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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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ユルン=フォーレンスの夢・一編

 ユルン=フォーレンスがユルン=フォーレンスでなくなったのは、彼がまだ5歳の頃だった。


 フォーレンス家の領地で隠されるように育てられたユルンは、その日の夜遅く、屋敷に忍び込んだ暗殺者によって今まさに命を奪われる寸前だった。首を絞められ、意識が朦朧とする中、振り上げられたナイフだけが異様な光を放って、ユルンの記憶に強く残留した。


 そうして命の灯が消えかける寸前、それを阻止したのは兄であるダリウスだった。

 それは彼の第六感が何かに刺激されて働いたのか、あるいは死を直前にしてユルンの魔力が何かしらの変化を起こし、その微妙な魔力の揺れを無意識に察したのか。どちらにせよ妙な胸騒ぎを覚えたダリウスは、一目散にユルンの部屋を訪れて、その現場を目撃したのだ。


「ユルン……っ!!!!」


 その時の事を、ダリウスはあまり覚えてはいない。

 覚えているのは、妙な胸騒ぎに突き動かされるようにユルンの部屋に向かった事と、その部屋のベッドで首を絞められ、朦朧とした意識の中ゆっくりと自分に目線だけを向けたユルンの姿。そして、先ほどまでユルンの上でナイフを振りかざしていた男の無惨な死体だけだった。


 なぜ部屋を出るときに剣を持って出たのかも、その剣が暗殺者の胸にどうやって突き立てられたのかも、よく覚えてはいない。ただ血まみれになっている自分の姿から、男を殺したのが自分であるという事だけは強く自覚した。


 ダリウスは、16で初めて人を殺めたのだ。


「ケホッ、ケホッ、ゴホ……っ!!」

「……!ユルン…っ!!ユルン…!大丈夫か……!!」


 激しく咳込むユルンに我に返って、ダリウスは慌ててベッドで恐怖に身を縮ませているユルンに駆け寄り、彼を強く抱き寄せた。


「…大丈夫……!…もう大丈夫だ…ユルン…!私がいる……兄さんが傍にいるから……!」


 全身をカタカタと震わせ、恐怖に体を強張らせてダリウスに必死にしがみつくユルンを落ち着かせるように、ダリウスはユルンの背中を優しく撫でる。撫でながら、自身もまた手が震えている事に気づいた。


 大丈夫だと言って聞かせたいのはユルンだろうか、それとも自分だろうか。


 何とはなしにそう思いながら自身の手を見つめていると、騒ぎを聞きつけた父、デューイが急いで駆けつけて来た。


「ユルン……っ、ダリウス……っ!!!____!!」


 部屋に入るなり凄惨な現場に、彼は思わず眉根を寄せる。

 軽く後ずさりしたのち、ベッドの上で身を寄せ合うように抱き合っている二人が視界に入って、デューイはそちらに足を向けた。


「…大丈夫か?ダリウス…。ユルンに怪我は……」

「…大丈夫です。ただ…怪我はないようですが首を強く締められておりましたので、喉を傷めているのかもしれません。…先ほどから涙は流しているのですが、何も声を出さないのです。嗚咽すら聞こえません…」


 ひどく不安げに父を見上げるダリウスに頷き返して、デューイはユルンの顔を覗うように屈み込む。


「…ユルン…?…大丈夫か、ユルン?…顔を見せてみなさい」


 怖がらせないようにできるだけ穏やかに言って、デューイは促すようにユルンの頬に軽く触れる。

 ゆっくりとこちらに顔を向けたユルンの瞳には、確かに溺れてしまいそうになるほど溢れた涙が絶え間なく頬を伝って流れ落ちてはいたのだが、その表情には何の感情の色も見出せなかった。ただひどく青ざめた顔色と、カタカタと震える体から恐怖心だけは見て取れて、デューイはその痛々しい姿にたまらず哀憐あいれんの情を向ける。


「…お前たちはとりあえず応接室に行きなさい。母上が待っている」


 父のその言葉にダリウスは頷いて、未だ自分にしがみつくユルンを軽く抱き上げ部屋を後にする。

 二人が出て行ったのを見届けて、デューイは暗殺者である男の死体に歩み寄り、膝をついた。


(…あの穏やかな子が、これほど怒りを露わにするとは……)


