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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第二部 暗雲低迷

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皇王を殺す者

 初秋が色濃くなった森の中を、ユルングルは一人歩いていた。


 普段からどちらかと言えば人よりも痩せているユルングルは、暑さよりも寒さに弱い。

 この時期、ダリウスなどは日によって変わる気温に合わせて半袖と長袖を使い分けていたが、ユルングルは年中長袖な上に、初秋が色濃くなる時期からは外出に外套は欠かせない。無論、真冬に羽織るそれとは比べ物にならない程度の薄さだが、あるのとないのとでは体感がまるで違った。


 ユルングルは外套のフードを取って森の木々たちに目を向ける。

 色づき始めた木々たちが視界に小さく彩りを添えていた。緑と、黄色と、なかには気の早いもので、赤に色づいているものもある。

 ユルングルはそれを見つけて小さく笑みを落とすと、その気の早い葉に手を伸ばす。


「…あまり生き急ぐと疲れるぞ」

「…それは自分のことかな?ユルングル」


 ひとりごちた言葉に忌々しい声が返ってきて、ユルングルは小さく舌打ちをする。

 手に持っていた葉を優しく離すと、ユルングルはめつける様に声の主を振り返った。


「…ここで何をしている?皇王」

「おや?私の出迎えをしてくれたわけではないのかな?」

「…来ることは判っていたが、俺が出迎える必要などないだろう。…用件ならダリウスに言え」


 渋面と共に作った眉間のしわから頑ななまでに自分の存在を拒絶しているのが判って、皇王は困ったような笑みとため息を落とす。


「…隠れ家に向かう途中、たまたま君を見つけてね。…一人では危ないだろう。君の病はいつ発作が起こるか判らない」

「余計なお世話だ」

「…その分だとダリウスたちに断わりもなく外に出たようだね」

「…息抜きくらいいいだろう」


 四六時中、誰かが張り付いていては気が休まらないのも確かだったが、本当は皇王が来訪するのが判って、ユルングルは逃げるように森に出たのだ。皇王が帰った頃合いに戻るつもりだったが、あっさり見つかってユルングルは内心で忌々しく舌打ちをした。


 ここは隠れ家に向かう道すがらではない。

 平然と皇王はうそぶいたが、おそらくユルングルがここにいると判って足をこちらに向けたのだ。それは勘か、あるいは神官たちが持つ感知能力と同等の能力を皇王は有しているのか。どちらにせよ見逃してくれそうにないのを悟って、ユルングルは諦めたように息を一つ落とすと、隠れ家に向かって歩みを始める。


