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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第三部 有備無患 

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太陽王と英雄王

「あれからまだ、ユルングル様はお目覚めになってはおられないのですか?」


 声を掛けながらラヴィは、おざなり程度の小さな卓にダリウスの朝食をお盆ごと丁寧に置いた。

 ラヴィが部屋に入ってきたことにすら気付かなかったダリウスは、その声掛けで飛び上がるように驚いて、目を丸くしながらラヴィに視線を向ける。


「…申し訳ございません、ダリウス様。お部屋に入る前にお声をかけたのですが…」

「あ……い、いえ…!…すみません、ラヴィ。まったく気付かず……___!」


 驚かせてしまったことを申し訳なさそうに謝罪するラヴィにダリウスは慌ててかぶりを振ったところで、空がもう完全にしらんでいる事に気づいて、さらに目を見開いた。


「もうこんな時間…!?すみません…!今から朝食の準備を___」

「朝食は僭越ながら私がご用意させていただきました。…簡単なもので申し訳ございませんが……」

「……!」


 慌てて立ち上がるダリウスを落ち着かせるように、ラヴィは穏やかに告げる。


 ユルングルが昨日ようやく目覚めてから、ダリウスはそのほとんどの時間をユルングルの部屋で過ごしていた。皇王が皇宮に戻った事で、ようやくユルングルの傍にいられる安堵感に気が緩んだのだろうか。昨晩の夕食とその片付けだけはいつも通りダリウスがしたが、そのほかの家事は珍しく手つかずとなった。

 そして今の彼の様子を見る限り、その後そのまま一睡もせずにずっとユルングルにつきっきりだったのだろう。夜が明けた事にも、ラヴィが入ってきたことにも気付かず、ただ一心にユルングルを見つめていたダリウスの姿を思い出す。


(…これほど取り乱されたダリウス様は初めて拝見した…。よほどユルングル様の事がご心配なのだろう……)


 目覚めたとは言っても、またすぐに眠りについたのだ。

 口に入れたのも、わずかな水のみ。そして脳への損傷はないと判明したが、心臓の障害に関しては確実に存在する事が認められている。未だ心配が解けないのは仕方のない事だろうか。


 ダリウスは呆然自失と卓に置かれた朝食を視界に入れて、ラヴィに視線を移す。


「……これは、ラヴィが…?」

「はい。ダリウス様に教えていただいたおかげで、これくらいは何とかご用意できるようになりました」


 笑顔で告げるラヴィに、ダリウスは悄然と肩を落として自嘲するようにため息をく。


「…すみません、ラヴィ。ユルングル様の事になるとそればかりになって、他が疎かになってしまいますね…」

「…それでよろしいのではないですか?」

「……え?」


 思いがけない切り返しに、ダリウスはユルングルに視線を向けているラヴィの顔を再び視界に入れる。


「きっとダリウス様にとって、ユルングル様は未だ『弟』でいらっしゃるのでしょう」

「……!」

「ご兄弟であれば心配なさるのは当然の事。お気になさる必要はございませんよ」


 そう笑顔を向けてくれるラヴィから、ダリウスはややあってユルングルへと視線を移す。


 ユルングルが5歳になって市井に降りるまで、彼を第一皇子だと知りながらも本当の弟のように接してきた。

 そして市井に降りて以降は、幼いユルングルにどれほど兄であることを請われても、ずっと従者に徹してきたつもりだった。


(…それでも、隠しきれないものなのか…)


 きっとこの想いは、何年経とうとも無くならないのだろう。

 ダリウスは自分の心中を悟られた面映ゆさと、その想いを捨てられない自分の情けなさにため息を落として、同時に苦笑する。


「…貴方には敵いませんね、ラヴィ亅

「……?…それは…光栄です」


 何のことか判らず小首を傾げながらもそう返答するラヴィにダリウスはくすりと笑みを落として、もう一度ラヴィが用意してくれた朝食を視界に入れる。


 温かそうなスープと、細かく刻んで煮た野菜とひき肉をふんだんに使ったオムレツに出来立てのパンを添えてある。本人が言うように簡素ではあったが、それでもそのどれもがラヴィが誠心誠意、思いを込めて作ったことが見て取れて、ダリウスはたまらなく温かい気持ちになった。


