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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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ライーザの災難・中編

「いきなりの訪問で申し訳ない。本来ならもっと早くに伝えるべきだったのだが、公務が忙しくて何とかリースに時間を作ってもらったのだ」


 そう言った相手が屋敷の玄関先で心底申し訳なさそうにしているのは、ウォーレン邸の面々がいかにも急場しのぎで急いで準備したような疲れ果てた様相を呈していたからだろうか。


 先触れがあってから程なくして皇太子ユーリシアが訪問してきて、まだ屋敷の中にいたユーリとアルデリオは大いに焦った。とりあえずウォーレン公夫妻が玄関先でユーリシアを迎えている間に屋敷の裏から出て庭先を回り、彼らが屋敷の中に入ったのを見届けて正門からこっそり屋敷を出る算段を付けたのだった。


「…いえ、滅相もございません…!こうやって足を運んでいただけるだけで身に余る光栄なのです。どうぞお気になさらず」


 ユーリシアが悪いわけではないのに罪悪感を抱かせるのはあまりに申し訳ない。ただでさえ申し訳が立たない状況なのだ。これ以上、失礼があってはいけない、とウォーレン公は気疲れした顔に笑顔をたたえる。


「…あなた、いつまでも殿下をこんなところでお待たせしては失礼だわ」

「ああ、そうだな。ユーリシア殿下、どうぞ中にお入りください」


 そう促されて、ユーリシアは頷きながら屋敷の中に足を踏み入れる。

 そのユーリシアに追従して同じように屋敷に入ったリースは、扉が閉まる直前、正門から出る二人の人影を見たような気がした。


「…ラヴィ殿はどうされたのですか?」


 応接室でティーナが紅茶を卓に置いて退室した事を確認してから、ウォーレン公はそう切り出す。


「ラヴィは体を壊してしまって休養に入ったのだ。しばらくは彼の従兄弟のリースが補佐官代理を務めてくれることになった」

「リース=クラレンスと申します。どうぞお見知りおきを」


 軽くこうべを垂れて挨拶をするリースに、ウォーレン公夫妻も微笑みと共に小さく会釈を返す。


「…長い間音沙汰がなく申し訳なかった。ミルリミナの事は陛下から報告がいっていると聞いたが…?」

「はい、ミルリミナの無事は陛下から伺っております」

「そうか…申し訳なかった。本来ならば私の口から伝えるべきことなのに疎かにしてしまった…。心よりお詫びする」


 言って躊躇いもなく頭を下げるので、ウォーレン公夫妻は恐縮して慌てて頭を上げるように促した。


 皇太子という立場であるにも関わらず、決してその身分に胡坐をかかないその誠実な態度は、いつもながら称賛に値する、とウォーレン公は内心で三嘆さんたんしながら軽く息を落とす。


