デリックの謀略
「レオリア様……レオリア様?」
「…!」
カルリナの呼び声に、レオリアはようやく自分が上の空になっていた事に気づいて慌てて我に返る。
昨日ライーザからユルングルが自分を守るために動いていると聞かされて、その事ばかりが否応なく思考を支配した。
しばらく考えた後、以前、自分を守る事が獅子であるユルングルの使命だと聞かされたことを思い出して得心がいったが、正直本当にユルングルが自分を守るために動いてくれるとは思っていなかったユーリシアは、それを告げた時のユルングルの複雑そうな表情が胸を突いて仕方がなかった。
あの時ユルングルは『それが運命なら不承不承と受け入れるしかない』と言った。
『兄弟だからこそ、受け入れることもできるはずだ』と____。
そう言って、殺したいほど憎んだ相手を今度は使命だからと守る立場になった己の皮肉な運命を自嘲するように笑っていた。
その時のユルングルの顔が、頭をもたげて仕方がない。
皇王である父を救う事が自分を守る事に繋がるのだろうが、どちらにせよユルングルにとっては本来望まぬことだろう。それが彼の使命とは言え、それを強いる事になってしまった事が申し訳なく、今のユルングルに余計な心痛を与えている事実が、憎い。
できればユルングルの力を借りずに自分で対処したいと一晩中考えたものの、ユルングルと違ってこれから起こる出来事が何かも判らず、どうしようもない現状にユーリシアは頭を抱えた。
おかげで皇太子の公務にも支障をきたしてしまった事に心底呆れかえって、ユーリシアはたまらず嘆息を漏らす。
「…すまない、カルリナ」
「長旅でお疲れなのではありませんか?よろしければ本日はお休みいただいても構いませんが?」
「いや、そういう事ではないのだ」
レオリアはカルリナの気遣いに慌てて頭を振る。
旅をしていたわけでもないのに、こんなことで休んでいてはあまりに情けない。
「…それよりも私がいない間に、ずいぶんと見違えたものだな」
言って、訓練をする中魔力者を視界に入れる
自分がいない半月ほどの間に、彼らの動きはずいぶんと研ぎ澄まされたようだった。剣を振るその一つ一つの動作すべてに、剣先からつま先まで一片の漏れもなく神経が行き届いているように見える。
その見違えた様子に、レオリアは素直に感嘆の息を漏らした。
「カルリナに任せてよかった」
「…恐れ入ります」
己に対する賛美を聞くのが苦手なカルリナは、わずかに現れた面映ゆそうな顔を隠すように、深々と頭を垂れた。そうして、おもむろに訓練をする彼らに視線を移す。
「…今後は彼の存在が、大きな影響を与えてくれるでしょう」
言ってカルリナが視界に捉えたのは、中魔力者の中で同じように訓練に勤しむライーザの姿だった。
こうやって大勢の中にいても、彼の動きはやはりひと際目立って目を引いた。
ユルングルほどの力強さがあるわけではないが、それでもユルングル譲りのその動きは中魔力者の中にあって、よく目立った。これほどの動きが出来るのであれば、高魔力者に立ち合いで勝てても不思議ではないだろう。
難を言えば、体力があまりに少ない事だけだろうか。
(…ユルンは指導者としても優秀なのだな)
ライーザの動きはユルングルの特徴をよく捉えていると告げれば、彼はまた昨日のように苦虫を潰したような渋面を取って、言い訳するように怒鳴るのだろうか。
そんな事を考えて思わずくすりと笑みを落としたレオリアを、カルリナは軽く一瞥する。
「…彼はレオリア様のお知り合いなのですか?」
「……いや、正確には私の兄の友人だ」
「…!…レオリア様には兄君がおられるのですか?」
さも意外そうに目を瞬くカルリナを、レオリアは怪訝そうに視界に入れる。
「…何だ?私に兄がいるのがそれほど不思議か?」
「…いえ、申し訳ございません。決して他意はないのです。…ただ、レオリア様は『弟』と言う感じではございませんので……」
言葉尻を濁しながら告げるカルリナの言葉に、レオリアは何とも複雑そうな表情で苦笑を漏らす。
「…そうだろうな。私自身、兄がいる事をごく最近になって知ったばかりだ」
「…!」
兄がいると知ってからひと月半。だが共に暮らしたのはわずか半月ほどだ。
兄弟としての自覚が生まれるにはあまりにも短い。
それでも、当初兄弟だと言われるたびに違和感を覚え、困惑して弟である事を受け入れ難いと思っていた自分は、今では彼の弟でありたいと願うようになった。
対して、昔から弟の存在を知っていたユルングルは『兄弟だからこそ、受け入れることもできるはずだ』と言ったその口で、数日後『友人にはなりえても今さら兄弟にはなれない』とはっきり断言した。
昨日ライーザは、ユルングルが自分を守る理由を弟だからだと言ったが、そうではない。彼はただ獅子としての使命を果たそうとしているだけで、今でもおそらく自分を弟としては見ていないだろう。
(…どこまで行っても平行線だな、私たち兄弟は)
自嘲するような笑みを一つ落として、レオリアは胸に静かに広がるわずかな寂寥感に気づかないふりをする。
そんなレオリアを見咎めたカルリナは、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「…申し訳ございません。立ち入った事をお聞きいたしました…」
「いや、構わない。気にしないでくれ。…それよりも……覚えのない顔触れが多いな。彼らもライーザと同じ仮入団者か?」
「…!…よく、お判りになりましたね」
「中魔力者の団員の顔は全て覚えた。…逆に見なくなった顔もあるな。コールにゼム、それからジョイナスか。…彼らはどうした?」
事も無げに言い放ったレオリアの言葉に、カルリナはたまらず目を丸くする。
(顔だけでなく名前まで覚えておられるのか……?)
