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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第一部 嚆矢濫觴(こうしらんしょう) 
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兄弟・後編

「皆さんにはレオリア様としてご紹介いたしますが、どうかご容赦ください」


 工房に向かう道中、ダリウスが申し訳無さそうに告げる。

 ユーリシアはラヴィが座る車椅子を押しながら、さもありなんと頷いた。


 まさか素直に皇太子だと紹介するわけにもいくまい。

 そうなれば混乱は必至だろうし、自分自身も動きが取りづらくなる。そもそも数日ではあるが、工房の職人御用達のキリの店で働いていたのだ。レオリアとして紹介する方が自然だろう。


 ユーリシアはダリウスから帽子を受け取って目深に被ると、髪が出ていないか丁寧に手探りで確認した。

 こういう時は、自分の銀髪がことさら忌々しい。目立つ上に、世界で唯一の髪色なのだ。これがある限り、フェリシアーナ皇国の皇太子である事実は隠せない。


 シスカから髪色を変えるすべを教わったが、あれはあまり実用的ではない、と思う。長時間使えるわけでもなく、使えば必ず体力が大幅に疲弊して吐き気を伴うほどの頭痛を起こす。

 生まれて初めて頭痛というものを体験したが、正直あの苦痛をもう一度味わうのは御免被りたい、というのが本音だ。


 丹念に確認するユーリシアに、ユーリは小さく笑みを落として声をかけた。


「もう大丈夫です。レオ___ではなく…ユーリシア……さん」


 ぎこちない呼び声に思わず失笑して、ユーリシアは謝意を伝える。

 そうして再び歩き始めて、ふとユーリとラヴィが顔を見合わせて笑い合っているのが視界に入って、ユーリシアは怪訝そうに小首を傾げた。


「…どうした?」

「いえ、工房に着いたらユーリシア殿下も洗礼をお受けになられるのだろう、と思いまして」

「…洗礼?」

「ご覚悟ください。あれはユルングル様ですら、気圧されておいででしたから」

「……?」


 笑みを含みながら答えたラヴィの言葉に、ユーリシアはさらに疑問を深める。


「皆さん、悪気があるわけではありませんから、笑って許してあげてくださいね」


 困ったような笑みを落とすユーリの言葉を理解したのは、それから幾ばくも経たぬ頃だった。



「あらやだ!あなたユルンの弟だったの!」

「だからキリが会う人間を選別してたのね!」

「兄弟揃って美形なのねぇ!ユルンとはまた違った男前っぷりだわ!」


「え……え…っと…」


 工房に着いてダリウスがユルングルの弟と紹介するやいなや、突然目を輝かせたおば様たちに取り囲まれて身動きが取れなくなったユーリシアは、例に漏れずされるがままになっている。

 洗礼というのはこれのことか、と内心ひとりごちて困惑したように苦笑を落としながらも、キリの店にいた時とあまりにその対応が違って、どう受け止めていいのか分からず、なおさら狼狽した。


 キリの店では、誰も彼もがよそ者を見る目でユーリシアを見つめていた。

 ひどく排他的で、まるで異物を見るようなその視線が居心地の悪さを刺激した。


 なのにこの歓迎ぶりは何だろうか。

 それはユルングルの弟と紹介されたからなのか、それともこうやって正式に紹介された人間に対しては同様にこの態度を見せるのだろうか。

 先程のラヴィの口ぶりからして、彼もこの洗礼を受けたようだから、おそらくは後者なのだろう。


 まさか正直にユルングルの弟と紹介されるとは思っても見なかったことも相まって、ユーリシアはただひたすら周章狼狽して、まともな返答すらできずに困惑を極めた。


「確かに言われてみれば、少しユルンに面差しが似てるわねぇ」


 その言葉に、ユーリシアはようやく鈍くなった思考が蘇る。


「……似て…いますか……?」

「ええ。特に口と顔の輪郭がよく似てる。目は…そうねぇ。ユルンはどちらかというと女顔だからお母さんに似たんじゃない?」

「……はい。彼は母の生き写しです」

「でしょう?あなたの目はきっとお父さんに似たのね。でも二人共よく似てる」


 なぜだか妙にその言葉が面映ゆく、何とも言い表し難い感情が込み上げてくる。

 これは戸惑いの感情なのだろうか。それとも、思いもよらぬ言葉をかけられて照れているのだろうか。


 周囲が急に自分を『弟』という立ち位置で扱うことに慣れないし、この先も慣れる気がしない。いつかはこれが日常になって、ユルングルの弟という自分を違和感なく受容する日が訪れるのだろうか。

