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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第二部 暗雲低迷
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ユーリとデリック

(久しぶりの庭園だわ…!)


 約二月ぶりに訪れた皇宮の庭園で、ユーリは色とりどりの花々に囲まれながら、思うままに背伸びをする。

 大きく吸い込んだ空気には懐かしい花々の甘い香りが含まれて、心なしか気分が高揚した。


 どこでも自由に歩き回っていいとゼオンとユーリシアに言われて、ユーリが真っ先に向かった先は皇宮の庭園だった。


 ミルリミナだった時には日に何度も通った皇宮の庭園。

 季節は変わって秋から冬に変わろうという時期だったが、庭園の花々は冷たい空気にも負けず、変わらない彩りをたたえて綺麗に咲き誇っている。


 唯一変わったのは、そこに佇む自分の姿だろうか。

 女であったミルリミナから、今や男のユーリにその姿を変えている。そしてその装いもまた、ずいぶん改まった。


 ラジアート帝国皇弟の従者という立場上、今までのような平民のいで立ちでは体裁を保てないだろう、とユーリシア同様ユーリも正装に身を包んだ。もちろん、男の正装だ。

 あのユルングルの容姿を持ち合わせているためか、体躯は小さくてもそれなりに様になっている__らしい。どれだけ鏡に自分を映しても、ミルリミナが男装している姿しか映らないのだから、確認のしようがないし正直残念でならない、と思う。


 ユーリは肩を落とすように小さく息を吐くと、嫌に格式ばった服に目を向けた。

 立ち襟のシャツにえんじ色のベストとジャボ、そして白を基調にしたジャケットはどれも侍従が身に纏うにはあまりに質が良すぎるような気がする。それはユーリとユーリシアにそれぞれ、ラジアート帝国に実際に存在するペントナー伯爵とスウェンヴェール侯爵の名を拝借したからなのだが、正直動きにくくて堪らない。

 もちろん女物のドレスに比べれば動きやすさは格段上だが、ユルングルの所で暮らすようになってから平民の服を身に纏うのが当然になっていた。工房があったおかげで布地の質は平民のそれよりもかなり良かったが、その形状は平民と変わらない。あの動きやすさを重視した服を一度でも体験してしまえば、もう貴族の服になど袖を通す気にはなれなかった。


 それが、まさかこんな形で着飾ることになろうとは。


(まるで着せ替え人形にでもなった気分ね…)


 心中でひとりごちて、ユーリは庭園を当てもなく歩く。

 以前は車いすに乗ってティーナに押してもらった道を、男装しながら自分の足で歩くのが何やらおかしくてたまらない。あれからティーナと両親に一度も会ってはいないが、心配してはいないだろうか。


 何とはなしに思いながら庭園を歩いていくと、ガゼボがある辺りで耳障りな喧騒が聞こえてきて、ユーリは思わず眉間にしわを寄せた。


 濃い髪色の令嬢を、明るい髪色の令嬢たちが取り囲む、おなじみの光景。

 ミルリミナが聖女になって白宮で暮らし始めて以降、久しく見る事はなかった光景だ。それは他でもない無魔力者であるミルリミナが聖女になった事で、低魔力者に表立って危害を加えるわけにはいかなくなったからだった。加えてミルリミナが頻繁にこの庭園を訪れていたことも大きい。

 令嬢たちのいびりの場は、この庭園か社交の場と相場が決まっていたが、その一つを潰されたのだから低魔力者である令嬢たちはずいぶん心穏やかだった事だろう。


 それがたった二月ふたつき程度で元に戻っている。

 それも帰ってきた翌日にこの不快な光景をまた見せられる事になろうとは、正直目も当てられない。


(…結局、彼女たちは何も変わらないのね)


 ユーリは迷うことなく、その嘲笑が響く場所へと足を向ける。

 きっと彼女たちは、ミルリミナであった頃と同じように侮蔑を込めた目で見てくるのだろう。たとえ男になっても、今の自分は結局低魔力者なのだ。それはユルングルと同じ黒髪が物語っている。

 幸いなのは、今は帝国の伯爵という後ろ盾があることだろうか。さらにその後ろには帝国の皇弟がいる。


(使えるものは何だって使うわ)


