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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第五部 ユルングル編

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ユルングルの理由

 あの日からユルングルは、ラン=ディア以外の人間を一切拒絶した。


 決して部屋には入れず、食事も摂らず、点滴だけでさらに三日過ごした。どれだけラン=ディアに不快気にされても、それこそ叱責されても、その頑なな態度はやめなかった。

 そのうちラン=ディアも諦めて何も言わなくなったので、なおさら食事を摂るのが億劫になった。特に何をするわけでもなく、ユルングルは日がな一日ベッドの上で空を眺めて過ごした。


 一人になりたかったが、なぜだかラン=ディアは決してそうはさせてくれなかった。特に話しかけるわけでもなく、ソファに座って静かに本を読むラン=ディアを不承不承と受け入れた。


 その距離感が、妙に居心地が良かった。


 時折呟くように声をかけてきては、簡単な返事だけで満足してまた本を読み始める。ひどく干渉するわけでもなく、かと言って完全に放置するわけでもない。ないがしろにはしていない、と言われているようで、その安堵感から次第に心が落ち着いてくるのが判った。


 心が落ち着いてくると、途端にベッドに束縛される事に嫌気がさした。

 その日の点滴を終えてすぐ、ユルングルはようやく少し外に出てみようと思った。七日ぶりに地に足を付けて立ち上がろうとしたが、体がひどく衰弱していてうまく立ち上がれず、倒れそうになるユルングルの体をラン=ディアは慌てて支えた。


「…ユルングル様…っ!突然立ち上がってはいけません…!七日ぶりなのですよ!」

「……悪い。…少し外の空気を吸いたいんだ。……一人で」


 その言葉を聞いてラン=ディアは何かを言おうと口を開きかけたが、結局そのまま口を噤んで代わりにため息を落とした。


「…判りました。階段は危ないですから下までお送りいたしましょう」


 言葉通りラン=ディアは下まで送ると「しばらくしたら様子を見に行く」とだけ告げて本当にそのまま見送ってくれた。その表情に多少なりとも不安と心配が見て取れたが、ダリウスやダスクのように露骨ではなかった事が逆にユルングルの心を軽くした。


 ラン=ディアと別れて向かった先は、いつもの小さな丘の高台だった。

 ままならない身体でようやく辿り着いたユルングルは、倒れるように草原くさはらに寝転がった。


(……気持ちがいいな……)


 息が上がった呼吸を落ち着かせる。


 暑い、というよりも、暖かい、という表現の方が近い日差しを受けながら、わずかばかり冷たい風が頬を撫でてくるのが気持ちいい。


 もうすぐ夏が終わって、秋に差し掛かろうという時期だ。フェリシアーナ皇国は長く厳しい冬を迎える前の秋が、夏よりも長い。暑い夏からゆっくりと寒い冬に移行するこの時期が一番過ごしやすいが、青々と茂った葉がそれに合わせてゆっくりと紅葉に変わる様がユルングルは好きだった。今年もまた、それを何とはなしに見るのだろう。


 ユルングルは三日間見上げてきた空を仰ぐ。

 心は、もう決まっていた。

 だが、どうしても踏ん切りがつかなかった。


 今のままでは、ただ罪悪感に苛まれる事が嫌で、それを回避しただけに過ぎない。それでは今までのように、不承不承と受け入れてきた事と何も変わらないのだ。きっとこのままでは、また何かあったらユーリシアを不満のはけ口に使うだろう。


 『獅子』だから、とか人間を守る為、とかそんな大仰な理由はいらなかった。ただ、自分が納得できる理由が欲しかった。どんな些細な事でもいい。他人から見たら、それが理由になるのか、と思われるようなものでも構わない。ただ、自分だけが納得できる何かが欲しかった。

 それさえ見つかれば、きっとこの先もユーリシアを守る人生に誇りをもって生きていけるだろう。

 そう思ったが、三日経ってもその何かを見出せずにいた。


 ユルングルは物憂げな気分を吐き出すように、大きくため息を落とす。


(…そもそも、あいつと俺に接点は何一つないんだ。あいつを守る理由なんて見つかるはずがない……)


 だとすれば、一生このもやもやとした気持ちを持ったまま、あいつの傍に居続けなければならないのか。それを思うと、気が遠くなるほどうんざりした。


(……まあ、俺の命が持つまでの話だがな)


