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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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帰郷

「ずいぶんと浮かない顔だな」


 ゼオンの部屋でずっとため息ばかりくシスカに、呆れたような視線を送りながらゼオンは問う。


 二日前ユルングルが目覚めたとユーリシアから聞いて喜んだのも束の間、すぐにユルングルの連絡係である鷹がラン=ディアの診断書を持ってきて以降、シスカはずっと上の空だった。

 その理由を、ゼオンは承知していた。


「…そんなにユルングルの心臓は悪かったのか?」


 その言葉に弾かれるように、まだわずかに顔色の悪いゼオンの顔を一瞥して、シスカはすぐにまた悄然と目線を落とす。


「……ユルングル様はもう、以前と同じ暮らしはできないでしょう…。ゼオンは洞不全症候群…という病を知っていますか?」

「…右心房にある『洞結節どうけっせつ』が異常をきたして、心臓を動かすための電気を発生させる回数が極端に少なくなる病だな」


 洞結節とは、心臓の中で規則的に電気を送る役割を担う箇所だ。

 ここが異常をきたして電気不足になると、徐脈を起こして酸素不足になり少し動いただけでも息切れや眩暈、失神などを引き起こして、時折、心臓が数秒止まる事もある。そのまま心臓が止まって死んでしまう、という事はないが、この状態が長く続けば心不全を起こす可能性のある病だった。


「…貴方は本当に何でも知っているのですね」


 感嘆するような、それでいて呆れるような笑顔を落として、シスカは言葉を続ける。


「…ユルングル様の心臓は今その病を発症しています。大量の出血によって頻脈を起こしていましたが、貧血症状が落ち着くにつれて徐々に徐脈の症状が出てくるようになりました。…現在、嗜眠しみん傾向にあるのは長く伏せっていた事で体力が大幅に低下している事と、この徐脈が原因でしょう」


 脈が遅い事で全身に満足な血液が遅れず、脳が軽い酸欠を起こしているのだ。


「…日に三度、ディアが神官治療で症状を緩和させてはいますが、一度でもこの治療を怠れば間違いなく心不全を起こします。……それほど、彼の心臓は弱っているのです」

「…治る可能性は?」

「ありません。ユルングル様の低い自己治癒力では完治には至らない。…神官治療で症状をわずかに緩和させるくらいしか……もう出来る事は……っ」


 言葉に詰まって、無意識にかシスカは膝に置いた拳を強く握る。

 何もできない自分がことさら悔しいのだろう。眉根を寄せて渋面を作り、必死に感情を押し殺すように歯を食いしばっている。

 その様子を視界の端で捉えたゼオンは、困ったように小さく息を落とした。


 昔から、シスカのそういう表情に弱い。

 この顔をされると、どうにも心が落ち着かないのだ。どうにかしてやりたいと思う気持ちと、どうにもできないという気持ちがせめぎ合って、結局、決して手を出してはならないところに手を出そうとしてしまう。

 それはユルングルが5歳の時に起こった彼の暗殺未遂事件の時もそうだった。


 あの時もユルングルを守る術が見つからないと眠ることも忘れて悩むシスカに困り果てたゼオンは、渋々ラジアート帝国の皇族に伝わる変化へんげの宝珠の構造を教えた。それに関して後悔は一切してはいないが、後悔していないからこそ今回もまた門外不出の情報をこの男に渡してしまうのだろう。

 それを判っていて毎度毎度自分に相談しているのだとすれば、この男が一番食えない奴だとゼオンは嘆息する。


(…まあ、こいつがこういう状態になるときは決まってユルングルの事だけだからな)