 ユーリシアはその複雑な感情と向き合いながら、ただひたすら当惑するしかなかった。


 そんなユーリシアの心情などお構いなしに、おば様たちは感慨深げに息を漏らした。


「…そう、ユルンに兄弟がいたのねぇ…。よかったわぁ」


 言って、皆一様に安堵したように穏やかな表情をユーリシアに向ける。

 その視線には、期待と懇願が混ざっているように感じて、ユーリシアは不思議そうに視線を返した。


「………あの…?」

「ああ、ごめんなさいねぇ。あの子は…ユルンはいつも寂しそうだったから…」

「……!」

「家族と呼べるのはダリウスだけだったでしょう?他に家族はいないんだろうと思って、みんなあの子の家族になろうと頑張ったんだけど、やっぱり本物の家族には敵わないものねぇ」


 言って、穏やかに笑い声を落とす。


「仲良くしてあげてね、ユルンと。あの子は口は悪いけど根はいい子だから」


**


 ようやく解放されて皆それぞれに作業に戻ったが、ユーリシアは皆の言葉が念頭から離れず、同時に胸の内に込み上げる感情にどんな名前がついているのか、ひたすら思考を巡らせていた。


 罪悪感ではない、と思う。確かにその感情もないわけではない。

 彼女たちは自分を『本物の家族』だと言ったが、そうでないことは嫌というほど自覚している。きっとこの工房にいる者たちのほうが、ユルングルにとっては家族に近しいのだろう。


 では、憐憫の情?

 それとも、『本物の家族』でありながら『本物の家族』ではない現状に苛立ちを覚えているのだろうか?

 あるいは、これほど多くの者に家族になろうと親しみを寄せてもらえている、ユルングルへの羨望____?


 どれもあっているような気がするし、どれも違うような気がする。

 結局のところ色々な感情が溢れ出て複雑に絡み合っているのだろうと思う反面、やはり適した言葉があるような気がして、ユーリシアはその答えを見い出せず、途方に暮れていた。


「……ユー、レオリアさん…?」


 解放されてからも呆けたように立ち尽くすユーリシアを、ラヴィと二人怪訝に思って、たまらずユーリが遠慮がちに声をかける。ここでは人目があるため、呼びかける名は『レオリア』だ。

 声をかけられたユーリシアはようやく我に返って、困惑したように二人に視線を向けた。


「…あ、ああ。すまない」

「……やはり、不快でしたか…?」


 戸惑いを不快と判断したのだろう。不安げに問うユーリに、ユーリシアは慌てて否定の意を示した。


「いや…っ!そんなことはない!……ただ、戸惑っただけだ」


 何に対する戸惑いかは告げなかった。

 自身の心内に広がる不可解な感情に対する戸惑いだったが、それを工房の過剰な歓迎に対する戸惑いと受け取ったユーリは、ほっと胸を撫で下ろす。


「…良ければ工房を少し見学しませんか?」

「…ああ、頼む」

 

 ユーリの気遣いに顔が綻んで頷くと、彼もまた嬉しそうに破顔する。

 この笑顔がなぜだか安心感を与えてくれるようで、心地いい。


「では私はこちらで失礼いたします。ゆっくりと見学なさってください、レオリア様」

「ああ、ありがとう、ダリウス」

「ラヴィ、お二人を頼みますね」

「承知いたしました、ダリウス様」


 承諾するラヴィを視界に入れた後、深々とこうべを垂れて、ダリウスは踵を返す。その後姿を見送って、二人はラヴィを乗せた車椅子を押しながら工房の中を見て回ることにした。