「…わけあって今はまだこちらに戻る事はできないが、ある人物が彼女を保護している。彼女の無事は私が保証しよう」

「…一つ、お訊ねしてもよろしいですか?」

「…?…ああ、私が答えられる事なら何でも」

「…ユーリシア殿下は、ミルリミナを保護しておられる方をご存じですか?」

「…!」


 思いがけないその質問に、ユーリシアは目を丸くした。


 別にユーリシアを困らせたくて、この質問を投げかけたわけではない。

 ただ、ミルリミナを保護している人物を知っているようなその口ぶりが、ウォーレン公の興味を強く引いたのだ。


 皇太子であるユーリシアが、第一皇子の存在を知っているのだろうか。

 そして彼を知った上で、ユーリシアがその人物をどう評するのか。


 ウォーレン公は、ユーリシアが己の立場で人を不当に評価するような人物ではない事を承知していた。

 だからこそユーリシアの評価が一番、第一皇子の為人ひととなりを的確に捉えているだろう。

 そう思ったのだ。


 ユーリシアは返答に困って口を噤んでいたが、ややあって口を開いた。


「…ああ、知っている」

「その方はどういうお方ですか?娘を託すに値する人物でしょうか?」


 その問いかけには、間髪入れず答える。


「私が陛下と同様に信頼し尊敬する人物だ。彼ほど安心してミルリミナを託せる者はいない」


 強い視線と共にそう明言するユーリシアを視界に入れながら、ウォーレン公は軽く目を瞬いた後、小さく安堵のため息を落とす。


 第一皇子がどういう人物であるか、それはミルリミナやアルデリオの彼に対する態度からある程度は察しがついた。決して悪い人柄ではないし、信頼に値する人物なのだろう。

 それでも彼は第一皇子なのだ。皇太子であるユーリシアと何かしらの確執があってもおかしくはない。


 そんな邪推をしてはみたが、ユーリシアの答えは見事にそれを払拭した。


(…ユーリシア殿下がこれほど信頼を寄せるお方だとは……どうやら私の杞憂だったようだな)


 心中でひとりごちて己の邪推を自嘲するように嘆息を漏らすと、ウォーレン公は視線をユーリシアに戻して柔らかい微笑みを見せる。


「…それを聞いて安心いたしました。どうか、ミルリミナをよろしくお願いいたします」



 ウォーレン邸を辞去しながら、ユーリシアはわずかばかり嘘の報告をしたことに軽く胸が疼いていた。


(…確かにユルンの事は信頼しているが、今ミルリミナが誰とどこにいるのか、私は知らない……)


 一度ユルングルに訊ねた事があった。

 場所を教えてくれとは言わないが、せめて誰といるかだけでも教えてくれと。

 その質問には、こう返答が返ってきた。


『俺がこの世で一番安全だと思える奴に預けた。あいつの傍ならミルリミナが傷つくことは決してないだろう』


 その口ぶりからユルングルが信頼している人物であることは見て取れたが、結局明言を避けられてそれが誰なのかは判らなかった。


(…なのにウォーレン公には嘘をいた)


 かと言って本当のことを告げて、悪戯に不安を煽るわけにもいかないだろう。

 嘘も方便と言うがどうにも罪悪感が疼く、と嘆息を漏らすユーリシアの背に、リースの淡々とした声が降って来たのはそんな時だった。


「…ユーリシア殿下。お訊ねしてもよろしいですか?」

「…!…どうした?リース」

「…私はユーリ殿とアルデリオ殿のご容姿を存じ上げません」

「……?…ああ」

「ですが、何度か噂話程度に耳にした事はございます」

「…?だからどうした?」


 その妙に持って回った言い方に、言いたい事の一割も理解できずユーリシアは小首を傾げながら続きを促す。


「ユーリ殿というのは腰まである黒髪を一つに束ねた、男性と言うには少し小柄な方ですか?」

「…ああ、そうだが?」

「ではアルデリオ殿は淡い水色の髪をされておいでですか?」

「…そうだが……一体何が言いたいんだ?リース」


 故意にもったいぶっているのかと勘ぐってしまうくらい、回りくどいその言い方に業を煮やして、ユーリシアは要点を言えと言わんばかりに眉根を寄せて問いかける。

 そんなユーリシアにも、リースは変わらず淡々とした返答を返した。


「先ほどウォーレン公のお屋敷からお二人が出て来られるのをお見受けいたしました」

「…!」

「彼らが去った方角を踏まえますと、おそらく向かった先はリュシアの街_____」


 リースの言葉を最後まで聞き終わる前に、ユーリシアは思うよりも早く駆け出す。


「…!?ユーリシア殿下…!?どちらに行かれるのです…!?」

「リュシアの街だ!リースは先に戻っていてくれ!」


 言われたが、そういうわけにはいかない。

 リースは慌ててユーリシアの後を追うように駆け出していた。


**


「…やはり失敗してしまいますね……」


 ため息と共に、シスカは悄然と肩を落とす。


 工房に籠ってもう今日で八日目。

 心臓に電気を流すための魔装具の製作が思うようにいかず、シスカとゼオンは途方に暮れていた。


「やはり小さくすると強度が低くなるな……」


 嘆息を漏らしながらそう告げた後、ゼオンは軽く咳き込む。


 魔装具自体の小型化は難なくできたが、その核となる魔力を込める部分がどうしても脆弱になって、そこから一向に開発が進まなかった。


 魔力を込める部分は、基本的に宝石を使用する。

 だがどの宝石を使っても、シスカが魔力を圧縮して宝石に込めた途端に、粉々に散ってしまうのだ。

 小さくした分どうしても強度が足りなくなるのが原因だと判ってはいたが、ならどう対処すればいいのかその対応策がなく、万策尽きた状態がもう五日も続いていた。


「…圧縮する魔力を少し減らしましょう」

「そんな事をすれば…ケホッ!…長くはもたないぞ。一度心臓に入れたらもう取り出せないんだろうが…ゴホっ、ゴホ…っ!…使い物にならなくなるたびに新しい魔装具を心臓に入れるつもりか…!ゲホッ…!」

