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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第五部 ユルングル編

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偽皇子と本物の皇子

 ミルリミナはひどく後悔していた。

 それは遁甲を渡るすべを教えた事ではない。渡る事はできない、とユーリシアに断言した事だった。


 別にユーリシアに諦めてもらおうと思って出た言葉ではない。ミルリミナとしてユーリシアに会いたいと願ったのは確かだし、渡れるものなら渡ってほしいと思った事も事実だ。実際、懸念していた聖女の力は、なぜかユーリシアには働かない。ならば会ってもいいのではないか、と淡い期待も抱いている。


 だがユーリシアは決して遁甲を渡れない事を、ミルリミナには判っていた。それは五年もの間、自覚なく彼を見てきたゆえの確信だろう。ユーリシアの強すぎる正義感が、必ず邪魔をすると判っていたのだ。


 彼は決して許さない。不正を見過ごす事もできないし、清濁を併せ飲む事ができるほど器用でもない。己の考えを改めようという柔軟さはあるが、それを為しるためには、それ相応の対価が必要だった。


 だからこそミルリミナは告げたのだ。それを理解したうえで『リュシテア』の存在を改めて中から見てほしかった。そうする事できっと彼らに対する憎しみが消えるだろう、と期待を抱きながら。


 だがモニタから聞いた話では、遁甲を渡れなかった事にひどく気落ちしていたという。モニタが励ましてとりあえずの気力を取り戻したそうだが、その日何があったのかキリの店に行ってから気を失って戻ってきたらしい。


 ユーリシアの様子を見に行きたいが、肝心のダリウスからは今は危険だからと断られてしまった。思えばキリの店でユーリシアと再会したあの日、ダリウスはまるで逃げるようにキリの店からミルリミナを連れて戻った事を覚えている。

 あの日以来、リュシアの街に行く事は叶わなくなった。


(……仕方がないわ。我儘を言うわけにはいかないもの…)


 ミルリミナはため息をつきながら、ハンカチに最後の一針を落とした。


「…できた!」


 言って、できたばかりのハンカチを広げてみる。絹でできたハンカチの右下には、君子蘭とユーリシアのイニシャルが刺繍されていた。


 君子蘭はフェリシアーナ皇室の家紋に使われている花だ。その花言葉は『気高さ』と『情け深さ』。皇家としての気高さと、そして情けを以って国に殉ずる覚悟を表わしたものだという。皇宮の至る所に家紋があって、ミルリミナはその家紋を象って刺繍したのだ。


(…殿下は気に入ってくださるかしら…?)


 ハンカチを綺麗に折りたたんで、愛おしそうに手を添えてみる。

 ミルリミナとしてハンカチを渡したいが、おそらくそれは当分の間、叶わないだろう。モニタが自分の存在をユーリシアに教えたそうだから、ミルリミナから預かった事にしてユーリから手渡しても問題はないはずだ。


 そう思って少しずつ縫い進めてきたのだが、間が悪い事に街に出る事すらできなくなった。しばらくは渡す機会が訪れない事を残念に思いながら、ミルリミナはハンカチを大事そうに棚に戻した。


 なんとなく手持ち無沙汰になって、ミルリミナはふと視界に入ったダスクから貰った本に手を伸ばしてみる。ここ最近、刺繍ばかりにかまけてすっかり読む事がなくなった本には、わずかばかり埃がたまっている。それが何となく罪悪感を刺激して、幾日ぶりかに手に取ってみた。


(大事にすると言っておきながら、埃をかぶせてはいけないわね…)


 自嘲するように息を吐いて、埃を払う。

 久しぶりに本を開いて、ふとミルリミナは思った。


 この話は何だかこの国の現状によく似ている。

 一度そういう目で見てしまうと、何もかもが符合するような気になった。


 『貧富の差が激しく最下層の民を奴隷のように__』これは魔力の差だ。高魔力者が低魔力者を奴隷のように扱っているのは、奴隷制度を廃止した今でも変わらない。

 そして『奴隷解放軍』は他ならぬ『リュシテア』の事だろう。


 では、偽皇子と本物の皇子は___?