「………すごいな」


 暇つぶし程度に、と内心思ってはいたが意外にもひどく興味深い内容に、ユーリシアは素直に感嘆の息を漏らした。


 ここで作られるものは家具だけではない。

 布やレース、装身具や様々な小物、そして食器や玩具までありとあらゆるものが制作され、そのどれもが一級品と言っても過言ではない上質な物ばかりだった。細やかな細工が施され、布一つとっても手触りがよく、物によっては繊細な刺繍まで施されている。これほどの出来ならば、貴族たちがこぞって愛用するのも頷けた。


(…これほどの物とは…。この工房も、ユルンが作ったのか……)


 そのどれもが一見に値する物ばかりで、ユーリシアは思わずひとりごちる。そして同時に、再び不可解な感情が蘇った。

 不快な訳では無いが、その正体が判らぬだけに感情が彷彿するたび困惑も同時に蘇る。怪訝に思ってその正体を探ろうとすればするほど、やはり泥にハマっていくようで、ひどくもどかしかった。


「……レオリア様…?」


 再び放心するユーリシアを見止めて、今度は車椅子に座るラヴィが見上げるように声をかけた。


「…ああ、すまない。感心して見ていた」


 心配をかけさせまいと、困ったような笑顔を向けながらユーリシアは咄嗟に取り繕う。それでも怪訝そうな、そして不安そうな視線を向ける二人の心配を取り払うかのように、ユーリシアは努めて明るく会話を続けた。


「そういえば、ユーリも工房で働いていると言っていたが、何を作っているんだ?」


 話題を変えることで自分への矛先を変えたつもりだったが、問われたユーリは周章狼狽して盛大に赤面を作った。


「………?どうした?」

「…あ、いえ……僕は……っ!」

「恥ずかしがることはないだろう?」


 できるだけ穏やかに言って、ユーリが答えるのを待つ。

 諦める様子がないユーリシアに観念したのか、ユーリは赤面を隠すように俯きながら、小さく声を落とした。


「……………………刺繍………です………」

「…!刺繍か…!すごいな、あんな繊細なものが作れるのか!」


 素直に感嘆してくれるユーリシアに、ユーリは目を瞬いた。


「……笑わないんですね。……男が刺繍なんて……」

「何もおかしくはないだろう。得手不得手に男も女もない。得意なものがあれば何でも誇っていいはずだ」


 その何気ない言葉が、ユーリにはひどく好ましかった。

 赤面していた顔は頬の紅潮に変わって破顔一笑するユーリを、ユーリシアは微笑ましく視界に入れる。

 その面映ゆい視線に気づいて、照れをごまかすようにユーリは言葉を続けた。


「…ユルンさんも、上手なんですよ」


 ユーリのその言葉に、今度はユーリシアが思わず目を丸くする。


「…え!?……刺繍…?」

「……いえ、さすがに刺繍はしません…」


 男も女もないとは言ったが、さすがにユルングルが刺繍をする姿は想像ができない。

 勘違いであったことに安堵しつつも、ずいぶんな思い違いをしてしまったと、赤面しながら恥じ入って俯くユーリシアを見て取って、ユーリは言葉足らずであったことを苦笑しながら謝罪した。


