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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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ライーザの災難・後編

(…くそ…っ!思ったより時間を稼げなかった…!)


 アルデリオは舌打ちしながら、急いでリュシアの街に向かっていた。


 あの高魔力者たちは、自分に一切の興味を示さなかった。

 もとよりユーリの事しか念頭にないのだろう。立ちふさがる自分には目もくれずそのままユーリを追いかけようとする三人を、アルデリオはひたすら引き留めるのに精いっぱいだった。


 逃がし専門のはずが結局やり合う羽目になって、何とか二人は昏倒させたものの残る一人────小柄な男は隙を見てユーリを追いかけて行った。なので急いで街に向かっているのだ。


(…それにしてもあいつら、不気味なほど動きが静かだったな)


 動きが軽やか、という表現ではない。

 文字通り、静かなのだ。走っていても少しも足音がせず、蹴りや剣を振るその動作でさえ不気味なほど空気の流れを感じさせない。それがひどく底気味が悪かった。


 例えるなら隠密行動を生業にしている諜者(ちょうしゃ)か、あるいは暗殺者と言ったところだろうか。

 それゆえに接近戦には不慣れなのだろう。彼らは確かに訓練が施された人種ではあったが、それは暗殺や隠密を前提とした訓練だ。本気で対峙すれば意外と一人で応戦する事が可能だった。その静かすぎる動きに攻撃の先が読めず、何度か苦戦を強いられる場面はあったものの、元々、荒れていた子供時分に養った野生の勘を頼りに何とかかんとかやり過ごすことが出来た。


 初めて自分を蔑んだ最低な親に心底感謝して、アルデリオは建物から建物に飛び移るように最短距離を進みながらリュシアの街の入り口に到着する。


(ユーリは…?)


 周りを見渡したがその姿はない。

 先ほど取り逃がした男の姿も見当たらないところを見ると、とりあえず先に到着はしたようだ。


(あいつよりも先にユーリを見つけないと…!)


 アルデリオはそのまま街に入ってユーリの姿を探す。

 迷路のように入り組んでいる街ではあったが、ゼオンと共に何度もこの街に訪れているアルデリオにはすでに見知った道だ。見渡しやすいように建物の上に登って見渡したものの、ユーリの姿を見受ける事は出来ず、アルデリオは焦燥感に駆られた。


(…くそ…!俺にも神官と同じ感知能力があれば…!)


 砂を噛むように己の不甲斐なさに悪態を()いて、アルデリオは遁甲がある方角に顔を向ける。

 ここで手をこまねいていても仕方がない。もしかしたら上手く遁甲まで逃げ延びたかもしれないし、最悪そうでなくともダスクに助けを求める事はできる。


 アルデリオはそう自分に言い訳をして、すぐさま工房に足を向けた。


**


 なぜ自分が今駆け出しているのか、ユーリシアには判らなかった。

 リースからユーリとアルデリオの事を聞かされて、なぜだか体が思わず動いたのだ。


 八日ぶりのユーリの姿を求めて走り出したわけではない。

 もちろん会いたい気持ちは多分にあったが、この時ばかりは違った。なぜウォーレン邸から二人が出てきたのかも気にはなったが、駆け出した理由とは違うだろう。


 ではなぜ─────?


 リュシアの街に向かいながら自身に問うたその答えをあえて言葉にするなら、『強迫観念に駆られて』と言う言葉が一番妥当だろうか。


 ユーリシアの身の内からしきりに『後を追え』と何かが訴えるのだ。

 それと同時に焦燥感と不安と、恐怖にも似た感情がまるで自分自身を脅迫するように胸の内に広がって、ユーリシアはそれから逃れるようにその言葉に従ったのだ。


「…!」


 リュシアの街の入り口に着いたユーリシアは、何かいつもと違う雰囲気に思わず足を止める。

 周りを軽く見渡しはしたが、特に不審な物はない。それでも妙に落ち着かない何かがユーリシアの心をざわつかせて訝し気に気配を探った。


(…何だろう、この感じ……?)