 執事が持つ燭台の光に照らし出された暗殺者の体には、無数の傷があった。ユルンを守るために無我夢中だったのだろう。

 とりわけ目立つのは胸の傷だろうか。それも一つではない。彼が息絶えた後も何度も胸に剣を突き立てたのだろう。そこにダリウスの怒りと憎しみが見て取れて、デューイは思わず嘆息を漏らす。


「…血の海ですね」


 むせ返るような血の匂いに鼻口を塞ぎながら、長年執事として仕えているレイアウトはぽつりと呟く。


「…気分が悪いようなら部屋を出ていなさい」

「まさか…!これで逃げては執事の名が廃ります…!」


 青白い顔ながら気丈にもそう言い放って胸を張るレイアウトに、デューイはくすりと苦笑を落とす。

 執事に荒事は無関係なのだから及び腰になったところで廃れるものもないだろうに、と内心で思いながら、デューイはもう一度男の死体に目線を落として、顔を隠している覆面をゆっくりと剥いで見せた。


「…ご存じのお顔ですか?」

「…いや、見ない顔だ。…奥歯に毒を仕込んであるな」

「では失敗しても自害するつもりだったのですね」


 レイアウトのその言葉に頷きながら、デューイはその男の奥歯に仕込まれている毒薬を取り外す。

 デューイはこの毒薬に覚えがあった。


「…ファラリス様に堕胎薬を飲ませようとした侍女の奥歯にあった毒と同じものだな」

「…!では一連の犯行は同一犯で?」

「その可能性が高い」


 この時侍女は、犯行をシスカに妨げられて躊躇いもなく奥歯の毒を噛み切った。その潔さにその場にいた誰もが声を失ったが、この男も同種の人間なのだろう。

 彼らは素人ではない。おそらく暗殺を前提に訓練を施された人間なのだ。


 デューイはその存在に底気味の悪さを感じながら、今しがた男の奥歯から取り出した毒をハンカチに包んでレイアウトに渡す。


「…これは陛下にお渡しする。くれぐれも取り扱いに注意するように」


 うやうやしくこうべを垂れながら受け取るレイアウトを見届けて、デューイは後始末を彼に任せ部屋を後にした。


**


「父上…!」


 応接室に入るや否や、ソファに座っていたダリウスは弾かれるように立ち上がる。

 あれほど血まみれだった姿は綺麗に拭われ、服も新しいものに変わっていた。ダリウスにしがみついていたユルンがその相手をリアーナに変えたところを見ると、彼女がダリウスに身綺麗にするよう促したのだろう。


「…申し訳ございません…!あの男を殺さなければ今頃は首謀者の名が判明したでしょうに……私の落ち度です…!」


 ようやく落ち着きを取り戻したのか、その考えに至って悔しそうに拳を握る。


 部屋に入ってすぐのダリウスは、ユルン同様心が抜けたような放心状態だった。ユルンを慰めながら、おそらくそれをすることで自身の心の平静もまた保とうとしていたのだろう。


(…無理もない。初めて人を殺めたのだ)


