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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第五部 ユルングル編

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原始の魔力

 ユーリシアが目覚めぬまま、二日が経った。


 聖女に囚われている事はすぐに判ったが、あの聖女の花園に行く術が、ダスクには判らなかった。以前、他ならぬ自分が囚われ八日間もいたはずの聖女の花園。そこへの行き方はユルングルから聞いたはずだが、何故だか同じように魔力を繋げても、そこに至る事はできなかった。


 それはユーリシアの持つ魔力が異質なものだからではないか、とダスクは思う。質の違う魔力同士では繋げる事ができないのだ。現に操魔の同調訓練の時、通常のやり方では決して操作する事はできなかった。念の為あの時と同じように己の魔力とユーリシアの魔力を融合させてみたが、これすら上手くはいかなかった。


 聖女を宿したミルリミナなら花園に行く事も可能な気はするが、肝心の魔力を持たない為そもそも繋げること自体が不可能だろう。


 聖女の花園への道は依然として閉ざされたまま、もう成す術がなくダスクは途方に暮れていた。


 頼りのユルングルは、あの日無理をし過ぎたためか、ユーリシア同様ずっと眠ったままだ。ラヴィも未だ目を覚まさない。


 あらゆる事が手詰まりになったようで気が滅入ったが、今日は四半期に一度の定例会議が開かれる日だ。この状況でここを離れる事は躊躇われたが、この日を逃せば囚われているウォクライを助ける事は叶わないだろう。


 後ろ髪を引かれる思いだったが、ダスクは後をダリウスと駆け付けてくれたラン=ディアに託し、中央教会へと向かった。


 修復を終えた遁甲を視界に入れながら、損傷が思いのほか浅く、修復にそれほど時間を要さなかった事だけが救いだと、ダスクはため息を一つこぼす。ユルングルの図案をもとにダリウスが修復を行い、さらにそこにダスクの魔力も上乗せして、より堅牢に作り替えた。よほどの事がなければ、もう破られる事はないだろう。


 足早に向かった中央教会は、ラン=ディアが告げた通り閑散としていた。


 念の為、髪色を変えフードを被り、人目につかぬよう細心の注意を払いながら最奥の礼拝堂へと向かう。この辺りは普段でも人通りが少ないが、定例会議が行われる今日はそれがさらに顕著だった。

 礼拝堂の扉をわずかに開いた蝶番の音すら、静寂の中にあって、ひどく大きな音のように感じて一瞬体が強張る。これほど過敏に反応してしまうのは、ここ最近気を張った状態が続いている所為だろうか。


 ダスクは気を落ち着かせようと小さく息を吐く。

 ここにあるのはウォクライの魔力だけ。他の魔力は一切ない。


 そう再認識して、礼拝堂の地下にある牢獄に足を踏み入れる。ラン=ディアから受け取った真鍮の鍵で扉を開くと、饐えた匂いで思わず鼻口を手で塞ぎ、眉間にしわを寄せた。地下特有の湿気でひどくかび臭い。日も差さぬ劣悪な環境の中に、もう二十日近くもいるのかと思うと、その体調が懸念された。


「…ウォクライ卿」


 最奥の牢中で居住まいを正し、瞳を閉じて座しているウォクライに声をかける。ウォクライはダスクの声に反応するようにゆっくりと瞼を開くと、一度ダスクの姿を視界に捉え、深々とこうべを垂れた。


「…申し訳ございません、シスカ様。私の安易な行動の所為で、ご迷惑をおかけいたしました」


 はっきりとした言葉の調子に、ダスクは安堵する。顔色も良く、思ったほどの衰弱はない。ラン=ディアが約束を果たしてくれたのだろう。誰かが傷つき倒れる姿を見るのはもううんざりしていただけに、いつもと変わらぬウォクライの姿がなおいっそう喜ばしかった。


