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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第一部 嚆矢濫觴(こうしらんしょう) 

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来訪者・後編

 来訪者は、それから幾ばくもかからずやって来て、ユルングルを盛大に不快にさせた。


 従者もつけず、共につけたのは護衛の騎士一人だけ。平民に扮装してはいたが溢れ出る高潔さと気品さは隠しようもなく、ダリウスと同じ金に輝く髪が、なおいっそうその気高さを際立たせていた。

 その容姿は、ユーリシアの面差しを彷彿させる。いや、彼がユーリシアに似ているのではない。ユーリシアが彼の面差しを持って生まれたのだ。ユーリシアが年を取ればそのまま目の前に立つ、この壮年の男になることだろう。

 そう思わせる人物だった。


「初めまして、と言うべきかな?」


 思いのほか柔らかい声音で話しかけてくる。

 二十四年もの間、息子を放置していたにもかかわらず、柔らかな笑みを落として悪びれないその態度がいっそう腹立たしい。

 ダリウスやダスクなどは彼の姿を見止めて、慌てて膝をついてこうべを垂れたが、ユルングルはそもそも礼を尽くすつもりは毛頭なかった。幼心にこの日を待ちわびた時期もあったが、今は憎しみしかない。何より親としての責務を放棄し、ダリウス一人に押し付けた相手だ。それを思えば、ダリウスが彼に礼を尽くしている、という事実すら許せなかった。


「…顔を上げなさい。今私は皇王としてここにいるのではないからね。礼を尽くす必要はない」


 立ち上がった二人を見届けてから、皇王は頷きユルングルに視線を向ける。


「病み上がりと聞いたが…思いのほか元気そうで安心した。…まだ痩せてはいるが、食事はきちんと摂れているのかい?」


 到着してから一度も言葉を発することなく、ただ鋭い眼差しでめつける様に見据えるユルングルに、皇王は声をかける。その余裕のある涼しげな顔が、なおいっそうユルングルの不快感を刺激した。


「…あんたに心配されるいわれはない」

「親が子を心配するのは当然だろう」

「俺に親はいないっ。いるのは親代わりとして俺を育ててくれたダリウスだけだ…っ」


 図々しくも親だと口にする皇王に、心底腹立たしさを覚えて、その苛立ちをぶつけるようにユルングルは声を荒げる。それを見咎めたダリウスは軽くたしなめようと口を開きかけたが、ユルングルはそれを目で制した。


「…なるほど。よく教育されているな」


 呆れたとも自嘲しているとも取れるため息を小さく落として、皇王はユルングルの後ろに控えているダリウスを視界に入れる。


「…言いたいことは他にもあるが、とりあえず立派に育ててくれた事には感謝しよう、ダリウス」

「…恐れ入ります」


 含みを持たせた皇王の言葉に、ダリウスはただうやうやしくこうべを垂れる。


 どう聞いても皮肉以外の何ものでもないだろう。悪態をく人物に『立派』という言葉がつくはずもない。

 皮肉を口にしながら涼しい顔で笑顔まで見せる皇王に、ユルングルはたまらず舌打ちをした。


「…君が望むなら、これからも私は親子関係を主張するのは控えよう。君とはただの知り合いだ。…それでいいかな?」

「…好きにしろ」


 内心、あてこすりか、と悪態をいたが、言っても詮無いことなので思うに留める。

 皇王から視線を外して答えるユルングルに了承の意を示すように頷いた後、皇王は軽く周囲を見渡した。


「…愚息の姿が見当たらないが?」

「今お呼びしております。先にこちらの部屋でお待ちください」


 答えたのはダリウスだ。

 案内したのは応接室ではなく、食堂に併設された一室。手狭な応接室ではこれだけの人数を収容するには足りず、結局食堂での会合となった旨を懇切丁寧にダリウスは説明して謝罪する。


「どこでも構わないよ。ここでユルングルが生活していると思えば、どこでも感慨一入かんがいひとしおだからね」

「いちいち癇に障る奴だなっ」


 思うに留めたかったが、思わず声に出てしまう。それほど彼の一挙一動が鼻について仕方がない。


「ああ、すまない。思うより先に口が出る性質たちでね」


 悪びれることなく謝罪する皇王の後ろで、一連のやり取りを聞いていたゼオンはたまらずくつくつと笑いをこらえている。そんなゼオンをたしなめる様に肘打ちするアルデリオ達の姿を一度睨めつける様に視界に入れて、ユルングルは憮然とした表情を作った。