 その符号先を考えると、ひどく苦いものが胸に広がっていくのを感じて、ミルリミナはたまらず本を手に部屋を飛び出した。


**


 約束の三日を過ぎて、ユルングルの我慢はすでに限界だった。


 無理を言って採血した代価として大人しく自室にこもっていたが、二日目には体を動かせるようになり、三日目には不調すら感じなくなったので、なおさらじっと部屋に籠っているだけの状態に嫌気がさしてきた。

 なので四日目の朝、朝食を食べるや否や、ダリウスがいない間を狙って部屋から抜け出してきたのだ。


 これほど、じっとしている事をいとうのは、この弱い体の所為だとユルングルは思う。昔から何度も病に伏しベッドに束縛される生活を送ってきた。動ける時くらいはベッドから解放されてもいいだろう。


 隠れ家を出た足で向かったのは、裏の森を抜けた先にある小さな丘の高台だった。ここはユルングルしか知らない、お気に入りの場所だ。ミルリミナが歩けるようになった頃、ここに連れてきた事があるので今では二人だけの場所となった。


 正面には視界を遮るような建物はなく、ただ荒れ野が続いている。遠くには森や山の形に空の青が象られていた。

 そして左に視線を向ければ、皇都フェリダンの街並みが見える。低魔力者に冷たい憎むべき街だったが、夕刻などは茜色に染まって腹立たしくも綺麗だと感じてしまう。最近はそれが、郷愁から来るものではないかと思う時があった。


 ユルングルは草原くさはらに頓着なく寝転がり、空を仰ぐ。日差しは強いが、わずかに冷たい風が心地いい。この日差しが冷たく閉ざされた心の氷を溶かし、この冷たい風が皇族に対する憎しみの炎を小さく揺らしているような、そんな気がしていた。


 ここでの暮らしは、存外いい。決して裕福とは言えないが、それなりに悪くはない。気心の知れた住人たちとの他愛もない会話も気に入っているし、工房で熱中して創作する事も好きだ。それでも今まで憎しみが消えなかったのは、ユニの事があったからだった。


 なのにここ最近は、その憎しみが薄れつつある。元々、聖女を『リュシテア』の象徴に、とミルリミナを攫う計画を立てたはずなのに、今ではそんな気すらない。もちろん高圧的な高魔力者に対して怒りはあるし、それを野放しにしているこの国も許せない。ユニはそんな国の犠牲になったのだ。だが国を変えたい意志はあるものの、皇族の命を狙う気にはなれなかった。


 それほど今の安穏とした日常が愛おしくなってしまったのだろう、とユルングルは思う。

 ダリウスがいて、ダスクがいて、ミルリミナがいる。普段は別々に行動していても、時に集まって会話をし、一緒に食事を摂る。その当たり前が、ひどく居心地がいい。


 自分はおそらく、家族に飢えていたのだ。


____(憎しみなんて長くはもたないわ)


 耳に残る懐かしい声が響く。ユニはよく、自身の愛読書を読んではそんな事を言っていた。


「ねぇ、ユルン!この物語ってまるでユルンの事みたい!」

「…俺は反乱軍なんて、作る気はないよ」


 自分を捨てた親に対して恨みや憎しみはあったが、だからと言って何かをしてやりたいと思った事はなかった。ただただ捨てられた事実が腹立たしく、その要因となった黒い髪が恨めしかっただけだった。


