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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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信頼と約束

「…皆、白宮を出て行ったのですか……?」


 皇太子の公務を終えて白宮に戻ると、まるで待ち構えていたようにフォーレンス伯はこうべを垂れていた。そのフォーレンス伯に促されるまま向かった皇王の自室でその報告を聞いて、ユーリシアは目を瞬きながら呆然とそう訊ねる。


「…ああ、一時的にだがね」


 まるで取り残された子供のように寂し気な表情を見せるユーリシアに嘆息を漏らしつつ、シーファスは言葉を続ける。


「ゼオン殿とシスカは、ユルングルの心臓を補助する魔装具を作るためにリュシアの街にある工房に向かった」

「…!隠れ家に戻ったのですか…!?」

「そういう事になるね」


 その答えに複雑そうな顔を覗かせるユーリシアに構わず、シーファスは再び口を開く。


「…ユーリには一度、屋敷に戻ってもらった。アルデリオはその護衛として共に行ってもらっている」

「…!屋敷…!?それは……!…家に帰った、という事ですか…!」


 目を丸くして怪訝そうに眉根を寄せるユーリシアに、シーファスはさもありなんと頷く。


(……なぜ……私には何も……)


 取り残された事に、たまらず孤独感と疎外感が胸の内に広がる。

 まるで何かを試されているように意図的に一人にされたような気になって、ユーリシアは呆然自失と立ち尽くした。


 あまりに一変した状況に頭がついていかず、情報を整理するようにやや時間を置いてから、ユーリシアはもう一度父に視線を向ける。


「……父上は、ユーリの素性をご存じなのですか…?」

「…ああ。あの子はずいぶん昔に屋敷から攫われた子でね。偶然にもユルングルの所で見かけて私も驚いたのだ」

「攫われた…!?」

「ご両親がずいぶんと心を痛めていたのを知っていたからね。一度屋敷に戻って安心させてやりなさいと私が提案をしたのだ」


 よくもまあ次から次へと口からでまかせを、とシーファスの後ろで控えて聞いていたフォーレンス伯は内心で呆れたように嘆息を漏らす。

 とは言え、概ねの経緯いきさつはミルリミナが置かれている状況とそれほど大差はないので、半分は真実を語っていると思ってもいいのだろうか。そう思いつつも、誇張した話を息子に言って聞かせるシーファスは、いかにも楽しそうだ。


(…ユーリシア殿下もまた素直なお方だから、お疑いになるという事をご存じない…)