 いつもはない何かが辺り一面に漂っている感じ。特にこの入り口周辺に色濃く残っているような気がして、ユーリシアは眉根を寄せてその場所へと歩みを進めた。


(…ここに何かがあった…?あるいは……誰かがいた、か)


 その不穏な何かを感じながら、ユーリシアは街の中に視線を移す。

 どうもこの嫌な空気は街の中に続いているらしい。

 ユーリシアは己の直観に素直に従って、その何かを追うように街に入った。


 しばらくその不穏な何かを追うように裏路地を進んだところで、前から見慣れた人物が息を切らして近づいてくるのが視界に入った。


「…ユーリシア殿下…!ようやく見つけました…!」

「リース…!?先に戻れと言っただろう…!」

「そういうわけには参りません…!仮にも一国の皇太子を…!お一人で歩かせるわけにはいかないと申し上げたはずですよ…!」

「…お前も意外と頑固だな」


 自分を追ってずいぶんと体を酷使したのだろう。息も絶え絶えにそう告げるリースに、ユーリシアは呆れたように嘆息を漏らす。


 彼は一応中魔力者だが、その中でもかなり低い方だ。見るからに体力のなさそうな体躯でここまで走り続けたのかと、ユーリシアは苦笑を落とした。いつも淡々としているリースの、その余裕のない様子が妙に面白い。


「…よくここが判ったな。この街は迷路のように入り組んでいるだろう。…迷わなかったか?」

「…迷いに迷いましたよ…!何ですか、この街は…!まるで侵入者を阻んでいるような作り……」

「ような、じゃない。そう作ったのだ」


 ユルングルがそう街を作り替えた。

 この街を侵入者から守る要塞にするために─────。


 だが、とユーリシアは街に視線を向ける。

 この地形を利用する者は、何もリュシアの街の住人だけではない。侵入者もまたこの地形を覚えれば、いくらでも利用できるのだ。


(…この連中もそういった輩だろうか…?)


 心中でそうひとりごちた後、何かを思い出したように声を上げるリースに視線を戻した。


「ああ、そう言えば…!先ほどユーリ殿らしき方をお見受けいたしましたよ。…ただ、どうも様子が……」

「…!どんな様子だ!!」

「…何人かの高魔力者たちを伴っておいででしたが、どうも不穏な様子で……意識を失われた低魔力者がお一人いらっしゃいましたが、まるでその方を盾に取られて渋々求めに応じている感じでした」

「どっちだ!?」

「あ、あちらに────」


 言って、嫌な空気が続いている先をリースは指し示す。

 ユーリシアはそのまま弾かれるように駆け出して、リースはその背に再び嘆息を大きく漏らした。


**


「…!」


 ライーザの魔力を頼りに街を疾走していたダスクは、突如その足を止めて途方に暮れたように渋面を作った。


「…!…ダスクさん?どういたしましたか?」

「…見失いました…!どうやらユーリシア殿下がこの街に入ったようです…」


 ユーリシアの魔力はあまりに大きい。

 彼がいるだけで、その周辺は辺り一面ユーリシアの魔力が漂って、頼りの綱の魔力感知が一切利かなくなる。それは低魔力者の小さな魔力はもちろんのこと、高魔力者の大きな魔力でも例外ではない。太陽が昼間の星の輝きを妨げるように、ユーリシアの魔力もまた太陽のように光り輝いて周辺の魔力の光を感知させなくするのだ。


(…よりによってこんな時に…!)