「…すみません。刺繍や針仕事はしませんけど、ユルンさんもよくこの工房に通ってるんですよ」

「…ユルンはここで何を作っているんだ?」

「何でも。家具も作りますし、装身具も作ります。この前は子供に玩具を作ってあげていました。今ラヴィさんが使っているこの車椅子もユルンさんが作ったんですよ」


 それはラヴィも初耳だったのだろう。さも驚いたように感嘆の息を漏らしている。


「工房の皆さんも手伝ったそうですけど、後で聞いたら設計図も指示も全てユルンさん主導でおこなったそうです」

「…車椅子はこの国にはない物だ。ミルリミナが乗っていた車椅子をひと目見て構造を理解したんだろうが…すごいな。…こんなに正確に再現できるのか……」


 ユーリシアもまた、感嘆しながら車椅子を視界に入れる。

 正直、物としての出来もユルングルが作った物のほうが上だ。細部の細工もさる事ながら、元の車椅子の欠点も改善されてより使いやすく作られている。


「…器用なんだな、ユルンは」

「…!…はい……っ!」


 呟くように落としたユーリシアの言葉に、ユーリはまるで自分が褒められたかのような咲き誇らんばかりの笑顔を見せた。

 つい先程安心感を与えてくれていたその笑顔が、なぜだか急にユーリシアの心を小さく刺激する。

 この痛みは、何の痛みだろうか。


「…ユーリは、本当にユルンの事を慕っているのだな」


 理由の判らぬ胸の痛みを隠しながら、ユーリシアは告げる。そんな心情を知ってか知らずか、ユーリは穏やかに笑ってみせた。


「はい…!尊敬しています。レオリアさんもでしょう?」


 その言葉に、ユーリシアは目を丸くした。

 否定しようとしたが、なぜだか言葉に詰まったユーリシアにモニタが声をかけたのは、ちょうどそんな時だった。


「レオリア、こんな所にいたのね」

「モニタ…!…ああ、ユーリに工房を案内してもらっているところだ」

「あら、ユーリも一緒?…仲がいいのね」

「モ…モニタさん……っ!」


 何やら含んだ言い方に赤面するユーリを、揶揄するようにモニタはくすくすと笑みをこぼす。

 そうして、ひとしきり笑いあった後、モニタはわずかに声を潜めた。


「…ユルンの弟だったんだ」

「…ああ、そうらしい。私もつい最近知ったばかりだ…」

「…だからあれほど皇族を憎んでいたのね」


 それには返す言葉がなかった。

 モニタに責める気持ちはこれっぽっちもなかっただろうが、ユーリシアはどうしても責められているような気になって、居た堪れない気分に陥る。押し黙るユーリシアが目に入って、モニタは慌てて言葉を改めた。


「あ、違うのよ!そういう意味じゃ……」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ。それよりも……ユルンは小さい頃からここにいたのか?」

「え…?いいえ、あの子がここに来たのは八年前だから彼が16歳の時ね」


 16、と口の中で小さく反芻する。


「…その頃のユルンはどんな感じだったのだ?」


 なぜだか知りたい、と思った。

 ユルングルが何を思い、何を感じて、どう育ったのか、無性に知りたいと思ったし、知らなければならないとも思った。それは家族としての義務だと感じたのか、それとも罪悪感から来るものなのか、あるいは全く別の感情からなのかもしれない。


 ユーリシアの問いに、モニタは少し言葉を探すような仕草を見せてからゆっくりと口を開いた。


「…そうねぇ、いつも本ばかり読んでて、とにかく頭のいい子だったわ。それでいて剣の腕も立つし、あの容姿でしょう?最初の頃はみんな生意気な子供がやってきたって毛嫌いしてたわね」

「……それは、まあ…あの口の悪さだからな…」

「ああ、そうじゃないのよ。だってその頃のユルンは一言も口を利かなかったもの」

「……え?」


 モニタの言葉に、ユーリやラヴィも目を瞬く。


「彼の言葉は必ずダリウスが告げていたし、決して私達を見ようともしなかった。それがさらに癪に障ったのよね。ユルンはどう見ても貴族出身でしょう?従者もついていたし、口を利くどころか目も合わそうとしないから下々の者と一緒にいるのが嫌なんだろうってみんな思ってたのよ。…でも一緒にいる時間が長くなってくるとそうじゃないって事に気づいてくるのよね。…あの子はひどく怯えてた。心を閉ざして、ダリウス以外の人間を寄せ付けようとはしなかったの」