「…誰かが作ってくれた食事は久しぶりです。せっかくラヴィが作ってくれたのですから、有り難く頂戴しますね」

「…ぜひ」


 椅子に再び腰かけて食事に手を付けるダリウスに、ラヴィは満足げな表情を見せる。


「…ご自分でお食事を用意されないのは、フォーレンス邸のお屋敷にご滞在されていた時以来ですか?」

「いえ、私が用事で帰りが遅い時などはユルングル様がよく食事をご用意してくださいましたよ」

「…!ユルングル様が……ですか…?……この方は、本当に何でもこなされる方ですね」


 感嘆するような、それでいて呆れているような表情で息を落とすラヴィに小さく笑みを落として、ダリウスは懐かしいものを見るような瞳でユルングルを見る。


「…幼心に慣れない家事に四苦八苦する私を気遣ってくださったのでしょう。何かと理由をつけては色々と手伝ってくださいましたから、家事全般は何でもこなされます」

「……ずいぶんと生活力がおありな第一皇子さまですね」


 揶揄するように、くすくすと笑みを落とすラヴィに、ダリウスもまた同じように、だけども少し寂しそうに笑う。


「……他の皇族とは違って、異色な経歴をお持ちですから」


 ユルングルに向けて同情するような視線を送るダリウスに、ラヴィもまた同じ気持ちをダリウスに対して抱いた。


(……それはダリウス様もご一緒だろうに…)


 彼もまたユルングルと同じく、皇族でありながら皇族としての暮らしを手放さなくてはならなかった。それも幼い皇子を抱えて、暗殺者から彼を守るために誰一人従者をつける事は出来なかったのだ。

 それは皇子の居所を知る者が一人でも増えるほどに、どこからか漏れる可能性が高くなるからだ。どれだけ信用のおける人物だったとしても、本人の自覚なくうっかりと漏らすことだってある。人の口に戸は立てられないのだから、できるだけ人は少ない方がいい。


 その理屈は判るが、家事も養育も、そして体の弱い彼の看病もすべて一手に引き受けたダリウスの辛苦を思えば、いたたまれない。


 押し黙ったまま目線を落とすラヴィを見止めて、ダリウスはその心中を悟ってにこやかに告げる。


「私はただの一度も、辛いと思ったことはありませんよ」

「……え?」

「確かにこの方をお育てするのは容易くはありませんでした。人一倍魔力の低いお方ですから、大病を患った事は一度や二度ではありません。もう駄目だろうと神官に言われた事は何度もありますが、そのたびにユルングル様は私の元に戻ってきてくださいました」


 そうして、ひどく穏やかで優しい瞳をユルングルに向ける。


「…彼に困らせられた事も、苦労させられた事も確かにあります。ですが辛いと思ったことは一度もありません。…これほど立派になられたのです。その手助けがわずかでもできたのであれば、私にとってユルングル様の存在そのものが誇りなのです」

「……!」


 そう胸を張って言い切ったダリウスに、ラヴィは目を瞬きながらも羨望の眼差しを向ける。


 自分はユーリシアに対して、そこまでの感情を向ける事はできるだろうか。


 確かにダリウスとユルングルの関係性はただの主従関係とは言い難い。それゆえに生じる想いで、自分とユーリシアに置き換える事自体、無意味なのだろう。それでもそこまでの想いを寄せられることが羨ましく、そして同時に一抹の不安がラヴィの頭をもたげた。


 ___(あの二人には…特にダリウスには決して言うな。知ればあいつは国を敵に回してでも俺を連れて逃げるだろう)


 以前、自らの罪をあがなうつもりだと宣言したユルングルの言葉を思い出す。


(……確かにダリウス様なら国を…いや、世界中を敵に回してでもユルングル様を連れてお逃げになるだろう……)