 内心でそう吐き出すように呟いて、悄然と肩を落とすダスクの腕をダリウスは力強く掴んで、慌てて問いただす。


「…どちらですか…!?最後にライーザ様の魔力を感じたのは、どちらの方角でしたか…!?」

「…!北東の方角ですが……しらみつぶしに調べるつもりですか…!?」

「……いえ、場所なら判ります。…ついてきてください…!」


 言われた方角に顔を向けながら妙に確信を得て断言するダリウスを訝し気に思いながら、ダスクは(いざな)われるがまま再び駆け出した。


**


「先生……!ユーリは…!ユーリは来ていますか…!!」


 工房に入るや否やそう叫んだものの、呼びかけた相手はおらず代わりに己の主がソファでぐったりと横になっている姿に、アルデリオは目を丸くした。


「……よお、アル。意外と遅かったな……」

「……………何をなさってるんですか?統括………」

「…何って…横になって休んでいるように見えんか…お前には……ケホっ、ゲホッ…!亅

「どうしてまた肺炎をぶり返しているのかって訊いてるんです!!!!また無茶をなさったんですね!!だから離れたくなかったんですよ…!!!!」


 最大限の渋面を作って耳元で怒鳴るアルデリオに、ゼオンは心底面倒くさそうに眉間にしわを寄せた。


「……うるさい、アル。俺は病人だぞ……」

「自覚がおありなら安静になさってくださいよ!!まったく!!!!!」

「……そういうところはシスカにそっくりだな……そんなとこまで似なくていいんだぞ……ゲホッ、ゴホ…っ!」

「そりゃあ先生でなくとも怒りたくもなりますよ!…って、熱が高いじゃないですか!?どうしてこんな寒いところで休まれてるんですか…!?」


 額に置かれたタオルを氷水につけるついでに体温を確かめたアルデリオは、あまりの熱さに目を丸くして再び大声を張り上げるので、ゼオンはたまらず耳を塞いだ。


「……お前は声がでかすぎる……もっと静かに言えんのか……」

「そんなことよりも毛布…!!」


 ゼオンの言葉もそこそこに、アルデリオは工房の中をぐるりと見渡す。

 すぐ近くの開け放たれた扉のその奥に毛布が見えて、アルデリオはすぐさま毛布を手に持つと、そのまま踵を返してゼオンの元に急いだ。


「寒くないですか…?こんなところじゃ悪化する一方ですよ…!部屋に戻りましょう!」


 持ってきた毛布を、すでにゼオンにかけられている毛布に重ねるようにかけながら、アルデリオは怒りの表情から一転、眉根を寄せて不安げな表情を取る。

 こういうところは、どちらかと言うとダリウスに似たか、と心中でひとりごちて、ゼオンは呆れたようにため息を落とした。


「………それよりもユーリがどうしたって……?…シスカに用があるんじゃないのか……?」

「…!」


 そこでようやく自分が何をしに工房へ急いだのか、その目的を思い出してアルデリオは弾かれるように椅子に腰かけたばかりの体を勢いよく立たせた。


「…そうだ……!!!!こんなことしてる場合じゃなかった…!いや…!これも大事な事ですけど…!!!」

「………忙しない奴だな……」

「統括…!!ユーリはここに来ましたか…!!」

「……いや」

「では先生はどこです…!!すぐにユーリを探しに行かないと…!!」

「……あー…放っておけ……シスカとダリウスが万事うまくやってくれる……」

「……?…どういうことです?」


 焦燥感に駆られた心がゼオンの一言で一気に落ち着くのを感じながら、アルデリオはもう一度椅子に腰かけて訝し気な顔を主に向けた。


「…ユルングルの奴がすべて承知済みだ。…倒れる前にでも、ダリウスに細かな指示を出していたんだろう…」

「…!ユルングル様が?」

「…どうせあいつのことだ……アルがユーリを守り切れない事も織り込み済みだろうな……」

「……統括!言い方…!!」

「…事実だろうが……」


 頬を膨らませて毛布の上からバシバシと叩くので、ゼオンは意地悪そうににやりと笑う。

 ひとしきりそうやって不快を表わした後、アルデリオは胸を撫で下ろすように深くため息を落とした。


「…まあ、そういうことなら心配はなさそうですね」

「……なあ、アル」

「はい?」

「……お前はユルングルの先見の明が、俺のように情報から推測して先を読んでいると思うか…?それとも…教皇のように本当に先が見えていると思うか……?」


 その質問の意を取りかねて、アルデリオは小首を傾げる。


 ゼオンはそのどちらなのかを量り兼ねていた。

 普通に考えれば前者だろう。予見できる者がそうそう居てはたまらない。

 元々ユルングルは皇王譲りの────いや、皇王をも凌ぐ勘の良さがあった。加えて天才的なその頭脳も鑑みれば、まるで予見をしているかのような先読みが出来てもおかしくはない。


 だが、とゼオンは思う。

 ユルングルは情報がない状態でも先を読むことがあった。特にここ最近の先読みは予測や推測と言った域をはるかに超えている。これを直感という言葉だけで片付けられるとは到底思えなかった。


「…予見の力を持つ者がそんな簡単に存在したら、教皇の立つ瀬がなくなるでしょうね」


 問われたアルデリオはゼオンと同じ考えを、さもありなんと告げる。


「…だいたい教皇と同じ予見の力があるなら、ユルングル様自身、今回のような大きな発作が起きることも事前に判っていたはずでしょう?…でもその対策は何もしていなかった…教皇と同じ予見の力と言うにはちょっとお粗末すぎません?」


 アルデリオのその言葉に、ゼオンは心中で同意する。


 そう、ユルングルの先読みはその成否が激しかった。

 教皇は全てを見通し、一度予見した事は決して外さないと言われている。その教皇と同じであれば、ユルングルは自身の発作も、そしてシスカが隠れ家を出る事さえ予見していたはずだ。だが、その様子はなかった。