騎士団の約七割は中魔力者で構成されている。
それはフェリシアーナ皇国の人口の約七割が中魔力者で占められている事と、精鋭と言われる近衛騎士団に抜擢されるのが必ず高魔力者の団員であることが大きい。
それゆえに、中魔力者だけでもその数は二百人近い。
それをたった三日の訓練で、顔だけでなく名前まで全て覚えたのだろうか。
確かに詳細な情報を記載した名簿を渡しはしたが、カルリナが覚えている限り今レオリアが名前を挙げた三人は彼と接触は一切なかったはずだ。にもかかわらず、である。
カルリナは内心で驚嘆しながらも、その感情を何とか押し留めて平静を装いながら言葉を続ける。
「…彼らは退団いたしました」
「…確か彼らはまだ仮入団の途中だったな。平民の出だったと記憶しているが?」
(…彼らの詳細な情報まで覚えておいでか……)
そう、ひとりごちながら、レオリアの類まれな才能に冷や汗を流しつつ、カルリナは頷く。
「…我が騎士団は身分に関わらず、広く門戸を開いております。もちろん仮入団するためには、剣術の試験や身元調査も徹底的に行われますが、それを通れば平民でも入団が可能です。ただ彼らの場合、騎士団に入団する事自体が目的ではない場合が多いのです」
「……?それはどういう意味だ?」
「騎士団の仮入団試験に合格した、という証明が欲しいのです」
「…!」
「国に身元と腕っぷしが認められたも同然ですからね。それがあれば用心棒のような職にもありつけますし、信用も得やすい」
「…つまり、箔が付く、というわけか」
レオリアの言葉に、カルリナは頷く。
「同様に貴族も、騎士団に入団したと言う経歴があれば周りから一目置かれます。嫡男であれば爵位を継ぐのと同時に退団する者がほとんどでしょう。…お恥ずかしながら、我が国の騎士団に、国に殉ずる覚悟を持った者はごくわずかなのです」
言って、カルリナは恥じ入るように目線を落とす。
レオリアはそんなカルリナを視界に留めた後、ややあって訓練に励む団員を視界に入れた。
(…これが我が国の騎士団の実情か)
利権に群がった烏合の衆、という表現が一番適しているだろうか。
結束が弱いからこそ、人の出入りがあまりに多い。
(…ライーザが潜入するには、うってつけだったと言うわけか…)
ユルングルはそこを突いたのだ。
この国の皇太子である自分よりも、彼の方が騎士団の内情に詳しいと言わざるを得ないだろう。
(…つくづく情けないな、私は……)
自嘲を含んだ笑みを落としながら、だが、とレオリアはもう一度彼らを視界に入れる。
すべての団員が国に殉ずる覚悟を持っていないわけではない。
逆を言えば、今カルリナが言った条件に合わない人間は、志を持って入団した可能性が高いという事だ。カルリナが準備してくれた名簿を見る限り、その数は多い。
(…悲観している場合ではないな。ユルンに騎士団を掌握しろと言われたのだ)
そのために必要な物は、ただ一つだ。
「カルリナ、騎士団全員分の名簿を用意してくれ」
「…!…高魔力者たちの分もですか?」
「そうだ。それとこれからは、入団者と退団者もその都度、報告を頼む。仮入団者も含めてだ。決して漏れがあってはいけない。…いいな?」
これを完全に把握しなければ、騎士団を掌握する事などできはしないだろう。
意図を得ず目を瞬いていたカルリナは、だがそれでも恭しく頭を垂れて、了承の意を示した。
**
「はあ…疲れた……っ!」
訓練で疲れ果てた体を労うように、ライーザは騎士団員の宿舎にある自室のベッドに倒れ込む。
皇宮内に建てられた宿舎なだけに、ベッドの寝心地は癖になるほど気持ちがいい。これに慣れてしまった自分の体は、今後自分の家にあるベッドでは決して満足できないだろうと、思わず苦笑を落とす。
騎士団に仮入団してから今日で六日目。
当初、三日もあれば十分と思われたユルングルからの仕事は、意外に時間がかかって六日経った今でも成し得ていなかった。おかげでやりたくもない騎士団の訓練に明け暮れる毎日を送っている。
(…結構、厳しいんだよな。あの皇太子さんの指南って)