「…さすがにそれは……。…ではやはりダイヤモンドを使うしか___」

「ダイヤモンドは電気を通さないと言っただろ…ゲホ…っ!ゴホッ!…これには…ゲホッ!…電気を通す物質しか使えない…ゴホっ!ゴホ…っ!」

「ゼオン…!大丈夫ですか…!」


 激しく咳き込むゼオンに慌てて駆け寄って、シスカは背をさする。


 魔装具の製作を始めてから、ゼオンはそのほとんどを工房で過ごした。どれだけ休めと言っても聞かず、おかげである程度まで良くなっていた肺炎はまた悪化して、今も熱があるのにこうして工房に居続けている現状にシスカはたまらず嘆息を漏らした。


「ゼオン、いい加減体を休めてください」

「できるか、そんなこと…!もう作り始めて八日目だぞ…ゲホっ!…一日でも早く…ゴホっ!……一日でも早く…作った方がいいんじゃないのか…?」


 言いたいことは判るが、ゼオンが無茶をしていい言い訳にはならない。

 シスカは半ば呆れたように盛大にため息をつくと、おもむろに声を張り上げた。


「…ダリウス…!ダリウス!こちらに来てください!!」

「…ダスクさん?どうなさいましたか?」


 たまたま工房に足を運んでいたダリウスは、中から自分を呼ぶシスカの声が聞こえて顔を小さく覗かせた。


「ゼオンを今すぐ部屋に連れて行ってください」

「…!勝手な事を言うな、シスカ…!ゴホッ、ゲホッ!」

「どのみち今は行き詰っているんです。ここにいたところでいい案が浮かぶわけでもないのですから、素直に体を休めてください」

「断る…!」

「判らない人ですね…!そんな体調ではいい案も浮かばないと言っているんです!!神官としてこれ以上の無茶は容認できません…!!」

「お前は…ゲホッ!…お前はもう神官じゃないだろうが…!!ゴホ…っ!」

「では貴方の主治医としてです!」

「それも認めた覚えはない…!!ゴホ、ゲホっ!」


 二人の応酬を傍目で見ながら、ダリウスは苦笑と共に呆れたようにため息を落とす。


(…喧嘩するほど仲がいいと言うが…)


 この二人はまさにその典型だろう。

 言えばまたややこしい事になりかねないので思うに留めて、ダリウスは二人を取り持つように間に割って入った。


「…お二人とも落ち着かれてください。焦っておいでなのは判りますが、ここで口論なさっていても完成するわけではないでしょう…!」


 一番ユルングルの体を心配して焦燥感に駆られているであろうダリウスからそう言われて、二人は面目なくバツが悪そうに押し黙る。


「…そちらにソファがありますから、せめて横になって体をお休めください、ゼオン様。…ダスクさんもそれでよろしいですか?」


 そそくさと手際よく準備をしながら二人に視線を寄越すダリウスを見返して、ゼオンとシスカは二人、互いに目を合わせて不承不承と了解の意を示した。



「…まったく。体が辛いなら辛いと素直に言えばいいでしょうに…!」


 ソファに座るや否や、一気に熱が上がって昏倒するように倒れ込んだゼオンに、シスカは眉根を寄せて呆れたように叱責する。ダリウスが気を使って咳が出にくいように大きめのクッションを背に置いてくれたおかげで、咳で呼吸を妨げられる心配はない。