 大目に見るしかない。

 ゼオンはもう一度ため息を落として、悄然と肩を落とすシスカを視界に捉える。


「…心臓に電気を送る事ができればいいんだな?」

「……!……出来るのですか…?」


 シスカは目を瞬いて、不本意そうな表情を取っているゼオンを注視する。


「…ラジアータ帝国には義手や義足の者が多い。長い間戦争を繰り返してきた所為だが、そのおかげでそっち方面の技術が進歩したのはお前も知っているだろう」

「…ええ。魔装具で作った義手や義足が本物と遜色なく動くと聞いたことはあります」


 物自体は金属で作られているそうだが、その動きはまるで本物の腕や足と何ら変わらない、ということだけは神官や医術に携わる者なら誰でも一度は耳にした事のある情報だ。

 だが独自に発展した医薬に関しては決して国外には出さないラジアータ帝国のこと、これ以上の情報は決して出回らなかったので、ほとんどの者は眉唾物だと思っていたしシスカもまた同じくそう思っていた。


「…本当の事なのですか?」

「ああ、本当の事だ。なぜ俺たちの手足が思い通りに動くか知っているか?」

「…それは…脳からの指令が電気信号となって____!」


 言いながら、シスカは気づく。


「そうだ、義手や義足に取り付けた魔装具から電気信号を発生させて、本物と変わらぬ動きが出来る構造になっている」

「…!?では……!ユルングル様の心臓にも使えるのですか!?」


 シスカは瞠目して、身を乗り出すようにゼオンに迫る。


「心臓に使用したことはないから改良する必要はあるがな。…徐脈は常に起きているのか?」

「いえ、ディアの診断書ではほとんどが徐脈の状態ではあるそうですが、時折正常な脈に戻ることもあるそうです」

「なら脈拍を常に監視して徐脈になった時だけ電気を発生させる装置が必要だな。あと体内に埋め込むには今のままじゃ大き過ぎる。もっと小さくする必要があるか。…これはずいぶんと手間だな」


 完成するまでの工程を考えると果てしなく思えて、ゼオンはたまらず盛大にため息を落として赤黒い癖っ毛だらけの頭を掻く。そんなゼオンとは裏腹に、嬉々とした表情で目を輝かせながらシスカはさらに身を乗り出して、ゼオンに顔を近付けた。


「ゼオン……!!ありがとうございます……!!!」

「……っ!」


 ゼオンは昔から、シスカのこの顔にも、また弱い。

 四十過ぎだというのにその外見は二十歳はたちそこそこから一切変わっていないシスカのその顔に、ゼオンはたまらず体を後ろに引いた。

 出会った頃の幼さはもう全く感じる事はないが、それでもこうやって満面の笑みをたたえると幼さが垣間見えるのは思い違いではないだろう。かつてのシスカの姿が重なって、ゼオンは面映ゆさと、こちらの気苦労も知らず笑顔を湛えるシスカに忌々しさを覚えて、これでもかと渋面を作って見せた。


「…勘違いするなよ…!これを作ったところで、あいつの心臓が治るわけじゃない…!」

「はい…!それは判っています…!それでもこれが完成すれば、無茶さえなさらなければユルングル様は平穏な日常をお送りする事ができるようになりますから…!」


 あいつが無茶をしない人間ならな、とゼオンは心中で揚げ足を取ったが、どうやら喜びが勝って失念しているらしいので思うに留める。


(…あれが黙って言う事を聞くわけがないだろう)


 何より、周りが黙ってはいない。

 例え本人が穏やかな日常を願ったとしても、おそらくユルングルの周囲は常に不穏が付きまとうのだろう。現に今も、その状況なのだ。だからこそユルングルは、今後もおそらく無茶をするしかない。


 ゼオンはこの付け焼刃な代物でどこまでユルングルの無茶に耐えられるのかと小さくため息を落として、おもむろにベッドから下りようと毛布をはいだ。


「…!…ゼオン?どうしたのですか?」

「作るならさっさと作った方がいいだろ。…ユルングルの工房を使わせてもらうか。あそこの職人は腕がいい」

「待ってください…!貴方はまだ肺炎が治ってはいないのですよ…!?」


 腕をまくり上げて今すぐにでも勇んで出ていきそうなゼオンに、シスカは慌てて立ち上がって制止する。


 ゼオンが肺炎を発症してからまだ十日も経ってはいない。

 昼間はこうやって普段と変わらず過ごしてはいるが、やはり夕方になると熱と咳が出てくるのだ。例えユルングルのためとはいえ、そこまでの無茶をゼオンに強いるわけにはいかない。


