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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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ユルン=フォーレンスの夢・二編

 森の中央の開けた場所に着いたダリウスは、以前までなかったその家屋を視界に入れた。


 レンガで作られたその家屋は小さいながらも頑丈そうな作りで、深い森の中に建てられたとは思えないほど立派だ。

 煙突が備え付けられているところを見ると暖炉もあるのだろう。これから寒くなる時期ではあったが、しっかりと暖が取れそうな印象に、ダリウスはほっと胸をなでおろす。

 向かって家の右側には、その暖炉で使うであろう大量の薪と、さらにその奥には小さな小屋らしきものも見えたが、細かい確認は今でなくてもいいだろう。


 もう軽く白んできた空を見上げて、ダリウスは寝息を立てて眠るユルンに視線を移した。


(…よく眠っておられる……)


 つい五日前までは弟だったユルン。

 今は唯一無二の己の主だ。


 ダリウスは少し下にずり落ちてきたユルンの体を再び抱き直すように持ち上げた後、これから二人で住むことになる家の扉を開けた。真新しい匂いが真っ先に鼻をくすぐって、何となく気分が高揚する。


 家に入ってすぐに暖炉のある部屋が二人を出迎えてくれた。

 食卓があって、その右端にはソファが向かい合わせに置かれている。その奥には炊事場も見えた。ソファの横に置かれているのは五日前に準備した二人の私物が入った鞄だろうか。


 暖炉のある部屋の左側には、各部屋に繋がる扉が三つ。ダリウスはその扉を見止めると、歩みを進めて部屋を一つ一つ確かめた。

 どの部屋にもベッドと机と箪笥チェストが置かれ、生活に必要なあらゆる備品がすべて揃って、そのどれもが質がいい。全てを確認したわけではないが、おそらくこの家に置いてある全ての物が最高級の物で揃えられているのだろう。それがいかにも、ユルンが第一皇子である事を如実に物語っているようだった。


(…ここはユルングル様のためだけに作られた家なのだろう)


 まるで箱庭のようだと、ダリウスは思う。

 外界から完全に隔離され、ユルンが安全で幸せに暮らせるように作られた、箱庭____。

 庭があって花が植えられ、暖炉があってその前には揺り椅子が置かれている。周りがうっそうと茂った森でなければ、いかにも幸せそうな家族が住んでいそうだ。そう思えるほど、どれもが温かみがあるようで、反面妙に空々しかった。


(…この家を、ユルングル様にとって本当の意味で暖かい家にできるだろうか……)


 ダリウスは心中でそうひとりごちて、胸に抱くユルンの体をそっと抱きしめる。


 そうして、この家で一番日当たりがよく暖かい部屋のベッドにユルンをそっと寝かすと、毛布を掛けて眠るユルンの頬を優しく撫でた。


 フォーレンス邸を出てからダリウスは、ユルンの不安げな顔と無表情しか見ていない。

 確かに人見知りの激しい繊細な子供ではあったが、家族だけで過ごすときユルンは色々な表情をよく見せる感情豊かな子だった。それがあの日以来、ユルンの表情は目に見えて感情を閉ざしたような無機質なものに変わっている。声が出ない事もあって、ダリウスはその事が気がかりで仕方がなかった。


(…声が出るようになれば、また以前のユルングル様にお戻りになるはず……)


 不安ではあったが自分にそう言い聞かせて、ダリウスはユルンを起こさないように静かに部屋を出た。その足で、ダリウスは真っすぐに炊事場へと向かう。


 もうそろそろ朝だ。ユルンの朝食を準備しなければならない。

 特に喉を痛めている所為か、ここ最近はほとんど食事を摂っていなかった。元々病弱で、同年代の子供と比べると一回り小さいユルンだけに、数日まともに食事を摂らないだけでさらに小さくなったような気になった。


(…柔らかいものならお食べになるだろうか……?)


