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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編

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ダスクの思惑

 フェリシアーナ皇国は冬が厳しい代わりに、夏は比較的過ごしやすい土地柄だった。うだるように暑い日もあるが湿気は低く、夜になれば気温も下がるので暑さで寝苦しくなる事はまずない。


 この日も昼間の暑さとは打って変わって、涼しい風が外の冷えた空気を部屋に満たしていく。いつもならすでに熟睡している頃合いだが、この日は眠れそうにない、と風で揺れるカーテンをユーリシアはベッドに寝そべりながら何とはなしに見ていた。


 リュシアの街に来てから、嘘のようによく眠れるようになった。それはミルリミナの居場所を突き止めた安堵感から来るものなのかどうかは判らない。あるいは、ミルリミナの存在を近くに感じている所為かもしれなかった。それほど、遁甲の場所は近い。


 ユーリシアは体を起こし、二階にいるモニタを起こさぬよう、そっと部屋を出る。火照った体に、外の涼しい空気がひどく心地いい。


 手に持った外套を羽織ってフードを被り、ゆっくりと歩を進める。ユーリシアが間借りしている部屋は裏道の奥まったところにあって、道を覚えるだけでも大変だった。キリの店がある場所もそうだが、この街は入り込んだ裏道がひどく多い、とユーリシアは思う。それがいびつに感じるのは、おそらくこの街の名前の由来に関係するのだろう。


 リュシアの街は『リュシテア』の街だ。

 それはもちろん住民全てが『リュシテア』に属している、という意味合いではないが、この低魔力者の街をいとも簡単に改革した功績もあって、ここに住む者は皆『リュシテア』に敬愛の念を抱いている。誰もが皆『リュシテア』を誉めそやし、例え組織に属していなくとも皆一様に『リュシテア』の存在を守ろうとする意志が感じられた。


 だからこそ彼らの団結力は、強い。異物に対する反応が強く、ひどく排他的だ。それを象徴しているのが、複雑な裏道なのだろう。


 この複雑な裏道は五年前にはなかったものだ。おそらく『リュシテア』が作り替えたものに違いない。それはさながら侵入者を拒むかのように複雑に入り込んでいる。初めて入った者には決して突破できないだろう。


 この街は、一種の要塞なのだ。排他的な住民を壁に据え、侵入者を拒む複雑な道を作り、決して入る事の出来ない遁甲を備えた、要塞。


 未だ異物として捉えられているユーリシアには、ひどく居心地が悪かった。


(…ミルリミナも、異物として見られているのだろうか?)


 だとしたら、ひどく居心地の悪さを感じているだろう。


 ミルリミナの置かれている状況を懸念しながら辿り着いたのは、遁甲のある森の入口だった。ユーリシアが間借りしている部屋から歩いて十分足らずの場所にある。もう何度通っただろうか。この遁甲を抜ければ、ミルリミナと会う事ができる。


 ユーリシアはわずかに期待を抱いて、おもむろに遁甲に手を入れる。だがやはり、遁甲はそこを通る事を許してはくれなかった。


(……やはり、無理か…っ)


 悄然とうなだれて、ユーリシアは遁甲に入れた手を握る。

 この先が、掴めないのだ。どうしてもこの先には進めない。ユーリから遁甲を渡るすべを教えてもらったのに。


 ユーリシアは、ユーリの言葉を反芻する。

 この遁甲を渡る条件はただ一つ。


 『敵意を持たない事』


 ただそれだけの事が、ユーリシアにはひどく厄介で度し難かった。


 ミルリミナを攫ったのは、他でもない『リュシテア』だ。彼らがユーリシアからミルリミナを奪った。それも一度ならず二度までも。

 一度目はよりにもよって彼女の命までもを奪ったのだ。その怒りと憎しみは計り知れない。例え何年経とうとも、この宿怨しゅくえんが消え去る事はないだろう。


「…上手く作ったものだな」


 自嘲にも似た笑いが、静寂の森にかそけく響く。


 遁甲は心の奥底にある感情に反応する。例え表面上を装ったところで遁甲には通用しない。

 恨みや敵意があるから、ここを通りたいのだ。だが、それを持っていてはここを通る事ができない。恨みや敵意を手放せばここを通る事はできるが、簡単に手放せるものではないし、そもそも簡単に手放せる程度の私怨しかないのなら、これほど苦労して通りたいとも思わないだろう。

 結局のところ、一度でも憎しみを抱いてしまったら、ここを通る事はできないのだ。


 苦渋に滲んだ顔で、やむなく遁甲を渡るすべを教えてくれたユーリの言葉を思い出す。彼は、決してここは通れない、と断言した。


「……ああ、その通りだ…」


 自分は決して、この私怨を手放す事はできないだろう。例え手放す事でミルリミナを得られると判っていても、手放す事ができないのだ。その憎しみが、彼女を奪われた事に起因する怒りであるにもかかわらず。


「……すまない、ミルリミナ………」


 愚かな自分が憎い。

 ミルリミナと私怨を天秤にかけて、自分は愚かにも私怨を選んでしまった。

 愚かと判っていても私怨を手放せない自分がさらに愚かに思えて、なおいっそう情けなく、嫌悪した。


**


「失礼します」


 遠慮がちに扉を叩いて、ダリウスはユルングルの部屋の扉を開ける。時刻は夜半過ぎ。ダスクの部屋を訪問したがその姿が見えず、ここだろうと踏んでおとなった結果だった。


 いつもは人の気配がするとすぐに目を覚ますユルングルだが、この日は採血した事で体が休息を必要としているのだろう。変わらず安眠しているユルングルを見取って、ダリウスは軽く安堵した。