 ゼオンはブツブツと小言を言いながら神官治療を施すシスカを小さく一瞥して、朦朧とする意識の中ひと際億劫そうに口を開いた。


「………うるさい」

「…口が減らないところも相変わらずですね。…寒くはないですか?」


 ダリウスが準備してくれた毛布を肩までかけ、同じくダリウスが準備してくれた氷水にタオルを浸してゼオンの額に置きながら、そう問いかける。もちろんタオルを絞ったのもダリウスだ。片腕しかない自分を気遣って、こちらが何を言うでもなく彼が必要な物をすべて準備してくれるので有難い事この上ない。


 ゼオンはその問いかけに小さく頷き返して、瞼を閉じた。


「…このまま眠ってくれればいいんですけどね」

「……寝ないぞ」

「判っていますよ」


 呆れたように返事を返して、シスカは瞼を閉じたままのゼオンを視界に入れる。

 おそらくこのまま静かにしていればいずれは眠りにつくだろうが、ゼオンの性格上それを迎えるのは彼が極限まで我慢してからだろう。


 ゼオンの体調も思わしくなく、魔装具も完成まではまだ遠い。

 そしてもう一つ、シスカの心に胸騒ぎを起こさせる要因があった。


 シスカは悄然とため息を吐いた後、後ろに控えてゼオンの様子を心配そうに注視しているダリウスを振り返った。


「…ダリウス。街の方で何か異変はありませんでしたか?」

「…!街……ですか?…いえ、特に報告はありませんが……何か気になる事でも?」

「…昨夜から街の入り口辺りに高魔力者が数人たむろっているようです。…あまりいい感じはしませんね」

「…!その近くにライーザ様はいらっしゃいませんか!?」

「…ライーザ…?…ええ、言われてみれば…その入り口近くにいますね……」


 ずっと高魔力者の方ばかりに気を取られていたが、確かに彼らの周りをやけにうろつく小さな魔力があった。ダリウスに言われて、シスカはようやくそれがライーザの魔力だったことに思い至る。


「ですがライーザは確か騎士団に_____」

「ダスクさん!すぐにライーザ様を保護しに行きましょう…!」

「…!ダリウス…!?どうしたんです、一体…!?」


 シスカの言葉をみなまで聞かずに、ダリウスは珍しく声を荒げて駆け出しシスカを促すように振り返る。


「ユルングル様のご指示です…!貴方が何かしらの不穏を察知したら、すぐにライーザ様を迎えに行くようにと…!」

「…!判りました!ゼオンは____」

「すぐにアルデリオが来ます!それまではゼオン様お一人で…!」

「……いいから行け」


 ダリウスの言葉を遮って、ゼオンは二人を追い出すように手を払う。

 もとより荒事になれば自分に出る幕はない。

 危険な事に首を突っ込むつもりはないし、体の疲労を考えるとここでゆっくりする方がまだいい。


(…どうせ何事もなく帰ってくるんだろう)


 ダリウスの口ぶりから、ユルングルが倒れる前に彼に細かな指示を出している事は明白だろう。

 だとすれば、心配するだけ無駄なのだ。


(…眠っていても、思い通りに人を動かすか……あいつは末恐ろしいな……)


 工房を出て行く二人の背にそうひとりごちて、ゼオンは再びゆっくり瞼を閉じた。


**


「…危なかったですね。もう少しでユーリシア殿下と鉢合わせするところでしたよ…」


 息を一つ落として、アルデリオは呟く。

 屋敷から走ってここまで離れたおかげで軽く弾んだ息を整えながら、ユーリもまた頷きを返した。


「…気付かれていなければいいのですけど……」

「…このまま歩いてリュシアの街に向かいますか?ユーリ」


 リュシアの街まではある程度距離が離れている。

 当初の予定ではウォーレン邸から馬車に乗って向かうつもりだったが、今屋敷に戻るわけにもいかないし、かと言って皇宮から馬車を借りる事もはばかられた。


 選択肢が一つに限られている事を承知して、ユーリは苦笑と共に頷く。


「…そうしましょう。気分転換にもなりますし」

「そうですね。……ユーリは皇都を散策した事はあるんですか?」


 歩き始めてすぐ、アルデリオはそう訊ねる。


 普通の令嬢であれば、護衛の騎士などを伴って街を散策する事など日常茶飯事だろう。流行に敏感な彼女たちは、そうやって流行りの物を探したり、逆に流行らせたりするのが好きな生き物だという事をアルデリオは承知していた。