 特に一度信用した相手だと、どれだけ騙されてもまた必ず信用してしまう。だからこそシーファスもまた面白がって、こうやってユーリシアで遊ぶのだろう。

 これがユーリシアの長所でもあるし欠点でもある、とフォーレンス伯は人知れず内心で苦笑を落とす。


 そんな事とは露知らず、ユーリシアは軽く渋面を取って逡巡しながらも小さくぽつりと呟いた。


「……ユーリの素性は、ユルンもやはり……?」

「無論知っている」


 きっぱりと告げられたその言葉に、ユーリシアは心の中で再び苦いものが広がっていくのを感じた。

 これはかつて、聖女に心の弱さを利用された時の感情に近い。


 眉根を寄せて歯を食いしばり拳を力の限り握りしめるユーリシアを見止めて、シーファスは冷ややかな目を向ける。


「…まるで悋気を起こしているようだな、ユーリシア」

「……!?」


 心中を悟られて、弾かれるように父を見た後、バツが悪そうにユーリシアは視線を逸らす。


 そう、今の自分を一番的確に表現する言葉だと、ユーリシアは思う。

 あの時も聖女は、自分の中で渦巻く嫉妬を利用した。

 もう二度と抱かないと決めたその感情は、やはりあっさりと顔を出したことにユーリシアは呆れと情けなさを感じていたたまれなくなった。


「…ユルングルや私が知っているユーリの素性を、自分だけが知らないのが悔しいか?…自分は隠れ家に戻れないのに、あっさりと戻ったシスカが憎いか?」

「……それは……!」


 自分の気持ちを正確に代弁する父に反論できず、ユーリシアはもう押し黙るしかない。

 恥じ入るように俯く息子を見止めてため息を落とした父に、落胆させたと思ってユーリシアはさらに体を強張らせた。


「…勘違いするな、ユーリシア。その感情を責めているわけではない」

「……ですが……!」

「これは誰でも抱く感情だ。無論、私にも覚えがある」

「……!…父上も……?」

「…お前の悪いところは清廉潔白であろうとするあまり、自分の心の弱さを認めないところだな。だからいつまでも苦悩して、前に進めない」

「………」


 その通りだ、とユーリシアは再び拳を握る。

 強くあろうとすればするほど、弱い自分が必ず邪魔をした。その度にその醜い感情をなかったことにするようにかぶりを振るのだ。


 そんな心を見透かされて、ユーリシアはたまらず瞳を閉じた。


「ユーリシア、目を開けなさい」

「……!」

「目を背けてはいけない。どれだけ弱く醜くとも、それは紛れもなく自分の一部だ。目を背けず受け入れなさい」

「……ですが……!……どうすれば受け入れられるのか、自分ではもう判らないのです…!」


 目を背けたまま、吐き出すように落としたその言葉を拾うように、シーファスは穏やかに、だけども諭すように告げる。


「…ユーリは、お前の心の弱さを知っていた」

「…!」

「だからこそ、ここを離れる事にひどくためらっていた。お前を一人残していいものかと」

「……ユーリが……?」


 その事実が嬉しく、反面そこまで心配されていたことに情けなさと不甲斐なさを感じて、ユーリシアは恥じ入ったように俯く。


「…それでもユーリがここを出る決意をしたのは何故か、お前には判るか?」

「……判りません」

「お前を信じると決めたからだ」

「……!」


 いたたまれなくて背けた視線を、ユーリシアはその言葉に弾かれるように再び父に向ける。


「お前の心の弱さを知ってもなお、彼はお前を信じると決めた。…その意味が判るか?」


 判らないはずがない。

 自分自身ですら受け入れられない弱い自分を、ユーリは受け入れてくれたのだ。受け入れたうえで、大丈夫だと信頼を寄せてくれた。投げ出したくなるくらい、どうしようもない自分なのに____。


「…どうする?ユーリシア。ユーリの信頼に応えるか?それとも裏切るか?」

「…!応えます…!!」


 そこまで情けない自分にはなりたくない。

 ミルリミナのために強い自分になると決めたのだ。

 今はまだ、どうすればいいのかは判らないが、志まで弱い心に負けたくはない。信頼を寄せてくれたユーリに対して、これ以上情けない姿は見せられないのだ。


 間髪入れずに答えたユーリシアを、シーファスは改めて視界に入れる。

 決意を込めた強い眼差しを向けるユーリシアに先ほどの弱々しさはない。あるのは胸に抱いた、ユーリの信頼に応えるという強い志だけだろう。

 それを見て取って、シーファスは満足げな笑みを湛えて一つ頷く。


「よろしい。では早速だが明日、騎士団に低魔力者を一人、入団させる」

「…!低魔力者を、ですか…?」

「とりあえず仮入団だが、おそらく反発は必至だろう。レオリアとして彼を補佐してあげなさい」


 この皇宮に、低魔力者はただの一人もいない。

 それは騎士団のみならず、官吏も含めての数だ。


 仮入団という事は、試しに低魔力者を入団させて彼らがどういう反応を示すか見てみたいのだろうか。そうやって少しずつ低魔力者をこの皇宮にも増やしていくつもりなのかもしれない。


 ユーリシアはシーファスの思惑に思いを馳せながら、返事を待つ父にうやうやしくこうべを垂れたのだった。




「シーファス様は相変わらず嘘がお上手ですね」


 ユーリシアが自室を辞去してから、再び書類に目を通し始めたシーファスに紅茶を差し出しながら、フォーレンス伯は困ったようにため息を落した。

 シーファスは一度書類に落とした目線をフォーレンス伯に向けながら、悪戯をした子供のように笑う。


「それは心外だな。私は嘘など言っていない。ミルリミナ嬢は表向き攫われたことになっているのだから、あながち間違いではないだろう」

「そのことを申し上げているわけではございません」

「……?なら何だ?」


 怪訝そうに小首を傾げるシーファスに、フォーレンス伯は呆れたように告げる。


「私は貴方が誰かに嫉妬心を抱いたところなど、一度も拝見した覚えはございませんよ」


 幼い頃から共に過ごしたが、シーファスはいつでも自信に満ち溢れ、必ず周囲の人間を導く存在だった。そのことに嫌気が差したり苦悩する事は確かにあったが、誰かに嫉妬心を抱いたシーファスの姿は記憶に一度たりとも登場したことはない。