 ダスクはおもむろに牢に備え付けられた魔道具の錠に手をかざす。

 本来であれば死んだシスカの登録は抹消されるはずだが、そこは当然教皇が上手くやっているはずだろう。案の定、ダスクの魔力に反応して開いた鉄格子の扉から牢に入ると、ダスクは座しているウォクライの前に膝をついた。


「顔を上げて下さい。おれはもう大司教ではありません。礼を尽くす必要はありませんよ」

「私は貴方が大司教だから礼を尽くしていたわけではございません。…己の忠誠心に忠実に従ったまでです」


 その頑なな物言いがウォクライらしく、懐かしい。ダスクは思わず笑みをこぼして、ウォクライの手と足につけられた枷を、手にかざした魔力で容易く外す。


「立てますか?」

「問題ございません」


 言って、ウォクライは立ち上がりながら所在なさげに揺れるダスクの左袖を視界に入れると、複雑そうな面持ちで眉根を寄せた。


「……左腕を、失われたと……」

「…神官シスカを殺した代償です。おかげで動きやすくなりました」


 さも些末な事のように軽く告げるダスクを、ウォクライはわずかに視線から外して言葉を続けた。


「…ラン=ディア様はひどくお怒りになられたのではございませんか?」

「怒りを通り越して呆れていましたよ。おかげで説教は免れたので、助かりました」


 くすくすと軽く笑った後、ダスクはウォクライに向き直る。


「それよりも、ここを出た後の身を寄せる場所はありますか?ないのでしたらこちらで用意しましょう。国を出る事になりますが_____」

「私は貴方のお傍を離れるつもりはございません」


 ダスクの言葉を遮って、ウォクライは固く言い放つ。その表情にも、その声の調子にも、頑なな意思が見て取れた。


「…ウォクライ卿、以前にもお話したはずです。おれに護衛騎士はいりません」

「はい、ですが私は承服したわけではございません。貴方の強さは、もちろん存じ上げております。私では足手まといになりかねない事も重々、理解しているつもりです。ですが貴方を救う事ができるのは、強い者に限った事ではないはずです。弱い者でも、貴方を助ける存在になる時もございましょう」


 その言葉に、ユルングルの姿が脳裏をかすめる。つい二日前に、魔力をほとんど持たない彼に命を救われたばかりだった。


 それでも、とダスクは目を閉じる。

 ウォクライは例の一件以来、自分に対して負い目を抱いている節があった。おそらく有事の際には自らの体を盾にしてでも守ろうとするだろう。


 それが怖い。


 自分が傷つく分には一向に構わないのだ。だがその矛先が自分の周りに及ぶのが何よりも怖い。

 だからダスクは単独行動を好んだ。特に危険の及ばない時はウォクライの望むままに傍に置いたが、少しでも危険と判断すれば必ず一人で行動した。そしてこれからはその危険が増すだろう。あの無慈悲な聖女のこと、これで終わるはずがない。ユーリシアもまた、再び聖女に操られないとも限らないのだ。


 ダスクはややあって口を開こうとしたが、それを制するようにウォクライは言葉を続ける。


「私は貴方の盾になるつもりはございません」

「……!」

「私は盾ではなく、貴方の剣になりたいのです」


 明瞭に、そして確固たる強い意志を以ってウォクライは告げる。その強い意志を載せた視線からは、頑固なまでに己の意志を貫こうとする姿勢が見て取れた。


 元々こうと決めた事は意固地なまでに貫こうとする堅物な人物だ。ここで押し問答を続けたところで、その意思が覆る事はないだろう。


 不承不承と息を落として、ダスクは守る事よりも共に戦う事を選んだ騎士を視界に入れる。


「…少し見ない間に変わりましたね」

「…ラン=ディア様に諭されたのです。貴方に助けていただいたこの命を、どう扱うべきなのかを」


 その時の情景を想像して、ダスクは思わず苦笑する。

 命を粗末にする者を嫌うラン=ディアのこと、冷酷なまでに冷ややかな態度で延々と説教したのだろう。何度も経験があるがゆえに同情を禁じ得ない、とダスクは失笑する。


「…忠誠を誓っても?」


 ややあって頷くダスクを見止めてから、ウォクライはその場に跪く。本来ならばここでウォクライの剣を彼の肩に乗せるのが正式な形だが、牢中での誓いとなってしまったので、仕方がないだろう。