「…少し散歩でもしないか?ユルングル」


 隠れ家に向かうユルングルの背に誘いの言葉を投げかけたが、どんな返事が返ってくるかは考えるまでもないだろう。


「俺は寒い」


 思った通りの言葉をぴしゃりと告げてフードをかぶるユルングルに、皇王は、取り付く島もない、と呆れたように息を落とした。


**


「ユルングル様…!今お迎えに上がろうとしたところです…!あまりお一人で歩かれては____」


 ユルングルの姿を見止めて慌てて駆け寄るダリウスは、そこまで言ったところで後ろにいる皇王が視界に入って、慌てて威儀いぎを正した。


「……!陛下…!お見苦しいところを…!」

「いい、私が好きで来たのだ。礼を取る必要はない」


 膝を突こうとしたダリウスを、皇王はやんわりと押し留める。

 ダリウスは軽くこうべを垂れるに留めると、ふと皇王の後に続く者がいないことにいぶかしげな目を向けた。


「…陛下、まさかお一人でこちらにいらしたのですか?」

「いや、護衛騎士を一人つけてはいる」


 言って、外を示す。

 その返答に、ダリウスは困ったように嘆息した。


「…陛下、以前にも申し上げましたがもう少し護衛をお付けください。貴方は常にお命を狙われておいでなのです」

「下手に護衛をつけると足手まといだ。彼らを人質に取られては私が身動き取れなくなる。…これも以前伝えたはずだが?」


 あんに口を挟むなと伝えたつもりだが、これで怯むダリウスではない。

 王と臣下である前に、この二人は伯父と甥の関係なのだ。他に比べて遠慮がない。


「ではせめてこちらにいらっしゃる時だけでも___」

「ダリウス」


 ずっと黙したまま二人の会話を聞いていたユルングルは、ダリウスの言葉を遮るようにぴしゃりと名前を呼ぶ。

 機嫌が悪いのか、フードを取りながら目線はこちらに寄せず、静かに告げた。


「体が冷えた。暖かい飲み物を頼む」


 こういう時のユルングルが何を言いたいのか、長年仕えているダリウスは熟知している。


 触れるな、と言いたいのだ。

 ___『これに関しては一切触れるな』


 こう言われては、ダリウスができる事は一つしかない。ダリウスはたまらず小さく嘆息を漏らして、次いで深々とこうべを垂れた。


「…承知いたしました」




「…今のは助け舟を出してくれたと思っていいのかな?」


 応接室に向かう道中、皇王は前を歩くユルングルに声をかける。背中からでも不機嫌さは伝わってきたが、それで黙する皇王ではないだろう。

 問われたユルングルは、ことさら面倒くさそうに口を開いた。


「…あんたも意図があってそうしているんだろう?」

「それが何かは?」

「もちろん心得ている」


 言ったのがユルングルでなければ鼻で笑っていた事だろう。

 皇王は満足そうに頷いて、促されるまま応接室に入った。


「で?一体何の用件だ?」


 上座に皇王を座らせるや否や、ユルングルは開口一番にそう告げる。さっさと用件を聞いて追い出そうとしている腹の内が見えて、皇王は内心面白くなさそうに嘆息した。


 無論、それで怒れるような立場ではない。彼が不機嫌になるのも、自分を拒絶するのも、自分自身に非があるからだと十分過ぎるくらい承知している。

 それでも、と思う。やはり息子から邪険にされるのは、寂しい。二十四年ぶりにようやくこうやって話せるようになったのだから、なおさらだろう。


 外套を脱いでソファの背もたれにかけるユルングルの姿を視界に入れながら、皇王は寂しそうに微笑んで告げる。


「…用件はないよ」

「…は?」

「用件はない」


 にこりと微笑んで怪訝そうなユルングルを迎え入れたが、どうやら意を得ないらしい。

 いぶかしげな視線を皇王に向けて、いかにも不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら、ユルングルはソファに腹立たしそうに座った。


「からかいに来たのか?用がなければ今すぐ帰れ。それとも皇王というのは時間が有り余るほど暇なのか?」


 いつまでもここに居座られてはたまらない。

 そう言わんばかりの、ユルングルお得意の憎まれ口が飛んできて、皇王はたまらず苦笑する。


 何でもすぐに察するユルングルだが、どうやら用がなくても子に会いたい親心は理解できないらしい。それは今まで『親』という存在がいなかったからか、あるいは皇王を親だと思っていないからか。そのどちらも、という可能性が一番高かったが、どちらにせよ、そうさせたのは己自身だろう。


 皇王は自嘲気味に笑みを落としてソファを立とうとした瞬間、ふと思い出した。


「…ああ、そういえば一つだけ用件があった」


 言って、懐からシスカから預かった物を取り出して卓に置く。


「シスカから頼まれた。あの子がここから逃げ出しても採血したかった、残りの万有の血だ」

「……!あいつは皇王まで小間使いにするのか…!」

「その分だと君もよく小間使いにされているようだね」


 思わず呆れたように言葉を落としたユルングルに、皇王はくすくすと笑みを落とす。

 その皇王に対してこれほど不遜な態度を取るユルングルもユルングルだろう、とは思ったが、皇王は苦笑と共に内心に留めた。


「…呆れた奴だな」

「あの子は昔から物怖じしない性格だったからね」


 その親しみを込めた言い方に、ユルングルはいぶかしげな視線を向ける。


「…ずいぶんと親しいようだな、ダスクと」

「あの子が前皇宮医の補佐になってからの付き合いだ。…もう二十四年になるか」

「…!俺が生まれた年か?」


 皇王は黙したまま頷く。


「教皇の肝いりで教会に入ってすぐ、あの子は皇宮医の補佐についた。先を見通す教皇が君の暗殺を予見したからだ」

「……!」

「当時あの子は17歳。普段は大人しくあまり物を言わない子だったが、ここぞという時の行動力は凄まじくてね。一回り以上年の離れたあの子に見事に息子を救われて、ひどく感服した事を覚えているよ」