 正直この男といると調子が狂って仕方がない。

 憎しみは変わらず胸の内にあるはずなのに、思ったほどの警戒心が出ないのだ。それはすでに内包してしまった、面差しがよく似ているユーリシアの影響か、あるいは自分が思っているよりも憎しみを手放しつつあるのか。

 そのどちらも認めたくはなかったが、ただ一つ言えることは、この男が非常に食えない人物である、ということだった。


 皇王シーファス=フェリシアーナ。

 フェリシアーナ皇国の現皇王で、常に柔和な物腰でありながら切れ者と名高い。

 元々は魔力至上主義者であったが突然趣旨変えし、魔力至上主義国家という汚名を払拭しようと動いた初めての皇王、という肩書はあまりに有名な話だ。それゆえに魔力至上主義者の多い官吏達との衝突は絶えず、同様に国民からも嫌われてはいるが、低魔力者からは絶大な支持があった。


 ユルングル同様、何度も暗殺を企てられたが、その全てが未遂に終わったらしい、というのはダリウスからの情報だ。おそらくはユルングルの暗殺を企てた者と同一人物なのだろう。あるいは複数犯なのかもしれなかったが、暗殺未遂が起こってもどこ吹く風で、飄々としているのがまた気に食わなかった。

 自分があれほど怯えて暮らした日々が、皇王にとっては暗殺など取るに足らない事だと語っているようで、惨めで情けない気分に襲われる。

 ユルングルはふと、数日前ユーリシアに向けて落とした言葉を思い出した。


(お前、そんなに卑屈な人間だったか?)


 卑屈なのは、おそらく自分だ。

 劣っている自分を見つけては、低魔力の所為せいだと言い訳をしながら、心内では惨めでどうしようもなく情けなくなる。高魔力者と比べても仕方がないと判ってはいるのに、どうしても皇王やユーリシアと比べて、劣っている自分を見つけるたびに卑屈な自分が表出するのだ。それがことさら忌々しい。


(…うんざりするな)


 自分自身に呆れたように小さく息を落として、忌々し気に邪魔な黒髪を掻き上げながら皆に続いて食堂に入ろうとしたところで名前を呼ばれ、ユルングルはその主を視界に入れる。


「ユルン…!…顔色が悪いぞ…!…もう歩いても大丈夫なのか?まだ休んでいた方がいい…!」


 ウォクライに連れられてやって来たユーリシアは、ユルングルの姿を見止めるなり慌てて駆け寄る。

 どうやら病み上がりのところに、歓迎していない厄介な訪問者が来た所為で、思いのほか顔色が悪くなっていたらしい。卑屈な自分が表出したことで、表情が悄然としていた事も要因の一つだろう。


 ユルングルは心配そうに顔を覗うユーリシアを呆れ顔で視界に入れて、ため息を一つ落とす。


「…何ともない。いいから入れ」

「よくないだろう!どうして無理ばかりするんだ!」

「うるさいな!お前は俺の母親か!」

「弟だ!」


 部屋の前で押し問答を繰り返す二人を見止めて、くすくすと笑い声が食堂から上がる。

 その聞き慣れた声に促されるまま、ユーリシアは怪訝そうに食堂の中を振り返った。


「ずいぶんと仲が良さそうで安心した」

「…父上……っ!」


 これが仲睦まじそうに見えるのか、と内心呆れながらひとりごちるユルングルは、次の瞬間、予想外な行動に出たユーリシアに目を丸くする。

 まるで皇王から守るようにユルングルの前に立ち、警戒心を露わにして父親であるはずの皇王を強く見据えていたのだ。これにはさしもの皇王も目を丸くした。


「…ここで何をなさっているのです、父上。彼は病に伏した身なのです。前触れもなく訪問されるのは少々不躾ではありませんか…っ!」


 言ったところで再び食堂の中から、今度は盛大な笑い声が降って来て、ユーリシアは虚を突かれて呆然とする。その笑い声にもやはり聞き覚えがあって、ユーリシアはその声の主を視界に入れた。


