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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第五部 ユルングル編

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母の面影

 ユーリシアは七日ぶりに皇宮に足を踏み入れていた。


 病に伏している事になっているので、ユーリシアは人目を避けるため夜中に忍び込み、そのまま自室で夜を明かした。何より今の髪型を誰かに見られようものなら、間違いなく騒ぎになるだろう。できるだけ明るい時間の移動は避けたかったので、早朝、執務室に移動し、そこでラヴィが登庁するのを待っていた。


「ユーリシア殿下…っ!お戻りになられていたのですか!?」


 執務室の扉を開けるや否や、ユーリシアの姿を見止めて、ラヴィは目を丸くする。


「書状を送っていただければ、こちらからお伺いいたしましたのに…」

「…いや、別件で白宮に用事があったのだ。お前にも訊きたい事があったからな」

「訊きたい事…でございますか?」

「とにかく白宮に移動しよう。人が多くなると厄介だ」


 説明もそこそこに、ユーリシアはラヴィを連れて足早に白宮へと向かう。


 ラヴィの登庁はユーリシアの政務の準備などもある為、比較的朝が早い。仕事の量によってはまだ日が昇る前から登庁する事もあった。

 この日も変わらず朝が早かったので、まだ人が少ない時間帯だ。自分がいなくても相変わらずの誠実な仕事ぶりに、ユーリシアは内心、頭が下がる思いだった。


「…ここだ、ついてきてくれ」


 白宮に入って向かった先は、歴代の皇族の肖像画が飾られている一室だった。


「殿下、ここは私などが足を踏み入れてよい場所ではございません…!」


 ここは皇族以外の入室を禁じている場所だ。例え皇太子付きの補佐官であろうとも、おいそれと立ち入っていい場所ではなかった。


「いい。私が許可する」


 逡巡するラヴィを、ユーリシアは強く促す。


 ややあって、ラヴィは観念したようにおずおずと足を踏み入れた。それを見届けてから、ユーリシアは部屋の奥へと歩みを進める。その足取りは、目的がある事を如実に語っているようだった。


「ユーリシア殿下、一体こちらに何の御用がおありなのですか?ましてや私にここで訊きたい事など…」


 いぶかしげに尋ねるラヴィに視線を向ける事なく、ユーリシアは答える。


「…ラヴィは確か私よりも六つ年上だったな?」

「……え?あ、はい…そうですが……」


 質問の意を察する事ができず、ラヴィはなおさら困惑する。そんなラヴィを、ユーリシアはようやく視界に入れて言葉を続けた。


「なら会った事はあるだろうか?私の母、ファラリス=フェリシアーナに」


 言って立ち止まったのは、銀髪の赤子を愛おしそうにその胸に抱く、一人の女性の肖像画の前だった。


 ユーリシアの母、ファラリス皇妃は彼がまだ三歳の頃に病で崩御した。それゆえに、ユーリシアの記憶の中に母の姿はない。母と言われて真っ先に頭に浮かぶのは、皇妹であるリアーナ=フォーレンス伯爵夫人で、実母であるファラリスの姿はこの肖像画でしか見た覚えがなかった。


「…幼い頃に何度か拝謁した記憶がございます」

「…母は確か、ラジアート帝国の皇室と所縁ゆかりのある方だったな」

「…ええ。確か現皇帝の又従妹またいとこでいらしたと記憶しておりますが…」


 あのゼオンとも縁戚えんせき関係にあるという事実に、多少なりとも忌々しさを感じるが、今はそれを憂いている時ではない。知りたいのは、そんな事ではないのだ。


「…今、ラジアート帝国の皇族で存命しているのが誰か、ラヴィは知っているか?」

「…ラジアート帝国は皇位継承権を巡って皇族同士で争う事で有名です。いつの代でも粛清という名の、血で血を洗う争いが起きてきました。ゆえに現時点でご存命されているのは四名です。現皇帝とそのご子息であられる二人の皇子、そして皇弟であられるゼオン様です」

「他は?」

「おりません。現皇帝が彼らとファラリス様以外の皇族を全て粛清いたしました」


 当時、まだ幼く病弱だった弟のゼオンと、心根が優しく穏やかな気性で現皇帝から寵愛を受けていたファラリスだけが、粛清を免れたという。


「…母は、どういう方だった?」

「お優しく穏やかな方でした。従者や侍女にも分け隔てなく接し、帝国の生まれである為か、ご自身は高魔力者でありながら魔力の差で差別する事をとても嫌っておいででした」

「高魔力者なのに病で亡くなったのか?」

「…病になったのは、珍しい血液であった為と聞いております」

「…そうか。…では、母が父以外の男との間に子を生したという話は____」

「ございません!ファラリス様に限ってそのような事…っ!先ほどから一体何をお聞きになりたいのです!」


 一向に話が見えない事に業を煮やしたラヴィは、皇妃に対するあまりに不敬なユーリシアの言葉に声を荒げた。ユーリシアは眉根を寄せるラヴィを一度、視界に入れた後、再び肖像画の母に向き直り、その顔に軽く手を添える。