「キリア=ウォクライは、終生シスカ様___いえ、ダスク=アーリア様に忠誠を誓います」

「キリア=ウォクライを、ダスク=アーリアの騎士に任命します。ですが約束してください。決しておれの前では死なないと。命を散らす事は許しません」


 毅然と告げる主の言葉を、騎士は粛々と受け入れる。


「お約束いたします」


**


 誓いを終えて足早に牢獄を出た二人は、だが礼拝堂に続く扉の前でぴたりとその足を止めた。誰かがいるのだろうか、と怪訝に思ったウォクライだったが、ダスクの表情を見てそうではないと確信する。


 ダスクが全ての緊張から解き放たれたような穏やかな表情になる時は決まって彼がいる事を、ウォクライは熟知していた。


「ギーライル様」


 扉を開けながら、ダスクは礼拝堂にいるであろう教皇の名前を口にする。


「…久しいねぇ、シスカ」


 礼拝堂の椅子に腰かけながら、教皇もまた皴の多い顔を綻ばせて、よりいっそう皴を深くした。


「…なぜこのような場所に?」

「お前が来ると判っていたからね。一目だけでもと思ったが…どうやら来て正解だったようだ」


 意を得ず呆然とするダスクに、教皇はくつくつと笑いを返す。


「心配ごとがあるのだろう?私でよければ相談に乗るよ」


 ユーリシアの事だと判って、ダスクは思わず笑みを落とした。


 教皇はいつもこうやって、こちらが何かを言う前に全てを察して慮ってくれる。その気持ちが有難く、反面くすぐったい。


「だがその前に……」


 言って、教皇は後ろで控えているウォクライを視界に入れる。


「その姿では道中、目立つだろう。少し湯浴みをして綺麗にしなさい。…何度か彼にそう忠言したのだが、頑なに聞いてくれなくてね。お前の言う事なら彼も素直に聞いてくれるだろう」


 教皇のその言葉にダスクは思わず失笑し、ウォクライはバツが悪そうに苦笑する。


「…ウォクライ卿」

「承知いたしました」


 一度、うやうやしく頭を垂れて侍女と共に礼拝堂を辞去するウォクライを見届けてから、ダスクは教皇の前まで歩み寄り膝をついた。


「…少し、瘦せられたのではありませんか?」


 心配そうに顔を窺ってくれるダスクがこの上なく嬉しいのか、教皇は顔を綻ばせて軽く笑い声をあげる。


「なぁに、もう年だからのぉ。体の不調と無縁ではいられんよ」

「…どこか、お体の具合が?」

「ラン=ディアがよく診てくれておる。心配には及ばんよ。それよりも____」


 言葉を止めて、教皇は失われたダスクの左腕にそっと触れる。


「…痛かったろう…。まったく、無茶ばかりして……」


 愛おしそうに、切なそうに、失った左腕を撫でる教皇に、ダスクは申し訳なさで胸が詰まった。心配をかけてしまった罪悪感で押し黙って俯くダスクに、教皇は軽く叱責の意を込めて言葉を続ける。