「…ゼオン…殿…?」


 文字通り抱腹絶倒しているゼオンの名を、状況が掴めず呟くようにぽつりと落とす。そのユーリシアの姿がまた、議会などで見られる冷静沈着で泰然自若たいぜんじじゃくな姿とは違って面白く、さらにゼオンの笑いを誘った。


「さすが兄弟だなっ。やってることが全く同じときたか!」

「………同じ…?」


 言われてもなお意を得ることができず、ユーリシアは途方に暮れて後ろにいるユルングルを振り返る。

 ユーリシアの名前を出したゼオンに対して、警戒心を露わにした前歴を指しているのだろうと悟って、ユルングルは自分でも面映ゆいのかバツが悪いのか判らない表情を作りながら、前に立つユーリシアの頭を盛大に掻き撫でた。


「お前には関係のないことだ!いいから入れ!」

「…だが……」


 乱れた髪を直しながら、それでも依然として部屋に入ろうとしない息子に、皇王は笑いを含みながら声をかける。


「安心しなさい。別にユルングルをとらえに来たわけでも、いじめに来たわけでもない」

「皇王は情報を持ってきただけだ。…その情報が何かは、察しがついているがな」


 補足するように言葉を足して挑戦的な視線を向けるユルングルを視界に留めて、皇王は興味深そうにほくそ笑んだ。


「…聞こうか」

「お待ちください。まずはユルングル様を着座させることをお許しください。彼はユーリシア殿下がおっしゃるように未だ病に伏した身なのです」


 すかさずダリウスが割って入る。

 その言葉に皇王は頷いて、ひとまず仕切り直しと皆それぞれに着座する。おもむろに口火を切ったのはユルングルだった。


「…俺の生存が皇族に知れたか」


 その第一声に、誰もが目を丸くして注視する。

 皇王とゼオンだけが、面白そうな視線を向けていた。


「…なぜそう思う?」


 訊いたのは皇王だ。


「あんたがここに現れたからだ。今まで決して俺の前に現れなかったのは、暗殺の黒幕に俺の生存が知られない為だとダリウスから聞いた。だが、今のあんたに特別周りを警戒している様子はない。警戒する必要がない、と言うことは隠す必要がもうない、と言うことだろう。…片が付いたなら俺を皇宮に呼びそうなものだが、それもなさそうだ。なら、黒幕に知られたと考えるのが妥当だろう。…違うか?」


 ユルングルの強い視線を受けて、皇王はおもむろににやりと笑う。


「…なるほど、聞いていた以上だ。勘が鋭いとは聞いていたが、観察眼も人並み以上なようだね」


 褒められても嬉しくない、と言わんばかり渋面を作るユルングルを、皇王はくすくすと一笑に付す。


「そこまで判っているなら話は早い。私が伝えたいことは一つだけだ。この遁甲から決して出ない事。ここにいれば決して手出しはできないし、私も安心だ」

「あんたの安心のために、一生ここに閉じ込めておくつもりか?」

「…一生、ではないが片が付くまでは出ないでもらいたい」

「断る」


 間髪入れずに、ユルングルは答える。

 今まで散々放置してきたのだ。今さら自由を奪われるのは不本意な事この上ない。


 だが、この返答に反応したのは皇王だけではなかった。


「何を言っているんだっ、ユルン!命が懸かっているんだぞ!」

「ユルングル様、不本意であることは重々承知しておりますが、どうか陛下の仰せの通りになさってください…っ!」


 慌ててユルングルに詰め寄るユーリシアとダリウスを黙殺して、ただ皇王を見据えながら言葉を続ける。


「そもそも黒幕は誰だ?見当はついているんだろう?」


 その問いかけにはユーリシアも大きく反応した。


「…そうです、父上。暗殺を企てているのは一体誰なのです…?」

「…お前も、薄々は気づいているのではないか?」


 逆に問われて、ユーリシアはある人物の顔が脳裏をよぎる。

 皇族の中でひときわ魔力至上主義を掲げる人物______。


「…従兄伯父いとこおじの、デリック殿…ですね?」


 ユーリシアの口から出た名前に、皇王はただ無言のまま頷く。


 ____デリック=フェリシアーナ。

 魔力至上主義者の多い皇族の中でも狂信的なまでに魔力を崇拝する人物で、それゆえに国民からの人気は高い。国民の多くから嫌われている現皇王シーファスの皇位を剥奪してデリックに、と画策している官吏や貴族も多い、と噂話程度に耳にした記憶がユルングルにはあった。