 だがゼオンは制止するシスカを軽く一瞥して、念を押すように告げる。


「…いいのか?あいつがゆっくり休める時間はそう長くはないぞ?」

「……!」

「…どうにもきな臭いからな。そう遠くないうちに一波乱あるだろう。…そうなれば、あいつは否応なしに巻き込まれるぞ。それでもいいのか?」

「…それは……」


 言葉に詰まって言い淀むシスカに構わず、ゼオンは扉に向かって歩みを進める。


「…おい、何してる。行くぞ、シスカ」

「…!おれも…ですか?」

「当たり前だろう。作るのは魔装具だぞ。誰が魔力を込めるんだ」

「…ですが、おれはユーリシア殿下に皇宮に留まるようにと___」

「ユルングルの心臓を守る魔装具を作るんだろう。大義名分があれば、あいつも何も言わん」


 それでも躊躇するシスカに、ゼオンはとどめの一言を投げる。


「ユルングルの様子を見に行かないのか」

「……っ!行きます…!」


 これを言われては、否とは言えない。

 以前ユーリシアに皇宮に残ると誓った事に後ろ髪を引かれつつ、それでもユルングルの為だと言い訳するように自分に言い聞かせて、誘惑に負けたシスカはゼオンと共に部屋を後にした。


**


 ちょうど、ダスクに相談しようとゼオンの部屋の前まで来たところだった。


 ドアノブに手をかけたところで二人が工房に向かうと聞いて、ユーリは思わず身を隠して去って行く二人を見過ごした。どうにも見てはいけないものを見てしまったような気分になって、罪悪感にいたたまれず白宮を出る。


(…別にあの二人は悪い事をしに行くわけではないもの…)


 そう、ユルングルに必要な物を作るために、隠れ家に戻るだけなのだ。

 そう自身に噛んで含ませるように言い訳したが、それでも気が晴れないのはユーリシアの事があるからだろう。


 彼は、ユルングルに会いに行きたくても会いに行けない。

 それは忙しいという意味合いもあるが、それだけではない。

 人一倍責任感が強く、一度こうだと決めてしまうと自分の感情よりも周りを優先しようとするユーリシアだけに、おそらく皇王から許可が出たとしても頑なに断るのだろう。

 それが判るだけに、ユーリはダスクがユルングルに会いに行った事実を知って、まるで共犯者になった気分に陥った。


(…ダスク兄さまの……ばか…!)


 心の憂いが晴れず、どこにもぶつけられない苛立ちをユーリは思わず勝手をしたダスクに向ける。

 例えそれがユルングルの為とは言え、ユーリシアとの約束を反故にしたのだから言われても仕方のない事だろうか。


 結局、相談もできず手持無沙汰になったユーリは、悄然と肩を落としながらあてもなく足を進ませた。


(…あの様子だとダスク兄さまは、魔装具が完成するまで戻って来られないわよね…)


 せめて相談だけでもできていれば、とユーリはため息を落とす。


 ユーリがダスクに相談したかったのは、聖女のことだ。

 ユーリシアが触れても、そして高魔力者である皇王が触れても、変わらず聖女は何の反応も示さなかった。それが不気味で怖い。

 おそらく皇王はその理由を知っているのだろう。だからこそ妙に心得たような態度を示したのだ。

 だとすれば皇王に訊ねるのが一番確実だが、教えるつもりならあの時に告げたはずだ。言わなかったのは、知られては困る何かがあるからだろう。


 だからこそダスクに相談したかったが、その機会までもを奪われてユーリは再び、今度は盛大にため息を落とした。

 そのため息に、反応が一つ。


「…悩み事ですか?ユーリ殿」

「…!」


 突然後ろから声をかけられて、ユーリは体を強張らせながら慌てて振り返る。

 そこに至ってようやくユーリは、今自分が一人でいることに気がついた。せめてアルデリオと一緒にいればと強く後悔したが、声をかけてきた人物の面影がどことなくダリウスに似ているような気がして、ユーリは強張った体がほぐれるのを感じた。