「……似ていたのだ」


 肖像画に描かれている母は、とても穏やかだった。

 わずかに黄緑がかった金髪を揺らし、その顔は目鼻立ちがはっきりとした美しい顔立ちをしている。そして我が子を見つめるその瞳は、穏やかだが凛としていて、己の中にある信念を貫き通す強さを彷彿させる、そんな瞳だった。


 ユーリシアは昔から、そんな母にお世辞にも似ているとは言えない事を、幼いながらに理解していた。どちらかと言えば父に似たのだろう。幼い頃から何度もここに通っては、似ていない事に落胆した事を覚えている。


 そんな母に、彼は似ていた。

 目鼻立ちがはっきりしている顔立ちに、ユーリシアを見据える強い瞳が、肖像画の母を彷彿させた。それがユーリシアの胸の内に、ひどく苦いものを落としたのだ。


「…誰が似ていたのです?」


 口を噤んだまま押し黙ってしまったユーリシアの言葉を促すように、ラヴィは尋ねる。


「…リュシテアの首領らしき人物に会った。彼が…母に似ていたのだ」

「まさか…っ!他人の空似ではございませんか?よもや反乱軍に皇族がいるなど______」


 そこまで告げて、ラヴィの脳裏にある人物の顔が浮かぶ。

 彼もまた皇族だ。そしてリュシアの街に、彼はいた。失踪した経緯いきさつを考えれば、彼が皇族やこの国に恨みを抱いていてもおかしくはない。


「……ラヴィ?どうした?」


 怪訝そうにラヴィの顔を窺うユーリシアの言葉に、ラヴィは飛び跳ねるように我に返る。ユーリシアの顔を一瞥した後、己の考えを振り払うようにラヴィは軽くかぶりを振った。


「まさか…そんなはずはございません。確かにユーリシア殿下がお生まれになる数年前、ファラリス様がご懐妊された事はございます。ですが御子の有する魔力量が極端に少なく、お生まれになる前に腹の中で死産となりました。この世にお生まれにすらなってはいないのです。ファラリス様の血をお継ぎになられたお方は、ユーリシア殿下ただお一人です」

「……死産」


 ユーリシアは、ラヴィの言葉を噛んで含めるように小さく反芻する。


 出産した事実がないのなら、おそらくラヴィの言うようにただの他人の空似なのだろう。あるいはラジアータ帝国の皇族に母と面差しが似た人物がいるのかと思ったが、その可能性もなくなった。


(……そう、あれはただの他人の空似だ)


 自分に言い含めるように、ユーリシアは再び心中で反芻する。


 彼が皇族であるはずがない。ましてや母に所縁ゆかりのある人物など。

 ラヴィがその疑いを見事に打ち砕いてくれた。そう思うはずなのに、胸の内がひどくざわつくのは何故だろうか。


 ユーリシアは胸に広がる苦いものを拒絶するように、赤子の自分を抱く肖像画の母の姿を目に焼き付けていた。


**


「ダリウス。お前、俺に隠し事はないか?」


 そう切り出したのは、レオリアと名乗る皇太子と出会った翌日だった。


 ミルリミナに支えられて帰ってきたユルングルを見止めて、ひどく狼狽したダリウスは、ユルングルを再びベッドに束縛した。部屋に閉じ込めて、その間ミルリミナから事の仔細を聞いたのだろう、と思ってはいたが、なぜか一向に皇太子であるレオリアの話を振ってこない事にしびれを切らして、自分から尋ねてみたのだった。


 問われたダリウスの顔色は変わる気配はない。ベッドに坐した己の主の視線を、ただ淡々と受け入れているようだった。


 もともと寡黙で表情をあまり顔に出さないだけあって、どれだけ秘密をはらんでいても、そしてその秘密が漏洩したと判っても、ダリウスは決して表情を変えない事をユルングルは承知していた。


「…どの事でございますか?」

「全部だ」


 間髪入れず、ユルングルは答える。見逃すつもりがない事をダリウスは悟って小さくため息を落とした後、ややあって重い口を開いた。


「…やはり、皇太子だと気付かれたのですね?」

「俺が気付かないと思ったか」


 こういうところは嫌というほど勘が働く、と半ば呆れたように感嘆しながら、ダリウスは言葉を続ける。


「…判ったうえで、看過されたのですか?」


 看過したわけではない。今は冷静に見極める必要があると判断しただけだ。


 そう答えたかったが、なぜだか言葉が出なかった。

 確かに皇太子の顔を見たあの一瞬、抑えきれないほどの憎しみが溢れてきたのは事実だ。だが、まるで波が引くようにその憎しみは簡単に薄れていった。あの邂逅の途中からユルングルは、驚くほど冷静に皇太子と対峙していたのだ。