 そう思って軽く周りを見渡したが、肝心の食材が見当たらない。

 そこに至って、ふと家の奥に見えた小屋の存在を思い出す。


(…あれはもしかしたら食糧庫なのかもしれない)


 ダリウスは炊事場の奥に備え付けられた勝手口を開けると、ちょうどその前に建てられた小屋へと足を進ませた。

 その扉を開けると、鼻をくすぐる匂いと共に所狭しと並べられた棚に置かれた、様々な種類の食材がダリウスの視界を奪った。

 野菜や米に果物、そして様々な調味料、それから奥に置かれた大きく頑丈な箱の中には、冷気と共に新鮮な肉や魚まで貯蔵されている。おそらくこの箱は、冷気を出して食材を新鮮な状態で保存できる魔道具なのだろう。


(…こんなものまで……!)


 その量はユルンと二人、ひと月は余裕で暮らせるだけの量があった。

 その至れり尽くせりな状況に、ダリウスは思わず感嘆の息を漏らす。


 ダリウスはとりあえず朝食に必要な食材だけを取ると、そのまま踵を返して炊事場に戻った。

 屋敷に滞在中、とりあえず一通りの家事は教わった。特に料理は毎日ユルンが口にするものだ。下手なものを出すことはできない。練習をする時間はあまりに短かったが、その分屋敷の料理長に様々な料理のレシピを教えてもらって、一言一句漏らさず本に記載して綴っている。


 ダリウスは事前にこの家に運び込まれていた自分の荷物から、そのレシピを綴った本を取り出すと、慣れない手つきで料理を始めたのだった。


**


 ユルンが目を覚ましたのは、空も完全に白んだ頃だった。


 鳥の鳴き声とカーテンの隙間から小さく落ちる木漏れ日に目覚めを促されて、ゆっくりと瞼を開ける。

 そうしてまだ微睡みの中にあった意識は、だがいつも傍にあった温もりがない事に気づいて一瞬のうちに覚醒した。


(…ダリウス兄さま……っ!?)


 慌てて体を起こして周りを見渡すも、あれほど傍にいてくれたはずのダリウスの姿はない。

 気づけばいつの間にか眠りに着いた時とは全く異なる場所にいることに、さらに不安が掻き立てられて、ユルンは恐怖で体が強張るのを自覚した。


 もしかしたら自分は、誰かに捕まってしまったのかもしれない。

 だとすれば、このままここにいれば間違いなく殺される。


 ユルンは振りかざされたナイフの鈍い光を思い出して、恐怖心に体が突き動かされるように慌てて部屋を飛び出した。


「…!……ユルングル様…?」


 声を掛けられて飛び跳ねるように身構えたユルンは、だが炊事場からひょっこりと顔を出す大好きな兄の姿に頭が真っ白になった。


「お起きになられたのですね、ユルングル様。あと少しで朝食ができますから、もう少しお待ちいただけますか?」


 そう声をかけたが、放心状態でこちらをじっと見つめたまま動かないユルンにダリウスはいぶかし気な表情を見せる。ややあって、その目線が自分の絆創膏だらけの手に向けられているように気がして、ダリウスは得心したように頷いた。


「…ああ、慣れないので何度か手を切ってしまって……。でもかすり傷ですからご心配には____!?」


 はにかむようにそこまで言ったところで、急にユルンが駆け出して、しがみつきながら大粒の涙を流すので、ダリウスはたまらず目を丸くした。


「え………え…っ!?ちょ…っ!!ユ、ユルングル様……!?一体どうなさったのですか…!?」


 狼狽しながら、ダリウスは声にならない声を上げるユルンの顔を覗うように、膝をついて目線を合わせる。


 その口調も態度も以前の大好きな兄とはまるで違ったが、それでも自分に向けてくれる優しい目と穏やかな声は何一つ変わってはいない。それがユルンの中の安堵感をひどく刺激して、たまらず溢れ出た涙はダリウスにしばらく抱きかかえられてようやくわずかに落ち着きを取り戻した。


「私がいなくなったと思われたのですね?」


 ソファにユルンを座らせて、未だに流れる涙を手で優しく拭う。その手をぎゅっと握りしめてユルンは小さく頷いた。

 その姿が何ともいじらしく可愛い。仮にも第一皇子に対してそう思ってしまうのは不遜な事だろうか、とダリウスは内心で人知れず和みながらも、怯えたように手にしがみつくユルンに憐憫れんびんの情を向ける。


「…そうですね。私が思慮に欠けておりました。見知らぬ場所でお目覚めになれば不安にもなりましょう。…お目覚めになるまでお傍についていればよろしかったですね」


 申し訳なさそうに告げるダリウスに、ユルンはただかぶりを振った。そのユルンの頭を優しく撫でて、ダリウスは続ける。


「…ここは、私とユルングル様の家です。今後はここで二人、生活をいたします」

(…!……ここで……?ダリウス兄さまと…?)