「………外見が女みたいだったと聞いたが?」


 それには思わず失笑する。


「それはゼオン殿からの情報だろう。…確かに少女のようだった。今でも中性的だが、当時は幼さと長い髪が相まって少女にしか見えない外見だったね。誰も彼もがあの子を少女と間違えるから、それを嫌って長い髪をバッサリと切っていた。以来、ずっとあの髪型だ」

「……もったいない。せっかくの綺麗な髪を」

「……!」


 話を聞いていたユルングルがぽつりとこぼした言葉に、皇王は思わず目を瞬いた。

 そうして、皇王も同じくぽつりと呟く。


「……私も、そう思う」


 光に当たって青く輝く彼の髪は、息子であるユーリシアの銀髪とはまた違った美麗さがあった。

 絹糸のような青銀髪を切ると聞いたときは、先ほどのユルングルが落とした言葉と全く同じ台詞をシスカに投げた事を覚えている。


 それが、皇王には嬉しかった。

 離れて暮らしてはいても、感じる事は同じだという事が、たまらなく嬉しい。


 皇王は満足げに小さく笑みを落とすと、おもむろに席を立った。


「…さて、そろそろお暇しようか。長居をしては君も困るだろう」

「……!もう帰られるのですか?」


 ちょうど紅茶を持ってきたダリウスが、困ったように言葉をかける。

 応接室に入ってまだ十分と経っていない。あまりに短い滞在時間だったが、それでもシスカのおかげでユルングルと他愛のない会話ができた。皇王にはそれだけで満足だった。それが、皇王の目的だったからだ。


 皇王は申し訳なさそうな視線を向けるダリウスを視界に入れる。


「…ああ、わざわざ紅茶を用意してくれたのにすまない、ダリウス。また今度ゆっくり飲ませてもらおう。ユルングルが言うように、私もそう暇ではないからね」


 言って扉に向かう皇王を、だが他ならぬユルングルが押し留めるように声をかけた。


「……待て。…あんた体の調子でも悪いのか…?」

「……?いや?すこぶる良好だが?」


 質問の意が掴めず、皇王は怪訝そうに小首を傾げる。

 それでもじっと皇王の顔色を窺うように見据えるユルングルは、おもむろに後ろに控えているダリウスに声をかけた。


「…ラン=ディアを呼べ」

「ラン=ディア様を、ですか…?」

「…今すぐだ」


 怪訝そうにおうむ返しするダリウスを急かすように告げられて、ダリウスは意味も判らず軽く頭を垂れて、ラン=ディアを呼びに部屋を後にした。


**


「…どうだ?」


 皇王の手を取って診察をしているラン=ディアに、ユルングルは静かに声をかける。


 突然、応接室に呼ばれたので、てっきりユルングルに何かあったのだろうと思っていたラン=ディアは、部屋に皇王の姿を見止めてひどく狼狽した。おまけに診察の相手が皇王と聞かされて再び目を丸くしたが、なお怪訝に思ったのはどう見ても皇王に不調が見えない事だ。


 なぜ彼を診察しろと言ったのかは定かではないが、ユルングルに何かしら思い当たるところがあるのだろう。

 そう思って診察してはみたが、やはり彼の体のどこにも不調は見られなかった。


「…多少の睡眠不足は見られますが、陛下が仰る通り、他はどこにも不調は見られません」

「………そうか」


 その言葉に、ユルングルは安堵するどころか、なおさら訝し気な顔で思案するような仕草を見せた。

 それでさらにラン=ディアは怪訝を深めたが、皇王はと言えば何かを察したのか涼しい顔を見せている。


「…ああ、そういえば」

「……!……何だ?」


 おもむろに口を開いた皇王に、ユルングルは思案を止めて彼を視界に入れる。


「…シスカがウォクライ卿の所在を気にしていた。君に貸してほしいと言われて彼を預けたが、音沙汰がないと」

「……ああ、しばらく借りると言ったんだがな」

「彼をどこかに?」

「…キリアには南にあるソールドールの街に行ってもらった」


 ソールドールの街はラジアート帝国との国境付近に位置する比較的大きな街だ。

 つまり、死の樹海に面している。

 反皇王派のモジュール侯爵の領地だが、死の樹海に面している所為で樹海にのみ生息しているという魔獣と呼ばれる獣の被害が頻繁に起こる街だった。


 ウォクライをダスクから借りてソールドールの街に行くよう指示したのは、初めて皇王がここに現れた日だ。皇王の話を聞いてユルングルは思うところがあり、一番適任だと思えたウォクライをダスクから借りて向かわせた。