「………ダリウス…さん……?…いえ、フォーレンス伯…でいらっしゃいますか……?」


 たどたどしく訊ねるユーリに、問われた相手は穏やかに微笑みを返す。


「それほど息子とよく似ておりますか?」

「…!初対面の方に失礼を……っ!!」

「いえいえ、この顔のおかげで貴女の緊張がほぐれたのでしたら、お役に立てて何よりです」


 慌てて頭を下げるユーリをやんわりと制して、フォーレンス伯はおもむろにこうべを垂れる。


「お初にお目にかかります。デューイ=フォーレンスと申します。以後お見知りおきを」


 その穏やかな物言いや立ち居振る舞いがダリウスを彷彿させて、ユーリはたまらなく溢れた安心感に懐かしさを覚えた。

 隠れ家を離れてもうひと月あまり。ダリウスの存在がこれほどまでに安心感を与えてくれていたのだとユーリは改めて実感して、目の前のダリウスの面影を有した老紳士に同じく丁寧に頭を下げる。


「私はユーリ……いえ、ミル__」

「ユーリ殿。…ここでは誰が聞き耳を立てているか存じ上げません。自己紹介は後にいたしましょう」

「……!」


 きっと皇王から聞いているであろうと仮定して本名を名乗ろうとしたユーリを、フォーレンス伯は穏やかに制しながら口元に人差し指を当てる。そうしてユーリを促すように道の端に立って、皇宮へと片手を軽く広げて見せた。


「…シーファス陛下がお呼びですので、執務室まで足を運んでいただいてもよろしいですか?」



 促されるままユーリはフォーレンス伯に追従して、シーファスの執務室へと向かう。

 扉を軽く叩くフォーレンス伯を視界に留めながら、ユーリは何か失態を犯してしまったのではないかと内心気が気ではなかった。


「シーファス陛下、お連れいたしました」

「…ああ、ありがとう、デューイ」


 開かれた扉の向こうにフォーレンス伯とユーリの姿を見止めて、シーファスは書類に目を通していた手を止め、おもむろに席を立つ。


「わざわざ来てもらってすまないね、ユーリ」

「いえ、ちょうど手持無沙汰で暇を持て余していたところです。…それで……一体どのような…?」


 訝し気に問いながら言葉尻を濁したのは、シーファスの後ろにアルデリオが控えていたからだ。それで余計何を言われるのか判らなくなって心の中が不安で満たされたが、そんなユーリの心中を悟ってシーファスはくすりと笑みを落とす。


「…彼は仕事がなくなったようだからね。ここを離れるユーリの護衛に付けようと呼んだのだ」

「……え?」

「ユーリ…いや、ミルリミナ嬢。一度、屋敷に戻りなさい」

「…!」


 予想だにしていない言葉をかけられて、ユーリは目を丸くする。

 それは驚きというよりも戸惑いの気持ちの方が遥かに大きかった。


「…屋敷に、ですか?」

「ウォーレン公にはとりあえず貴女の無事を伝えてはいるが、夫人がずいぶんと参ってしまっているようでね。一度、顔を見せて安心させてあげるといい」

「…!お母さまが…!」

「…すまなかったね。本当はもう少し早く伝えるつもりだったのだが、ユルングルが倒れてずいぶんと待たせてしまった。…無論、公式的には聖女ミルリミナは現在も行方不明扱いとなっている。完全に屋敷に戻られては困るが、何なら当分の間は屋敷に滞在しても構わない」