 声は出ていなかったが唇の動きで何を言っているかを悟って、ダリウスは頷く。

 そうしてソファから下りて膝をついたダリウスは、ようやく涙も止まって落ち着きを取り戻したユルンの顔をわずかに見上げる形を取った。


「…ユルングル様、これだけは覚えておいてください。私は決して、ユルングル様のお傍から離れません。…確かに今後、貴方だけをここに残して私が一人行動する事もございます。ですが私は必ずここに___ユルングル様のお傍に戻ってきます。ですから、私を信じて待っていただけますか?」

(………ぼく…ここで一人で待つの……?)


 不安げな表情を向けるユルンの顔に、ダリウスはそっと手を添える。


「…時々です。それ以外は常にお傍におります」


 怯えさせないように穏やかに言ったが、それでもやはり怖いのだろう。ダリウスの手を握ったまま返答もせず、拒むように目を固くつむるユルンの姿に、ダリウスは困惑したような表情を取った。


(……無理もない。あんなことがあった後では……)


 まだ5歳なのだ。おまけに殺されかけてまだ五日しか経っていない。そんな状況で一人でいろと言うのはあまりに酷な話だろう。

 それでも七日後にはユルンの葬儀に出席しなければならない。そこに他ならぬユルンを伴って行くわけにはいかないのだ。


(……それまでには何とかお一人でいられるようになってくださればいいが…)


 一抹の不安を胸に抱きながら小さく嘆息を漏らした後、ダリウスはおもむろに立ち上がってにこりと微笑む。


「…さあ、お腹がお空きになったでしょう。お食事にいたしましょう」



 お待ちください、と告げたにもかかわらず食事の準備をするダリウスの後ろをついて回る小さなユルンに、ダリウスは苦笑を落としながらも、その愛らしさに自然と顔がほころぶ。


 そうして準備を終えて、いざ椅子に座ろうと食卓を視界に入れた時、ダリウスは大人用の椅子しかない事にようやく気付いた。

 これから大きくなることも見据えて、大人用の椅子だけを用意したのだろう。小柄なユルンでは一人で座れそうもなく、ダリウスはユルンの体を抱きかかえて椅子に座らせる。それでも今度は背が足りずに食卓から何とか顔が覗く程度だったので、部屋から持ってきた大きめのクッションを椅子に敷いてようやく食事が取れる体勢になった。


(これは……ユルングル様専用の椅子をご用意する必要があるな……)


 内心で嘆息を漏らすダリウスを尻目に、ユルンは目の前に並べられた朝食に目を輝かせた。


(……!これ…!ダリウス兄さまが作ったの…!?)


 野菜のスープにきのこと卵のチーズリゾット、それに大好きなアイスまで並べられている。屋敷で食べる料理に比べれば、その見た目は素朴だが、それでも大好きな兄が作ってくれたというだけでどれもたまらなく美味しそうに見えた。


「…まだ喉を傷めておいででしょう?できるだけ柔らかいお食事を作ってみたのですが……これならお召し上がりになれそうですか?」


 その問いかけに、ユルンは大きく首を縦に振る。

 そしておもむろにスプーンに手を伸ばして、リゾットをゆっくりと口に含んだ。


「…お口にあいますか……?」


 不安げに訊ねたのは、これが初めて作った料理だからだ。

 もちろん味見をして大丈夫な事は確かめたが、自分が美味しいと思ってもユルンの口に合うとは限らない。それほど味覚というのは個人差が出やすい場所だという事を、ダリウスは料理長から教わっていた。

 日々の料理の食べ残し等を考慮して味付けを各々で微妙に変えていたと言うのだから、その職人意識には頭が下がる思いだろう。


 ユルンはどちらかと言うと薄味で素朴な味付けを好むと聞いていたので、その通り作ってみたが気に入ってくれただろうか。

 そんな不安が頭をもたげたが、どうやら杞憂だったらしい。一口食べたユルンは恍惚そうな表情でしきりに大きく頷くので、ダリウスは失笑しながらほっと胸を撫で下ろす。


 しばらくそうやって食事を口に運ぶユルンを視界に留めた後、ややあってダリウスはぽつりと呟くように言葉を落とした。


「…ユルングル様、私の事はこれから『ダリウス』とお呼びください」

(……!)