「しばらくはまだ痛みが続くだろう。だから体を大切にと言ったのだ。まったく…相変わらず人の話を聞かん子だ」


 その口調がまるで子供に叱責するような感じで、ダスクは思わず目を丸くした。


「……私はもう41ですよ?」

「私から見れば、まだまだひよっこだよ」


 ひとしきり笑い合って、教皇は改めてダスクの姿を視界に入れた。


「…どうやら息災なようで安心した。積もる話もあるが、時間がないから本題に入ろうか」


 頷くダスクを待って、教皇は口を開く。


「…ユーリシア殿下が聖女の花園に囚われたようだね」

「…はい、ですがその花園に行く術が私には判りません。ユーリシア殿下の異質な魔力と繋ぐ方法が判らないのです」

「…ふむ、お前はユーリシア殿下の魔力を異質なものと捉えたのだね?」


 その含みを持たせた教皇の言葉に、ダスクは目を瞬く。


「違うのですか?」


 その問いには、頷くに留めた。


「…まず、聖女の花園にお前は決して行けない。彼女はお前の存在を毛嫌いしている。お前があまりにも世界の意志に似すぎているからね。彼女にとって世界の意志は一人だけ。二人もいらないのだろう。…それに、今はもう世界の意志と繋がってしまった。その状態では花園への扉は開かんよ」

「……繋がって……?」

「夢を見たろう?自分ではない、誰かの夢」


 瞬間、脳裏にある情景が浮かぶ。

 穏やかな日差しの中で微笑む男女の姿。だが、顔はよく覚えていない。あの夢は覚めると同時に霞のように消えてしまった。ただ、言いようのない寂寞感と喪失感だけが胸の内に残されていた、あの夢。


「図らずもユーリシア殿下の原始の魔力に感化されたようだ。…その状態にはならぬよう、注意を払ったつもりだったが……仕方のない事なのだろうなぁ…」


 何やら物憂げな様子で見つめてくるが、正直ダスクには教皇の言葉の半分近くは理解が難しい事ばかりだった。


 教皇との会話は、いつもこんな感じで進む。こちらが何も言わなくても全てを把握している代わりに、こちらは教皇の言葉の半分も理解できない。だから一つ一つ、こちらから訊ねる必要があるのだ。


「…原始の魔力、とは何ですか?初めて耳にする言葉です」

「…ふむ。では訊こう。そもそも魔力とは何の為にある?」

「…何の為………?」


 考えた事などなかった。魔力はあって当たり前。それが存在する事に理由などあるはずもない。それは空気や水が存在するのに理由がないのと同義だろう。あえて挙げるならば_____。


「生きる為……ですか?」

「では、なぜ魔力がなければ生きていけない?」

「魔力が『命の根源』だからです。人も、動植物も、世界ですら魔力がなければ生きてはいけません」

「…ふむ、では質問を変えよう。なぜ魔力があると生きていける?」

「………?ギーライル様、質問が重複しております。これでは先ほどと同じ答えになってしまいます」


 そう言われて教皇は軽く思議しぎした後、誰にともなく頷いて言葉を続けた。


「…よろしい。では見方を変えてみようか。ミルリミナには魔力が全くないね。なのに何故、生きていけるのだろうね?」


 この質問に答えられる者はいない。ミルリミナが生を受けてからの十七年、どれだけ調べてもその理由が判る事はなかった。


 確かに、改めて考えると不思議だ。魔力は『命の根源』なのだ。なのにその『命の根源』を持たないミルリミナは、弱いながらも生きながらえている。今では聖女を宿したおかげか、病に苦しむ事もなくなった。


 では、なぜ聖女を宿したおかげで病に苦しむ事もなくなったのだろうか。


 聖女の加護?そんなものがあるとは思えない。無慈悲な聖女のこと、ミルリミナが例え死んでも、また新しい器を作ればいいだけの話だ。わざわざ加護を与える必要はない。


 ではなぜ、まるで魔力を有しているかのようにミルリミナは息災なのだろう。

 そもそも聖女にも魔力はない。だとすれば、聖女の存在そのものが魔力と同じ働きをしていると考えた方がいい。


 では、魔力の働きとは?