 シーファスはフォーレンス伯のその言葉に、さも意外そうな表情を見せた。


「何だ、気づいてなかったのか?デューイ」


 そうして、にやりと笑う。


「私はね、息子の王として資質に、いつでも嫉妬しているのだよ」


**


「…アルデリオさん、一つお聞きしてもよろしいですか?」


 ウォーレン邸に向かう馬車の中で、ミルリミナは真向かいに座るアルデリオに困惑気に訊ねる。

 何となく手持無沙汰で外を眺めていたアルデリオは、怪訝そうな未だユーリの姿のままのミルリミナに視線を移した。


「…?何です?」

「…私はいつ、ユーリの姿を解けばいいと思います?」


 その問いかけに、アルデリオもまた返答に困って口を閉ざした。


 どこで誰に見られているか判らないから皇宮を出るまでユーリの姿を解かないようにと皇王に念を押されて、言われた通りユーリの姿のまま皇宮を出たものの、いつミルリミナの姿に戻っていいものか判らず、途方に暮れていたところだった。

 皇宮を出たのだから、もうミルリミナに戻ってもいいような気がするし、必要以上に目立つ皇族専用の馬車を使っているので、ウォーレン邸に入ってからの方がいいような気もした。

 だが、それをすると問題が一つ。


「…この姿のまま帰ったら、お父様もお母様も驚かれるでしょうね……」

「それは……娘が息子になって帰ってきたら誰でも驚くでしょうね……」


 これでは笑うに笑えない。


 途方に暮れてため息を一つ落とすミルリミナに、アルデリオはくすりと小さく笑みを落とした。


「…まあ、先触れを出しておくと仰ってましたし、大丈夫でしょ」

「…シーファス陛下が?…先触れを?…男の姿で帰るので留意するようにと親切に伝えてくださっていると思います?」

「……あー……ないかも…?」


 シーファスとそれほど接点があったわけではないが、それでもこのひと月余りでシーファスとユルングルの性格がよく似ている事だけはしっかり把握した。少なくともユルングルであれば面白がって伝えないだろう、とミルリミナは思う。


 そうして、執務室での皇王の様子を思い返す。

 皇王は何かをしきりに懸念しているように、ミルリミナには映った。それが何かは結局判らずじまいだが、懸念しているからこそ『十日以内』という期限まで作ったのだろう。

 だとすれば、用心するに越したことはない。


 ミルリミナは諦めたよう、小さく嘆息を漏らした。


「……仕方ないですね。ユーリのまま帰る事にします……」


 そう決めるや否や、ウォーレン邸に着いたのか馬車が止まる。

 皇宮からウォーレン邸までものの十分もかからない。心の準備ができる前に御者が扉を開いて、ミルリミナは軽く逡巡してから馬車を降りた。


 二人の視界に真っ先に入って来たのは、待ち構えたように屋敷の外に立つ両親とティーナの笑顔と、下りてきた人物を見止めた後に見せた怪訝そうな表情だった。

 想像していた通りの景色に二人は互いに目を見合わせて、申し合わせたように苦笑を落とす。


「……あの…ミルリミナは…?」


 近づく人影に娘の姿がない事をいぶかし気に思って、父はユーリの姿をしたミルリミナに声をかける。何て言えばいいのか判らず、バツが悪そうに口を開こうとしたミルリミナを制するように先手を取ったのはアルデリオだった。


「お初にお目にかかります。私はラジアート帝国の皇弟、ゼオン=ラジアート様の従者、アルデリオ=リカヴァリーと申します。ご息女であらせられるミルリミナ様のお姿が見えずご不安でしょうが、まずはお屋敷の中にご案内していただいてもよろしいでしょうか?」


