道。
「……アン」
「きゃっ!?」
美味しそうに魚の頭をほおばるアンちゃんの手を引き、ブルーシートハウスの段ボールの床へと押し倒す。言ってわからないなら身体でわからせるしかない。
「アン……抵抗するなよ……」
床に倒した彼女に覆いかぶさり、腕を抑える。これはもう痴漢冤罪とは言えないな……。完全に、犯罪だ。
「うれしい……」
「は?」
しかしアンちゃんは目を輝かせて俺の腕を軽々とほどくと、家の端に置かれていた薄汚れた青年誌を手に取った。
「ずっと夢だったんです……文字は読めないんですけどこれ見てると身体がうずうずして……でも結婚しないとやっちゃいけないっていうから一人でまねっこして……でもやっと、きもちいいことできるんですね……!」
そう言って開いたページには、裸の男女が抱き合っている姿が描かれていた。