 生来世話好きな気性も手伝って、ユルングルに何度も歩み寄ろうと試みたものの、そのどれもが失敗に終わったことをモニタは覚えている。

 とにかく警戒心が強く、人との接触を極端に怖がる少年だった。口を利かないのも目を合わせないのも、傲慢な態度から来るものではない。ただひたすら怯えていたのだ。

 聞けば、姉弟同様に育った少女を亡くした直後だったという。心を閉ざしたのはそればかりではないような気もしたが、傷心のユルングルに問い詰めるのはあまりに酷だし、ダリウスもそれ以上は話したがらなかったので、皆それで納得する他なかった。


「16になるまでダリウスとその少女以外とは話をしたことがないって聞いた時はさすがに驚いたわね。だからどう接したらいいのか判らないんだろうってダリウスは言ってたけど、あの頃のユルンの瞳には困惑と一緒に怯えも含まれてるってみんな気づいてたわ。それが人と接触する機会がなかったからひどい人見知りになっているのか、それとも別の要因があるのかは結局のところ判らなかったけど…」


 その答えに、ユーリシアは思い当たる節があった。

 おそらく命を狙われることに対する恐怖が、ユルングルの中にあったのだろう。

 聖女の花園でユルングルが吐き捨てるように告げた言葉を思い出す。


(部屋の隅で体を震わせながら怯える惨めな気持ちがお前に判るのかっっ!!)


 人との接触を極端に制限したのは、暗殺を警戒したからだ。第一皇子であるユルングルの生存がどこから漏れるともしれない。だからこそ、隠れるように生きてきたのだろう。


 その事実が、また居た堪れない。


「…まぁ、そんな少年が突然こんな賑やかなところに来たら、さぞ狼狽することでしょうね」

「それは……まあ……」


 先程の洗礼を思い出して、内心その通りだと相槌を打ちつつも明言を避けて、苦笑するに留める。


「…なのにね、あの子ったら自分はそうやって他人を遠ざけるくせに、この街のためにいつも率先していろいろ奔走してくれてね。ダリウスと二人、工房を作り始めたのもその頃ね。制作の技術を教えたのもユルンなのよ」

「…ユルンが?」

「体が弱くて本ばかり読んでたから知識だけは豊富にあったみたい。実際に経験したわけではないから、どうしても試行錯誤するしかなかったけど、最初の頃はダリウスを介して会話してたのが、そのうちそれが煩わしくなったんでしょうね。次第にみんなと会話するようになっていったの。物作りが性に合ってたのね、その時だけは目を輝かせてたわ」


 言って、当時を思い出してくすくすと笑みをこぼす。


「そうやって馴染んでくると、みんなユルンを放っておけなくなってきたのよねぇ。ここの人たちってお節介な人が多いでしょう?一人寂しそうなユルンが可哀想で、誰彼構わずユルンにひっきりなしに構うもんだから、そのうち彼が辟易しちゃって。ちょうどぽつりぽつりと言葉を交わせるようになった時期だったから、構いすぎるみんなを上手にいなすすべを覚えたのよね」

「……それで、ああいう物言いになったと」

「ご名答。まぁ、元々そういう素質はあったのかもしれないけどね」


 合いの手を入れるユーリシアに、モニタはさもありなんと返す。


「…大人はそうやってユルンを受け入れていったけど、年の近い子供たちは馴染むのに時間がかかったわね。大人から一目置かれていたし、仕切りにユルンを猫っ可愛がりするのも気に入らなかったみたい」


 そうだろう、とユーリシアは思う。

 子供はそういう事に必要以上に敏感なのだ。大人から特別視される者をひどく嫌悪する傾向にある。

 それは、皇太子という立場にあった自身にも覚えのあることだった。


「どうやって馴染んだのだ?」


 ユーリシアの問いに、モニタはなぜだか苦笑して答える。


「馬鹿が一人いたのよ」

「………馬鹿?」

「リュシテアの前首領の息子よ。ライーザっていうんだけど、当時は負けん気の強い子でね。絶対敵わないって判ってるのに何度もユルンに挑戦状を叩きつけて、その度に負かされて悔しそうにしてたっけ。それを何度か繰り返してたら、そのうちいつの間にか仲良くなっちゃって。ユルンの三つ年下だったから、傍から見てたらまるで兄弟みたいだったわ」