 それで低魔力者が救えるのなら。

 ユーリはミルリミナだった頃に胸に抱いた怒りと決意を瞳に載せて、不快な光景をその瞳に焼き付けるように強く見据えながら歩みを進めた。


「勘違いするにも、ほどがありますわ」


 言って、得意げな令嬢たちは濃い髪の令嬢を突き飛ばす。


「本当に。ウォーレン公爵令嬢が聖女になられてからというもの、低魔力者が図に乗って困ったものだわ」

「ウォーレン公爵令嬢が聖女になられたからと言って、低魔力者の地位が上がったわけではありませんのよ?」

「結局はその聖女様も誘拐されたのだもの。所詮、低魔力者はどこまで行っても低魔力者のまま。虐げられるのがお似合いだわ」


 醜い嘲笑の中、一人の令嬢が卓の上に置かれたワイングラスを手に取る。


「そうね、貴女にはこちらの方がお似合いではないかしら?」


 あざけるように鼻で笑って、尻もちをついたまま体を震わせてうずくまっている令嬢にワインをかけようとした刹那、ユーリは躊躇うことなくその腕を掴んだ。


「何をなさろうとしているのです?」

「……!?」


 突然現れた貴族と思しき少年に、令嬢たちは目を丸くしてピタリとその動きが止まる。

 なぜか皆一様に硬直しているのか、ユーリを直視したまま動かない令嬢たちを尻目に、彼は構うことなく令嬢が手に持っているワイングラスを手に取って卓の上に戻すと、地面に座ったまま同じく硬直して動かない令嬢に手を差し伸べた。


「お怪我はございませんか?」


 できるだけ怯えさせないように、ユーリは穏やかに微笑んで見せる。


「……あ…は、はい___」


 令嬢は恥ずかしがっているのか頬を赤く染めながらおずおずとその手を取ろうとする。だがその瞬間、後ろで硬直して身動き一つしなかった令嬢たちは何を思ったのか突然慌てて駆け寄ってきて、座り込んでいる令嬢を取り囲んだ。


「…まぁ…!大丈夫?怪我はなかったかしら?」

「ごめんなさい…!ちょっと腕が当たってしまって…」

「……え…?…あ、あの……」

「まぁ…!少しドレスが汚れてしまいましたわ…!大変…!今着替えを用意させますわね!」

「……え…あ、いえ……」


 まるで手のひらを返したようなその態度に、濃い髪の令嬢のみならずユーリも呆気に取られて目を瞬く。


(…え…っと…これは、一体……?)


 一体何が起こったのか意を得ず、しばらくユーリは呆然自失となったが、ふとこちらにちらちらと視線を向ける令嬢たちが視界に入った。その令嬢たちの頬が、どれも赤く染まっているのは、おそらく気のせいではないだろう。


 そこに至って、ユーリはようやく思い至る。

 この体が、あのユルングルに似せて作られている事に。


 志の高さを表現したかのような、強く、それでいて女性のように美しい瞳に、その意志の強さを体現したような斜め上に伸びた細く整った綺麗な眉。すらりと鼻筋が通って、その口元は気品さを兼ねそろえている。その一つ一つがまた絶妙な位置に整然と並べられたその顔は、まるで彫刻のような美麗さがある。

 性格にやや難はあるものの、彼は黙ってさえいれば誰が見てもまごうことなき美丈夫なのだ。


 そのユルングルの容姿を引き継いでいるのだから、令嬢たちが頬を染めるのも判らなくはない。

 今のユルングルより幼い外見ながらも、ユーリの容姿はきっと令嬢たちの心をときめかせるのに十分なほど綺麗なのだろう。おまけにこの装いで、さらに二割増しになっているはずだ。ミルリミナの時にはそれほど背が高かったわけではないが、この令嬢たちを若干見下ろす形になっているという事は、身長もある程度補正がかかっているのかもしれない。


 ならば使わない手はない。


(ユルンさん、ごめんなさい…!)