「…表向きは人当たりのいい人物を演じてはいるが、その裏ではずいぶん野心家な人物なようだな。あんたの根も葉もない噂を故意に流したり、皇王派の数少ない貴族を脅したりと皇位剥奪に余念がない。玉座を狙う気満々だな。あんたが低魔力者保護に鞍替えするまでは、ずいぶん仲が良かったと聞いたが…?」

「…彼は魔力に魅せられた男だからね。高魔力者の私が神の如く映ったのだろう。…今ではそれがユーリシアに変わったようだが」


 その言葉に、ユーリシアは複雑な表情を見せる。


 魔力至上主義を捨てると宣言してから疎遠になったが、息子のユーリシアの元には足繁く通っていた事を皇王は承知していた。傍から見れば溺愛しているようにも見えたが、皇王にしてみれば稀有なほどの魔力を持って生まれたユーリシアを手懐けたがっているように映ったという。

 幼いユーリシアもデリックを慕っていたこともあって、あからさまに離すのははばかられたが、結果として低魔力者に対する非情なデリックの態度が、ユーリシアの強すぎる正義感を育てたのだから皮肉な話だろう。


 皇王はわずかにダリウスを視界に入れてから、再びユルングルに視線を戻す。


「…君は皇族についても明るいようだ。それはダリウスから?」

「…ああ」

「なるほど。…よくここまで育ててくれた、ダリウス。褒美を…と言いたいところだが、それをしない理由は判っているね?」


 今までの柔和な態度とは打って変わって、目つきが鋭くその声音が変わる。


「私はね、ダリウス。あまり怒ることはないんだよ。だけれども正直腹に据えかねている。…何か申し開きはあるか?」

「…いえ、元より覚悟の上です。いかようにも罰していただいて構いません」


 柔和な声音を怒気を含む声音に変える皇王に、ダリウスは臆することなく答えて軽くこうべを垂れる。それは言葉通り、罰せられることを受け入れた行為に他ならないが、そこに物言いをつけたのは他ならぬユルングルだった。


「待てっ!なぜダリウスが罰を受ける必要がある!?」

「…君ならすでに察しているのではないか?私が何に腹を立てているのか」


 鋭い視線を、今度はユルングルに向ける。


「ユーリシアの命を狙ったことだろう!なら罰せられるべきはダリウスではなく俺だ!」

「…私とダリウスは密約を結んでいてね。君の一挙一動を洩れなく報告する代わりに生活のすべてを保証していたのだ。…君がリュシテアに入った…いや、作ったことは仕方のない事と容認したが、皇太子であるユーリシアの命を狙うことは認めていない」


 皇太子、という言葉が出て、すかさずユーリシアは口を挟もうとしたが、皇王はそれを強い視線で押し留める。


「ユーリシア暗殺の件はシスカにすら伝えなかったそうだね。徹底的に隠匿して遂行した行為は謀反に値すると取られても仕方がない。…報告があればいくらでも偽装はできたし、ミルリミナ嬢が命を落とすこともなかっただろうに」


 呆れたようにため息を落とす皇王を悄然と視界に入れて、ダリウスは申し訳なさそうに口を開く。


「…ユルングル様を欺くわけにはまいりませんから」

「…その忠誠心はもっと別のことに使ってもらいたいものだな」


 その皮肉たっぷりな言葉にユルングルは怒りを抑えられず、勢いに任せて卓を叩いて立ち上がった。


「さっきから聞いていれば勝手なことを…っ!だったら言わせてもらおう!あんたとダリウスの密約はすでに反故されているはずだ!この街に移ってからあんたからの支援は一切受け取っていない!ユーリシア暗殺の件はそれ以降の話だ!あんたが関与する権利も、ダリウスがそれを報告する義務も負ってはいないっ!」