 ウォクライがここを発ってちょうど十日目。そろそろ街についてもいい頃合いだろう。

 それほど皇国の領土は広い。


「…ソールドール……?だがあそこは……いや、そうか……!なるほど……」


 皇王は一人思案して、何やら得心したように小さく頷く。


「…ならばかなりの長丁場になるな…」

「…ああ、ダスクにはそう伝えておいてくれ」


 互いに短い会話だけで心得たように話が進むので、傍で聞いていたラン=ディアやダリウスなどは訳も判らず小首を傾げている。勘の鋭い者同士の会話というのは常人には理解できないものなのだと、ラン=ディアは内心で呆れたように言葉を漏らした。


 そうして、ひとしきり会話が終わるとユルングルはまた思案に入ろうとするのだが、皇王は再びそれを邪魔するように声をかけた。


「ああ、あともう一つ」

「…何だ…!まだあるのか?」

「…ふむ、だがこれは伝えるなと言われていたが……さて、どうしたものか…」


 妙に焦らしてくる皇王に、ユルングルは悟る。

 皇王は思案してほしくはないのだ。その先にある事実が皇王にとっては都合の悪い事実なのだろう。

 それを悟って、ユルングルは不承不承とため息を吐いた。


「…何だ、言え」


 ユルングルが降伏した事を察して、皇王は満足げに頷く。


「ミルリミナ嬢がユーリシアの手ほどきで剣術を習い始めた」

「……!?はぁ!?なんでいきなりそうなるんだ…!ダスクとゼオンがついてるんじゃないのか…!?」

「他ならぬミルリミナ嬢が希望したそうだ」

「あのおてんば娘は…!!」


 シスカと同じ言葉を吐くユルングルに、皇王は思わずくすくすと笑みを落とす。二人のその馴れ馴れしげな態度を見れば、いかにミルリミナを可愛がっているかが判るだろう。


「シスカも君と全く同じ反応をした。かなり渋ったが結局折れて、条件を出したらしい」

「条件…?」

「毎日立ち合いをして、ユーリシアから一本取れれば剣術を習う事を許可するそうだ」


 その条件に、ユルングルのみならずラン=ディアやダリウスも目を丸くする。


「……それは…許可を出す気が全くないだろう…」


 あまりにあからさまな悪条件に、ユルングルは半ば呆れたように、だが控えめに言葉を落とす。


「そんなことはない。今日で三日目だが、なかなかどうして、結構いい太刀筋をしているよ」

「……あれは令嬢だろう?」

「令嬢に男装させたのは誰かな?」

「発端はダスクだ…!」


 思わず卓を叩くユルングルを視界に入れて、皇王はやれやれ、と小さく息を落とした。


「…君もシスカも過保護だね。そこはダリウスに似たのかな?」

「あんたな……」

「考えてもみなさい。ユーリがミルリミナ嬢だと判った時のユーリシアの顔を」

「………!!………それは……面白いな」

「だろう?」

「………………陛下、ご子息で遊ばれるのはおやめください」


 見かねたダリウスが思わず口を挟む。

 それがまた面白くて皇王はたまらずくすくすと笑い出した。


 これほど笑ったのはいつぶりだろうか。あの息が詰まる皇宮では笑うどころか眠る事すらままならない。今ではユーリシアたちが来てくれたおかげで幾分ましにはなったが、それでも居心地の悪さは変わらない。