何度か手合わせをしてもらったが、容赦のないその指南にライーザは心底辟易した。
下手とは言わないが、ユルングルの指南に比べてかなり荒々しいのだ。言っている事も突いてくるところもあまりに的確でぐうの音も出ないが、とにかく荒々しく激しい。おかげで生傷が絶えなくて、体のあちこちが悲鳴を上げているようだった。
(…ユルンの指導もダリウスさんに比べたら厳しいと思ったけど、あの皇太子さんは比ぶべくもないよな……)
再び苦笑を落としながら、ライーザは一度休ませた体を何とか起こす。
自分がここに来たのは、体を鍛えるためではない。
ある人物から、ある物を盗むためだ。
だがその人物は思っていたよりもかなり警戒心が強かった。
一度部屋に侵入することは出来たが、すぐに人の気配を感じて目当ての物が見つかる前に退散することになった。その時に、触れたか触れていないかくらいにしか当たっていない本の位置がほんのわずかズレていた事に違和感を覚えたらしく、以降今まで以上に警戒されるようになった。
おかげでさらにやりにくくなって堪らない。
(…あそこまで警戒心を強めるってことは、やましい事があるってことだよな)
警戒されて以降も何度か部屋に侵入したが、やはり目当ての物は見つからなかった。おそらくその都度、他の者の目に触れぬよう破棄しているのだろう。そこまでの徹底ぶりが、逆にライーザに違和感を抱かせた。
皇王の命が危ういという情報と、徹底的なまでに周りを警戒する人物。
やましい事がある、という事はおそらく一つしかないだろう。
その先に続く言葉を口にもしたくもない、とライーザは力強く頭を振る。
(…俺は何も聞いていないし、何も見てないからなっ!こんなことで死んでたまるか!)
自分はただの一市民だ。しかも虐げられて生きてきた低魔力者なのだ。国のいざこざに巻き込まれて死んだなんて目も当てられない。
(くそ…!ユルンの奴、面倒なこと頼みやがって…!)
内心でユルングルに悪態を吐きつつ、ライーザは不承不承と部屋を後にした。
**
「…シーファス陛下、騎士団に低魔力者を仮入団させたそうですね」
言った男の表情は険しい。
この顔が、この男の本性なのだとシーファスは思う。
「…不満か?デリック」
「不満か?…ですと?…不満でないわけがない…!ここは神聖な皇宮なのですよ!だからこそ今まで官吏にも低魔力者を入れないようにしてきたのです!!それを貴方は軽々しく低魔力者の侵入を許した…!!決して許される事でない事はお判りでしょうな…!!」
皇王の自室にまでやってきて、声を荒げて眉間のしわをこれでもかと増やすデリックを、シーファスは軽く一瞥する。
仮入団六日目にして彼がようやく声を上げてきたのは、すぐに音を上げて騎士団を退団するだろうと思っていた低魔力者が、意外にも粘って残留し続けているからだろう。その現状がたまらなく不快なのだ。
「…お前は相変わらず低魔力者を蔑むのだな。それほど低魔力者は穢らわしいか?」
「当然です!…貴方も以前はそう思っておいでだったでしょうに…!」
「…私は彼らを穢らわしいと思ったことは一度もない」
「ですが無能だとは思われていたでしょう!何もできない体が弱いだけのお荷物だと!!」
「……そうだな。お前にそう教わって、愚かにもそうだと思い込んだ」
「…!」
シーファスは30になるまで低魔力者に出会ったことがなかった。
それは皇王であるシーファスに余計な情報を与えたくなかった官吏やデリックの思惑によるものが大きい。特にシーファスの、有用だと思ったものなら無差別なまでに重用する気性をよく知っていたデリックは、慎重なほどに合わせる人物を制限した。
おそらく才のある低魔力者に出会えば、シーファスは迷いなく登用するだろう。デリックはそれが怖かった。
その思惑通り、30になるまで彼は低魔力者を歯牙にもかけなかった。
思惑が外れ始めたのは、あのラジアート帝国皇弟ゼオンが来訪してからだ。
初めて出会ったその低魔力者は、デリックが言うような無能ではなかった。