 その通りだった。

 ある日を境に一切の支援金を拒否し、それでも律儀に報告だけは怠らなかったことを皇王も認識している。


「…だからユーリシア暗殺の件を不問に処せ、と?」

「そうは言っていない…!だがそれをダリウスに負わせるのはお門違いだっ。…いずれその罪は必ず俺があがなう。二十四年もの間、息子を放置したことにほんの僅かでも罪悪感があるのなら、今は見逃せ…!」


 強い眼差しで見据えるユルングルを、皇王はただ視界に留める。

 軽く思議しぎするように目を伏せた後、たまらず大きくため息をいた。


「…それを言われては、許さないわけにはいかないだろう」


 皇王は多少バツが悪そうに小さく頭を掻いて、罪悪感からかユルングルを視界から外す。再び小さく息を吐いて、今度はダリウスに視線を移した。


「ダリウス、お前の罪は不問に処す。…これでいいかな?」


 いつもの柔和な声音に戻って、ユルングルに笑みを落とす。

 軽く安堵の息をくユルングルを視界に入れながら、ダリウスは深々とこうべを垂れた。


「…寛大なご処置に感謝いたします」

「礼なら彼に」


 満足げに、にこりと笑みを落とす皇王を見て取って、元より罰するつもりがなかった事を悟ったダリウスは、軽く瞬いた後、小さく笑みを返す。

 ユルングルがどういう対応をするのか見定めていたのだろう。満足のいく結果だったことは、今の皇王の表情を見れば想像に難くない。


「…さて、話が逸れたが、君は遁甲の中に留まってくれる気はないのかな?ユルングル」

「俺を蚊帳の外に置くな」

「無論、そのつもりはないよ。だが万全を期する必要はある。…君に何かあっては意味がないのだよ」


 ユルングルは考え込むような仕草を取って、一呼吸置いた後おもむろに口を開く。


「…いつまで待てばいい?」

「君の体調が万全になるまで。もちろん病が完治するまで、という意味ではない。…その病は一朝一夕では治らないからね」


 その言葉に小さく息を一つ落とすと、ユルングルは不承不承と了承の意を示した。


「…判った。従おう」


 どのみち体調が戻らないと何もできないのだ。ただ皇王の思い通りになるのが、この上なく気に食わない。


 了承を示しながらも渋面を作るその顔には、大きく「不本意」と書かれているような気がしたが、とりあえずその言葉に満足したように頷いて、皇王は隣に座るゼオンにちらりと視線を送った。


「…その病に関してだが、万有の血保有者の情報が一つある。…不確かだがな」


 皇王の視線を受けて、珍しくずっと押し黙ったまま話を聞いていたゼオンがおもむろに口を開く。

 いつもなら茶々を入れるゼオンだが、皇王の話の腰を折るつもりはないらしい。そもそも「フェリシアーナ皇国を潰す」が口癖のゼオンとその皇王、という取り合わせも意外だと、ユルングルは心中で思う。


「…あんたが何の見返りもなく情報をくれるのか?」

「それほど不確かだと言うことだ。見返りを要求するほどの価値はない。だから話半分で聞け」


 そう前置きして、ゼオンは言葉を続ける。


「フェリシアーナ皇国とラジアート帝国の間に死の樹海が広がっていることは知っているな?」


 死の樹海_____。

 通常、動植物のみならずこの世界もまた魔力がなければ腐敗し、荒涼とした土地になるのだが、この死の樹海だけは別だった。

 この樹海に魔力は一片たりとも存在しない。なのに魔力がなくとも木々がうっそうと茂り、まるで何者をも寄せ付けない巨大な樹海を形成している不可思議な場所だった。

 この樹海になぜ『死』という言葉がつくのかは、その特性にあった。


 この樹海は、魔力の一切を奪うのだ。


 死の樹海は魔力を決して寄せ付けない。

 人間や動物が入ろうものなら、その体から一切の魔力を奪う。それは一時的なもので、樹海を出れば再び奪われた魔力は戻るのだが、魔力を奪われる、という事は瘴気に晒される、という事だ。何の耐性も持たない生物が瘴気に晒されれば、当然生命の危機に陥る。ましてや生まれてから魔力によって保護された環境にいた者が、突然その保護下から放り出されれば、一時的にとはいえ副作用の如く瘴気は急速に体を蝕むだろう。