 その言葉に、ユーリシアは何故かひどく心がざわついた。その理由がまた判らず、自問自答するように口の中で、兄弟、と反芻する。


「また機会があれば紹介するわね」

「あ…ああ」


 ひどく躊躇いがちな返答になったが、モニタは意に介していないようなのでひとまず安堵する。


「ユルンの幼少の頃が知りたかったら、彼が詳しいんじゃない?ユルンが昔馴染みだって紹介してたから」


 ラヴィを指さしながら、そう言い残して去っていくモニタを視線から外して、ユーリシアは瞬いた目をラヴィに向けた。


「……そうなのか?」

「…昔馴染み、と言うほど懇意にして頂いたわけではございませんが、ご幼少の頃のユルングル様を存じ上げていることは確かです」


 だからか、とユーリシアは内心でひとりごちる。

 思えばラヴィが自分を裏切ったことなど一度たりともなかった。

 ラヴィがユルングルに心を開いたのは、自分を裏切ったからではない。ただ面識があった、というだけのことなのだ。


 たったそれだけの事実なのだが、ユーリシアは一人ひどく安堵して小さく息を吐く。


「…あの、レオリアさん。リュシテアの首領が面識のあるユルンさんだとラヴィさんが知ったのは、囚われてからです。決して_____」

「判っている、ユーリ。ラヴィが私を…俺を裏切るはずがないことは、本当は判っていたはずなんだ」


 なのに、信じることができなかった。

 とても簡単なことだったはずなのに、あの時の自分にはひどく難しことだった。

 ユーリシアは未だに感触が残っている右手に視線を落として、小さく拳を握る。


「……レオリア様」

「…大丈夫だ、ラヴィ」


 言って、穏やかに笑って見せる。


「幼少の頃のユルンはどんな感じだったんだ?」

「…一言で申し上げるならば、とても愛らしい方でした」


 その表現に、さすがに意表を突かれてユーリと二人、思考が止まったかのように硬直する。


「………愛らしい……?」


 これほどユルングルに似つかわしくない言葉もそうないだろう。

 苦笑することさえできない二人を視界に入れて、ラヴィはくすくすと笑みを含みながら言葉を続けた。


「私が存じ上げているのは5歳までのユルングル様です。当時はダリウス様の弟というお立場でいらしたのですが、その頃から人見知りの激しいお方で、いつもダリウス様の後ろに隠れてこっそりこちらを伺うようにお顔をお出しする姿がとても愛らしかったのです」

「…ああ、なるほど」


 誰にでも幼少の頃は可愛い時分があったのだ。それはあのユルングルも例外ではない。

 …ということにしておこう。


「私が存じ上げているのはその程度のことです。先程も申しました通り、親しい間柄ではございませんでしたので。ですがユルングル様はことさらこの頃のご自分を嫌っているご様子ですので、どうぞご内密に」


 言って、ラヴィは人差し指を立てて口元に当て、ニコリと微笑んだ。


**


 工房から帰ってきたユーリシアは、自身の部屋がある三階まで階段を登りきると、車椅子を押す手を止めて四階に続く階段に視線を移した。


 ここの階段には車椅子が通れるように半分、斜路スロープが備え付けられている。それはおそらくミルリミナをおもんばかって作られたものだろう。彼女の部屋は三階にあったようだが、どこにでも自由に行けるように四階の階段にも斜路は作られていた。