「反乱軍を作れって言ってるわけじゃないわよ!だってユルンは憎しみなんて持ってないじゃない」

「…あるよ。憎しみは、ある」

「でもずっとじゃないでしょう?」

「………え?」


 さもありなんと告げるユニに、ユルングルは目を丸くする。


「ダリウスが作る美味しいご飯を食べてる時に、憎しみを感じた事はある?お祭りに行って楽しいなぁ、って思ってる時でも憎いと思った?」

「…それは……ないけど」

「人間ってね、嫌な感情よりも楽しいとか嬉しいとか、そんな感情の方が上回っちゃうんだって。この主人公だってそうよ。確かに最初は自分が置かれた状況を恨んで憎んだりもしたけど、反乱軍の統領になる決意をしたのは憎しみからじゃないわ。みんなの楽しいや嬉しいを守るために統領になったのよ。だから偽皇子の事も殺さなかったんだわ」

「……殺さなかったの?自分がなるはずだった皇子の立場を奪った相手なのに?」

「んー…。殺したって書かれてないからそうなんじゃないかなぁ。最後にね、主人公と旅に出る仲間の中に、偽皇子によく似た人が出てくるの。きっと一緒に旅に出たのよ」

「……殺さなかったんだ…」

「そうよ。だって憎しみなんて感情、長くはもたないもの」


そう言って、今は遠くなってしまった屈託なく笑うユニの顔を思い出す。


「……ああ、そうだな。憎しみを維持するのも疲れたよ、ユニ…」


 風の音に掻き消えてしまいそうなほど小さな声で、ユルングルはひとりごちる。


 横になっているユルングルの視界を奪うように、ユルンさんっ、と叫びながらミルリミナの顔が目の前に現れたのはそんな時だった。


「!…ミルリミナ……っ!」


 あまりに唐突な登場で、ユルングルは慌てて体を起こす。強制的に夢から叩き起こされたような気分で、心臓が激しく波打つのが判った。


「驚いた…っ。何なんだ、いきなり…」


 そこまで言ったところで、ふとミルリミナが持っている本に気が付いた。


「お前、その本…!」

「ユルンさん!この本はもしかして、ユルンさんとユーリシア殿下の事ですか!?」

「……………は?」


 ユルングルの言葉を遮って唐突にそんな事を言うものだから、ユルングルはただ目を丸くするしかなかった。


「だってこの本はまるで今のこの国みたいだわ。だったら偽皇子はユーリシア殿下の事で、本当の皇子は___」

「まてまてまてまてっ!とにかく落ち着け!」


 まくしたてるミルリミナの言葉を今度はユルングルが遮って、大きく息を吐いた。


「…それはただの物語だろう」


 ミルリミナの落ち着きを促すように、ユルングルはできるだけ穏やかに告げる。


「…だけどそんな気がするの。ねぇ、教えて。この本は真実なの…?」


 懇願するように見つめてくるミルリミナの視線を、ユルングルは困惑して受け止めた。何となく真実を打ち明けるのがはばかられて、ユルングルは小さく息を吐いた。


「……半分当たりで、半分間違いだ」


 嘘ではない。真実の部分もあるが、間違っている部分もある。これは最大限譲歩した言葉だった。

 そんな言葉を半ば予想していたのだろう。ミルリミナは特に驚く様子もなく、手に持った本に視線を落とした。


「……そう、やっぱりユルンさんは、皇族の人間だったのね…」

「…誰もそうだとは言ってないだろう。勝手に『当たり』の部分を断定するな」


 内心狼狽しながらも、それをおくびにも出さずにユルングルは告げる。だがミルリミナの瞳には、確信めいたものがあった。


「…ダリウスさんやダスクお兄様のユルンさんに対する態度を見ていれば判るわ。特にダスクお兄様はもともと大司教だったもの。並の貴族では位は大司教の方が上…大司教が礼を尽くすのは皇族以外にはいないわ」


 理路整然と告げるミルリミナの言葉は、ひどく理に適っていて反論の余地がない。


 だから態度を改めろと言ったんだ、と内心、たしなめるように吐き捨てた後、まるで言質げんちを得たがっているようにユルングルの言葉を待っているミルリミナの視線を受けて、観念したようにユルングルは大きく息を吐いた。