 争いの絶えなかったラジアート帝国と隣国にあたるフェリシアーナ皇国に戦争が勃発しなかったのは、この巨大な死の樹海が間にまたがり、その進行を妨げたからだった。互いの国を行き来するには大きく迂回し、海を渡るしかすべはない。


 その死の樹海が万有の血保有者と何の繋がりがあるのか意図を掴み兼ねて、ユルングルは怪訝そうに頷く。


「…四十年前、ラジアート帝国の現皇帝が皇族の多くを粛正する際、ただ一人生き延びてこの死の樹海に逃げ込んだ者がいたらしい。当時8歳の娘で万有の血保有者だ。皇帝は捜索を命じたが、結局この死の樹海には立ち入ることができず、その生死は未だ不明だそうだ」

「…四十年も前の話だろう?おまけにこの死の樹海から生きて帰って来た者はいないと聞く。探すだけ無駄だろう」

「…本当にそう思うか?」


 眉唾だと一蹴するユルングルの目を真っすぐに見て、ゼオンはいつになく真面目な顔で訊き返す。


「…何が言いたい?」

「お前の勘に聞いているんだ。…本当にそう思うんだな?」


 また意味の判らないことを、と内心呆れながらも、ユルングルはふと思案する。

 自分の勘は、この病の完治を告げていた。だからこそユルングルは生きる望みを捨てなかった。だがその完治の方法までが判明したわけではない。そしていつも必ず勘が働く、というわけでもなかった。

 現状、その生き延びたという皇族の少女の話を聞いても、琴線に触れる何かがあるわけでもない。勘が働くときは何かしら心に触れて瞬間的に閃くのだが、それは一切微動だにしなかった。


 ユルングルはわずかに心内を彷徨いながら、言葉を続ける。


「…本当に、生きて帰った者はいないのか?」

「いない。正確には何人かいたがそのどれもが数日以内に死んでいる」

「…彼らの共通点は低魔力者という事だけだな?」

「そうだ」


 なぜそう思った?とは聞かない。

 ユルングルの勘はそういうものだと、ゼオンは熟知していた。


「…この死の樹海に入れる者が二人いるな。俺とミルリミナだ」


 誰にともなくぽつりと呟いたその言葉に大きく反応したのは、やはりユーリシアとダリウスだった。


「待てっ!!ミルリミナを連れて行くつもりかっ!?」

「死の樹海に入られるおつもりなのですか…!?」

「…落ち着け…!入るとは言ってないっ!」


 詰め寄るように迫ってきた二人を、ユルングルは慌てて制する。


「…ただそう思っただけだ。いちいち反応するな…!」


 ため息交じりにそう言葉を続けたが、二人とも納得していないのか訝し気な表情を崩さない。ユルングルは再び大きくため息をついて、ゼオンに向き直った。


「…悪いが俺の勘は働きそうにない。他をあたった方がいいだろうな」

「…そうか」


 ため息交じりに言葉を落としながら、ゼオンはいかにもつまらなさそうに視線を宙に投げる。残念がらないその仕草がいかにもゼオンらしい、と半ば呆れながらユルングルは心中でひとりごちたが、ゼオンに告げたことは必ずしも真実ではない事を、今一度胸の内で確認するように反芻する。