 思いやりにあふれたその仕様が、まるでユルングルの気性を表しているようで好ましい。


 上に続く階段を見据えたまま、動かないユーリシアを怪訝に思って、ユーリは遠慮がちに声をかける。


「……ユーリシア、さん…?」

「…ユーリ、すまないがラヴィを部屋まで連れて行ってくれないか?私は少しユルンの様子を見てくる」


 ユーリを振り返ることもなく、そして返事を待たずにユーリシアは足早に階段を登っていく。

 そんなユーリシアの姿が視界から消えるのを見届けてから、ユーリは独白をこぼすかのようにポツリと呟いた。


「……ラヴィ様。私、今ものすごくユルンさんに嫉妬してます」


 心の声を聞いてしまったことに、ラヴィは思わず吹き出して失笑する。


「ユーリ、ご令嬢が顔を覗かせておりますよ」

「…は!す、すみません…っ!今のは忘れてください……っ!」


 盛大に赤面を作って顔を手で覆うユーリを笑って、宥めるようにラヴィは言葉を続けた。


「許してあげてください。弟の存在をずっとご存知だったユルングル様とは違って、ユーリシア殿下はつい十日ほど前にお知りになったばかりなのです。あの方なりに、兄であるユルングル様をどう受け入れていいのか、模索なさっておられるのでしょう。今しばらくは、見守ってあげてください」


 温かなその言葉に、ユーリシアが去って行った階段を再び視界に入れて、ユーリは呟くように返事をした。




「……ユルン、私だ」


 ユーリシアは遠慮がちに扉を叩いて、中からの返答を待っていた。

 だが静寂だけが返ってきて、ユーリシアはどうしたらいいものか逡巡する。


(……眠っているのか?)


 そう思って自室に戻ろうか、とも思ったが、何となく後ろ髪を引かれて、ユーリシアは扉に手をかけた。


「…入るぞ」


 とりあえずひと声かけて、ユーリシアは眠っているであろうユルングルを起こさぬよう、静かに扉を開く。

 視界に入ってきたのは、ベッドのすぐ隣に置かれたおざなり程度の小さな卓の上に山積みに置かれた本の山と、その奥で寝息を立てて眠るユルングルの姿だった。

 そのユルングルの額には濡らしたタオルが置かれている。

 熱があるのだろう。看病していたのはダリウスか、それともシスカあたりだろうか。


 ユーリシアは静かに後ろ手で扉を閉めると、ソファに座ってユルングルの顔に手を当ててみた。


(…ずいぶん熱いな)


 少なくとも健康な体温ではない。ユーリシアはすっかり生温くなったタオルを取ると、桶に入った氷水に浸して再び額に戻してやる。それが熱い体に心地いいのか、熱にうなされたような表情が若干和らいでいるような気がした。


 何となく手持ち無沙汰になって、ユーリシアは視界に入った山積みに置かれた本を一冊手に取ってみる。

 何かの専門書だろうか。内容があまりに難しく、何を書いているのかすらユーリシアには理解できなかった。


(…こんなに難しい本を読んでいるのか…)