 だが、とアルデリオは隣を歩くユーリを軽く一瞥する。

 彼女はあまりそういった物に興味があるようには見えなかった。

 言っては何だが、少年の姿をして走り回っている方が生き生きしているように見えるし、彼女らしいと思う。


 その質問に、ユーリは少し困惑した顔を見せた。


「…いえ、私は以前は体が弱かったので、ほとんど屋敷から出たことはないのです…」

「…!あ、そうか…!すみません…!!」

「いえ…!気になさらないでください…!…今はこうやって元気に歩き回れるんですから」


 ユーリとして出会ってからこっち、彼女のそういった弱々しい姿を見た事がなかったので、すっかり失念してしまっていたのだろう。

 失言をしてしまったと狼狽して慌てて謝罪をするアルデリオに、ユーリはかぶりを振って、さも些末な事だと言わんばかりに笑顔を見せた。

 その気遣いが好ましい。


「…では今度、皆さんと一緒に散策しませんか?統括はいろんな店を知っていますからきっと楽しいですよ」

「…!本当ですか…!ぜひ!」


 目を見張って破顔するユーリに笑顔を返した後、アルデリオはちらりと後ろに視線を向けた。


 屋敷を出てからずっと後をけてきている人影がある事を、アルデリオは察知していた。

 数は三人。いずれも高魔力者だ。

 自分には全く覚えのない顔だから、標的はおそらくユーリだろうか。


(…これを予測していたから、シーファス陛下は俺をユーリの護衛に付けたのか…?)


 おかしな話だと思ったのだ。

 なぜ自分の家に帰るだけなのに護衛が必要なのか。

 そもそも彼女が狙われる理由が皆目見当がつかない。

 ユーリは警戒してミルリミナの姿を見せなかった。彼女がその姿を解いたのは屋敷に帰ったあの日あの時だけだ。聖女だから狙われているわけではないだろう。


 だとすれば彼らは他ならぬ『ユーリ』を狙っているのだ。

 その理由がなおさら見当がつかなかった。


「……アルデリオさん…?」


 突然黙したまま険しい顔をするアルデリオをいぶかしく思って遠慮がちに声をかけるユーリに、アルデリオは軽く視線を移す。


 自分はそこそこ強いと言う自負はあるが、さすがにユーリを守りながら高魔力者三人の相手となると無理があるだろう。

 そもそも自分は逃がし専門だ。いつもゼオンを逃がすために自分が足止め役として少し遊んでから、頃合いを見て自分も姿をくらますのがアルデリオの常套手段だった。


 今回もそれでいくしかない、と腹を決めて、アルデリオを怪訝そうな顔で見返してくるユーリに、にこりと微笑む。


「…平静を装ってください、ユーリ。屋敷からずっと後を尾けている者がいます」

「…!」


 目を丸くするユーリに、アルデリオは無言のまま口元に人差し指を当てる仕草を見せる。


「…目当てはユーリでしょう。何か思い当たる節は?」


 それには小さくかぶりを振った。


「判りました。…ではあの角を曲がって彼らから姿が見えなくなったら、すぐに走ってください。そのまま振り返らずにリュシアの街までです。…できますか?」

「…アルデリオさんは?」

「彼らを足止めしてから、俺もすぐにリュシアの街に向かいます。…大丈夫、こう見えても俺、結構強いですからね」


 言って、不安げな表情を取るユーリに向けて、アルデリオは大げさに肩をすくめておどけて見せる。

 その気遣いに小さく笑みを返しながらしっかりと頷くユーリを見届けて、アルデリオもまた頷き返した。


「…俺が合図を出したら走り出してください」


 耳元でそう囁くアルデリオの声が、わずかに緊張しているように聞こえるのは気のせいだろうか。

 その緊張が伝染するようにユーリの心音もまた激しく波打ち始め、軽く眩暈も起きる。曲がり角が近づくにつれ冷や汗まで流れてきて、ユーリはざわついた心を落ち着かせるように、小さく深呼吸を繰り返した。