 確かに勘は働かなかったが、妙な引っ掛かりだけは感じていた。

 それは生き延びた少女に対するものではない。死の樹海に対するものだった。それが何を意味しているのか、自分でも量り兼ねて、ユルングルは明言を避けたのだ。

 何よりこの話題を続ければ、ユーリシアとダリウスが黙っていなさそうなので早々に切り上げたかった事も大きい。


「…では引き続き、万有の血保有者の情報はゼオン殿にお任せしよう。貴殿ほど情報に精通している者はいないだろうからね」


 言って、席を立つ皇王を視界に入れる。


「…簡単に言ってくれるな。こいつの見返りは厄介なんだぞ?」

「その見返りは私が用意する約束になっている」

「…あんたに借りを作るのか?」

「息子を助けるのに貸しも借りもないだろう?」


 さらりと落としたその言葉に、あからさまに渋面を作るユルングルを、皇王はたまらず笑い飛ばす。


「ああ、すまない。息子扱いしない約束だったね」

「…あんた、判ってやってるだろう…!」


 その言葉には、満面の笑みを持って答えた。


「さあ、どうだかね」


**


 ユルングルの隠れ家をゼオンと共に辞去して、二人は皇宮に向かう馬車の中にいた。

 低魔力者を嫌う官吏が多い皇宮をゼオンは嫌ったが、街中の宿の方がより扱いが悪く危険だと諭して、皇王シーファスはほぼ無理やり皇宮に彼らの寝所を用意した。

 確かに何度か街中の宿では襲われたこともあったが、居心地の悪さとしては皇宮の方が上だろう、とゼオンは思う。


「…どうだ?初めて息子に会った感想は?」


 おもむろに問いかけるゼオンの言葉に、シーファスは満面の笑みを返す。


「感慨深いね。あの小さく弱々しかったあの子が、ずいぶん立派に育ってくれた」

「…お前にそっくりだろう?」


 それには思わず吹き出す。


「違いない。…外見はファラリスにそっくりだが性格は残念なことに私に似たようだ」

「無駄に警戒心が強くて、無駄に意地が悪いし、無駄に勘が鋭い。おまけに人の弱みを見つけたら躊躇なくそこを突くところはお前にそっくりだ」

「…だが心根が優しいところはファラリスに似てくれた」


 馬車の小窓から見える景色に視線を移しながら、皇王は穏やかな表情を見せる。


「…性格がファラリス似の息子の方は、ずいぶんお前に物言いたげだったな」

「…廃太子を願い出たいのだろう。…認めるつもりはないが」

「ユルングルに皇太子を譲るつもりか?」

「そうだろうね。…ゼオン殿は、どちらが相応しいとお思いかな?」


 ずっと景色に目を向けていた視線をようやくゼオンに向けて、シーファスは意地の悪そうな笑みをたたえながら問いかける。こういう時のシーファスは意見を求めてなどいないことを、長年の付き合いでゼオンは熟知していた。

 答えが決まっているのに、わざわざ質問をするのは、自分と違う答えを出した相手を論破して自分が正しいと再確認するためだ。そのために使われる身にもなってみろ、とゼオンは不承不承とため息を落とす。


「…ユーリシア、と言いたいところだが、お前に似たユルングルの方が適任じゃないのか?あんたは国内じゃ嫌われ者だが、国外では切れ者と名高い。ユーリシアも評価は高いが、あれは優しすぎる。非情な決断もできるユルングルの方があんたが望む皇王に近いだろう」

「おや、それは暗に私が優秀な王だと褒めてくれているのかな?貴殿に褒められるとは光栄だね」


 にこりと微笑むシーファスをゼオンは呆れたように鼻で笑い飛ばす。


 正直、つい昨日まではユーリシアこそ皇太子に相応しいとゼオンは思っていた。議会で見せる泰然自若な姿は、年若い者に出せるものではない。だからこそ、その涼し気な顔を歪ませようと躍起になっていたのだ。


 だが、今日初めて表舞台で見せるそれとは違う、素のユーリシアを見た。

 些細なことに感情を見せ心を動かすユーリシアは、どう見てもユルングルより劣って見える。

 その姿を見たい、と望んでいたゼオンは、しかし実際その姿を見て面白いと思いつつも、内心では落胆を隠せなかった。


 そんなゼオンの内心を悟ったのか、シーファスは心外だとばかりに挑戦的な笑みを落とす。


「…貴殿もあの子自身も、ユーリシアという人物を過小評価し過ぎているね。あの子は確かに優しすぎるところがあるが、あの子ほど王に相応しい者はいない。…おそらくユルングルも気付いているだろう。立太子の話が出てもあの子は受けないだろうね。…理由はそれだけではなさそうだが」

