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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第一部 嚆矢濫觴(こうしらんしょう) 
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始まり

 部屋に一人残されたユーリシアは、未だ決心が定まらず迷いの中にいた。


 隣の部屋の方角に目線を向けては意を決してベッドから立ち上がろうとするが、どうしてもそこから先に進まず、結局またベッドに腰を下ろすことをもう三度繰り返している。

 相変わらず臆病な自分に腹立たしいくらい辟易して、大きく嘆息を漏らした。


(……情けない)


 不甲斐ない自分がことさら忌々しい。心中で自分自身に舌打ちするように拳を握ると、ユーリシアは四度、隣の部屋の方角に視線を向けた。


 ラヴィの怪我の具合はどうだろうか。

 もう良くなっただろうか。

 それとも後遺症が残ってはいないだろうか。


 聞きたい事はたくさんあるのに決心がつかない。心配と同時に不安が頭をもたげて、どうしても決心が鈍るのだ。

 もう一度、情けない自分を吐き出すように息を一つ漏らしたところで、扉を叩く音が部屋に響いた。


「ユーリシア殿下、朝食をお持ちいたしました」


 抑揚のない声と同時に、粥とスープを載せた盆を手にダリウスが扉を開いて入ってくる。ダリウスはユーリシアを視界に入れると、若干申し訳なさそうに眉根を寄せて、口を開いた。


「申し訳ございません。もう七日も食事を摂られておりませんので、今日一日は粥とスープだけになりますが、ご容赦ください」


 言って、おざなり程度の小さな卓に盆ごと置く。

 ユーリシアはその盆に置かれた粥とスープと、そして申し訳なさそうに返答を待っているダリウスを互替かたみがわりに見て、慌てて恐縮した。


「あ、いや…っ、構わない…!…十分だ、ありがとう」


 遁甲を壊し、散々暴れたのだ。我儘など言える立場ではない。

 ユーリシアは謝意を伝えて、再び粥とスープを視界に入れた。

 食欲をそそる美味しそうな匂いに思わずお腹が鳴って、ユーリシアは盛大に赤面を作ってダリウスから視線を外した。


「…………面目ない」

「いえ、お口に合えばよろしいのですが」


 思わず失笑しながら、ダリウスは食事を摂るように促す。

 ユーリシアは多少バツが悪そうにしながらも食欲に勝てず、おずおずとスープを口に運んだ。


「……!…美味しい………」


 皇宮での豪奢な食事とは違ったが、それでもこの素朴で優しい味が好ましい。弱った体に優しく染み入るその味は、妙に心を温かく包み込んでくれるような、ひどく穏やかな気分にさせた。

 そういえば、以前淹れてもらった紅茶も同じような気分を味わったと記憶している。これはおそらく、彼自身の人柄が料理に出ているのかもしれない、とユーリシアは小さく笑みを落とした。


「恐れ入ります。食事を終えた頃にまたお伺いいたしますので、食器はそのままになさってください」

「あ…っ、…ダリウスさん…!」


 言って、退室しようとするダリウスを、ユーリシアは慌てて呼び止める。そしてわずかに逡巡してから、小さく口を開いた。


「……すまなかった。操られていたとはいえ、私は貴方やユルンに対してあのような事を………」


 申し訳無さそうに悄然と肩を落とすユーリシアを見止めて、ダリウスは一度踵を返した体をもう一度ベッドの近くまで歩み寄せる。


「…ユーリシア殿下、貴方がお心を痛める必要はございません。あれは聖女の所業。決して貴方が行ったことではないのです」

「だが、あれは私の心の弱さが招いたことだ。私に非がなかったわけではない」


 後悔しているように俯くユーリシアを視界に入れて、ダリウスはややあって穏やかな口調を崩さず告げる。


「……それが判っておいででしたら、私からはもう何も申し上げることはございません」


「………!」


「人は誰しも弱さを抱えて生きております。肝心なのは、その弱さを自覚し向き合うこと。ユーリシア殿下が己の弱さを自覚し、向き合う決意をされたのでしたら、決して同じ過ちはなさらないでしょう」


 その眼差しが、そしてその物言いが、ひどく心を落ち着かせてくれた。抑揚のない声が、それ故に簡単に心の内に入っていくようで、ひどく耳障りがいい。

 ユーリシアはダリウスの言葉を噛んで含めるように心の内に留めて、小さく謝意を告げた。


 そして、この穏やかな彼がユルングルの傍にいたという事実に、ユーリシアはひどく安堵した。

 きっとユルングルにとって、彼は心の支えとなり得る存在だったのだろう。それは二人の何気ない会話からも見て取れる。互いに信頼し、互いに心を寄せ合う、家族よりも深い絆がこの二人にはある。


 それは本来、本当の家族である自分が果たさなければならない役割だったはずだ。だが、果たせなかった。知らなかったとはいえ自分は、そして父はその役割を結果的に放棄した。