 それに比べれば、ここはあまりに居心地がいい。それはユルングルが作る特有の空気なのだろう。


 皇王は、来た時よりも機嫌がよくなったユルングルを満足そうに視界に入れて、おもむろにソファを立った。


「さて、今度こそ本当に____」

「寝不足なら隣の部屋を使え」

「……え?」


 唐突に声をかけられて、さしもの皇王も目を瞬く。


「………隣…?」

「俺の部屋だ。好きに使ってくれていい。…それとも休む時間もないか?」

「…あ……いや、大丈夫だ……」


 思ってもみない言葉に、皇王は返答がしどろもどろになる。

 本当はやる事が山積みになっているのだが、せっかくの息子からの誘いだ。こんな時くらい仕事を休んでも罰は当たらないだろう。


「ダリウス、皇王を案内しろ。それと、護衛騎士にも中に入って休むよう伝えてくれ」

「承知いたしました」


 相手が誰であっても気遣いを忘れない主の心根が好ましい。

 ダリウスもまた満足そうに笑みを落として深々と頭を垂れると、皇王を促して共に応接室を後にする。


 二人の姿が完全に見えなくなってから、ラン=ディアはおもむろに口を開いた。


「…陛下の未来に何か良くないものでもお見えになりましたか?」

「……!……何の話だ?」

「死の影でもお見えになりましたか?だから病をお疑いになったのでしょう?」

「…だから何の話だ」


 あくまでも白を切るユルングルに、ラン=ディアは小さく息を吐いた。


「…貴方には教皇様と同じく先読みの力があります。…違いますか?」

「…俺のはただの勘だ。そんな立派なものじゃない」

「勘、で説明がつくものでしょうか?貴方のその能力は」


 それには黙して、ただラン=ディアを見据えた。


「教皇様は未来を決して違えません。あの方が仰ることは必ず現実になります。あの方には、ただ一つの真実のみが見えるのです。…ユルングル様もそうなのではないですか?」


 確信を持った瞳で、ラン=ディアもまたユルングルを見据える。

 その視線に答えるように、ユルングルはややあってから諦めたとも観念したとも言えるため息を落とした。


「……違うな。それは俺の力とは違う」

「……!」

「この話はここまでだ。…お前ももう忘れろ」


 ぴしゃりと言い放って、ユルングルはそのまま応接室を出る。

 一人残されたラン=ディアは、ユルングルが出て行った扉をただ茫然と見つめるしかなかった。


**


「…ここがユルングルの部屋、か……」


 ダリウスに案内された皇王シーファスは、ユルングルの部屋をくるりと視線を回して視界に入れる。

 思ったよりも部屋が整然となっているのは、ダリウスが常に整えてくれるからだろう。所狭しと並ぶ本棚には無数の本が溢れかえって、その本棚にすら入りきらなかった書物が部屋の隅に並べられている。


(…本が好きだとは聞いていたが、ここまでとは……)


 どうりで知識が豊富なわけだ。

 ざっと書物の題名を見たところ、自分と好みが合うらしい。おそらく興味の対象が同じなのだろう。


 シーファスはくすりと笑みを一つ落として、ベッドに腰を下ろす。

 まさか体を気遣ってくれるとは思ってもみなかった。恨まれていると覚悟していたが、恨んでいる相手にでも優しさを見せるのはユルングルの性分だろうか。それとも油断を誘っているのだろうか。


 そんな考えが頭をよぎって、シーファスは小さくかぶりを振る。

 我が子相手に、そんな邪推をしたくはない。だが、どうしてもその考えが脳裏に浮かぶのは、教皇に予見されたからだ。


 自分の命はどうやら、この冬を迎える事はできないらしい。

 そして、こう続いた。


『貴方の命を奪うのは茶金の蘭か、あるいは黒の獅子か。選択するのは己自身だ。貴方の未来は定まってはいない_____』


 『茶金の蘭』はデリックの事だろう。そして『黒の獅子』は_____。


(…自分を殺す相手を自分で選べ、という事だろう……)


 選べと言うのなら、考えるべくもなくユルングルを選ぶ。デリックなどに殺されるのは癪だし、二十四年間恨みを持ち続けた我が子の本懐を遂げさせてやりたい気持ちもある。何より、息子の手で殺されるのなら本望だ。


 そう思う反面、シーファスはたまらなく不安が頭をもたげるのだ。

 我が子に、親殺しの罪を背負わせてもいいのだろうか。

 見たところ、言葉とは裏腹にあの子の気性は穏やかだ。ユーリシアの暗殺を企てたときは、その気性が憎しみで隠れていたのだろう。本当の彼は、穏やかで心根の優しい性分なのだ。


 そんな彼が、親殺しの罪に耐えられるのだろうか____?


 ユルングルの手で殺されたいと願うのは、己の身勝手な利己主義だ。だが決して我が子が苦しむことを望んでいるわけではない。


 ユルングルを思えば、こうやって親交を深めて自分を殺す手を躊躇させる方がいいのだろうか。

 それとも、やはり本懐を遂げさせてやるのがあの子の望みだろうか。


 答えの出ない問いかけを繰り返しながら、シーファスは体が求めるまま微睡まどろみに身を任せた。

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