「…つまり、見える事と見えない事があるということか……」

「…教皇のように全てが見えているわけではないという事ですか?だとしたら不便ですよねえ。結果が見えてもそこに至る道は自分で模索しなきゃならないんですから」

「…!模索……!」


 何気なく口にしたアルデリオの言葉が、ゼオンの胸の内にすとんと落ちて妙に馴染むその感覚にゼオンは目を瞬いた。


 そう、まさに模索しているのだろう。

 自分の望む未来に進むよう、手探りをしながら一つ一つ確実に進んでいる────そんな感じだろうか。


(…だから指示が曖昧なんだな……)


 ダリウスは言った。『ダスクが不穏を感じたらライーザを迎えに行け』と。

 もっと明確に未来が見えているのなら、いつどこに向かえと指示をすればいいのだ。それができないのは、ユルングルが見えている未来は一つではない、ということだろうか。


(…だとすれば、あいつの精神への負担は想像をはるかに超えるだろうな……)


 そう内心で嘆息を漏らして、ゼオンはもう一つ、気がかりがある事を思い起こす。


 ユルングルの予見の力は、教皇の命の灯が小さくなるにつれて大きくなっているように感じた。

 まるで同じ獅子である教皇からユルングルに、その力が受け継がれているかのように。


 だとすれば教皇が亡くなった時、ユルングルの予見の力はどう変化するのだろうか。

 好転するのか、あるいは─────。


 ゼオンはその先を考える事が躊躇われて、思議を閉ざすように瞼を閉じた。


**


「……ユーリ……?」


 ゆっくりと戻った意識に今にも泣きそうなユーリの顔が真っ先に入って来て、ライーザは呟くように名前を呼ぶ。

 カーテンの隙間から見える空を見る限りまだ日は高い。自分が意識を失っていたのはほんのわずかな時間だろう。


「…っ!」

「ライーザさん…!!」


 倒れていた体を何とか起こしたと同時に、ひどい頭痛が襲ってきて、ライーザは思わず眉根を寄せる。鼓動に合わせて疼く痛みが、吐き気と同時に生きている実感を与えてくれているようで、ライーザはたまらず安堵のため息を()いた。


「………ここは、どこだ……?」


 その質問に、ユーリは悄然と(かぶり)を振った。


 ライーザはぐるりと部屋の中を見渡してみる。

 薄暗い部屋ではあったが、カーテンからわずかに零れる日の光で部屋の中がよく見えた。

 どこかの廃墟か、あるいは物置にでも使われている一室だろうか。木箱や割れて欠けた花瓶、錆がひどくて開かなくなったであろう鉄製の工具入れなど、ごみと言ってもいい物が所狭しと置かれている。

 ライーザとユーリがいるのはそんな一室のほんの少し開けた場所だった。


 辺りを窺うように部屋を見渡すライーザに、ユーリは小さく声をかけた。


「……申し訳ありません…ライーザさん……私の所為で…!私を庇って、怪我までして……!!」


 やはり泣きそうな顔でそう謝罪されて、ライーザはたまらなく落ち着かない気分に陥った。


 最初の頃は気づかなかったが、今こうやってユーリの顔を間近で見るようになって、この顔が一体誰を模して作られたのかがようやくライーザにも判るようになった。

 この顔は、出会った頃のユルングルを彷彿とさせる。

 その顔でこんな表情をしてこんなことを言われると、気持ちが悪い事この上ない。中身がミルリミナだと判っていても、背筋にぞわぞわと悪寒が走って仕方がないのだ。


 ライーザは思わず耳を塞ごうと腕を動かしたところで、ようやく後ろ手に縛られている事に気づいた。


「…!…ユーリも縛られているのか?」

「……はい」


 見れば足も同じく縛られている。自由に体を動かすことは許してくれないらしい。

 ライーザはその状態で壁を使って何とか立ち上がると、軽く跳ねながら窓に近づいてカーテンを軽く開いた。

 どうやらどこかの二階に監禁されているのだろう。窓から見える景色から何となくリュシアの街の北東辺りだという事は見当がついたが、正確な位置は判らなかった。


(…まあ、判ったところで伝える術もないけどな……)


 そう内心でひとりごちたところで人の気配を感じて、ライーザは慌てて開いたカーテンを閉じて窓から離れた所に座り込んだ。


「…何だ、もう目が覚めたのか」


 扉を開くと同時に、そうつまらなさそうに呟いたのは他でもない自分を殴ったあの大男だ。他にユーリを捕まえた目つきの悪い男と小柄な男、そして寡黙そうな無表情の男が続いて部屋に入ってくる。いずれも高魔力者だ。