 その理由を、ユルングル自身、量り兼ねていた。


 ユルングルはダリウスの質問には答えず、代わりに冷ややかな視線を向けた。


「…お前はいつから気付いていた?」

「…五日ほど前です。ミルリミナ様のご様子がおかしかったので…」

「ダスクも知っていたんだな?」

「…はい」

「あの皇太子がこの街に滞在するには協力者が必要だろう。キリと…もう一人はモニタあたりか…?」

「…ご推察の通りです」


 皇太子がこの街に来たのは、おそらくミルリミナが初めてリュシアの街に行ったあの日だろう。


 あの日、ダスクは躊躇する自分を差し置いてミルリミナに街に行く許可を与えた。決してオパールの首飾りを取るなと念を押したのは、皇太子が街にいると知っていたからだ。ならば当然、一緒にいたはずのモニタが知らないはずはない。世話焼きなモニタのこと、面倒を見る事を買って出たのは想像に難くないだろう。


 そしてダスクが知っていたのなら、操魔を教えたのもダスクだ。時間的余裕はないだろうから、髪色を変える術だけ教えたのだろう。


 揃いも揃って一様に隠していたのは、自分の頑なな態度の所為だ。皇太子を慕うミルリミナをおもんばかって、皆、口を閉ざしたのだろう。それを思うと、欺かれた事実に対する腹立たしさはあるものの、あまり強く責める事も躊躇われた。


 大きく息を吐くユルングルの姿が目に入って、ダリウスは悄然と俯く。


「…申し訳ございません。ユルングル様を欺いていた事、申し開きのしようもございません。罰はいかようにも____」

「もういい」


 ダリウスの言葉を遮るように、ぴしゃりと言い放つ。


「…ですが、私はユルングル様を裏切ったのです。ならば__」

「お前が俺を裏切るはずがない事くらい判っている。くだらない事を言うな」


 そもそもダリウスが皇太子暗殺を快く思っていない事は判っていた。


 皇太子がまだ幼い頃、ダリウスはまだ皇宮を出入りしていたのだ。ダリウスの気性を考えれば、皇太子の命を狙う事に躊躇するのは自明の理だろう。


 それを判っていながら、ユルングルは半ば無理やりダリウスに強要した。ダリウスが何も言わない事をいいことに、自分に対するダリウスの忠誠心を利用して彼の心をねじ伏せたのだ。


(…思えばずいぶん酷な事をした……)


 ダリウスの気持ちに気付かないふりをして、自分の憎しみを優先させた。その憎しみが薄れた今、冷静になって思い返せば、自分はただダリウスの優しさに甘えていただけなのだ。


「……悪かったな」


 視線を背けたまま、呟くようにユルングルは告げる。

 何に対する謝罪なのか意を量り兼ねていたダリウスだが、わずかに耳が紅潮しているのを見て取って、深々とこうべを垂れた。


「…最後に聞かせてくれ。余計な忖度はいい。お前の本心が聞きたい」


 そう前置きして、ユルングルは告げる。


「皇太子の命を狙う事に、お前は賛成か?それとも反対か?」


 答えは判っている。判ってはいたが、ダリウスの口から直接聞きたかった。

 問われたダリウスは一瞬逡巡したが、ややあって意を決したように口を開いた。


「反対です」


 真っすぐユルングルを見据えて毅然と答えた言葉は、清々しいほど声が通っている。

 初めてダリウスの本心に触れたような気がして、ユルングルは満足そうに頷き、短く、そうか、と告げた。


「…だが馴れ合うつもりはないぞ」

「承知しております」


 どこかバツが悪そうに吐き捨てるユルングルに、ダリウスは小さく失笑しながら再び頭を垂れる。


「___で?他にもあるだろう、隠し事が」

「…こちらはさほど重要ではないのでご報告は不要と判断いたしました」

「お前の命に係わる事だろう。今後はこういうたぐいも全て俺に報告しろ」

「…はい」


 自分を気に掛ける主の言葉が、有難く嬉しい。


「ですが、今回は命を狙っている様子はないのです」

「…どういう事だ?」

「私も相手の意を量り兼ねているところです。私の後を尾けてはいますが、特に危害を加えようという意思が感じられません。ただ私の生活圏を探っている、というふうで…」

「……なるほど」


 ユルングルは考え込むように口元に手を当てる。

 これが本当なら放っておいても問題はないだろうが、周りをうろつかれるのは正直、鬱陶うっとうしい。ただでさえ、皇太子がこの街に滞在しているのだ。気を張っているところにこれ以上、厄介者を抱え込む余裕などない。


「…敵意はないんだな?」

「はい」


 なら何とでもやりようはある。この遁甲は侵入者を防ぐ事だけが使い道ではないのだ。


 ユルングルは悪戯を考えた子供のように笑って、ダリウスに告げる。


「なら、おびき寄せるまでだ」

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