 デューイは息子の心をおもんばかりながら、申し訳なさそうに眉根を寄せるダリウスの頭を軽く撫でる。


「…気にするな、ダリウス。あの男の奥歯には毒が取り付けてあった。例えお前が手を下さなくとも、おそらく自害していただろう。……それよりも、ユルンの具合はどうだ?」

「…あれから一度も、声を発しません」

「…!…神官には診せたのか?」


 不安げに答える息子の言葉に目を瞬いて、デューイは無表情のまましがみついているユルンの頭を愛おしそうに撫でるリアーナに問いかける。


「…首を強く締められて気管を痛めたそうです。当分の間は声は出ないだろうと…」

「……そうか」


 その返答に、安堵と不安を込めたため息を落とす。

 『当分の間は』という事は、治ればいずれは声が出るという事だ。

 だが、もうここに彼を置いておくことはできない。


 デューイもまた同じく愛おしそうに、そして寂しそうにユルンの頭を撫でた後、ややあってから意を決したようにおもむろに膝をついた。


「…ユルン。……いえ、ユルングル=フェリシアーナ殿下。こちらはもう危険です。暗殺者に貴方の居場所を知られてしまいました。今すぐここをお出になる準備を…!」


 その、いつもとは異なる父の態度に、ユルンは無表情の顔に驚きを表現する。


「あなた…!何も今ではなくても…!」

「…いや、今すぐでなければならない。殿下の御身をお守りするためだ。判ってくれ、リアーナ」


 噛んで含ませるように告げて、彼女の返答を待たずに唖然としているダリウスを振り返る。


「ダリウス、お前も準備をしなさい!…お前は何があってもユルングル殿下から離れてはならない。…いいな?」

「……!!はい…!」


 その目まぐるしく交わされる会話に、ユルンは訳も判らず目を瞬いていた。

 5歳のユルンに判った事はたった二つ。

 自分が彼らの本当の家族ではなかった事と、この優しい家族と暖かい家から離れなければならない事___。


 それが判ってユルンは、一度は止まったはずの涙がまた溢れて、今まで母だと思っていた母ではない誰かに必死にしがみついた。


「……ユルン……ごめんなさい……ごめんね…!…ユルン…っ!」


 声にならない声で何かを必死に叫び、何かを訴えるように何度も強くかぶりを振る。

 そんなユルンにリアーナが涙ながらに謝ったのは、その姿がまるで『捨てないでくれ』と訴えているように見えたからだろうか。


 デューイもダリウスも同じくいたたまれない気持ちになったが、泣きじゃくるユルンを半ば強制的に抱き上げ、三人は暖かい思い出のある屋敷を後にした。


**


 ユルンの暗殺未遂が起こってから五日目。

 ダリウスとユルンは何人かの皇王派の屋敷や領地を渡り歩いて、ようやくある森の奥深くにある小さな家屋にたどり着いた。


 ダリウスはこの五日、補佐官という立場上、傍にはいられない父の忠言を、忠実に守った。


 _____例え相手が誰であろうと、決して信じてはならない。


 その言葉通り、ダリウスは誰一人信じなかった。

 誰に何を言われても決してユルンを誰かに託すことはせず、あらゆる事に暗殺を警戒した。

 決して離れず、決して目から離さないよう常にユルンを胸に抱いた。どれだけ腕が痺れたとしても、どこに行くのも何をするのも、必ずユルンを抱きかかえたまま行動した。同じ部屋を所望し、眠るときも同じベッドでユルンを抱き寄せ、そして部屋に入って二人きりになっても、ダリウスは決してユルンを離さなかった。


 そんなダリウスの意図を理解したのか、あるいは信用できる者がダリウスしかいなかったからなのか、ユルンもまたダリウスから決して離れようとはしなかった。

 すがるように抱きしめてくるユルンの小さな手が、ダリウスの決意をなおさら強くした。


 そうして四日目の深夜、誰にも気づかれず迎えに来たデューイに連れられてたどり着いたのが、皇都フェリダンの北西に位置するこの森だった。


「……父上、ここは……」

「…そうだ、何度も来た場所だ。…覚えているな?」


 尋ねるデューイに、ダリウスは頷く。


 この森は父に連れられて何度も通った森だった。

 魔獣が住み着いたという噂が後を絶たない森で、表向きはその調査という名目だったが、実際は違う。蓋を開けてみれば調査とは名ばかりで、ただひたすら森の中を散策するだけだった。それも何度もこなしていくうちに、同じ道を何度も通っている事にダリウスは気づいた。


 必ず森の入り口から、森の中央に位置する少し開けた場所までの道を何度も何度も往復するのだ。

 迷路のようにかなり入り組んだ獣道を進んで中央に着くと、すぐまた同じ道を通って入り口に向かう。まるで道順を覚えろと言われているようで、ダリウスはその執拗なまでの往復を体に叩き込ませた。