「…はっ!見た目に反して案外力がないんじゃねえの?」

「…!この…っ!低魔力者が図に乗るなよ…!!!」


 ライーザの挑発に大男は盛大に顔をしかめて、持っていた短剣を大きく振りかぶる。そのままライーザに向けて剣を振り下ろした大男は、だが突然ライーザを庇うように覆いかぶさるユーリの姿を見止めて思わず体が強張った。


「…!ばか…!!!!ユーリ……!!!!!!!」

「…っ!」


 大男は振り下ろされた短剣の勢いを何とか殺そうとしたものの、あまりに突然のことで上手くいかず、それでも何とか軌道を変えてユーリの額をかすめる程度に留める。

 剣がかすめたユーリの額はそれでも大きく切られ、頬を伝ってポタポタと血が流れ落ちた。


「おい…!!ユーリ…!大丈夫かっ!?」

「…大丈夫です…少し切っただけですから……」


 流れ落ちる血も気に留めず、ユーリは穏やかに笑う。


「ばかやろう…!そのガキは殺すなと言われてるんだぞ…!!」

「す…すまねえ……」

「そっちの男だけ別の部屋に移せ…!!」


 その言葉にユーリは再びライーザの前に体を寄せた。


「…私が死んだら都合が悪いのでしょう…!!彼に何かすれば私は迷わず自害します…!!」

「…調子に乗るなよ。手荒なことはしてもいいと言われてるんだ。動けないくらいに痛めつけてもいいんだぞ?」

「では、してみなさい…!私に触れれば、あなた方もただではすみませんよ…!!」


 相手は高魔力者だ。きっと聖女の魔力を奪う力が発動する。


 そう思ってはみたものの、先ほど街の入り口で目つきの悪い男に腕を掴まれた時もやはり力が発動しなかった事を、ユーリは内心で懸念していた。

 皇王やユーリシアの時もそうだが、ここ最近は聖女の力が発動する気配がない。

 できればここで発動していくれれば、と思う反面、発動すれば彼らの命はないに等しい。


 そんな複雑な心境を押し隠すようにユーリは彼らに虚勢を張って見せた。そんなユーリを見下ろしながら、男は嘲笑するように鼻で笑い飛ばす。


「…はっ!ただではすまない?何を言うかと思えば…」

「おい!ユーリ…!!無茶をするな!!!!こんな奴ら縛られていても俺が何とかしてやるって…!」


 言いながら、ライーザは前にいるユーリの体を肩で押しのけて、二人の間に割って入る。

 本当ならもっと見栄え良くユーリを守るように前に立ちふさがりたかったが、いかんせんユーリもライーザも手と足を縛られている状態で立つ事さえままならない。

 それでもあえて挑発するように大口を叩いたのは、考えがあったからだ。


 その挑発に乗ったのは、ライーザの思惑通り大男だった。


「…何…!?」

「特に一人は図体がでかいだけで大したことなさそうだしな」

「…!!!こいつ……っ!!!!」


 怒り心頭に発した大男は、怒りに我を忘れて再び短剣を大きく振りかぶる。そのまま勢いに任せて短剣を振り下ろす大男を確認したライーザは、ユーリに小さく「今度は邪魔するなよ」と告げて、足の力だけで飛び跳ねその勢いで後方に体を半回転させた。


 それは見事なほど、絶妙なタイミングだった。

 まるで申し合わせたように、大男が振り下ろした短剣が半回転した事で突如目の前に現れた、後ろ手に縛られたライーザの腕の縄を綺麗に切り落としたのだ。


「やり…!!助かったよ、おっさん…!」

「この…!!」

「…!おい、よせ…!!」


 仲間の制止する声も聞かず、大男は怒りに任せて三度(みたび)短剣を振り下ろす。その軌道を再び読んで、ライーザは飛び跳ねると同時に腰を丸め膝を折った。まるで吸い込まれるように大男の短剣が足の縄を切ったことを確認すると、ライーザはそのまま勢いに任せて後方に回転し、着地と同時に鉄製の工具入れを思い切り横に振って大男の顎に見事命中させる。


 そのまま大きな体躯が横殴りに倒れるのを見届けることなく、ライーザはすかさず大男の手から離れた短剣を取ってユーリの腕と足を縛ってある縄を切った。


「…さあ、これで自由に─────」


 なったぞ、と言い終える前に、ユーリは自由になったその足ですぐさま花瓶を窓に投げつける。


「ライーザさん…!窓から逃げましょう…!!!」


 その豪胆な行動に、ライーザのみならず高魔力者三人も同じく目を丸くして一瞬呆けた。


(…ミルリミナって見た目に反して、やる事結構豪快だよな……)