 言って、シーファスはちらりと視界の端でユーリの姿を捉えたが、その表情がやけに浮かない顔をしている事に、いぶかし気な顔を見せた。


「…どうした?何か問題があるのか、ユーリ?」

「い、いえ…っ!そういうわけでは…!!」


 慌ててかぶりを振りながらも、ユーリは悄然と視線を落とす。

 シーファスは続く言葉を待つように、黙したままユーリを視界に入れていた。そして、ややあってぽつりと呟く。


「…屋敷に、戻らなければならないのでしょうか…?」

「…屋敷に戻るのは嫌だと?」

「そのような事は…!」

「私にはそう聞こえるが」

「…!」


 間髪入れずに応酬が返って来て、ユーリはたまらず返す言葉を失って困り果てたように口を噤む。


 屋敷に帰るのが嫌なのではない。

 ずっと両親に、そしてティーナに心配をかけているだろうと気にしていたのだ。何かあるたびに両親やティーナの顔が頭をよぎって、どうにか無事を伝えられないかと考えてもいた。それだけに正直、皇王の申し出は有り難かったし、そうしたいとも思った。


 だけども、ユーリはそれを素直に喜ぶ気にはなれなかったのだ。


「…ユーリシアの事、かな?」

「…!」


 心中を悟られて、ユーリは弾かれるようにシーファスに顔を向ける。


「…ユーリシアと離れたくない?それとも…ユーリシアが心配かな?」


 不安げな表情を取るユーリをできるだけ落ち着かせるように、シーファスは穏やかに訊ねてみる。

 ユーリは一度何かを言おうと口を開いたがすぐに閉じて、そうしてややあってから気持ちを吐き出すように、それでいて言葉を選ぶように、ぽつりと遠慮がちに言葉を落とした。


「……ゼオンさんとダスク兄さまは、ユルンさんの心臓を守る魔装具を作るために工房に向かいました。おそらく、当分の間は戻ってこられないでしょう…」

「…そのようだね。アルデリオから報告は受けている」

「…その上、私までここを去ってしまったら…?ユーリシア殿下はたった一人で、ユルンさんに会えない苦しみを抱える事になります……」

「…私はユルングルに会ってはいけないと言った覚えはないよ」

「ですが、きっとユーリシア殿下はお会いになりません。そういう方です」


 確信を持って断言するユーリに、シーファスは内心で感嘆の息を漏らした。


(…ユーリシアの事をよく理解している)


 婚約してから婚姻の儀が行われるまでの五年の間、二人は会うどころか会話を交わしたという話すら聞いたことはなかった。相性が悪いのかと危惧したこともあったが、これほど深くユーリシアの事を理解するには長い年月が必要だろう。

 ユーリとして親密な関係を築いたのはごく最近の事。おそらくはそれ以前からずっとユーリシアを想っていてくれたのだろうか。


 シーファスはその事実を微笑ましく思いながらも、不安を隠せないユーリを見て取って、呆れたように小さく嘆息を漏らす。

 もちろんその相手は、ユーリにではない。


「…至らない愚息で申し訳ない、ミルリミナ嬢」

「…!そうではありません…!ユーリシア殿下は___」

「心配をする、という事はユーリシアを一人にするのは不安だと言っているのと同じことだ」

「…!」

「そしてその不安を植え付けたのはユーリシアに他ならない。…どうやら貴女の前で弱さを見せたか」


 再び呆れたようにため息を落とすシーファスに、ユーリは眉根を寄せて食って掛かるように告げる。


「…弱さを見せるのは悪い事ではありません…!」

「そう、悪い事ではない。だが、見せてはいけない時もあるし、見せ過ぎてもいけない。そうでないと、今の貴女のように不安を抱く事になる」

「……!」


 的を射た言葉に、ユーリは反論できず口を閉ざした。


 ユーリシアが悪いわけではない。自分が勝手に不安を抱いているだけだ。

 そう言いたかったが口をついて出てこなかったのは、シーファスが言う通りユーリシアの不安げな表情を何度も見てきたからだろう。


 まるでユーリシアの不利益になる事を漏らしてしまったような罪悪感に駆られて、ユーリは何も言えずにただ目線を落とした。

 そんなユーリをなだめるように、シーファスは緩やかに微笑む。


「あの子にとってユーリの存在は、本当に心の支えとなっているのだろう。父として、心から礼を言わせてもらう」

「そんな…!私は何も…!」

「だが依存させてはいけない。ユーリに頼ってばかりでは、あの子はいつまで経っても弱いままだ。本当にユーリシアの事を想ってくれるのなら、心から信じて待ってあげなさい」

「……信じる…?」

「そう、ユーリシアに決して揺るがない信頼を寄せて欲しい。…傍で心配することだけが愛情ではない。心から信じて離れる事もまた大事な事だ。その信頼が、ユーリシアを強くする」

「……!」


 その言葉が、ユーリの胸に強く突き刺さる。


(…私は、ユーリシア殿下を信じてはいなかったの…?)