 言って、アルデリオは慇懃いんぎんな態度で深々とこうべを垂れる。

 普段はもっと砕けた態度を見せるアルデリオは、必要なときには驚くほど礼節正しい態度を見せる。その立ち居振る舞いがダリウスを彷彿させるのは、彼からそれを教わったからだろうか。


 怪訝そうに小首を傾げていた三人は、アルデリオの丁寧な対応と身分に目を丸くして慌てて屋敷の中に入るよう促しながらも、ラジアート帝国皇弟の従者がやってきたことに、なおさら不安を駆り立てられたのか、表情が強張るのをミルリミナは見逃さなかった。


 特に母の顔色がみるみる青くなる様子が目に入って、皇王から聞いた言葉が頭をよぎる。

 『参っている』と皇王は表現したが、それは体を壊している、という事なのだろうか。

 曖昧な表現で何とでも捉えようがあるだけに、不安でならない。


 今にも倒れそうな母は、やはり屋敷に入って扉が閉じきる前に眩暈を覚えたのか、足元がふらついて倒れそうになった。


「…!お母様…!!」


 思わずそう叫んで、倒れそうになった母を父と共に支えに駆け寄ったが、瞬間我に返って、扉がまだ閉まり切っていなかったことに思い至り慌てて視線を扉に向ける。


「大丈夫です、ユーリ」


 母が倒れると同時に扉をすかさず閉じてくれたのだろう。

 心得たように返答するアルデリオに、ミルリミナは胸を撫で下ろしてから、いぶかし気にこちらを見返してくる両親に視線を移した。


「…お父様、お母様、ごめんなさい。わけあってこの姿で帰るしかなかったのです」


 言いながら、ミルリミナは首飾りを取る仕草を見せる。

 見も知らぬ少年から父母と呼ばれて目を丸くしていた二人は、だが首飾りが取れると同時に見慣れた最愛の娘に姿が変わって、さらに目を瞬いた。


「……ミルリミナ…!!!」

「…ただいま帰りました、お父様、お母様。…それから、ティーナも」

「…お嬢さま……っ!!」


 屋敷にいた頃と変わらぬ笑顔をたたえる娘に二人は感極まって娘を抱き寄せ、ティーナは長い間抱いていた不安を吐き出すように溢れ出た涙を拭う。


「…ああ…!もう一度顔をよく見せて頂戴、ミルリミナ…!」

「…怪我はないか?体の調子はどうだ…?」

「大丈夫です、お父様。…聖女がこの身に宿ってから、体がずいぶんと強くなったようなのです。もう倒れる事も病に侵されることもなくなりました。…見てください…!私、歩けるようになったのですよ…!」