 内心で謝罪しながらも、ユーリは令嬢たちに人好きのする穏やかな笑顔を向ける。


「これは失礼いたしました。私の勘違いのようでしたね。ご無礼をお許しください、ご令嬢方」


 言ってうやうやしくこうべを垂れるユーリに、令嬢たちはなおさら頬を赤く染める。


「い、いえ…!誤解が解けたのでしたらよろしいのです…!」

「いいえ、貴女方のようなお美しい方々が、人を罵ったりなどするはずもございません。見目麗しい方は、そのお心も美しいと仰いますから。…無礼を働いた罪は万死に値いたします。いかようにも罰していただいて構いません」

「で、では…お名前をお教え願えますでしょうか…?」


 誠実な対応とダリウス張りの慇懃いんぎんな態度で、令嬢たちの目はすでに恍惚としている。

 ユーリは最後の一押しに手を胸に当て、ことさら優美に振舞った。


「ラジアート帝国、ペントナー伯爵が嫡男、ユーリと申します。以後、お見知りおきを」

「は……はい…!」

「…そちらのご令嬢はお任せしても?」

「も、もちろんです…!私たちが責任をもってお屋敷に送り届けますわ…!」

「お優しい方ばかりで安心いたしました。ではお任せいたしますね」


 黄色い声をあげながら庭園を去っていく令嬢たちに、ユーリはこれでもかと優美な笑顔を向ける。

 そうして彼女たちの姿が見えなくなってから、ユーリは張り付いたような笑顔から一転、すべての緊張から解放されたような緩んだ顔で盛大にため息を落とした。


(…つ、疲れた…!!歯の浮くような台詞も、優美に見える男の人の立ち居振る舞いも、女の私には精神的につらいわ…!!)


 どっと疲れが襲ってきたように、ユーリは悄然と肩を落としながらガゼボにある椅子に腰かける。背もたれに体を委ねて、力を抜くように自然と顔を上に向けた。


(…よくもまあ、あれほどペラペラと言葉が出てくること……)


 内心、呆れたように自嘲する。

 立ち居振る舞いを手本としたのは、当然ダリウスだ。ユーリの知る限り、あれほど優美で礼節正しい態度を取れるのはダリウスしかいない。見よう見まねでやってみたが、どうやらうまくいったらしい。


 争いになるよりは、と思ってユルングルの容姿を最大限活用したが、まさかこれほど容易く彼女たちを篭絡ろうらくできようとは。ユルングルほどの容姿になると、女にとっては低魔力者だろうが関係ないのだろう。こうなると、なおさら自分で確認できないのが悔しい事この上ない。


(…ユルンさんの外見に、ダリウスさんの立ち居振る舞いと、も一つ愛想が加われば怖いものなしね)


 きっと世界中の女性を虜に出来るだろう、とくすくすと一人笑みをこぼしていると、ふと後ろから人の気配を感じてユーリは視線をそちらに向けた。


「…ずいぶんと面白いやり方で仲裁するのだな?お見事だったよ」


 言った相手は大げさなほど緩慢な動きで拍手をして、ユーリを微笑みと共にその視界に入れている。ユーリはその相手を認識すると、目を丸くしながら慌てて席を立ちこうべを垂れた。


「これは…!デリック殿下…!いらっしゃるとは存じ上げずご無礼をいたしました…!」


 言いながら自然と震える手を必死に抑えているのは、微笑みを湛えているその目が全く笑ってなどいないからだ。


 この時点で、ユーリはユルングル暗殺の首謀者がデリックであるという事は知らされていない。それでも体が恐怖で震えるのは、彼が見せる柔和な態度とは違って、その本心は低魔力者を心の底から嫌悪していると承知しているからだった。


 ユーリシアの従兄叔父にあたるデリック=フェリシアーナの存在を、ユーリは以前から知っていた。

 現皇王であるシーファス=フェリシアーナの四つ上の従兄で、年齢より若く見えるシーファスと違って、その風貌は年相応に見える所為か、皇王よりも威厳があるような雰囲気を醸し出している。

 齢60の中年らしく顔に深めのしわをたたえ、茶と金のちょうど中間のような髪色と眉は光に当たると、金髪さながらの光を放つ。


笑顔を見せると目尻のしわが深くなる所為か、一見、温和に見えるのだが、その張り付いたような笑顔に心が伴っていない事を、ユーリは、いや、ミルリミナは重々承知していた。