 それも男顔負けの、である。


 内心で苦笑を落としながら窓に向かうライーザとユーリを見て取って、一瞬呆けていた男たちもすぐさま窓に向かって駆ける。あと少しで窓に届く────そう安堵したユーリの腕を掴んで、後ろから首を強く腕で絞めたのは、やはり街でユーリを捕えた目つきの悪い男だった。


「ユーリ…!!!!」

「……く…っ!」

「残念だったな。あと少しだったのに」

「────いや、そんなことはない」


 にやりと笑った男の耳に聞き慣れない声が降って来て、たまらず目を瞬いた。

 いや、おそらく瞬く暇さえなかっただろう。

 その声が男の耳に届いた直後、窓から誰とも知れぬ強烈な蹴りが、男の顔を直撃したのだ。


「…よく頑張った、ユーリ」


 まるで突風が吹いたように背後で空気が駆け抜けた後、ユーリは強い光と共に窓に現れた人物を仰いだ。

 その聞き慣れた、穏やかだが凛としてよく通る声と、日の光を浴びて星のように輝く、銀色の髪─────。


「…あとは私に任せろ」

「…ユーリシアさん……!!!」


 窓から現れたその人物が一体誰であるか、彼らはすぐに理解した。

 この世で銀の髪を持つ者は、一人しかいない。


「…皇太子……!!?どうしてここに………っ!!!!」

「…まだやり合うか?私と」


 言って、ユーリシアは腰に下げた紺碧の剣に軽く手を伸ばす。その表情にはあからさまに怒気が現れていた。

 その顔に、彼らは軽く後ずさる。


 どう見ても、勝てる相手ではない。

 この世で彼を超える魔力量を持つ者は存在しないのだ。

 皇太子が現れた時点で、どう転んでも任務が達成されることは決してないに等しい。


 逡巡する彼らを威嚇するように、ユーリシアはゆっくりと柄に手を添えた。


「!?くそ…っ!ひとまず引くぞ……!!」


 どちらからともなくそう叫んで、残された二人は足早に部屋を出ようと扉に手をかける。だがその瞬間、扉ごと貫いた強烈な蹴りが顔を直撃して、たまらず前にいた小柄な男はそのまま昏倒し、もう一人はすぐさま後ろ手に腕を羽交い絞めにされて床に押し付けられた。