 満面の笑みを湛えながら、ミルリミナは立つ姿を誇らしく三人に見せる。


 その聖女の所為で身を隠す羽目になったのだから内心複雑な心境ではあるが、そのおかげで両親に元気な姿を見せられるのだ。今はそれを喜ぶべきだろう。


「積もる話もあるでしょうし、とりあえず応接室に場所を移しましょう…!ティーナ、紅茶の用意をお願いね」

「はい……!」

「さあ、アルデリオ様も」

「アルデリオさん、行きましょ___」


 後ろにいるアルデリオを振り返りながらそこまで言ったところで、ミルリミナは目を丸くしながら呆然自失とこちらを注視する彼に怪訝そうな表情を向けた。


「……アルデリオさん…?どうしたのですか……?」

「……いえ……俺はユーリの姿しか知らなかったので……」


 言いながら、何やら得心したようにしきりに頷く。


「あー……なるほど……これは確かにユーリシア殿下が貴女に夢中になるわけだ。これほど可憐で愛らしい方だったとは…」

「……!!?む、むちゅう……っ!?か、可憐って……!!そんなはずありません…!!」


 恥ずかしげもなく赤面必至の単語を連発してくるので、ミルリミナはたまらず耳まで真っ赤に顔を染め上げる。


「あれ?気付いてなかったんですか?殿下の頭の中なんてユーリの事かミルリミナ嬢の事しかないでしょ」

「ち、違います…!!ユーリシア殿下はそのようなお方ではありません…!ちゃんと国の事『も』しっかりお考えになっています…!!!」

「………『も』…?…なるほど、ちょっとは自覚があるんですねえ…」

「アルデリオさん…っ!!!!」


 面白いほど赤面を作って憤慨するので、アルデリオは揶揄しながらくすくすと思わず笑いを落とす。

 遊ぶアルデリオと遊ばれているミルリミナは、ひとしきりそうやってじゃれ合った後、今自分たちがどこにいて目の前に誰がいるのかをふと思い出して、二人はそろって慌ててウォーレン公爵夫妻を振り返った。


「…も、申し訳ありません…!お父様、お母様…!はしたない真似を…!」

「…ウォーレン公がいらっしゃるのをつい失念しておりました…!ご息女を揶揄からかってしまい何とお詫びすればよいか…!!」


 最初は目を丸くして二人のやり取りを聞いていた二人は、だがバツが悪そうに頭を下げる愛娘と、慌てて威儀を正そうとするアルデリオに思わず失笑してくすくすと笑い声を上げ始めた。


「いやいや、お前のそのお転婆ぶりは幼い頃以来だな。アルデリオ様もお気になさらず」

「そうですよ。謝罪は必要ございません、アルデリオ様。とても親し気なところを見ると、ミルリミナはそちらでとても可愛がっていただいたのでしょう。感謝申し上げます、アルデリオ様」


 穏やかに言って微笑む夫妻に、アルデリオもまた小さく微笑みを返してこうべを垂れ、促されるまま応接室へと場所を移した。


**


「それで?アルデリオ様がご一緒という事はラジアート帝国で身柄を保護されているのかい?ミルリミナ」


 ティーナが紅茶を全員分用意したのを見届けてから口火を切ったのは、ミルリミナの父、ウォーレン公だった。

 どうやら皇王は詳細を伏せて、自分の無事だけを伝えたのだろう。それはおそらく実子であるユルングルの存在を父に教えるわけにはいかなかったからだろうとミルリミナは察したが、それがかえってどう説明したものかと言葉に詰まる。


 そんなミルリミナに助け舟を出したのはアルデリオだった。


「…いえ。私どもは共に行動しているだけでミルリミナ様を保護しているわけではございません」

「…では、どなたが…?」

御名みなをお教えする事はできませんが、シーファス陛下が心よりご信頼申し上げているお方です。…今、その方は病に伏しておりますゆえ、一時的にお姿を変えて皇宮に身を寄せておりますが、常にユーリシア殿下がお傍におりますのでどうぞご心配なさらないでください」


 アルデリオのその説明に、二人はほっと胸を撫で下ろす。


「…陛下がそれほどまでに信頼を寄せていらっしゃるお方なら心配はないでしょう。…その方の病は快方に向かっておられるのですか?」

「……とてもお体の弱いお方ですので」


 明言を避けたその言葉で低魔力者だと察したのだろう。

 以前のミルリミナと重なって、二人はおもんばかるように眉根を寄せる。


「…そうですか。…直接その方にお礼を申し上げる事はできませんが、どうぞよろしくお伝えください。そしてその方の病が快方に向かうよう、私どもも祈っております」

「…ありがとうございます。必ず、お伝えいたします」


 いつもと態度が違う別人のようなアルデリオは、やはり別人のような所作でうやうやしくこうべを垂れる。

 そんなアルデリオに内心で苦笑を落としていたミルリミナに、ウォーレン公は再び声をかけた。


「…ミルリミナ、いつまでここにいられるのだ?」

「……陛下はできれば十日以内には戻ってきて欲しいとおっしゃっておりました」

「…そうか。あまり長くはいられないのだな…」

「…仕方ないわ。ミルリミナは公式にはまだ行方知れずとなっているのだもの…」


 そう言って寂し気に視線を落とす両親の姿に、心が痛む。

 ようやく健康な体をもらっても、結局はこうやってまた心配をかけてしまうのだ。


(……親不孝な娘でごめんなさい……)