 その時の事を考えると、眩暈を覚えるほどに胸が締め付けられる思いがした。

 そうして、ややあってから小さくかぶりを振る。


(……今、考えたところで詮無い事だ…)


 ユルングルの考えが変わるかもしれないし、何より他でもない皇王が決してユルングルが処刑される事を許したりはしないだろう。何を置いても必ず阻止するはずだ。

 そう自分を納得させながら、それでも心の奥底に根付いた不安が小さくくすぶるのを感じていた。


「…ラヴィ?どうかしましたか?」


 不安を噛みしめるように眉根を寄せて押し黙るラヴィを怪訝に思って、ダリウスは小首を傾げながら声をかける。

 己の内実を彷徨っていたラヴィは我に返って、不安げなダリウスにできるだけ平静を装って笑顔を向けた。


「…いえ、何でもありません。…私の杞憂でしたようで、安心して胸を撫で下ろしておりました」


 それでもいぶかし気な表情をやめないダリウスを横目に、ラヴィはおもむろに宮棚に置かれたユルングルの剣を視界に納める。


「……それよりも、ダリウス様。昨日拝見して思ったのですが、ユルングル様の剣はユーリシア殿下の物とよく似ておいでですね」


 怪訝そうにこぼしたラヴィの言葉に、ダリウスも宮棚に置かれたユルングルの剣に目を向けた。


「…ああ、あの剣は元々ユーリシア殿下の剣と対になる剣__兄弟剣なのですよ」

「…兄弟剣……?」

「同じ鋼から作られた剣で、陛下がお若い頃、前皇王__つまり陛下のお父上から下賜かしされた物だそうです。その前皇王も同じくお父上から下賜されたそうで、長い間、直系の皇族に受け継がれてきた由緒ある剣だそうですよ」

「それほど昔から存在していた物なのですか?」

「起源は太陽王がご存命だった頃まで遡るそうですから、相当古いものなのでしょうね」

「…!太陽王…!!千年も前ではありませんか…!!」


 想像の範疇を大きく上回っていた事で、思わず上げた声を慌てて塞ぐように口を押えて、ラヴィは眠っているユルングルに視線を向ける。軽く頭を動かしてはいたが起きる気配はない事に、ラヴィはほっと胸を撫で下ろした。


 ___太陽王、グラウ=ディアウス。

 この世界に住む者で、この名を知らぬ者はいない。

 時には演劇で、そして時にはおとぎ話に形を変えて脈々と語り継がれてきた歴史上最も偉大な王だ。


 まだ国という概念がなかった頃、小さな部族同士で争いの絶えなかった世界を初めて統一し、安寧と発展をもたらしたのが、この太陽王だった。

 それは武力を持って統一したわけではない。無論、それが必要な時はあったが、彼は大陸のそのほとんどを争いもなく統一した。誰もが彼の為人ひととなりに魅了され、皆、自ら彼の前にかしずいたのだという。


 大陸を統一した後、北半分を太陽王が、そしてもう半分の南側を太陽王の兄が統治した。それがフェリシアーナ皇国とラジアート帝国の前身で、他の国はその二つから長い年月をかけて派生したと言われている。


「…この剣とユーリシア殿下の剣は、その太陽王と、のちに英雄王と称されるようになった太陽王の兄君が使われていたと言い伝えられている剣です。元々は太陽王が使われていた紺碧の剣をフェリシアーナ皇国が、そして英雄王が使われていた深紅の剣をラジアート帝国が国宝として所蔵していたのですが、四百年ほど前に英雄王の剣が盗難にあって消失し、その百年後、太陽王の剣に呼応するようにその姿を現したそうです。以来、この二つの剣は決して離してはならないと、フェリシアーナ皇国が所蔵するようになりました」