「…殿下に先を越されましたね」

「…ダスクさん、すぐにお二人の治療を」


 蹴りを繰り出した青銀髪の男は安堵したようにため息を落として、男を捕えた金髪の男は共に頭から血を流すライーザとユーリを視界に入れ盛大に顔をしかめた。


「…ダリウス、もうその手を離しても構いませんよ。彼はもう亡くなっています」

「…!」


 二人のもとに向かいながら、ダスクは視界の端でダリウスを捉えて静かに告げる。

 その言葉に驚いて慌てて捕縛する手を緩めたダリウスは、男の首元に手を当てて苦虫を噛み潰したような表情を取った。


「………亡くなっております」

「…!まさか他の連中もか…!?」


 ユーリシアもまた自身が倒した男の首に手を当ててみたが、同じく脈が触れることはなかった。


「…任務に失敗すると、敵に捕縛される事よりも死を選ぶ。彼らの常套手段です。……ユーリ、傷を見せてください」


 淡々とそう告げて、ダスクはユーリの元に歩み寄り額の傷に軽く手を添える。

 ユーリシアもすぐさまユーリの元に駆け寄って二人を見守った。


「…ユーリの怪我は大丈夫なのか…!」


 額からポタポタと血が流れ落ちる様が、嫌に痛々しい。

 たまらずそう声を荒げたが、しばらく傷を診ていたダスクは人心地ついたように息を一つ落とした。


「…ええ、出血は多いですが傷自体はそれほど深くありません。傷跡も残らないでしょう」

「…!…そうか……!!」


 心底安堵したようにため息を落とすユーリシアに、ユーリは助けに来てくれた事に面映ゆさと嬉しさを感じつつ、軽く小首を傾げた。


「…ユーリシアさん、どうしてここに…?」

「…何か妙な胸騒ぎがしたのだ。嫌な空気を追ってこの周辺まで来たのだが、正確な場所が判らなくてな。途方に暮れていたら突然花瓶が飛んできた」

「…!?」

「ああ、これはきっとユーリが暴れているのだろうと思ったら案の定だ」

「…!あ、暴れていたわけでは…!い、いえ…!多少は荒っぽい事もしましたがそれは逃げるためで……っ!!」

「冗談だ」


 バツが悪そうに必死に言い訳をするユーリを見止めて、ユーリシアはくすくすと笑いを落とす。

 ユーリの応急手当てをしながら、そんな二人を微笑ましそうに見ているダスクとダリウスの耳に、遠慮がちなライーザの声が入って来たのはそんな時だった。


「…おーい。和んでるとこ悪いですけど、俺の治療もしてもしてもらえると助かるんですけどね…」

「…!申し訳ありません…!ライーザ様…っ!!」

「…ああ、すみません……すっかり失念してしまいました」


 その場にへたり込んだままのライーザに、苦笑を漏らしながら二人は慌てて駆け寄った事は言うまでもない。



 とりあえず二人の簡単な応急処置だけを済ませて安全な遁甲の中に入った一行は、そのまま診療所に入ってユーリとライーザの処置を続けた。


 その処置中、ライーザはユーリシアの腰に下げた剣を視界に留めていた。


「…!…どうした?ライーザ。…私の剣が気になるのか?」


 ライーザの視線に気づいて、ユーリシアは怪訝そうに問いかける。


「……見せてもらってもいいですか?皇太子さんの剣」

「…?別に構わないが」


 言って小首を傾げながらも、ユーリシアは腰から下げている剣を取ってライーザに手渡した。


「…剣を抜いても?」


 頷くユーリシアを待ってから、ライーザはおもむろに剣を抜く。しばらく剣を眺めていたライーザは、ややあって口を開いた。


「…ああ、やっぱり…。あの時は暗くて確信が持てなかったけど、ユルンと同じ剣だ」

「…!…あの時……?いや…それより、ユルンも同じ剣を持っているのか?」

「知らないんですか?」


 その問いかけには(かぶり)を振った。


 ユーリシアがユルングルの剣を見たのは二度。

 一度目はキリの店で剣を突き付けられた時。この時は突然リュシテアの首領と対峙してしまった事と自分の正体を悟られないように気を張っていた所為で、ユルングルの剣を確認する余裕などなかった。

 二度目は聖女に体を乗っ取られていた時。この時もやはり記憶が曖昧で所々覚えてはいるものの、ユルングルの剣など見る余裕はなかった。


 それ以降はユルングルの剣を見た覚えはない。

 半月ほど同じ隠れ家で生活してはいたが彼は基本剣を携えてはいなかったし、ユルングルの部屋にも何度か訪れたが、見た覚えはなかった。彼が故意に見せないように隠していたのか、あるいは視界に入ってはいたが気づかなかったのか。いずれにせよ、ユーリシアには初耳だった。


「…以前、ユルンと皇太子さんが兄弟だって知ったのは皇王様に聞いたからって言いましたよね?」

「……ああ」

「…あれ、嘘なんですよ」

「…!……嘘?」

「…本当は一度目に皇宮に忍び込んだ時に、そうじゃないかって思ったんです」

「……何をしに、皇宮に忍び込んだのだ…?」


 その問いにライーザは軽く間をおいて、おもむろにユーリシアに視線を向けた。


「皇太子さんの剣を奪いに」

「…!」

「それは…ユルングル様のご指示なのですか…?」


 そう問うたのはダリウスだ。目を瞬いているところを見ると、ダリウスにとっても寝耳に水だったのだろう。


「あいつの指示でもなけりゃ、皇宮になんて忍び込んだりしませんよ」


 そう苦笑を落とすライーザに、ユーリシアは静かに問いかける。


「……ユルンは、私の剣を奪って何をするつもりだったのだ…?」


 ユルングルがまだ、自分に対して憎しみを抱いていた頃の話だ。

 それが判ってはいても、否が応にもユルングルにとって自分が憎しみの対象であったことをまざまざと突き付けられるようで、胸が疼いて仕方がない。


 軽く渋面を取るユーリシアを見止めて、ライーザは慌てて(かぶり)を振った。


「ああ!勘違いしないでくださいね…!ユルンは別に皇太子さんの剣を壊すとかそんな事考えてたわけじゃないんで…!確認したらすぐ返すって言ってましたし…!」

「…?確認…?何をだ?」

「……俺もそう聞いたんですけどね。その時はあいつ、教えてくれなかったんですよ。…でも部屋に忍び込んで、皇太子さんの剣がユルンと同じ剣だと気付いた時、何となくあいつが何をしたかったのか判ったんですよね。…ああ、あいつ、弟が使っている剣が何なのか知りたかったんだって」