 その言葉に、ユルンは食事の手を止め弾かれるようにダリウスに視線を移す。


(……どうして……?…兄さまと呼んではいけないの……?)

「…私はユルングル様の臣下です。今までは恐れ多くも私の弟というお立場でしたが、今はそうではありません。…私は矮小な身ではありますが、身の程をわきまえるという事を存じ上げております。どうかユルングル様も____」


 そこから先の言葉をどうしても聞きたくはなかったのだろう。ユルンは手に持っていたスプーンを放り投げ、ダリウスの言葉を遮るように力の限り首元にしがみついて必死にかぶりを振った。


(やだ……っ!!!!嫌だ……っっ!!!ぼくはユルングルなんて名前じゃない…!!ダリウス兄さまの弟のユルンだよ……っっ!!!!!)


 必死にそう訴えたが、どこまでダリウスに伝わったかは定かではない。

 それでも言わずにいられなかったのは、唯一の家族までもを失いたくなかったからだ。

 あの日突然、大好きな家族を失った。穏やかで頼りになる父に、優しい母、その上自慢の兄まで失うのが、ユルンはたまらなく耐えられなかったのだ。


 彼らが家族でないのだとすれば、自分の家族は一体どこにいると言うのだろう。

 それとも、もうこの世にはいないのだろうか。

 自分はもう、たった一人きりなのか_____。


 そう思うと、寂しさよりも恐ろしさでいっぱいになった。


 まるで暗殺未遂が起きた時のように体を震わすユルンに気が付いて、ダリウスは困惑したように彼の体を抱きしめる。ややあってから、ダリウスは諦めたように小さくため息を落とした後、穏やかに告げた。


「……そうだね、ユルン」

(……!)


 いつもの兄の口調に変わって、ユルンは涙でいっぱいになった目をダリウスに向ける。


「ユルンには何も説明をしていなかった。これでは納得しろと言う方が無理な話だ。…突然訳も判らず母上と父上と離れ離れになって寂しかっただろう?…すまなかった、ユルン。……少し長くなるけど、聞いてくれるだろうか?ユルンが誰で、私が誰なのかを_____」


 そうしてダリウスは、ユルンを落ち着かせるようにゆっくりと、そしてユルンでも理解できるように努めて判りやすく説明を始めた。


 ユルンが本当はこの国の第一皇子ユルングル=フェリシアーナである事、その第一皇子の命を狙う者が存在する事、それゆえに身分を偽って、皇王の妹である母リアーナの息子として育てられた事、そして今また暗殺者に居場所を知られ、身を隠している事____。


 噛んで含ませるように一つ一つ丁寧に話すダリウスの言葉を、ユルンはただ黙って聞いていた。

 そうしてややあって、ゆっくりと口を開く。


(……ぼくの本当の家族は……?)


 ダリウスが唇を読みやすいように気遣っているのだろう。ゆっくりと、だがしっかりと口にしたユルンの言葉に、ダリウスは一つ頷く。


「ユルンも何度かお会いしたことがあるよ。…覚えているかな?うちにいらした伯父上と伯母上を」


 その返答に導かれるように、ユルンの脳裏に二人の姿が鮮明に浮かぶ。

 怖いくらいの威厳と気品を感じさせながらも穏やかな雰囲気を持つ伯父上と、優しく慈愛に溢れた笑顔を湛える伯母上の姿。そのどちらもダリウスと同じく眩しいくらいの金髪を携えて、そしてなぜかダリウスと同じように愛おしそうな視線を向けてくることにいぶかし気に思ったことを覚えている。


「その方々が、皇王シーファス様と皇妃ファラリス様……ユルンのご両親だ」


 彼らの姿がユルンの記憶にあるのは、たった二度。

 そのどちらも結局一言も会話を交わさなかったが、最後に会った一年ほど前には、彼らの他にもう一人いた事をユルンは記憶していた。


(………赤ちゃん…)


 ぽつりと呟くように落としたユルンの言葉を、ダリウスはすかさず拾う。


「そう、ユルンの弟君だよ」

(……!)