「…これに答えたら、もうこの話は終わりだ。判ったな?」


 頷くミルリミナを待って、ユルングルは意を決したように口を開く。


「…ああ、その通りだ。俺とダリウスは皇族の人間だ」


 思ってもみなかった名前までついてきて、ミルリミナは目を丸くした。


「……え?ダリウスさんも…ですか…?」


 言外に従者ではなかったのか、と言われているようで、ユルングルは苦笑する。


「あいつはいろいろと複雑な立場なんだ。…そんな事よりも、その本。もしかしてダスクから貰ったのか?」


 あからさまに話題を変えようと、ユルングルはミルリミナの手に納まっている本を指差して尋ねる。ミルリミナはその変わり身の早さについて行けず、一瞬、逡巡したものの何とか言葉を返した。


「…え、あ…はい。ダスクお兄様から貰ったものです。…妹さんの形見だとか…」

「やっぱりユニが持っていた本か」

「妹さんを知ってるんですか?」

「…ああ、俺とユニは姉弟きょうだいのように育ったからな。…ダスクの妹だと知ったのはここ最近だが…」


 ミルリミナから本を受け取って、懐かしそうに本を開いてみる。わずかに微笑んで愛おしそうに本を見つめるユルングルの姿が目に入って、ミルリミナは何だか別人を見ているような気分になった。


「…ユニさんって、どんな人だったんですか?」


 憎まれ口ばかり叩くこのユルングルに、そんな穏やかな表情をさせる存在に興味を引かれて、ミルリミナは問うてみる。

 問われたユルングルは言葉を探すように視線を宙に浮かせた後、ややあって口を開いた。


「そうだな…お前によく似てるよ」

「え…、私に、ですか?」

「ああ、特に他人の心に不躾に入ってくるところなんかそっくりだ」

「え…っ!?何ですか、それ…っ!」

「あと物怖じしない性格とか、ころころと表情を変えて人懐っこいかと思えば、意外と頑固なところとか」

「ユルンさんっ!」


 揶揄するユルングルに、顔を真っ赤にして憤慨するミルリミナを見受けて、ユルングルはくつくつと笑う。


 よくもまあ初対面の時に自分を激怒させた前科がありながら、皇太子の名前をさらりと出せたものだと、ユルングルは呆れてしまう。他の人間は、あのダリウスでさえ皇室の話を避けるのだ。まるで腫れ物に触るように扱うのは自分の頑なな態度の所為だと自覚してはいたものの、あまり気持ちのいいものではなかった。


 その中にあって、ミルリミナの無遠慮なまでの無垢さが、懐かしさを彷彿させる。心を閉ざしていた自分に対して、ユニもやはり不躾で無遠慮だった。


「……だからダスクはお前に甘いんだろうな」

「………え?」


 ひとりごちて、ユルングルはいつも通り照れ隠しにミルリミナの頭を掻き撫でる。


「…なあ、ミルリミナ。今から一緒にリュシアの街に行かないか?」


**


「…もう体の調子はいいのかい?レオリア」


 ようやく倉庫の片づけを終えたユーリシアに、キリは心配そうに尋ねてみた。


 二日前に意識を失ったおかげで、昨日は大事を取ってキリの店を休む事になった。ひどい頭痛と吐き気で食事を摂る事もできず、ようやく今朝になってわずかばかりの粥を口にできるようになったばかりだった。


 そんなユーリシアの身体をおもんばかって店に来るなり休みなさいと告げたキリを、ユーリシアは大丈夫と押し切って倉庫の片づけを始めたものだから、キリはまた倒れやしないかと内心気が気ではなかったのだ。


「ええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」


 極力なんでもないように告げたつもりだったが、体の調子が未だ悪い事は何よりも自分が一番自覚していた。おそらく顔色もひどいものなのだろう。


 それは二日前、シスカに操魔というものを施された所為ではないという事を、ユーリシアは承知していた。あの時気を失ったのは確かにその所為だが、一度目覚めた時には、ずいぶん状態は安定していたのだ。