 それはミルリミナの時、庭園で何度かすれ違うたびに見せるデリックの陰湿な態度でよく判った。

 彼はまるでミルリミナが存在していないかのように振舞い、そして必ず、すれ違いざまに嘗め回すようなねっとりとした視線をこちらに向けるのだ。

 その視線には、侮蔑と敵意が多分に含まれていた事は言うまでもない。


 危害を加えてくることは決してなかったが、まるで神聖な皇宮を汚す虫けらだと大いに語るその視線を、ミルリミナは畏怖していた。彼が魔力至上主義者だという事は知っていたが、これほどあからさまに嫌悪と敵意を示してきたのは彼が初めてだったのだ。


 ユーリになった今でも、その恐怖は体が覚えている。

 何より、今もまだ低魔力者のままなのだ。皇太子の婚約者と言う盾があった頃とは違う。たとえラジアート帝国の皇弟という後ろ盾があったとしても、今の自分は彼が傷つけようと思えばいつでも傷つけられる存在だろう。


 それを思うと頭を下げたままのユーリの体はなおさら強張ったが、悟られぬよう小さく深呼吸して平静を装った。


「…私をご存じのようだな。…貴殿は?」

「…申し遅れました。私はラジアート帝国のユーリ=ペントナーと申します。以後お見知りおきを」

「…ほお、ラジアート帝国の…。ではゼオン殿の従者か」

「はい、さようでございます」

「…いつまで頭を下げているつもりだ?おもてを上げよ」


 言われて、ユーリはおずおずと強張った体を動かす。

 まるで鉛にでもなったかのような重い体を、ユーリは必死に動かした。


「……!…どこかで見た顔だな?」


 ユーリの顔を見て取ったデリックは、なぜだかあからさまに眉をひそめて不快気な顔をする。

 その理由が判らず、たまらなく不安になったが、ユーリはできるだけその感情が表に出ないように努めた。


「…思い違いでございましょう。デリック殿下のご尊顔を拝見いたしましたのは初めてでございますから」

「…ふむ?初めてなのに私をご存じか?」

「…デリック殿下の有能さはラジアータ帝国でも耳にいたします」

「それは私が徹底的なまでの魔力至上主義者だ、という話かな?だとしたら貴殿はずいぶんと勇気のある人物のようだ」


 皮肉たっぷりな言い回しで、デリック特有のねっとりとした視線を寄越す。

 その瞬間、ユーリはまるで蛇ににらまれた蛙のような気分に襲われた。


(……落ち着いて…!…落ち着くのよ…ミルリミナ…!…焦ってはダメ…慌てて否定すれば逆に肯定していると思われるわ…!)


 まるで嘲笑するような笑みを湛えているところを見ると、どう切り返してくるかを楽しんでいるのだろう。

 それが判って、ユーリは内心焦りと畏怖で心臓が早鐘のように鼓動を打ったが、それをおくびには出さず、できるだけ平常心で答えた。


「…いいえ、ラジアート帝国に伝わっているのはデリック殿下の治水の手腕でございます。水害の起きやすいアリアドネでの治水はお見事でした。北と南を川に挟まれているアリアドネは水害が起きやすい場所。まさかその上流にわざと川を氾濫させ貯水させる場所…遊水地を作って流量を調整し、下流にあるアリアドネの水害を減らすとは…お見事な手腕でございます」


 二十二年前、川が氾濫して大きな水害が起きたことを、ユーリは妃教育で学んだことがある。その水害を受けて、他でもないデリックが画期的な方法を打ち出したことを覚えていた。


 体が弱かったために満足な妃教育は受けられなかったが、皇族や貴族たちの歴史や功績などは嫌と言うほど頭に叩き込んだ。それは皇族になれば絶対的に必要な情報であると共に、ベッドで時間を潰すものが必要だったからだ。まさかその暇つぶしで頭に叩き込んだ情報が役に立つとは。