「……珍しいな、論破しないのか?」

「これは口で説明できるものではないよ。…いずれゼオン殿も、そう遠くない未来にその目で見ることになる。その時が来れば貴殿も認めざるを得ないだろう」


 その知ったような口がことさら鼻について、ゼオンは不機嫌そうに視線を外に向けながら鼻を鳴らす。

 九つ下のゼオンは、シーファスの前だけはこうやって拗ねたような顔を見せる。それは壮年になっても変わらず、シーファスは小さい子供の不機嫌を見るように、やれやれ、と小さく息を落とした。


 そうして、わずかな沈黙の後に、ゼオンはぽつりと呟く。


「…まあ、何にせよ、いい息子たちを持ったな」


 さすがのシーファスも、これには目を丸くした。


「…珍しい。槍でも降ってくるか?」

「…よせ、お前が言うと本当に起こりそうで縁起が悪い」


 ただでさえ国内では敵が多いのだ。これで本当に槍が降ってきた日には寝覚めが悪い事この上ない。

 シーファスは渋面を作るゼオンを見やって、くすくすと笑みをこぼした。


「…本当に、私には過ぎた息子たちだ。…ファラリスに見せてあげられなかった事だけが悔やまれるな……」


 軽く伏した目を、今度はゼオンに向ける。


「ゼオン殿もそろそろ伴侶を見つけて子を為したらどうだ?」

「よせ、嫁も子供もいらん」

「まだシスカを引きずっているのか?」

「気色の悪いことを言うな…!俺に男色の毛はないっ!」

「自分で言い出したことだろうに」


 呆れたように息を落として、シーファスはわざとらしく困り顔を作る。


「…あれは友人だ!」

「大事な、ね」

「………」


 いちいち神経を逆撫でする奴だな、と内心で悪態をいたが、言えばまた応酬が返ってきそうなので思うに留める。こういう奴だと判っていながら、付き合っている自分も相当変わり者だろう。


「…本当はお前を連れて行くつもりはなかったんだぞ。お前が珍しく頭を下げて頼むからお膳立てしてやったんだ」


 おかげでシスカに渡すはずだった幻肢の薬を渡しそびれた。

 これについても文句を言ってやりたがったが、シーファスに言葉で勝てる気がしなくてゼオンは不承不承と沈黙する。


「感謝しているよ」


 言って、シーファスは不機嫌そうに外を見るゼオンを視界に入れる。


 自分は周りの人間に助けられてばかりだ、とシーファスは思う。

 ファラリスの想いをシスカが引き継いで、ユルングルとユーリシアを見守ってくれた。そのシスカの想いを汲んで、ゼオンは悪役に徹しながらユルングルの動向を見守り、ユーリシア暗殺を報告してくれた。


 あの時、小さな石つぶてを矢に当てて軌道を変えたはずだった。

 それはユルングルすら判らぬほど些細な軌道修正で、本来であればユーリシアの腕をかすめるだけだったはずが、ミルリミナが前に飛び出したことで彼女の命を奪う結果になってしまった。

 これに関しては間違いなくシーファスの失態だろう。


 シーファスは、馬車の小窓からようやく見えてきた皇宮を忌々しく視界に入れる。


 あれは魔窟だ。

 五十六年あそこで暮らしたが、一度たりとも心が安らいだことはない。

 魔力至上主義であった時は、玉座を狙う皇族からの視線に疑心暗鬼になり、魔力至上主義を捨ててからは、命を狙う官吏や皇族に神経を尖らせている。

 唯一、心穏やかに過ごせたのは、ファラリスが生きて隣にいてくれた時だけだ。彼女が傍にいるだけで、心は落ち着き穏やかに過ごせた。


 だが、彼女はもういない。

 嫌がるゼオンを無理やり皇宮に連れてきたのは、少しでも心が落ち着く何かが欲しかったからだ。


(…私が死んだら、あの魔窟を息子たちに託すことになる)


 それだけはしてはならない。

 この苦労を、息子たちに与えるわけにはいかない。


 シーファスは思いの強さを確認するように、拳を強く握る。


 自分に残された時間はもう少ない。

 そのわずかな時間で、あの子たちの憂いを晴らすのだ。


 シーファスは改めて皇宮を視界に入れ、人知れず決意を新たにした。

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