 おそらく『命の根源』ではないのだ。これは教皇の望んだ回答ではない。だからこそ何度も同じ質問を繰り返した。


 確かにそうであれば、ミルリミナが魔力がなくても生きながらえている理由にはなる。だが、そうなると一つの疑問が生まれる。


 魔力の有無で、なぜこれほど体の強さが変わるのだろうか。


 魔力の少ないユルングルや無魔力者のミルリミナは、魔力がない事で絶えず病に苦しめられた。

 だが、自分やユーリシアはどうだろう。魔力が多いというだけで、今まで一度たりとも病に冒された事はない。


 これまではそれが、魔力が『命の根源』ゆえに差が生まれるのだろうと思ってきた。だがそうではないのだ。


 では、なぜ____?


 ダスクはそこまで考えて、たまらずため息をついた。

 その答えが見つからない。ただひたすら堂々巡りをしているようで、思考がまとまらず悄然とする。


 結局は同じところで詰まるのだ。魔力がなぜ存在しているのか。そこで必ず詰まる。魔力がなぜ存在しているのかを知るには、まず魔力の働きを知る他ない。だが、魔力の働きと言えば体を強くする事、その一点に凝縮されているとしか言えないのだ。


 まるで身体を守るように、その量によって体の強さが決まる_____。


「………守る…?」


 ふと、その言葉が妙に引っかかった。何気なく頭に浮かんだ、その言葉。


「何から守っている?」


 思索にふけるダスクを見守っていた教皇が、呟くように落としたダスクの言葉を受けて質問を続ける。


「何から………?」


 ダスクはふと、宙に視線を移す。

 大気中に漂う魔力の流れが視界に入った。


(…この魔力が守っている……。これがあるから、生存が可能になった……)


「…この世界の大気には、毒が含まれているのですか?」


 ようやく至ったその答えに、教皇は満足そうに頷いた。


「瘴気、という。これがあるがゆえに、そもそもこの世界は動植物が存在し得ない死の世界だった。その瘴気を唯一中和する事が出来たのが、原始の魔力だ」

「……原始の魔力」

「原始の魔力のおかげで世界が完全に腐敗する事は免れたが、動植物の体にはあまりに強すぎた。どれだけ生物に原始の魔力を注いでも、注がれた瞬間、死に絶えたのだ。その強さに耐えうるだけの肉体が、脆弱な生物にはなかったのだろうなぁ。そこで聖女は、この原始の魔力から動植物でも耐えうる弱い魔力を生成した」

「…それが今、我々の体内に流れている魔力なのですね?」


 ダスクの言葉に、教皇は頷く。


「この魔力による身体能力の上昇や、治療効果などはあくまで副産物にすぎない。本来はこの瘴気から身を守るために存在している。だから魔力の少ない者は、どうしても瘴気の影響を受けてしまうのだ。彼らは魔力が少ないから体が弱いのではない。瘴気に晒されて常に体が弱っている状態なのだ。…それを思えば、ミルリミナがいかに稀有な存在かが判るだろう」


 ダスクは頷く。

 魔力を全く持たないという事は、瘴気から身を守る術が全くない、という事だ。常に瘴気に晒されている中にあって、ミルリミナは生き延びた。弱りながらも十七年、生き続けたのだ。


 ミルリミナの体は弱いのではない。それは十七年もの間、瘴気に晒されてもなお死ぬ事のない、強い体を有している事の証左に他ならない。


 言い換えれば、人類で初めて瘴気への耐性を持っている、という事だろう。


「そしてユーリシア殿下もまた、稀有な存在だ」

「…私は思い違いをしておりました。ユーリシア殿下の魔力は、てっきり聖女が作った欠陥品の魔力だとばかり……」

「欠陥品、という意味では間違いではないね。原始の魔力は我々にとっては欠陥品だ。あまりに強大ゆえに体には合わず、操魔も治療も受け付けない。本来ならば、原始の魔力を体内に留める事など不可能なのだ。ミルリミナ同様、強靭な肉体を持つユーリシア殿下だからこそ、受け入れられた」