「…大丈夫、リュシアの街に着いて遁甲の中に入ってしまえば奴らは追ってこれません。例え街で捕まってもダスクさんが勘づいて必ず助けに来てくれます。…でも、できれば捕まらずに遁甲まで逃げ切ってくださいね」


 ユーリの不安を取り除くように言ったはずの言葉が、途中から本音が漏れている事にユーリは思わず失笑して、アルデリオに笑顔を向ける。緊張をほぐす、と言う意味では成功だろうか。


「善処します」


 笑みを落としながらそう返すユーリにもう一度頷いて、アルデリオは角を曲がると同時に小声で合図を出しながらユーリの背を押した。


「…走って…!」

「はい…!」


 走り去るユーリの背を確認して、アルデリオは慌てて曲がり角に向かう三人の高魔力者を待ち受ける。


 ユーリに言ったことは嘘ではない。

 きっと街まで着けば、ダスクが異変に気付いて助けてくれるはずだ。

 ただ、一つ憂慮する点があるとすれば、無魔力者であるミルリミナにはダスクが感知すべき魔力がないという事だ。果たしてそれで、ダスクが勘づいてくれるだろうか。


 そんな不安を払拭するように、アルデリオは小さくかぶりを振る。


(…今は先生を信じるしかない)


 今から高魔力者三人の相手をしなければならないのだ。

 余計な事を考えていては、自分が危うい状況になりかねない。


 アルデリオは一切の思議を一旦頭から捨てて、もうすぐ目の前に現れる高魔力者に意識を集中する。

 一分一秒でも、ユーリが遁甲までたどり着くための時間を稼がなければならない。

 そうすれば万事うまくいくのだ。


 アルデリオは立ちふさがるように待ち構えていた自分に驚いて目を丸くする三人に、にやりと笑みをこぼす。


「…ずいぶんと熱烈な視線だな。おかげですぐに気付いたよ。…尾行したいならもう少し冷静になった方がいいな、お兄さん達」


**


(…あー…くそ…っ!一体いつまでこうしてたらいいんだよ…!!)


 リュシアの街の入り口を注視していたライーザは、いつまで経っても好転しない状況に苛立つように内心で悪態をいた。


 もうずいぶん日が高くなったのに、未だ知り合いが街から出てくる気配はなかった。

 元々、ユルングルがリュシアの街だけで完結できるよう街を整備してから、人の出入り自体はずいぶん減ってはいた。だが、全くないという事は異例中の異例だろう。外に働きに出ている者もいるし、リュシアの街で手に入らない物は皇都に出向くしかない。特に店を開いている者たちはどうしたって仕入れ先が外になる。出入りがない、という事は決してないのだ。

 それでも今日に限って人の出入りが全くないのは、他ならぬここにたむろっている高魔力者たちが原因だろう。


 高魔力者は低魔力者であるリュシアの街の住民を攻撃対象にしている者が多い。皆それに怯えて出てこないのだろう。だとすれば、もうそろそろ誰かがダリウスに報告を上げる頃合いだろうが、正直ライーザの精神はもう疲弊しきっていた。


 昨日の夕方からこっち、気が休まる時はなかった。

 常に気を張って、周りを警戒している状態がもう半日以上続いている。


 この状態が永遠に続くような気になって軽く眩暈を覚えたその時、ふと見覚えのある人物が血相を変えて街に向かう姿が見えて、ライーザは目を見張った。


(ユーリ……っ!?)


 ずいぶん長く走って来たのだろうか。

 足がもつれそうになりながら、それでも足を止めずに一目散に向かってくるユーリの姿に、ライーザは激しい焦燥感に駆られた。


 よりにもよって、一番現れてはいけない人物だ。

 自分同様、彼らに狙われている。

 このまま進めば、間違いなく彼らはユーリを捕まえるだろう。


 ライーザは焦燥感に突き動かされるように、身じろぎ一つせず気配を殺して潜んでいた場所から動き始める。

 ずっと同じ体勢を取り続けたからだろう。動くと節々が痛みを伴ってミシミシと音を立てる。固まった関節をそれでも何とか動かして、ライーザは彼らに気取られぬよう走り続けるユーリに近づいた。