 直接口に出せば、かえって気を使わせてしまうだろう。

 いつになれば両親を安心させてやれるのかと、ミルリミナは人知れず心中で嘆息するに留めた。


 そんなミルリミナの内心を知ってか知らずか、夫妻は穏やかな微笑みを二人に向ける。


「短い間だが、ゆっくりしていきなさい。アルデリオ様も、ご自分の家だと思ってどうぜ気兼ねなくお過ごしください」


**


 遁甲を抜けて真っ先に二人を出迎えたのは、これでもかと眉間にしわを寄せたラン=ディアだった。

 シスカの魔力を感じて待ち構えていたのだろう。遁甲を抜けてすぐにしかめっ面のラン=ディアと対面して、二人は思わず身じろぎした。


「…すまない、ディア……」


 腕を組んで、いかにも何をしに来たんだと言わんばかりの視線を向けるラン=ディアに、シスカはとりあえず謝罪を口にする。いや、謝罪するしかない状況だと言った方が的確だろうか。

 叱られた犬のように肩をすぼめて目線を逸らすシスカの助け舟を出すように、ゼオンは二人の間に割って入った。


「…そう不機嫌になるな。こいつの説教は俺がしておいてやった」

「…貴方の説教は優しすぎます。貴方はとにかくシスカに弱いのですから」

「誤解を招く言い方をするな!」


 間違いではないのだが、この男が言うと何やら悪意に満ちているような気がして、ゼオンも同じく渋面を取る。

 その顔にわずかな不調を感じたのだろう。ラン=ディアはややあってから盛大にため息をいたあと、不承不承と髪をかき上げて二人を見据えた。


「…それで?一体何しに来たんだ?勝手に出て行ったくせに今さらユルングル様のご様子を見に来たのか?」


 皮肉たっぷりに告げるラン=ディアに、シスカはたまらず閉口する。

 こういう時のラン=ディアは言い訳さえ聞いてくれない事を、シスカは熟知していた。なので自分はただ黙して、あとはゼオンに丸投げする事に決める。


 それを察したゼオンは憎々し気にシスカを一瞥すると、諦めたようにため息を一つ落として言葉を続けた。


「…ユルングルの心臓を補佐する魔装具を作りに来た。お前も手伝え、ラン=ディア」

「…!心臓を補佐…!?そんなものが作れるのですか……!?」


 目を丸くして食い入るように訊き返すラン=ディアに、ゼオンは一つ頷いて事のあらましを説明し始めた。



「……なるほど。シスカの誘惑に負けて、また帝国の秘技を漏らしたのですね、貴方は」

「だから誤解を招く言い方をするな!誘惑なんて受けていないぞ、俺は!」


 隠れ家に向かう道すがら、一通りの説明を聞いてラン=ディアは半ば呆れたようにゼオンを揶揄する。

 誘惑があったかどうかはさておき、間違いなく彼はシスカの困った顔に負けたのだろうから、あながち間違いではないだろう。


 ひとしきりゼオンで遊んだラン=ディアは、それでいくらか溜飲を下げた事に満足して、仕切り直すように頷いた。


「確かにその魔装具ができれば、ユルングル様は普通の暮らしをなさることができるでしょう。…無茶さえなさらなければ、ですが」

「……!」


 ラン=ディアのその言葉でシスカはようやくその事実に思い至ったのだろう。弾かれるようにラン=ディアを見た後、目を丸くしながらゼオンに視線を向ける。


(…わざわざ言わないでやったのに、余計な事を…)


 シスカの視線をわざとらしく受け流すように目を逸らしながら、ゼオンは内心でラン=ディアに対して舌打ちをする。そうして諦めたよう小さくため息を落としながら、面倒くさそうに頭を掻いた。


「……だから言っただろう。魔装具を付けてもあいつの弱い心臓がなかった事になるわけじゃない。あくまで補助だ。その範囲には限りがある。範囲を超えた無茶にはどうしたって対応できないんだ」

「それでもないよりはずっといい」

「…!」


 現実を突きつけられたような気分で茫然自失とゼオンの言葉を聞いていたシスカは、続くラン=ディアの言葉に伏せた目を上げる。


「『まし』という程度の話じゃない。それがあるのとないのとでは雲泥の差だ。普通の暮らしができるという事はそれだけ弱った心臓に負担がかからないという事だ。無茶をするかどうかは置いといても、絶対的にあった方がいい」