 未だに自分の病が何なのかは知らないが、それほど長くないのだけは判っている。そして病で死ななくても、どのみち事を成就した後は反乱軍の首謀者として処刑されるのだ。

 自分の命が尽きるのが先か、ユーリシアの命が尽きるのが先か、と言ったところだが、そもそもこの病に伏した体で守れるのかもはなはだ疑問だろう。


 それでも、とユルングルは思う。

 それでもユーリシアは人類に必要な命なのだ。自分の命とは違って____。


 再び表出ひょうしゅつした卑屈な自分に辟易して、ユルングルは誰からか隠すように、顔を手で塞いだ。


「……うんざりするな」

「何に、ですか?」


 ひとりごちた言葉に、返ってくるはずのない太い穏やかな声が返ってきて、ユルングルは驚きのあまり上半身を起こす。衰弱しきった体にその動きがひどく堪えたのか、たまらずその場に蹲るユルングルを、その声の主は困り果てたように視界に入れた。


「大丈夫ですか…っ!?ユルングル様…!」


 言って心配そうに膝をつくその男の顔に、ユルングルは全く見覚えがなく困惑する。


「……あんた……誰だ……?」


 年の頃は40代半ばくらいだろうか。精悍な顔つきだが、左目の大きな創傷の痕がひどく目を奪った。体格も良く、腰に剣を携えているところを見ると、傭兵だろうか。


「…驚かせてしまい、申し訳ございません。ご挨拶が遅れました。私はダスク様の騎士、キリア=ウォクライと申します。どうぞお見知りおきを」

「……ダスクの…?」


 そう言えば少し前に、中央教会の牢獄に囚われている神殿騎士の元団長を助けに行くと、ダスクから報告を受けていた気がする。ではこの男が、その元団長だろうか。


「ダスク様の許しを得て遁甲内に入りましたが、ここはユルングル様のお作りになった場所と伺っております。貴方の許しを得ず遁甲内に侵入いたしました事、お詫びいたします。改めて許可を頂けますと____」

「まてまてっ!なんだその堅っ苦しい言い方はっ!耳がおかしくなる!」


 あまりに格式ばった物言いに、ユルングルはたまらず口を挟む。ダリウスもどちらかと言うと言い方は堅苦しいが、それでも赤子の頃から一緒にいるせいか、口調は堅苦しくてもその表情は柔らかかったし、砕ける事もままあった。この男のように堅苦しさ一辺倒だと、正直聞くに堪えない。


 何をそんなに慌てているのか判らず、はぁ、と言葉を漏らす男に視線を向けて、今度はゆっくりと体を起こしながら、ユルングルはため息を一つ落とした。


「…別にここに入るのに俺の許可は必要ない。遁甲が通したなら誰でも入って構わないんだ。…キリア、と言ったか?今はどこに住んでいる?」

「リュシアの街に」

「なら隠れ家の空いている部屋を使え。どこでも好きに使ってくれていい。ダリウスに言えば必要な物は揃えてくれるだろう」

「ご配慮、感謝いたします」


 変わらず頑なな態度で返答するウォクライを呆れたように一瞥して、ユルングルは再び頓着なく寝転がった。


「…で?俺に何か用か?それともダスクに俺の監視でも命じられたか?」

「ダスク様が貴方の監視など命ぜられるはずもございません。私はただ、ラン=ディア様に貴方のご様子を窺うようにと申し付かっただけです」


 揶揄するユルングルを一蹴するように、ウォクライはきっぱりと告げる。その返答でこの男には冗談が通じない事を悟ると、ユルングルは呆れたとも困惑したとも取れる表情で再び小さく息を吐いた。


「…ラン=ディアはどうした?」

「街で急患が出まして、そのご対応に向かわれたダスク様の代わりに、クラレンス卿についております」


 その返答に短く、そうか、とだけ答えると、ユルングルはラヴィに思いを馳せた。


 三日前に目覚めたと聞いて以来、未だに会いに行ってはいない。

 仮にも自分を守って大怪我を負ったのだ。それがユーリシアの為であったとしても、礼を言わないわけにはいくまい。それが判ってはいても、どうしても会いに行く勇気が持てなかった。