 最初は意識しながらでないと迷っていたその道も、今では無意識化でも難なく通えるようになった。

 その森に、今なぜユルンを伴って入るのだろうか___。


「いつもの道を行きなさい。…いつもの場所に、お前たちが暮らす家がある」

「…!…あの場所に……?」


 この森は迷いの森だ。地元の人間でも一度入れば二度とは出られないと噂されるほど森深い。それゆえに誰一人足を踏み入れようとしない禁足地のような場所だった。


「遁甲、というものを知っているか?」

「魔力の壁を作って、人が立ち入れないように迷わす効果があると聞いたことがあります」

「そう、ここは言わば自然でできた遁甲だ。道順を知る者しか決してあそこには立ち入れない」


 言ってダリウスと、彼が胸に抱いた眠りにつくユルンを視界に入れる。


「…私がずっとお前に言い聞かせていた事を覚えているな?」

「…いずれ殿下の御身は暗殺者の知るところになる。そうなれば、私一人でユルングル様をお育てするようにと」


 決意を込めた強い眼差しを向けてくる息子に一つ頷いて、デューイは申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「…まだ16だと言うのに、お前には過酷な運命を背負わせる事になったな……。正直もっと先だと思っていた。私も、陛下も…」


 いずれは必ず暗殺者の手が伸びると予測はしていた。

 この首謀者は狡猾だ。決して第一皇子の流産を信じてはいないだろう。必ず行方が知れるだろうと思ってはいたが、それはまだ先だと思っていた。


 だからこそ、ダリウスに備えるはずだった知識も技術もまだ十分ではない。

 それは決して悠長に事を構えていたからではなかった。たった一人で体の弱いユルンを育てなければならないのだ。それに必要な知識も技術も半端な量ではない。まだまだ教えなければならない事があったはずなのに___。


 それでも、時は来てしまった。もうダリウスに任せるしかないのだ。

 そんな嘆息を漏らす父に、ダリウスは毅然と告げる。


「過酷などとは思っておりません。…私はこの方がお生まれになった時に誓ったのです。この方の為だけに、生きようと。…私が必ず、ユルングル様をお守りし立派にお育ていたします…!」


 胸に抱くユルンを抱きしめ、何の迷いもなく決意に満ちた瞳を見せる息子の姿に、デューイは瞠目した。


(…大きくなったものだ)


 まだ子供だと思っていた。

 子供らしからぬ落ち着きと立ち居振る舞いを見せてはいても、まだ親の庇護が必要な子供だと、そう思っていた。


(…どうやら、私の杞憂だったらしい)


 デューイは誇らしい気持ちになって、確固たる志を見せる我が子に微笑む。


「…私はもうここに来ることはできない。私が通っていると知れば暗殺の首謀者に悟られる恐れがある」

「…では今日から私とユルングル様の二人だけ、という事ですね?」

「…いや、お前は19になるまでここと屋敷を往復しなさい」

「…!なぜです…!」

「ユルングル殿下がお亡くなりになってすぐに、お前まで行方知れずになれば、あまりにあからさまだからだ」

「…!」

「今はまだお前は弟を失った悲しみで体調を崩している事になっているが、この先お前の姿が見えなければ、首謀者は間違いなく疑うだろう。第一皇子はまだ生きていて、お前が匿っているのだと。…まだ生きていると思わせてはならない。ユルングル殿下は今回の暗殺で亡くなったと思わせなければならないのだ。…判るな?」


 噛んで含ませるようにデューイは告げたが、ダリウスはいかにも不満そうだった。おそらくユルンから一時でも離れるのが嫌なのだろう。


「…その間、ユルングル様はどうなさるのですか……?まだ5歳なのですよ…?その間に何かあれば……!!」


 つい五日前に首を絞められて意識が朦朧としていたユルンの姿が頭をよぎる。

 もし自分がここを離れて屋敷にいる間に、暗殺者がまたユルンを襲ったら___?