 ダリウスのその言葉に、ユルンは嬉々とした瞳を向けた。


(ぼくに……弟がいるの……?)


 ダリウスもまた微笑ましそうに目を細めて頷く。


「…お名前は、ユーリシア殿下。ユルンの四つ下の弟…第二皇子だ」


 恍惚とした瞳をダリウスに向けながらも、ユルンはその事実が妙に面映ゆかった。

 自分はこの先もずっと、ダリウスの弟だと思っていた。だからこそ甘えていたし、ダリウスも甘えさせてくれた。

 だが本当は、自分は弟ではなく兄なのだ。甘える存在ではなく、ダリウスのように甘えさせてあげる存在にならなければならない。

 ダリウスにとっての自分と同じ存在が、自分にもいる。そう思うとひどく面映ゆく、同時になぜか誇らしい気分になった。


 そしてふと、不安に思う。


(……弟は…ユーリシアは大丈夫なの……?)

「……!」

(ユーリシアは、殺されたりしない……?)


 不安げに問うその質問に、ダリウスは複雑そうな表情を見せた。

 この後に続くであろう言葉が、怖い。

 そう思いながらも、ダリウスはユルンの不安を取り除くように微笑む。


「…大丈夫だ、ユルン。…ユーリシア殿下は殺されたりしない」


 その兄の言葉に安堵しながらも、ユルンは同時に疑問が頭をもたげた。

 では、どうして_____。


(どうして…ぼくは命を狙われているの……?)

「……!」


 思っていた通りの質問が飛んできて、ダリウスは言葉に詰まる。


 首謀者は判明してはいないが、その動機は判っていた。

 ユルンが皇妃のお腹の中に宿った時点で、方々から散々出産する事に対して反対意見が飛び交ったのだ。


 ____『皇族に、低魔力者はいらない』


 一番初めにその無慈悲な言葉を吐いたのは誰だっただろうか。

 官吏や貴族だけでなく、市井の人間まで声高にそう叫んで、産もうとする皇妃を強くなじった。あまつさえ皇妃のお腹の中にいるユルンの暗殺を阻止した事にすら不満を口にして、流産したと聞くや否や、国中が歓喜に沸いたのだ。


 あの時の言いようもない怒りを、どう表現したらいいだろうか。

 再びあの時の感情がふつふつと湧いて自然と渋面を作る兄に、ユルンはぽつりと呟く。


(ぼくが……弱いから……?)

「……!」


 ユルンは時々、驚くほど察しがいい時がある。

 5歳のユルンはまだ低魔力者がなぜ虐げられるのかを理解できていなかった。

 自身が低魔力者である、という事は知っていたが、ユルンが理解しているのはそこまで。それ以上の事はできるだけ見せないようにしてきたし、そもそも虐げられる理由があると思っていない以上、説明をすることもできなかった。


(それでも…薄々勘づいていたのか……)


 肯定する事も否定する事も出来ず、ダリウスはただ眉根を寄せてユルンの頬を軽く撫でる。

 その手に愛おしそうに触れて、ユルンはダリウスの瞳を真っすぐ見つめた。


(ぼくも、ダリウス兄さまみたいな、いい兄さまになれるかな?)


 その言葉に、ダリウスは目を瞬く。


(ぼくは弱いけど…ダリウス兄さまみたいに弟を守れるような兄さまになりたい)


 何でも器用にこなすダリウスは、ユルンの自慢の兄だった。

 文武両道で、いつでも優しく強い兄。困った時は必ず助けに来てくれる兄は、あの暗殺者に殺されかけた時もやはり助けに来てくれた。

 そんな兄に、自分もなれるだろうか。


 国中からいらないと言われて生まれたこの心優しい子は、その事実も知らず国中から祝福を受けて生まれた弟を守りたいと口にする。

 その事実が痛々しく、真実を知った時の彼の心痛を思うといたたまれない。


 ダリウスは何も知らない無垢な瞳を向けるユルンを強く抱きしめて、声を震わせながら告げる。


「……なれるよ。……体は弱いけど…ユルンは心の強い子だから……きっと、いい兄さまになれる……!」


 そう、願わずにはいられなかった。


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