「……何だか、とても恐れ多くて触れる事すらはばかられますね……」


 宮棚から剣を丁寧に持って、その剣の由来を話しながらダリウスはラヴィの前に剣を差し出す。その剣に畏敬の念を含んだ視線を向けたラヴィは、千年も前の物とは思えないほどの輝きを見せている事に、わずかに怪訝そうな表情を取った。


「…千年前の物とは到底思えませんね……」

「それがこの剣の凄いところなのです」

「…え?」

「鞘は確かに当時の物ではありません。どれほどいい物を作っても必ず最後は朽ちていったそうです。ですがこの刀身はわずかに錆びる程度で、軽く鍛え直しをするだけで再び輝きを取り戻すのだと陛下からお聞きしたことがあります」


 シーファスがこの剣を使うまで、歴代の皇王はこの二つの剣をあくまで国宝として所蔵するに留めていた。

 それは歴史的にも価値のある物だったからだが、シーファスは好奇心に負けて剣を鞘から抜いたという。長い間、鞘に納められていたにもかかわらずシーファスが鞘から剣を抜いたところ、朽ちかけていた鞘とは違ってその刀身は輝きを失ってはいなかったのだ。


 その事実に魅了されて、シーファスは父である前皇王から強く止められたにもかかわらず鞘を新調して刀身を鍛え直し、愛用するようになった。

 以来、ただ飾られていただけの国宝は、再び国を守る任に就いたのだと、ダリウスは言った。


「……そんな偉大な剣を敬遠することなく使おうとお考えになる辺り、いかにもシーファス陛下らしいですね…」

「…そうですね」


 半ば呆れたように告げるラヴィに、ダリウスも同じく苦笑しながら肯定する。


 シーファスは良くも悪くも、貴重な物を貴重な物のままにする、という事を嫌う。

 使える物は貴重な物でも使うべきだと惜しげもなく使うところは、自身の貴重な万有の血でも惜しげもなく分け与えるユルングルに通ずるところだろうか。


 そう思ったところで、ラヴィはふと思い出す。


「……ユルングル様は、この剣の由来をご存じなのですか?」

「ええ、お伝えはいたしました」

「……私の記憶違いでなければ、ユーリシア殿下が暴走された時、この剣を思いっきりユーリシア殿下に向かって投げられていた気がするのですが……」

「………ユルングル様は、シーファス陛下のご子息ですから……」


 それ以上の明言を避けたダリウスに、ラヴィもまた苦笑をもらす。豪胆なところはさすがと言うべきだろうか。


 そうしてラヴィは再び、ダリウスの手の中で眠るように納まっている深紅の剣に視線を落とした。

 どこかしら暖かみがありながら、それでいて人を魅了するほどの不思議な輝きを放っていると感じるのは、おそらく気のせいではないだろう。


「…もしかしたら、この二つの剣がユルングル様とユーリシア殿下を、ご兄弟として導いてくださったのかもしれませんね」

「……!」


 何とはなしに落としたラヴィの言を、ダリウスは妙に得心したような気分で耳に入れた。


 盗難にあったこの深紅の剣は、太陽王の紺碧の剣に導かれるように、その姿を現した。その逸話通り互いに惹かれ合うのであれば、ラヴィの言葉は正鵠せいこくを得た言葉だろう。

 だとすれば、シーファスが二人にこの剣を分け与えた時点で、二人が兄弟として導かれるのは必然だったのだろうか。


(…考え過ぎかもしれないが)


 それでもそう思うと、妙に胸が熱くなった。

 長く目を覚まさなかったユルングルが剣を宮棚に置いた途端に目覚めた事といい、妙な符号がダリウスの中に確固たる確信を作る。


(…これは、ユルングル様が持つべくして持ったのだろう)


 ならば、これは決してユルングルから離してはならないものだ。

 ダリウスはうやうやしく剣を一度視界に納めてから、かつて太陽王の兄、英雄王が所持していた深紅の剣を、いつもと同じ宮棚に優しく置いた。

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