 そうして、走るユーリの口を塞いでライーザは勢いよくユーリを茂みに引き込んだ。


「…!?」


 その突然の出来事に、ユーリの心臓は激しく鼓動を刻む。同時に目の前が真っ暗になるのを感じた。


 ____捕まった。もう目の前にリュシアの街が見えていたのに。

 ここで捕まったらダスクは自分に気づいてくれるだろうか。


 そんな考えが脳裏に瞬時に浮かんで、ユーリは考えるよりも早く自分の口を塞いでいるその手に思いっきり噛みついた。


「…い……っっ!!!!ばか…っ!!俺だ、ライーザだ…!!」


 大声を張り上げそうになる衝動を何とか抑えて、ライーザは小声で必死にユーリに訴える。聞き慣れた声と名が耳に入って、ユーリは呆然と自分を捕まえている人物に視線を向けた。


「ライーザさん…!」

「ばかっ、静かにしろ…!!」


 何が何やら訳が判らなかったが、必死の形相でそう叫ぶライーザにつられて、ユーリは慌てて自身の口を手で塞いで、身を潜めるように体を小さくした。


「…一体何がどうなっているのですか…?」


 困惑したように小声でそう訴えるユーリに、ライーザは無言のまま顔で街の入り口を指し示した。


「…見えるか?高魔力者が数人たむろってる」

「…はい。……彼らは?」

「俺を捕まえに来た奴らだ。ついでにユーリの事も狙ってる。…いや、俺の方がついでか?」

「…!どうして私を…?先ほども屋敷からずっと尾けてきた高魔力者がいました。アルデリオさんの話では私を狙っていると…」

「俺もよく判んねえよ。首謀者はデリック=フェリシアーナだ。ユーリをラヴィの代わりにするとか何とか言ってた」

「…ラヴィ様の代わり?…どうしてデリック殿下がそんな事……」


 要領を得ない、と言った顔を向けるユーリに、ライーザは面倒くさそうにため息を落とす。


「だから俺に聞くなって。こうなったのも全部____」


 そこまで言ったところで、ライーザは再び己の失態に気づいた。


 今までずっと一人でいた事で張り詰めていた緊張と警戒が、ユーリという仲間ができた事でつい緩んでしまったのだろう。異変に気付いて近づく彼らの存在を失念して、ユーリの背後にまで来ることを許してしまった。


 視界に入ったユーリの後ろで大きく剣を振りかぶる大男の姿に、ライーザは目を見開いた。


「ユーリ…っっっ!!!!!!」


 ユーリを庇うように覆いかぶさった瞬間、男の剣が勢いよく降り降ろされて、ライーザは柄の部分で頭を力強く殴られる。

 頭に強い衝撃が走って、ライーザは為す術もなくその場にくずおれた。


「ライーザさん……っっっ!!!!!!」


 倒れるライーザに駆け寄ろうとするユーリを、別の男がすかさず後ろ手に腕を交差させ羽交い締めにして取り押さえる。


「……っ!」

「手間が省けたな。ネズミを見つけたら本命まで釣れたぞ」


 後ろで嘲笑する男をユーリは振り返りざまにめつけた。


「何てことを…!ライーザさんは関係ないでしょう!彼は解放してください…!」

「馬鹿なことを言うな。こいつを捕まえるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。妙に察しがよくて、いつもあと少しのところで何度も逃げられたんだ」

「ようやくこうやって顔を拝められたんだ。散々弄んでくれた礼をたっぷりしないとな」


 にやりと笑って、大男は倒れているライーザの髪を乱暴に掴んで頭を上げさせた。


「…っ!」

「ライーザさん…っ!!!」


 そのユーリの叫び声を、ライーザは虚ろになる意識の中、何とか耳に入れる。

 頭部への強い衝撃で、軽い脳震盪を起こしているのだろう。強い目眩がまるで脳が揺れているように感じて、ひどく気分が悪い。


「……ユー…リ……!」

「…ここじゃ人目がつく。とりあえずあの空き家に連れて行くぞ」

「離してください…!ライーザさん…っ!」


 男のその言葉と叫び続けるユーリの自分を呼ぶその声を最後に、ライーザの意識は完全に途絶えた。


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