 再び体の調子が悪くなったのは、おそらく操魔の鍛錬の所為だ。シスカからの伝言で少しでも体調が悪くなったらやめるようにと聞かされてはいたが、ユーリシアはそれを守るつもりはなかった。

 少しでも役に立つ技術ならば、体調になど構ってはいられない。そんな焦りからくる愚行だと自覚してはいるものの、どうしても気が急いて、やめる事はできなかった。


 そのおかげと言うべきか、わずかな時間ではあるが髪色を変えられるまでになったのは、代価としては悪くない、とユーリシアは思う。


「…まったく、あの時は驚いたよ。お前さんも先生も倒れるものだから、どうしたもんかと困り果てたんだぞ」


 座るように促して、キリはお茶を出しながら嘆息を漏らす。ユーリシアは申し訳なさそうに苦笑しながら謝罪して、言葉を続けた。


「…シスカは、ここでは先生と呼ばれているのですか?」

「ん…?ああ、レオリアは先生の事をそう呼んでたね。彼はここで診療所を開いてくれてるんだよ。おかげでこの街にも医者ができたと、みんな大喜びさ。ユルンの知り合いの神官さんだそうだが…レオリアも知り合いなのかい?」

「……ええ」


 問われて、ユーリシアは生返事で返しながら、ユルンの名前を口の中で小さく反芻する。


 この街に来て『ユルン』と『ダリウス』の名前を聞かない日はない。街中でもキリの店でも頻繁に耳にした名前だった。時には尊敬するように、そして時には揶揄するように、様々な場面で彼らの名前が挙がる。それがたとえどんな揶揄であっても、それらは総じて親しみが込められている事は見て取れた。おそらく彼らが『リュシテア』の中心人物なのだろう。


 『ダリウス』はおそらく以前ユーリと一緒にキリの店に来た金髪の男だ、とユーリシアは思う。だとすればユーリは、ほぼ確実に『リュシテア』の人間だろう。それを思うと、警戒心よりもなぜだか落胆の方が強かった。


「レオリア、すまないが店番をお願いできるかな?今から行かなきゃならん所があるんだ」


 突然の申し出に、ユーリシアは戸惑う。


「え…ええ、それは構いませんが…いいんですか?俺を一人にして…」


 キリは今まで、ユーリシアに会わせる人物を選定しているようだった。比較的、争いを好まない穏やかな人物が多かったような気がする。それは万が一、ユーリシアが皇太子と判っても大丈夫なように配慮しているのだと、ユーリシアは思っていた。


「それほど長くはならんから大丈夫だろうさ。…ユルンもまだ体調が戻っていないだろうから、来る心配はないだろうし。…だが先生の時みたいに物騒な事だけはせんでくれよ」


 揶揄しながら笑い声をあげるキリに、ユーリシアは反省を込めて苦笑する。


「…自重します」

「ああ、そうしてくれよ。じゃあ、行ってくる。座ったままで構わんから、ゆっくりしててくれ」


 ねぎらいの言葉と共にキリが出て行った店の扉を、ユーリシアはただ茫然と見つめる。急に一人にされて、なぜだか妙に寂しさと不安が頭をもたげた。


 この店は職人たちの店だけあって、比較的、来客は少ない。すぐ戻ると言い添えていたから、実質キリが戻ってくるまでは一人の時間になるだろう。以前は一人の時間には安堵する気持ちがあったはずなのに、今ではまるで誰かを待ちわびているかのように、一抹の寂しさを感じた。


 店の扉を開けて笑顔を向ける少年の顔が、ユーリシアの脳裏をかすめる。あの日以降、ユーリの顔を見ていない。『リュシテア』の人間だと判った今でも、会いたいと思うのはなぜだろうか。


 ユーリシアは自分の名前を呼ぶ少年の姿を想起そうきしながら、店の扉が開くのをただ待ちわびるように見つめていた。


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