 捨てられたユルングルの孤独を思えば、この穏やかなダリウスが傍にいてくれた事実が、たまらなく救われたような気分になった。


「……そういえば」


 ふと、以前聞いた言葉を思い出す。


「ダリウスさんとユルンは縁戚関係にあると聞いたが……」


 その問いに、ダリウスは小さく、ああ、と声を漏らした。


「私の母は皇妹であるリアーナです。私とユルングル様、そしてユーリシア殿下とは従兄弟にあたります」

「叔母上の?…確か、行方不明になったと聞いていたが……」


 聞いたのはラヴィからだ。彼は本家筋にあたるフォーレンス家の令息を幼心に慕い憧れていた、と何度も聞かされた覚えがある。

 そのフォーレンス家の令息が目の前にいる彼だという事実に、ユーリシアは何とも言い表し難い、不思議な感覚を覚えた。まるで物語の登場人物に出会ったような気分だろうか。実兄がいた、という事実にもひどく驚き狼狽したが、もうこの世に実在しない、と思っていた人物とこうやって会話を交わすこともまた不思議な気持ちにさせられる。


 何よりダリウスがフォーレン家の令息だとすれば、ラヴィが彼らに容易く心を開いたことも当然の成り行きだろうか。


「私が家を出たことは母も承知の上です。…暗殺者に居場所が知れるといけませんので、連絡は断ったままですが……」


 暗殺者、とユーリシアは小さく口の中で反芻する。

 ユルングルは、命を狙われた、と言っていた。それはおそらく魔力至上主義者である誰かが、低魔力者であるユルングルを皇太子の座に座らせたくはなかった、という事だろう。


 そんなくだらない事のために、ユルングルが皇族を追われる羽目になった事が、この上なく腹立たしい。


「…暗殺の首謀者が誰かはもう判っているのか?」


 黙したまま頷くに留めたダリウスの表情から、ユーリシアは一つの答えを推察する。


「……皇族、なのだな?」


「…はい、陛下もご存知のことです」

「父が?」


 途端にユーリシアの表情が険しくなる。


(…知っていた……?)


 知っていて、なぜ今まで野放しにしていたのだ。もっと早く対処していれば、ユルングルがこれほどの苦渋を舐めることはなかったはずだろうに。


 眉根を寄せて無意識にか拳を握るユーリシアが目に入って、その内心を推し量ったのかダリウスは補足するように言葉を続けた。


「相手が皇族なだけに、簡単に処罰はできないのです。確固たる証拠がなければ裁くことはできません。相手は狡猾です。決して証拠は残さず、暗殺の実行者は捕まえる前に自ら命を絶つか、殺されておりました。…こちらからは手が出せず、結局ユルングル様をお守りするために皇族を出るしかなかったのです」

「…父がご存知だということは、ユルンは知っているのか?」

「…伝えてはおりますが、ユルングル様のお心は頑なでいらっしゃいます。知っていてなお、放置したものだと…」


 そうだろう、と思う。

 父を尊敬し慕っている自分ですら、なぜ、と憤りを感じずにはいられないのだ。顔を合わせた事すらなく、捨てられたと思い込んでいるユルングルなら、その言葉を信じないほうが自然の成り行きだろう。


「…父とは常に連絡を?」


 ダリウスの口ぶりから父と連絡を取り合っているのが見て取れて、ユーリシアは問う。

 

「はい。ユルングル様の状況を定期報告しておりました」

「…すべて?」


 その問いには、一呼吸置いてから、いつもの抑揚のない声で答える。


「…いいえ。お伝えしていないこともございます」


 思った通りの回答に、ユーリシアは内心頷く。

 少なくとも自分の暗殺計画は父に伝えていないはずだ。伝えていれば、あの日ミルリミナが死ぬことも、聖女が宿ることもなかった。


 別にダリウスを責めるつもりは毛頭ない。彼はユルングルの侍従だ。そして彼の忠誠心はユルングルにのみ存在する。復讐心を抱いていたユルングルを思えば、ダリウスが暗殺計画を秘匿にしたのは必然だろう。


「…ではシスカは、父との連絡係になるために、リュシテアの間者となったのか?」


 問いながら、ユーリシアは以前、キリの店でなぜ裏切ったと問いただした時の、シスカの表情を思い出していた。

 物悲しそうに微笑む顔を見て、やむを得ない事情があったのだろう、とあの時は思っていた。


 父は常に皇宮の中だ。

 だとすれば父と連絡を取るためには、皇宮の中にそれを手助けする者が必要になる。

 皇宮の中で誰にも怪しまれず、堂々と陛下に会える人物などそうそういるわけではない。該当する者がシスカしかおらず、ユーリシアはこのためだったのだろうか、と内心ひとりごちる。