 ユーリは内心皮肉めいた笑みをこぼして、再びうやうやしくこうべを垂れる。

 いかにも面白くなさそうに鼻を鳴らす音が聞こえて、ユーリは軽く安堵の息を漏らした。


「…なるほど、貴殿はどうやら勤勉な人物のようだ。低魔力者であることが残念でならないな」


 それにはユーリは黙したまま、こうべを垂れるに留める。


「…ペントナー…と言ったか…。やはりどこかで聞いた名だな……」

「……?」

「それにその顔…やはり見覚えがある…!」


 言って、突然ユーリの顎を掴んで無理やり顔を上げさせる。そのデリックの表情は、今まで見たどの表情よりも嫌悪を露わにするように、眉根を寄せてそのしわを最大限に刻んでいた。


 今まで何とか平常心を保っていたユーリは、その理不尽な嫌悪にどう対処していいか判らず体が硬直したが、それはすぐに和らぐことになる。


「…デリック、彼は我が皇妃ファラリスの母方にゆかりのある者。ファラリスの面影を持っていてもおかしくはない」

「……!……これは陛下、お見苦しいところをお見せいたしました」


 悠然と現れた皇王シーファスに、デリックは目を瞬いて慌ててユーリの顎から手を放し頭を垂れる。ユーリも皇王の姿を見止めて、同じくデリックに倣った。


「…なるほど、どこかで聞いた家名だと存じましたが、皇妃様縁の者でございましたか」

「彼はゼオン殿の従者。あまり手荒な真似は感心しないな」

「…申し訳ございません。以後気を付けるようにいたします」


 皇王に窘められたデリックは特に反論するでもなく、恭しく一度頭を垂れるとそのまま素直にその場を去った。

 ユーリは立ち去るデリックの姿が見えなくなると、もう一度、今度は深々と皇王に頭を垂れる。


「…助けていただき感謝いたします、陛下」

「ふむ…君は平民のはずなのにずいぶんと言葉に慣れているようだな。それに皇族の情報にも詳しい」

「……!」


 虚を突かれて、ユーリは目を丸くする。

 ユーリがゼオンの従者などではなく、ダスクの連れだという事はおそらく伝え聞いているのだろう。だが何とはなしに自分がミルリミナであることもゼオンから伝え聞いているだろう、と思っていたユーリは、そうではなかった事にひどく狼狽した。


「え…え…っと…!!その…!」


 何とか上手く言い訳できないものかと思考を巡らせたが、焦れば焦るほど空回りしてなおさら狼狽する。

 そんなユーリをしばらく視界に留めていた皇王は、何を思ったのか突然ユーリを強く抱きしめた。


「………っ!!?」


 突然の出来事で、ユーリの思考はもう停止に近い。

 最上級の赤面を作ったユーリに、皇王は対照的なまでに冷静な声を漏らす。


「…なるほど、どうやら聖女様は私に興味がないらしい」

「……!?」


 その言葉に、ユーリははたと気づく。

 高魔力者である皇王が接触を試みたにもかかわらず、ユーリの中の聖女は確かに何の反応も示さなかった。その理由が判らず、ユーリは茫然自失と皇王の顔を見返す。


「…抱きしめたのがユーリシアではなくて済まなかったね」


 にこりと微笑む皇王のその言葉に、ユーリは思わず二度目の赤面を作った。


「ご、ご存じでしたのね…!お人が悪いです…!陛下…!!」


 赤く染めた頬を隠すように両手で押さえるユーリに、皇王はくすくすと笑みを落とす。


「いいものを見せてもらった。若い頃のファラリスにどことなく似ている」

「……!…皇妃様に、でございますか…?ではデリック殿下は私と皇妃様を……?」


 その問いに、皇王は考え込むような難しい表情を示した。


「…どうだろうね。ファラリスと感じたか…あるいは『彼』と重なったか……」


 皇王の口から出た『彼』と言うのが誰だかユーリはすぐに悟った。つい数日前、皇王がユルングルに会いに来た事実を聞いていたからだ。その理由までは知らないが、ユルングルの性格を考えると少なくとも親子の対面にはならなかっただろう。