確かに体は弱かったが、情報収集能力が高く頭もよく切れた。
そしてその一年後、皇妃ファラリスの腹に宿った低魔力者の皇子が、シーファスの魔力至上主義を完全に捨てる後押しとなる。
今でもその時の喪失感と悔しさを、デリックは昨日のことのように覚えている。
あれほど崇拝した皇王シーファスを、ゼオンと第一皇子に奪われたのだ。あの時の耐え難い気持ちは、到底、筆舌に尽くしがたいだろう。
シーファスは押し黙ったまま切歯扼腕するように拳を握るデリックを視界に入れる。
「…私がなぜそれほどお前を信頼したか判るか?」
「…!」
「お前が、私の恩人だったからだ」
シーファスがまだ皇王になって間もない頃、玉座を狙っていた叔父たちから何度か暗殺を企てられたことがあった。そのどれもが未遂に終わったが、そのうちの一つ、他ならぬデリックの父親が企てた暗殺を阻止したのが、息子のデリックだった。
彼は父親が企てた暗殺を迷うことなくシーファスに報告し、身を挺して皇王を守った。その時の傷は今も彼の腹部に大きく残されているが、思想が違って決別した今でもデリックはこの傷を誉れだと思っている。
この事があってから、シーファスはデリックに頭が上がらなくなった。
低魔力者の事に関して補佐官のデューイから何度か進言されたが、そのどれもに耳を塞いだ。
今にして思えば何とも愚かしい事だとシーファスは自嘲気味に笑みをこぼして、もう一度、今度は強い眼差しをデリックに向ける。
「…私は、お前を失いたくはない」
「…!」
デリックは目を瞬きながらも、興奮していた感情が波を引くように静かになるのを感じた。自分でも驚くほど冷静に、あれほど崇拝し、殺したいと思った皇王の姿を眺めている。
ややあって、デリックはいつもの不自然なまでに作った笑顔をシーファスに向けた。
「…私もです、陛下。ですがきっと、昔には戻れないのでしょう」
その表情と言葉から、シーファスは全てを悟って瞳を閉じる。
動き出した時は、もう二度と止まらないのだ。
決別を告げて辞去するデリックの背に、シーファスは、そうか、と短く返答して、ため息ほど小さな呟きを落とす。
「………残念だ」
**
「…本当によろしいのですね?」
デリックの侍従を務めるラットは、自室に戻った己の主に念を押すように問いかけた。
その侍従の言葉に、デリックはあからさまに眉根を寄せる。
「愚問だ。もう計画は動き始めている。今さら後戻りするつもりはない」
本来なら、第一皇子を殺して終わりのはずだった。
だが一度目の暗殺は失敗に終わった上に、流産したと思われていた第一皇子が皇妹のリアーナの息子として育てられていると知ったのはその五年後だった。
再び暗殺者を仕向けて成功に至ったのだと間違いなく確信したのは、彼の葬儀が行われた時。
ユルンと名付けられた皇位継承権第三位の皇子の遺体を見て、皇妃の面差しを強く受け継いだその容姿に第一皇子であると確信した。
あの時の遺体をどう偽造したのか、今でもデリックは判っていない。
あれは紛うことなき本物の遺体だった。触れてみたがあまりに冷たく、背筋がぞわぞわと何かが這うような嫌な感覚を今でも覚えている。
報告ではその当時兄だったダリウスが今では第一皇子の侍従を務めているそうだが、あの葬儀で見せた彼の同情を誘う憔悴っぷりは見事と言わざるを得ないだろう。あの迫真の演技に見事に騙されて、長い間第一皇子を野放しにしてしまった。
彼が生きていると判ったのは、聖女が誘拐されてその行方を捜すべくユーリシアが低魔力者の街に通っていると知ってからだ。
気まぐれにユーリシアの後を追って低魔力者の街に訪れたが、そこで皇妃の面差しを持った低魔力者を見た。
あの葬儀で棺桶の中にあった、まさにその顔だった。
あの時の感情をどう言えばいいだろうか。
長い間騙され続けた怒りと、暗殺が失敗に終わっていた事への失望感、そしてまるで自分を嘲るように未だ生きている第一皇子の姿が何よりも憎らしかった。
三度、暗殺を画策するも、あの皇子が居を構えている場所は遁甲が張り巡らされていて、手も足も出なかった。