 当然、そのつもりはない。

 自分の中では信頼を寄せていたつもりだし、ユーリシアを疑ったことなどただの一度もない。

 だが、疑わない事と信頼を寄せる事は、必ずしも同義ではないのだ。

 少しの間離れるだけで不安や心配に襲われるのは、信じていない事の証左に他ならない。


 ユーリは己の行動を恥じ入るように深く瞼を閉じた。

 そんなユーリを視界に留めて、シーファスはややあってから静かに口を開く。


「…もう一度問おう。屋敷に戻るつもりはあるか?ミルリミナ嬢」


 その問いかけに、ユーリは閉じた瞳をゆっくりと開いて、強い視線をシーファスに向ける。


「…はい、屋敷に戻ります。…私は、ユーリシア殿下を信じられる強さが欲しいですから…!」

「……!」


 その言葉に、今度はシーファスが目を瞬いた。


(……ユーリシアを信じたい、ではなく、信じられる強さがほしい、ときたか……)


 不安に駆られるのは、自分の心の弱さもあると判断したのだろう。

 誰かを強く信頼するという事は、信頼される側だけではなく信頼を抱く側にもまた、強さをもたらしてくれることをシーファスは知っていた。

 ユーリは無意識にそれを理解したのだろうか。


(…強いな、この子は。ユーリシアはこの強さに惹かれたか)


 だとすれば、心の弱いユーリシアがユーリを欲してしまうのは必然だろうか。

 シーファスは小さく嘆息を漏らして、強い視線を送るユーリに微笑みと頷きを返す。


「…屋敷に滞在している間は必ずアルデリオを伴いなさい。どこに行くのも必ず彼と一緒に行動する事、いいね?」

「はい」

「こちらに戻る時期はミルリミナ嬢に一任しよう。いつでも戻ってくれて構わないが、出来れば十日以内には戻ってきて欲しい」


 妙に具体的な数字を上げる皇王に、訝し気な表情を取りつつもユーリは頷く。

 そんな皇王の言にフォーレンス伯もまた怪訝そうな顔を取ったが、ここでは敢えて黙して語らずを貫いた。


「…白宮の前に馬車を用意させよう。その間に準備を済ませて屋敷に向かいなさい。…アルデリオ、ユーリを頼んだよ」


 シーファスの言葉に、アルデリオはうやうやしく頭を垂れて、ユーリと共に辞去する。

 二人残されたフォーレンス伯は、お聞きしたところでお答えくださるとは思っておりませんが、と前置きしたうえで、シーファスに訊ねてみた。


「…一体、貴方は何をなさろうとしているのです?」

「私がするのではない。私は、される側だ」

「……?何をされるのです?それにユーリ殿が関係していらっしゃるのですか?」

「…彼女の事はどうしようか未だ迷っている。…だが、ユーリシアの傍にいる方が安全だろう」

「……?…なのにお屋敷に戻されるのですか?」

「事が起きた時の話だ」


 まるで禅問答をしているような気になって、フォーレンス伯はたまらず肩を落として盛大にため息をいた。


「…貴方は本当に、昔から何もおっしゃってはくださらない」

「答えたつもりだが?」

「こちらが理解できるようにお答えするつもりがなければ、言っていないのと同じことです」

「違いない」


 珍しく渋面を作るフォーレンス伯に、シーファスはくすくすと笑みを落とす。


 穏やかな彼のこういう表情は、長年共にいたシーファスですら数えるほどしかない。

 あとどれだけ、彼のこういう表情を見る事ができるのか。

 そんなことを考えながらもう一度フォーレンス伯の顔を一瞥して、シーファスは再び書類に目を通し始めた。

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