 5歳のユルンになす術はない。屋敷から帰ってきてユルンの無惨な姿を見る事になるかもしれないと思うと、どうしてもユルンの傍から離れる事は考えられなかった。


 無意識にかユルンを抱きかかえる手に力を込めているダリウスに、デューイは驚きと同時に困惑したような表情を取った。


(…この子が反抗するとは…)


 ダリウスは昔からとにかく聞き分けのいい子供だった。

 どれほど自分の意に添わなくても、きちんと筋道を立てて説明すれば、すぐに理解して納得するような子だった。


(…だが、ユルンが絡むとこれほど頑なになるのか……)


 それほどダリウスにとってユルンの存在が大きく、かけがえのないものなのだろう。

 それは仲睦まじい兄弟を見ているようで微笑ましくもあり、また同時に、暗殺者に対する恐ろしいまでの残酷さが彷彿して、ひどく不安が頭をもたげた。


 デューイはその不安を振り払うように小さくかぶりを振りつつ、ダリウスに告げる。


「…確かに不安だろうが、教皇様からユルングル様のお命に危機が迫った事を予見された時は、必ず陛下に報告をなさると約束いただいている。安心しなさい」

「…!では今回の暗殺はどうなのです!?予見されていたのに教皇様はあえて黙っておられたのですか…!?」


 この質問には、デューイは押し黙るしかなかった。

 シーファスが今回の暗殺未遂の件を聞いて直ちに教皇に問いただしたが、その返答はまさしく今しがたダリウスが放った言葉そのものだった。


 どう返答したものかと言葉に詰まったが、嘘を教えたところでダリウスは納得しないだろう。

 デューイは不承不承とため息を落とす。


「…確かにお前の言った通りだ。今回の暗殺は初めからお前に阻止されると予見しておいでのようだった。…そして、お前とユルングル様がこの森で暮らすことも、決まっている事だとおっしゃっておられる」

「…それは……!…それは、必要な事なのですか…?もし暗殺をもっと前から防いでいれば、ユルングル様は今もあの屋敷で何不自由なくお暮らしになっていたのではありませんか…?」

「必要な事だ、ダリウス」


 ぴしゃりと言われて、ダリウスは弾かれるように父の顔を見返す。


「…よく聞きなさい、ダリウス。ユルングル様は16までこの森でお暮しになる。その後、ここよりももっと安全な場所に居を移されて、御年24の時に、お前と共に皇籍に再び戻られるのだ。第一皇子として」

「……!それは……教皇様の予見ですか……?」

「そうだ」


 目を瞬きながら問うたその質問に、父はきっぱりと断言する。


 教皇の言葉は決して違えない。

 どれほど些細な事でも、教皇が口にした予見は外れないという事を、ダリウスは承知していた。


「では……では…ユルングル様は少なくとも、24まではご無事だという事なのですね……!!」


 言いようのないほどの安堵感が、ダリウスの胸を満たす。

 ユルンの命の温かさを確かめるように、ダリウスは胸に抱くユルンを強く抱き寄せた。


 二度の暗殺という憂き目に遭い、そしてとても弱い体で生まれてしまったユルン。

 例えこの先、度重なる暗殺を防いだとしても、この弱々しい体がいつかユルンの命を奪うのではないかと何度不安に思っただろう。

 だが、その弱々しいユルンは、確実に24まで生き永らえているのだ。

 その事実が何よりも尊く、嬉しい。


 皇族に戻れることよりも、ユルンの生存に喜ぶ息子に小さく笑みを落として、デューイはダリウスを促すように告げる。


「…さあ、もうすぐ夜が明ける。早く行きなさい」


 父のその言葉に、ダリウスは頷いて森に足を踏み入れる。


「七日後にユルングル殿下のご葬儀が行われる。それにはお前も出席しなさい。それまでは常にユルングル様の傍から離れないように。いいな、ダリウス」


 頷きながら森の奥に去って行く息子の背にそう告げて、もう一人の息子の寝顔を視界に入れる。


 この可愛い寝顔を、もう二度と見る事はないのだろう。そして、あの頭を撫でてやることも、それに笑顔を返してくれる事も、もう決してないのだ。

 次に会えるのは、おそらく彼が24になった時。

 その時にはもう、自分の事など忘れてしまっているだろうか。


 胸に広がる寂寞感せきばくかんを抱えながら、デューイはもう自分の息子ではなくなった皇子の寝顔を忘れないように、心に強く刻んだ。



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