 そう断言するラン=ディアに、シスカもまた我に返って大きく頷く。

 それに頷き返してからラン=ディアは、軽く思案する仕草を見せた後改めてゼオンに向き直った。


「…ゼオン様。その魔装具はどれだけ小型化できますか?」

「こいつの小指の第一関節くらいには小さくできる」


 言ってシスカの手首を持ち上げる。


「…!こんなに小さくできるのですか…!」

「ある部分を除けば、理論上は可能だ」


 自身の小指を見ながら感嘆の声を上げるシスカに、ゼオンは何やら含んだ返事を返してラン=ディアと二人、首を傾げた。


「…ある部分とは?」

「魔力を込める核となる部分だ。電気を発生させるためにある程度の強度が必要だが、小さくなればなるほど弱くなるからな…。ここは何か方法を考える必要がある」

「……なるほど。…その辺りはシスカと貴方に任せるとして、形だけ指定させていただいてもよろしいですか?」

「…形?」

「今しがた貴方がシスカの小指を例えに出したように、細長い筒状の形にしてほしいのです。…可能ですか?」

「……?それは、可能だが…?」


 意を得ず怪訝そうに訊き返すゼオンに、察したシスカがぽつりと呟く。


「…その方が術後の回復が早い」

「…?…俺にも判るように説明しろ」

「…ゼオンがもし医者であれば、心臓に魔装具を付けるためにまずどうしますか?」

「…開胸するしかないだろう」


 胸を開いて、直接心臓に入れるしかない。


「ですがそれでは今のユルングル様では体力が持ちません。何より出血が多くなるのが問題です」

「ならどうするつもりだ?作っても心臓に入れられないなら意味はないぞ」

鼠径部そけいぶ__つまり足の付け根にある大腿静脈から心臓の右心室まで管を通し、その管の中を通して直接、魔装具を右心室まで運ぶのですよ」

「……!!血管を通して魔装具を心臓まで運ぶだと…!?……そんな事ができるのか……っ!」


 目を見張るように珍しく感嘆の声を上げるゼオンを見止めて、二人は互いに目を合わせる。


「………するのも初めてですし、前例もないですが」

「まてまてまてまて…っ!!!」


 申し合わせたように声を揃えて、いけしゃあしゃあと答える二人に、ゼオンはたまらず口を挟んだ。


「いいのか!そんな行き当たりばったりで…!」

「仕方がないでしょう。これしか今のユルングル様に行える術式がないのですから」

「これなら手術による傷も血管に管を挿入するときの小さな穴だけで済みます。ゼオン様がそう心配なさらなくとも、理論上は可能なのですから必ず成功させて見せますよ」


 嫌に自身満々なラン=ディアのその態度に、ゼオンは悟る。


「…発案者はお前だな、ラン=ディア」

「ご名答」


 各地を回って、不治の病と言われるような奇病や難病にも果敢に挑むラン=ディアだけあって、彼の考える治療法は奇抜なものが多い。常人では決して思いつかないような治療法で不治の病を克服した事もあってか、彼が口にするとどんな無茶に感じる治療法でも可能だと思ってしまうのは、おそらく気のせいではないだろう。


 にやりと笑いながら答えたラン=ディアの、その高々な鼻を一度はへし折ってみたい、と内心思いつつも、ゼオンは不承不承とため息をいた。


「…そっちに関して俺は門外漢だ。お前に任す。___で?ユルングルの具合はどうなんだ?」

「………あれから何度か目覚められましたが、一日のほとんどを眠っておられます」


 ゼオンの質問にラン=ディアはやや逡巡したのち、先ほどとは打って変わって曇った表情を落とす。


 ユルングルが目覚めて二日が経ったが、時折思い出したように目覚めて、幾ばくもしないうちにまたすぐ眠りにつく、という事をもう数度、繰り返していた。おかげでこの二日で彼が口に出来たのは、水とわずかなスープのみ。確かに点滴で必要な栄養は取らせているが、それだけで完結するわけではない。