 その質問にダリウスは少し考え込むような素振りを見せてから、ややあって口を開いた。


「…正確には、そうではありません。確かに陛下への報告役を買ってはくださいましたが、彼には彼の目的がございました」

「目的?」


「貴方とユルングル様の仲違いを解消させることです」

「………!」


 ユーリシアは、思いがけない答えに目を瞬いた。


 シスカはただの皇宮医だ。自分やユルングルとは縁もゆかりもない。ましてや高魔力者で病とは無縁の自分とはほとんど接点がなかった。その彼が、なぜそこまで自分やユルングルのために奔走するのか、その理由が全くと言ってもいいほど見当がつかなかったのだ。


 なぜ、と問いかけようとするユーリシアを抑えて、ダリウスは言葉を続ける。


「ダスクさんがお二人のためにお心を砕かれるのは、二つ理由がございます。一つはお亡くなりになった、妹ユニのためです」

「…妹の?」

「彼の妹は、低魔力者であったために、数人の高魔力者たちに暴行され、その命を落としました」

「………!…なんてむごいことを…っ!」


 ユーリシアは眉根を寄せて、自然と拳に力を入れる。


「当初ダスクさんは、その復讐のために反乱軍『リュシテア』創設の際、進んで間者となりました。…ですが彼は元々、人を恨むことのできるような方ではございません。…日を追うごとに復讐心が薄れていくことにひどく悩み、苦しんでおいででした」


 あれはきっと、兄としてのダスクと獅子としてのシスカが、その心内で争っていたのではないか、と今になって思う。

 妹の復讐を遂げたいダスクと、人に拠って立ちたいシスカ。その相反する思いが身の内でせめぎ合い均衡を保てなくなっていったのだろう。あの頃のダスクは、見ていて辛くなるほど憔悴しきっていた。


「…だが、その妹の復讐と、私とユルンの仲違いの解消と、一体どう繋がるのだ?」


 怪訝そうにユーリシアは問う。その質問にダリウスは当然だと言わんばかりに小さく頷いて、言葉を続けた。


「…悩み苦しんだ後に、ダスクさんはようやく皇妃さまとのお約束を思い出されたそうです」

「……約束?母との……?」

「はい。…そもそも貴方とユルングル様は、その出産のおり、他ならぬダスクさんが取り上げた御子でいらっしゃいます。それ故に、常にお二人のことを気にかけておいででした。そんなダスクさんだからこそ、皇妃さまはお亡くなりになる直前、貴方がたを彼に託されたのでしょう」


「母は…母は何と言ったのだ?」


 その問いに、ダリウスはややあってゆっくりと口を開く。


「いつか必ず___」


(…いつか必ず、あの子達を兄弟にしてあげてね…)


 朦朧とした意識の中、わずかに微笑みながら最期の気力を振り絞って告げたという。

 それは、離れ離れに暮らす事になった二人のわが子をおもんばかった、母としての言葉だった。


 ユーリシアはその言葉を、まるで昔無くしたものをようやく見つけたような気分で聞き入っていた。

 肖像画でしか知らない母の姿。その瞳は強く、同時に慈しみをたたえている。ユーリシアはようやく、その母の心に触れられたような気がして、母の言葉を心の内に留めたのだ。


「それが、もう一つの理由です。ダスクさんは皇妃様とのお約束を果たすことこそが、この国を変える事に繋がると考えたそうです。…それが自分の復讐だと、そうおっしゃっておりました」

「…そうか」


 小さく呟くユーリシアに、ダリウスはふと思い出したように慌てて頭を下げる。


「申し訳ございません…!お食事が冷めてしまったようです……温めて参りますのでお待ちいただけますか?」


 言って盆に手を伸ばそうとするダリウスの手を、ユーリシアは優しく遮る。


「いや、構わない」

「ですが…」

「いいんだ。…母のことが聞けてよかった。…ありがとう、ダリウスさん」


 微笑んで謝意を伝えるユーリシアの顔は、迷いの中にいた時よりもずっと清々しく吹っ切れたような表情に変わっている。それを見て取って満足そうに頷くと、ダリウスも同じく笑顔を返す。


「ユーリシア殿下のお心をわずかでも軽くできたのでしたら、何よりです」


 言って軽く頭を下げ、辞去しようと踵を返したところで、ふと思い出したようにユーリシアを振り返った。


「…ユーリシア殿下。私のことはダリウスとお呼びください」

「…ありがとう、ダリウス」


 再びこうべを垂れて退出するダリウスを視界に留めてから、ユーリシアはすっかり冷めきったスープを口に運ぶ。

 冷めてはいるが、味は変わらず美味うまい。

 丁寧に味わうように一口ひとくちを堪能して、綺麗に平らげた頃には空腹もずいぶん和らいだ。


 空腹が満たされたからか、それともダリウスと話したからか、あるいは母の言葉を聞いたからなのか、今はもう心に不安はない。

 ユーリシアは空になった食器に手を合わせると、意を決したようにベッドから立ち上がって自室を出る。

 その足取りに淀みはない。

 そうしてラヴィの部屋の前で歩みを止めた。


 ややあって小さく深呼吸した後、遠慮がちに、だがしっかりとした動きで扉を叩く。


「…ラヴィ、私だ。話を、させてくれないか?」

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