だから計画を変えたのだ。
彼を殺せないのなら、彼が第一皇子でなくなればいい。
そうすれば邪魔な者はすべて一掃されるのだ。
その結果あれほど崇拝した皇王シーファスを失うが、昔の彼に戻る気がないのならもうすでに失ったも同然だろう。
デリックは瞼に焼き付いた、かつてあれほど慕い敬った皇王の姿を振り払うように小さく頭を振って、不安そうな顔で見返してくるラットに視線を戻す。
「そんな顔をするな、ラット。もし計画が失敗すれば私に脅されて協力したと言えばいい。そのための手筈は整えてある」
「ご冗談を。私は最後まで貴方に付き従うと決めたのです」
「…物好きな男だな」
言って、魔力至上主義者ではないラットに笑みを落とす。
以前は事あるごとに、狂信的なまでの魔力至上主義である自分に対して諌める場面が多々あったが、第一皇子暗殺の首謀者が自分であることを告げてからは、それもすっかり鳴りを潜めた。その腹の内は全く窺い知れないが、それでも彼を信用できると思うのは、幼い頃からずっと自分に付き従ってくれていたラットの姿を覚えているからだろう。
デリックはソファに座って、ラットが用意してくれた紅茶に口をつける。
「…そう言えば、ゼオン一行はレオリアを除いて白宮を出たそうだな。どこに行ったか調べはついているか?」
「はい。ゼオン殿とダスク殿は低魔力者の街に向かったそうです。遁甲の中にいるそうで、何をしているのかは判然といたしません。ユーリ殿とアルデリオ殿はウォーレン邸に滞在されているそうです」
「ウォーレン?…あの聖女が宿った無魔力者の娘がいるウォーレン公か?」
怪訝そうにそう訊ねるデリックに、ラットは頷く。
(…あのユーリはウォーレン公とも親交があるのか?)
庭園でユーリと出会ってから、デリックはその存在が気にかかって仕方がなかった。
彼の容姿は、否が応にも第一皇子を彷彿とさせる。
皇妃と血縁があるのならと一時は納得したが、それでも己の中の何かがまるで警告するように、しきりに訴えるのだ。
デリックはこの訴えをどうしても無視することはできなかった。
ラットの報告を受けてしばらく思案するような仕草を見せた後、ややあってからおもむろに口を開く。
「…ユーリ=ペントナーを捕まえろ。多少手荒なことをしてもいい。彼は第一皇子のことについて何か知っているはずだ。たとえ知らなくても、ラヴィ=クラレンスの代わりをさせればいい」
計画遂行にはラヴィの存在が必要不可欠だった。
だが、あの第一皇子同様、遁甲に籠ったまま出てくる気配がない。
それならば、代替品を用意するしかないのだ。
ユーリシアは彼を友人だと言った。
ならばラヴィの代わりを果たすこともできるだろう。
恭しく頭を垂れて承知の意を示したラットに視線を向けたその時、デリックはその視界に再び違和感を覚えて思わず立ち上がった。
「…!どうなさったのですか?デリック様」
「………何か、違和感がないか?」
「…違和感、ですか?」
訝しげにデリックが見つめる先に視線を移す。
数日前にも同じことを言ったデリックは、机の上に置かれている本が少しズレていると断言した。自分にはそれほどの差異があるようには思えなかったが、それでも以降デリックは、部屋に帰ると自室をつぶさに観察して警戒するようになった。
今また、この部屋のどこかに違和感の元凶となるものがあるのだろうか。
デリックはひとしきり机の辺りを見回したあと、おもむろに引き出しを開ける。
「…ネズミが出たようだな」
「…!…何か失くなっている物が?」
「…ただの書き損じの紙だが、何が失くなったかは重要ではない。私の何かを探っている者がいる、と言うことが重要なのだ」
ゆっくりと引き出しを閉めて、何とはなしに外へと視線を向ける。
前の道をまるで逃げるように走り去る低魔力者の姿がそこにあるのは、ただの偶然だろうか。
「………」
「…どうなさいますか?」
その質問は愚問だろう。
返答すべき答えは決まっている。
「見つけ次第、殺せ」