 会えば必ずユーリシアの事が話題に出る。例え出なくても、互いにその存在を意識するだろう。迎えに行ってくれと懇願されなくても、行ってほしいと願うラヴィの気持ちが判るから、どうしても会う事が憚られた。


 黙したまま難しい顔で空を睨むように視界に入れているユルングルに、ウォクライは遠慮がちに声をかけた。


「……皆さん、貴方をとても心配なさっております」

「……俺じゃなくて、ユーリシアの、じゃないのか?」

「本当にそうお思いですか?」


 投げ槍に吐き捨てた言葉を、ウォクライは躊躇なく拾う。


「少なくとも、ダリウス様とダスク様をお疑いになってはいけません」


 諫めるように告げるウォクライの言葉を拒絶するように、ユルングルは視線を外した。


 そんな事は言われなくても判っているのだ。ダリウスはもちろんの事、ダスクも何かと自分を気に掛ける。今回の事でひどく心配をかけているであろう事は重々承知してはいるが、一度表出した卑屈な自分が、それを素直に受け止めてはくれなかった。


「…あの日、何を話し合われていたのか存じ上げてはおりませんが、ダスク様はあれ以来ずっと気落ちなさっております。貴方を深く、傷つけてしまったと」

「……!…別に、あいつが傷つけたわけじゃないだろう。何でも自分の所為にしたがる奴だな」

「そう思ってしまわれるのです。あの方は貴方に負い目がございますから」

「…負い目?」


 軽く体を起こして怪訝そうに訊き返すユルングルに、ウォクライは頷く。


「…おそらくユニ様をダリウス様にお預けになったのも、ユニ様に頻繁にお会いになったのも、それを口実に貴方のご様子を窺う為だったのでしょう。…あの頃の貴方は、命を狙われる恐怖と、ご自分が捨てられた存在だと思い込んだ事で、ひどくふさぎ込んでおられましたから」

「……ずいぶんと詳しいな。それもダスクに聞いたか……」


 思い出したくもない過去を話題にされて、不機嫌そうに、そしてバツが悪そうにため息交じりで言葉を漏らす。だが返ってきた言葉は、思っていたものとは大きく違っていた。


「いいえ、私はご幼少の頃のユルングル様を存じ上げております」

「……!…待て、俺は覚えがないぞ」

「…私はユニ様に会いに行かれるダスク様に追従しておりました。いつもユニ様に会いに行くと仰っておきながら、ユニ様以上に気にかけておられたのは、部屋から出てこようとしない『ユルングル』と言う名の少年でした」

「………!」


 ユルングルは目を瞬く。


 確かにユニの兄だと名乗る人物が定期的に訪れていたのは知っていた。だが自分は決して部屋から出なかったし、ダスクが会いに来る事もなかったはずだ。時折、窓越しにユニと楽しそうに話す二人の姿を見て、気にかけてくれる家族がいるユニを羨ましく思った事を覚えている。


「もちろん当時はその少年が第一皇子殿下だとは思いもよりませんでしたが…」

「……俺は、ダスクにもあんたにも会った覚えはないぞ」

「はい、直接お会いになった事はございません。いつもダリウス様が貴方にお会いになるかとお尋ねになっておりましたが、ダスク様は必ずそれをお断りしておりましたので」

「…断った?なぜ?」

「心を閉ざした貴方が知らない人間に会うのは、心にひどく負担がかかるだろうから、と。それでも時折、窓からこちらを見つめる寂しそうな貴方を見て、とてもお心を痛めておいででした。…そのうちユニ様に連れられて外にお出になるようになり、少し笑顔を見せるようになられた貴方のお姿を拝見して、ダスク様のみならず私も安堵した事を覚えております」


 そう言って、表情をわずかに柔らかくしたウォクライを、少し面映ゆい気持ちでユルングルは視界に入れた。


 あの頃は自分の事だけで精いっぱいだった。周りを気にかける余裕も、目を向ける余裕さえも持てなかった。なのに、そんな自分を気にかけていた者が、ダリウス以外にもいたのだ。『いらない』と言われた、取るに足らない存在であるこんな自分を_____。