「……?ユ…『彼』とデリック殿下は顔見知りなのですか?」

「……いや、そういうわけではないが……」


 言葉尻を濁して怪訝そうにユーリの顔を見返してくる皇王に、ユーリも同じく怪訝そうな表情を返す。その表情から悟ったように、皇王は誰にともなく頷いた。


「…そうか、貴女にはどうやら伝えていないらしいな」

(…その方が安全、か。何も知らない方がぼろも出にくい)

「……?…あの……?」


 意を得ず、たまらず声をかけるユーリに、皇王は小さく笑いかけた。


「…いや、こちらの話だ。それよりも…表情に気をつけなさい」

「表情…でございますか?」

「険しい表情をすると『彼』に似てしまう。…『彼』が身を隠している事は?」

「…はい、存じ上げております」


 ユルングルの出生の秘密や置かれている状況に関しては、ユーリシア暴走の後、彼が数日寝込んでいる間にダリウスから一通り教えてもらっていた。当初はユーリシアとユルングルの関係性だけを聞くつもりだったが、それを語るにはまず彼の出生から話さなければならない、と付随する形で意図せず聞くこととなった。

 ユーリシアの兄である事、暗殺者に命を狙われた事、それゆえに生まれた事実すら隠さなければならなかった事、そして皇王と皇妃が、その事実にひどく心を痛めていた事____。


 元々、魔力至上主義であった皇王がそれを捨てたのは、他でもないユルングルのためだった。

 ユルングルのために、この魔力至上主義国家であるフェリシアーナ皇国を変えようとしているのだ。

 きっと皇王にとって、数日前ようやくユルングルに会えたその日は、何よりも感慨深い一日となった事だろう。


 そんな皇王の胸中を察して、ユーリは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。


「…申し訳ございません。思慮に欠けておりました。…以後気を付けるようにいたします」


 その誠実さが好ましい、と皇王は少し困ったように笑いかける。


「何も謝ることはない。貴女が悪いわけではないからね。…そもそもその姿を作ったのはシスカだ。理由があるとは言え、あの子も悪ふざけが過ぎる」


 呆れたようにため息を落とす皇王に、ユーリはただ苦笑を落とすに留める。

 皇王の言い方からして、どうやらダスクとも懇意にしているらしい。


「貴女は貴女らしく振舞いなさい。そうすれば『彼』とは結び付かない。どちらかと言うとファラリスの少女時代を彷彿させる」

「…先ほどのペントナー家が皇妃様縁だと言うのは…?」

「本当の事だ。だから貴女にはペントナーを名乗ってもらった」

「…お心遣い感謝いたします」


 屈託のない笑顔を見せて頭を垂れるユーリの姿に、皇王は懐古の念と感慨深さが同時に胸に広がるのを感じた。

 若かりし頃のファラリスの姿と、遠巻きに見たユルングルの幼少の頃の姿が重なる。

 今はもう二度と見る事の出来ない、思い出の中の姿___。


 皇王シーファスはその姿を瞼の裏に焼き付けるように一度瞼を閉じると、ゆっくりと開いてこちらを見返すユーリを再び視界に入れた。


「…どうやらお迎えが来たようだね」

「え……?」


 振り返ると、二人を見止めたユーリシア扮するレオリアが小走りで近づいてくる姿が視界に入った。


「ち……陛下。…ユーリが何か…?」

「いや、少し話をしただけだ。彼はずいぶん度胸がある」

「……?…何かしたのか?ユーリ」

「い…いえっ!何もっ!」


 くすくすと笑う皇王と、バツが悪そうに顔を赤らめるユーリを互替かたみがわり見て、レオリアは怪訝そうな表情を取る。そんなレオリアをさらに笑って、皇王は二人が並ぶ姿を視界に入れた。


(…レオリアがユーリシアの姿であれば、まるで兄弟のようだな)


 仲睦まじそうなレオリアとユーリの姿が、決して見る事の出来なかった兄弟の姿を彷彿させる。

 悔しいと思う。

 その光景を見る事が出来なかったことが。


(…だが今さら言っても詮無い事だ…)


 皇王は諦めに似た笑みを落として、おもむろに踵を返した。

 そして告げる。


「…だが気をつけなさい。ここは魔力至上主義者と言う皮をかぶった魔物が跋扈する魔窟だからね。決して彼を一人にしてはいけないよ、レオリア」




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