 ユルングルの剣が実の父親から贈られたものだという事を、ライーザは知っていた。

 貴族の生まれだという事は判っていたが、それでも身なりも質素だったユルングルには不釣り合いなほど高価そうな剣を怪訝に思って訊ねたことがあった。その時に皮肉たっぷりにそう教えてもらった事を覚えている。


 ユーリシアの部屋でユルングルと同じ剣を見つけて、ライーザは二人が兄弟であることを悟った。

 だからこそ、弟が使っている剣が気になったのだろう。

 実の父親からの最初で最後の贈り物である剣。その剣が、捨てられた自分とは違って皇太子として安穏と暮らす弟の剣の上をいくのか、それとも下回るのか。ユルングルはきっと、それを知りたかったのだ。


 それで親からの愛情を推し量ろうとしたのかは定かではないが、おそらく弟の剣が自分の剣よりもいい物だと判れば、あいつはさらに憎しみを強くしただろう。


 なら、同じ物であれば─────?


 その答えが、ライーザには判らなかった。

 剣は同じものだが、その鞘の装飾は皇太子である弟の方が遥かに出来はいい。それをユルングルはどう捉えるのか、ライーザには判断ができなかったのだ。


「…あいつは減らず口ばっかり叩くけど、いつも寂しそうだったんですよ。…もうこれ以上さ、余計なこと知ってわざわざ自分から傷つかなくてもいいだろうって…」


 そう思って、ライーザはユーリシアの剣を奪うことを止めたのだ。皇太子に見つかりそうになって奪えなかったと嘘をついて────。


 それを告げたときのユルングルは、今思えば怪訝そうにしながらもどこか安堵したような表情だったと、ライーザは思う。


「…………それなのに、あいつは…!!!!!」

「…?」

「俺がそうやって気遣ってやったことも知らないで、こんな危険な任務押し付けやがって…!!!!!もう絶っっ対あいつに気なんか使ってやらねえ……っ!!!!!!」


 目一杯、怒りを込めるように握りこぶしを作って処置室のベッドに座りながら怒声をあげるライーザを、皆憐れむように苦笑しながら見つめる。せっかく途中まではいい話だったのに、これでは余韻も残さぬほど台無しだろう。


 ユーリの処置を終えたダリウスは、申し訳なさそうにライーザに歩み寄った。


「…申し訳ございません、ライーザ様。ご無理をさせてしまいました……」

「…!いえいえ…!なんでダリウスさんが謝るんですか…!?謝るのはユルンですよ!!ってか謝っても足りないですよ!!俺、怪我したんですよ!!!殴ってやらないと割に合わないです……!!!!!」

「……どうぞお手柔らかにお願いいたしますね…」


 内心ひやひやしながらそう告げて、ダリウスは困ったように微笑みながら言葉を続けた。


「…ユルングル様はライーザ様をとても信頼しております」

「…!…そんなはずないですよ」

「いえ、今回の件もライーザ様以外では決してユーリを助ける事は出来ないだろうとおっしゃられておりました。ライーザ様だけが、上手く立ち回れるのだと」

「…!……あいつが…?…本当にそう言ったんですか?」


 怪訝そうに問うライーザに、ダリウスは笑みを落としながら頷く。


 これは嘘ではない。ユルングルは確かにそう告げた。これを成功させることが出来るのはライーザだけだと。それ以外の者であればユーリは攫われ、ひいては皇王とユーリシアの命も潰える事になる─────と。


 それは信頼と言うよりも未来が見えるユルングルの確信と言った方が近いのだが、自分の素性が知れるともしれない状況で皇太子の剣を他でもないライーザに盗りに行くよう指示を出している時点で、彼を信頼している事は明白だろうか。


「…ああ。それと、ユルングル様からライーザ様宛てにご伝言がございます」

「…俺に?」

「任務が終われば伝えるようにとのご指示ですが、私にはどういった意味があるのかが判らず…言えばライーザ様にはご理解いただけると」


 そう前置きをして、ダリウスは告げる。


「『演技が出来てなんぼだろう』────と」

「…!」


 その瞬間ライーザの脳裏に浮かんだのは、頼みごとをする時に決まって見せるユルングルの殊勝な態度────。


「……!!!!!!!もう絶っっっっ対!!!!!あいつからの頼み事は聞かねえからなっっっっ!!!!!」


 診療所の中を、ライーザの怒声が虚しく響き渡る。

 そのライーザの怒りの声が四階で眠るユルングルの耳に入ったかどうかは、定かではない。

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