 本をよく読むと聞いたが、専門分野まで読破しているとは思わなかった。見渡せば彼の部屋には所狭しと本が並んでいる。


 今日一日、ユルングルのことを聞いて回ったが、知れば知るほど彼と自分には歴然の差があるようで、自分の無能さが突きつけられたような気になった。

 同じ兄弟なのに、その出来は天と地ほどの差がある。

 そう思えば思うほど、また不可解な感情が現れてまた困惑する羽目になった。


 ユーリシアはその感情を振り払うようにかぶりを振って、再び生温くなったタオルを冷やす。

 そうして何度目かに、ゆっくりとまぶたを開くユルングルと目があった。


「あ…すまない。起こしてしまっただろうか……」

「………ユーリシア……?…ここで何をしてるんだ……?」


 熱の所為せいだろうか。わずかに声がかすんでいる。


「…看病をしていたつもりなんだが…何か違っていたか…?」

「いや、そういうことじゃなく……。というかこれくらいの熱で看病は必要ない。いちいち構っていたら一生ベッドに束縛されるぞ」


 忌々しそうに吐き捨てながら、ユルングルは体を起こす。

 その言い方から察するに、これくらいの熱は日常茶飯事なのだろう。その事実がなおさら痛々しい。


「…まだ休んでいた方がいい。熱も高いだろう」

「何ともない」

「何ともないわけ無いだろう。タオルを冷やしたら心地よさそうにしていたんだ。本当は辛いんだろう?」

「大きなお世話だ。だいいち俺が熱にうなされようがお前には関係のないことだろう。いちいち構うな」

「関係ないわけ無いだろう!」


 突き放したような口調に腹立たしさを覚えて、ユーリシアは思わず声を荒げる。さしものユルングルもこれには驚いて、目を丸くした。


「……私達は兄弟なんだ。関係ないわけない…」

「…どういう風の吹き回しだ?俺は今さら兄弟ごっこをするつもりはないぞ」

「ごっこではないだろう。私達は正真正銘、血を分けた兄弟だ」

「それでもずっと離れて暮らしていた。お前に至っては俺の存在すら知らなかったはずだ。他人と何が違う?友人にはなり得ても、兄弟には今さらなれないだろう」

「…友人のような兄弟がいてもおかしくはない」


 頑ななユーリシアの態度に、ユルングルはたまらず息を吐いた。


「…やはり、私のような不出来な弟では不満か?」

「……!…はあ!?」


 突然、悄然と告げるユーリシアの言葉に、ユルングルは思わず声を上げる。


「どこが不出来なんだっ!?嫌味かっ!」

「…私には貴方のように人を引っ張る力はない」

「俺のどこにそんなものがあるんだ!むしろ皇太子のお前のほうがあるだろっ」

「…知識一つとってもそうだ。私にはこんなに難しい本を理解する頭もない」

「ベッドに束縛されて、やれることと言ったら本を読むしかなかったんだ!」

「…唯一、自信があった剣術も、結局貴方に負けた」

「三対一でようやく勝ったんだぞ!それでも不服なのか!」


 応酬に応酬を重ねたが、依然、肩を落として悄然とするユーリシアを視界に入れて、ユルングルは再び大きくため息をついた。


「……お前、そんなに卑屈な人間だったか?」

「…別に卑屈になっているわけではない。私はただ____」


 そこまで言って、ユーリシアはふとユーリの言葉を思い出す。


(はい!尊敬しています!レオリアさんもそうでしょう?)


(………ああ、そうか)


 ユルングルの話を聞く度に、胸の内に沸き起こる不可解な感情。

 この正体を、ようやくユーリシアは理解した。


「…私はただ、貴方を友人としてだけではなく、兄としても尊敬したいんだ」


 皇族を追われ、命を狙われてもなお、ユルングルは前だけを見て立ち向かってきた。

 怯えながらも、心を閉ざしながらも、一時は恨みも抱いたがそれすらも受け入れて、今のユルングルが存在しているのだ。


 その強さが眩しく、尊敬しないではいられない。

 尊敬しているからこそ、彼に罪悪感を抱き、憐憫の情を持ち、彼に羨望するのだ。


 ユルングルは思わぬ切り返しを受けて、顔が紅潮するのを自覚した。


「おま…っ!よくもまあ、そんなことを恥ずかしげもなく真顔で言えるな……っ!」

「………ユルンが、照れた……?」

「誰でも照れるだろ…っ!熱を上げるつもりか…!お前はもう少し言葉を選べ…!」


 耳まで赤くするユルングルを満足そうに視界に入れて、ユーリシアは満面の笑みを称える。



 そんな二人の会話を扉越しに聞いていたダリウスは、ドアノブに置いた手を離して小さく笑みを落とした。

 看病をしてくれていたダスクの代わりに、ユルングルの様子を見に来たところだった。聞き耳を立てるつもりはなかったが、中から二人の会話が漏れ聞こえて、つい様子を窺ってしまった。


 部屋から離れて、窓から見える景色に視線を移す。

 清々しいほどの晴天が、まるで自身の心を表しているようでいっそ気持ちがいい。

 ダリウスは、もうこの世にいないの人に、小さく言葉を送った。


「…ファラリス様。貴方のご子息はようやく、ご兄弟として歩み始めましたよ」

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