「では、ユーリシア殿下のお命は____」


 その問いには、悄然とかぶりを振った。


「そう長くはない。いくら強靭な肉体を持ってはいても、原始の魔力は強すぎる。聖女によって原始の魔力を注がれた時点で、彼の寿命は短いものと定まってしまった」

「………そんな……」


 ダスクは突き付けられた事実に、愕然と肩を落とした。瞬間、ミルリミナの顔が脳裏に浮かぶ。


 彼女は、この事実を受け入れられるだろうか。


 何か手立てはないものかと、わずかばかりの希望を探して模索していたが、全てを見通す教皇の言葉は決して覆らない。教皇の言葉は、死の宣告に等しいのだ。


 悄然とうなだれるダスクを見やって、教皇は慰撫するように軽く頭を手のひらで二回叩く。


「間違えてはいけないよ。私はそう遠くの未来は見えない。現状手立てがないだけで、必ず希望はある。それを見つけるのが、お前とユルングル殿下の使命なのだ」

「……使命……?」

「そう、獅子としての使命だ。ミルリミナとユーリシア殿下はこの先の人類の祖となる。いずれ彼らの血を継いだ者たちの中から、瘴気に対する耐性を持ち、原始の魔力にも耐えうる強い体を持った人類が生まれるのだ。決して、失ってはならない」


 聖女は、世界の意志が人間を守るために獅子を作った、と言った。

 人類の祖となるこの二人を守る事が、この先の人類を守る事に繋がるのだろう。


 だが、と目の前の教皇を視界に入れる。


(この方は何故、これほどまでに全てを見通されているのだろう……)


 それほど遠くの未来は見えないと言いながら、遠い未来を口にし、そして誰も知り得ない遠い過去の世界の起源までもを知っている。

 その理由は多分、一つしかない。


「…ギーライル様も、獅子、なのですね?」


 問われた教皇は目を瞬いて、ややあって皴を深くしながら感嘆の息を漏らす。


「…お前は聡い子だねぇ。…そう、私もかつては獅子と呼ばれていた。獅子は一つの時代に必ず二人存在する。…お前を初めて見た時、次の獅子だとすぐに判ったよ。お前が背負う過酷な運命もね」

「…もう一人の獅子はどこに?」

「……亡くなった。もう遠い昔だ」


 そう言って背中を丸め、懐古の念とも後悔の念とも取れる物憂げな表情を落とす。今や小さくなったその肩に、たった一人で獅子としての重責を背負っていたのかと思うと、ひどくやるせない気分になった。


「…さあ、もう行きなさい。ウォクライ卿も外で待っているだろう」


 眉根を寄せて心配そうにこちらを窺うダスクに一度微笑を返すと、立つように促す。


「聖女の花園にはユルングル殿下が行き方を心得ておる。原始の魔力も我々の魔力も元は同じもの。必ず繋ぐことはできよう。彼を頼りなさい。それから、ミルリミナをあまりユーリシア殿下に近付けてはいけないよ。聖女がユーリシア殿下を利用価値があると思っているうちはいいが、ないと判れば容赦なく原始の魔力を奪うだろうからね」


 ダスクは頷いて、軽く逡巡した後少し遠慮がちに口を開いた。


「…また、お会いする事は出来ますか?」


 その問いには答えず、教皇はただ笑みを落とす。それが何を意味するのか、ダスクは察して思わず瞳を閉じた。


 そして意を決したように再び瞼を開いて、教皇に向き直る。


「…お世話に、なりました」

「…息災で。ずっと、お前の事を見守っているよ」


 深々と下げた頭をゆっくりと上げて、ダスクはできるだけの笑顔を見せる。


 教皇の記憶の中に、苦々しいものとして留め置かれたくはないから。

 その最期を迎えた時、辛い別れだったと思い返してほしくはなかったから。


 ダスクはできるだけの笑顔を見せて再びこうべを垂れると、今度は教皇を視界に入れる事なく踵を返す。


 離れ難い、という気持ちを置いていくように、後ろ髪を引かれる思いを振り切るように、礼拝堂の扉を開いて、そしてゆっくりと扉を閉めた。


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