 思うように回復しない現状に、ラン=ディアは頭を悩ませていたところだった。


「…会ってみるか?今はまだ眠っておられるが」


 ようやく隠れ家について、ラン=ディアはそう切り出す。

 もとより会わせないつもりなどない。とりあえず何かしら言ってやらないと気が済まなかっただけで、言いたいことを言えた今ではそれなりに満足している。


 そう思って告げたのだが、何やら複雑そうな表情を取るだけでシスカは返答を寄越さなかった。

 怪訝に思いながらも、ゼオンがシスカを促すように背中を押したので、ラン=ディアはそのままユルングルの部屋へと足を向ける。


「…目覚められた時、時折ユルングル様ではないような応答をなさる時がある」


 階段を上りながら前を行くラン=ディアのその言葉に、二人は小首を傾げる。


「…ユルングル様ではない……?」

「どういうことだ?」

「…幼い子供のような……不安げな少年のような……どう表現するのが的確かは判りかねますが…」


 珍しく言葉に詰まって、しどろもどろと説明するラン=ディアに、さらに二人は怪訝そうな表情を向けた。


「…ダリウス殿下が仰るには昔のユルングル様が時折顔を出されるそうで、夢を見ているのか、あるいは記憶が混乱しておられるのだろうと」

「……!」


 その言葉で、シスカは幼いユルングルを思い出す。

 まだフォーレンス家の領地にいた頃、幼いユルングルは人見知りが激しい反面、慣れてしまえば人懐こい笑顔を見せ、幼いながらも誰かを思いやる気持ちに溢れた優しい子供だった。

 暴徒を収めるために大怪我を負ったのち、しばらく目が見えなくなったシスカのために手を引いてくれたことを思い出す。


「…懐かしいか?」


 懐かしむような顔を見せていたのだろうか。

 ゼオンに心中を悟られたような気がして、シスカはバツが悪そうに視線を逸らす。


「…貴方も懐かしんでいるのではないですか?」

「…ゼオン様も幼いユルングル様と面識が?」

「いらないと言ったのにシーファスに無理やり連れて行かれて何度かな。ずっとダリウスの後ろに隠れてまともに話したことはないが」


 それでもファラリスによく似た子供だと思った記憶はある。彼がまだ2、3歳の頃だ。

 その面影をしっかりと残したまま成長したのだから、シーファスにとっては本当の意味でのファラリスの忘れ形見だろうか。


「…入らないのか?シスカ」


 思いがけず昔に思いを馳せているうちにユルングルの部屋の前に着いていたようで、ラン=ディアの声でゼオンは過去の記憶から意識をこちらに戻す。

 視線を移すと、やはり扉の前で逡巡するシスカの姿にゼオンはため息を落とした。


「…開けるぞ」


 シスカを押しのける形でドアノブに手をかけたゼオンは、だがそれを制するように重ねてきたシスカの手に目を瞬いた。


「…おれは、会いません」


 言って、扉の向こう側にいるであろうユルングルを見据える。


(…この扉の向こうに、ユルングル様がおられる……)


 自分とユルングルを隔てるのは、このたった一枚の扉だけだ。開けてしまえば、あれほど切望したユルングルの姿がそこにある。

 そう思っても、この扉を開ける気にはなれなかった。


「…いいのか?」

「……約束をしたのです。ユーリシア殿下と、そしてユルングル様と。…おれが会うのは、ソールドールでお元気になられたユルングル様です。今ではない」


 そうはっきり告げて、想いを断ち切るようにすぐさま踵を返す。


「工房で待っています。ゼオンはおれに構わずユルングル様に会ってきてください」


 そのまま返事も待たず階段を下りていくシスカに、ゼオンは半ば呆れながら、そしてもう半分は想像通りの反応に思わず失笑する。


「…あれは本当に頑固ですね」


 二人のやり取りで何となく事情を察したラン=ディアは呆れたようなため息と共に呟く。

 そうして取り残されたゼオンに一言。


「…会って行かれますか?」


 その答えは判っていた。


「…あいつが会わないのに、俺が会えるかよ」



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