「……それは、俺が第一皇子だからだろう…」


 拒絶するように目を背けて吐き捨てる卑屈な自分が、三度みたび、表出する。思いとは裏腹にこんな言葉しか口から出ない自分が忌々しい。


 だが、そんなユルングルにウォクライは躊躇いなくかぶりを振った。


「いいえ、皇妃さまの出産の折、貴方を取り上げたのが他ならぬダスク様だからです」

「…!……ダスクが……?…俺を……?」


 ユルングルは呆然自失と聞き返す。


「それだけではございません。胎児だった貴方をお救いしたのも、そして…流産した事にして秘密裏に貴方を出産するよう進言されたのも、他ならぬダスク様です」


 ダスクは教会入りしてすぐに、前皇宮医だった今の大司教筆頭の補佐に着いた。それはおそらく、教皇がまだ胎児であったユルングル暗殺を察知していたからではないか、とウォクライは思う。


 教皇の思惑通り、ダスクは見事にユルングル暗殺を阻止した。

 そして表向き流産した皇妃の療養という名目を作って、皇都から遠く離れたフォーレンス家所有の療養地に共に赴き、そこでユルングルを出産したのだ。


 まさかそれが、のちにユルングルの心に大きな影を落とす事になるとは夢にも思わなかっただろう。決して他意はないのだ。ただ、皇妃とユルングルの命を守るための、苦肉の策だった。


 ユルングルは、先ほどウォクライが告げたダスクの言葉を思い出す。

 ダスクは、ユルングルを深く傷つけた、と言っていた。


(……そういう事か…)


 妙に得心して、急に自分の人生を不幸だと思うのが馬鹿らしくなった。

 今の人生は、ダスクが自分を救ってくれた結果なのだ。決してユーリシアに奪われたわけではない。一人の神官が、自分の命を惜しんで守ろうとしたからこそ生まれた人生なのだ。


 それのどこが、不幸なのだろうか。

 確かに失ったものはたくさんあっただろう。だが、今の人生において何も得られなかったわけではない。失ったものに変わるものが、ちゃんと存在している。


 ずっと傍に居てくれたダリウスに、口の減らない工房の女たち、こんな自分を受け入れてくれたリュシアの街の住人に、穏やかでにぎやかなここでの暮らし、そして、生きる事を望んでくれたダスク____。

 両手では抱えきれないものが、自分にはある。


 にもかかわらず、生を与えてくれたダスクに対してこれを不幸だと悪態をつくのは、いささか失礼な話だろう。


(………まいったな)


 バツが悪そうに頭を掻いて、ため息を落とす。


 知らなかったとはいえ、散々失礼な事を言った気がする。謝りたいが、謝ったところで相手も困惑するだけだろう。何よりあのダスクの事、謝ればなおさら気にしそうで不用意に謝れない。

 かと言って、ダスクはこれを『負い目』と感じているのだ。そのままにしておくのも憚られた。


「……こんなもの…『負い目』でも何でもないだろうに……」


 再び落としたため息と一緒にぽつりと呟いたユルングルの言葉に、ウォクライは反応する。


「…いいえ、負い目は他にもございます」

「…!…他にも……?」

「それについては私の口からは申し上げられません。貴方の病に関する事です。…いずれ、ダスク様から告げられるでしょう」


 ウォクライの言葉を受けて、ユルングルは考え込むような仕草を見せる。


「……一つだけ教えてくれ。俺の病は治るのか?」

「…現状は難しい、とだけ申し上げておきます」

「ないわけではないんだな。……判った」


 満足したように頷いて、にやりと笑う。


 治す方法が一つでもあるのなら、そう気にする事ではないだろう。悪運は強い方だ。現に二度も命を狙われたが生き延びた。今回もまた、何だかんだと生き延びるのだろう。


 ユルングルは空を仰ぐ。

 心は決まった。

 一度決めたら、それを貫き通すしかない。逃げる事も、言い訳する事も、もうユルングルの矜持が許さないだろう。


 ユーリシアの事、ダスクの事、そしてダリウスやラヴィ、ミルリミナの事、その全てを受け入れるように、ユルングルは大きく息を吸って飲み込む。体はいまだに重く怠かったが、心は軽く晴れやかだった。


 ややあって、黙ってユルングルの言葉を待つウォクライに視線を向ける。

 やる事はもう、決まっていた。


「悪い、キリア。俺をユーリシアのところに連れて行ってくれ」

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