「…ぐっすりお休みのようですね」


 声を潜めて、ソファに腰かけながらこちらを見返しているダスクに目線を移す。つい先ほどまで読書で暇を潰していたのだろう。開いたままになっている本が所在なさげに膝に置かれている。


「…無茶をなさり過ぎです。おれにあれだけ血を輸血しておいて、ひと月も経たぬうちにさらに採血するなんて、正気の沙汰とは思えません」


 心底呆れかえって、ダスクは大きく息を吐く。

 自分の事は棚に上げているのだろうと、ダリウスは内心思ったが、あえて言葉には出さず苦笑する事でわずかにその意を含ませるに留めた。


「ずっとついててくださったのですか?」

「見張っていないと、この方は大人しくしてはくださらないでしょう。とりあえず鉄剤を飲ませましたが、当分の間は満足に動けないでしょうね」

「三日は安静にするよう、お伝えいたしましたが…」


 ダリウスの言にダスクはしばらく思案した後、小さく頷く。


「…そうですね、最低三日です。欲を言えば十日は安静にしていただきたい所ですが、おれと同じでじっとしてはくださらないでしょうね…」


(…一応、自覚されてはいるのか)


 諦めたように息を吐くダスクの言葉に、ダリウスは再び苦笑した。


「それにしてもずいぶん遅い帰りですね?」

「夕方にミルリミナ様をお送りした後、思うところがあり再び街に出ておりました」


 あの後ダリウスは侵入者を探しに街に出たが、結局見つからず徒労に終わった。撒かれたと気づいてすぐに身を引くその潔さが、いっそう底気味が悪い。


「…何かありましたか?」

「…いえ、この件は私だけで片づけます。実はこの件とは別に、ダスクさんにご相談したい事がありまして、探しておりました」


 言ってダリウスはユルングルを一瞥する。その様子に、ここでは都合が悪いのだと悟って、ダスクは静かにソファから立ち上がった。


「…行きましょう」


 ユルングルを起こさぬよう静かに告げて、ダスクは自分の部屋にダリウスを招き入れた。


「…聖女の力が、ユーリシア殿下にはなぜか反応しないようです」


 座るよう促されたソファに腰かけて、ダリウスは開口一番にそう告げる。その言葉に一瞬驚きはしたものの、ダスクはすぐに考え込むような仕草を見せた。


「……操魔によって制御できているというわけでないでしょう。ミルリミナの操魔の技術はそれほど高くはない。まだ足を支えるだけで精一杯です」


 ダスクの言葉に、ダリウスも頷く。何度か鍛錬に付き添ったが、最近になってようやく同調訓練から単独訓練に変わったばかりだ。それは歩行器が必要だった赤子が、ようやく自力で歩けるようになっただけに等しい。


「…帰り際、試しにミルリミナ様に触れようとしたのですが___」

「無茶な事を…っ!決して触れてはならないと言ったはずですよ!」


 珍しく声を荒げるダスクの表情は険しい。それほど危険な事なのだとダリウスは再認識し、神妙に頷く。


「…はい、触れる事はできませんでした」


 ただ近付けただけで、触れる前から身の内にある魔力がざわついたのを感じ、ダリウスは慌てて手を引いた事を言い添える。


 あの感じは、ひどく恐ろしい。まるで命そのものを吸い取られるような感覚だった。あの感覚を思い出すだけでも背筋に悪寒が走る。どれだけ危険な目に遭おうとも命の危機を感じた事がないダリウスだったが、あれは紛れもなく命を奪われる事への恐怖を感じたのだろう。


(なら、なぜユーリシア殿下には反応しない……?)


 自分にはこれほど顕著に反応を示した。あれほど膨大な魔力を有するのだから、自分以上に欲してやまないはずだろう。なのに聖女の力は沈黙を通した。それがひどく腑に落ちない。


「…判りました。それはおれの方で調べてみましょう」


 言って、紅茶を差し出すダスクにダリウスは謝意を伝えて頷く。


 魔力に関して熟知しているダスクならば、何かしらの情報が得られるだろう。結局のところ、最終的に頼るのはいつもダスクなのだと、ダリウスは申し訳なく思う。こうやって頼っても嫌な顔をしないものだから、また何かあれば頼ってしまう。子供の頃から何も変わっていない情けなさに、ダリウスは小さく息を吐いた。


 そんなダリウスの心情を悟ってか、ダスクは笑みを一つこぼす。


「人には得手不得手があります。おれが魔力に関する事を請け負う代わりに、貴方は片腕になったおれの世話を、文句一つこぼさず些末な事までしてくれるでしょう?適材適所ですよ」


 そうして自嘲気味に笑う。


「ですが、せめて服くらいは自分で着替えないと。貴方がいつも甘やかすものだから、なかなか上手くなれません」


 面映ゆい感じでそう告げるので、ダリウスは思わず失笑する。そうやって気持ちをほぐしてくれる心遣いが有難い。


「それよりも驚いたのは、貴方がユーリシア殿下を受け入れた事です。いつ知ったのです?」

「…街に滞在されている事を知ったのは、今日です。ダスクさんは、やはり気づいておられたのですね?」

「あれほどの魔力が動けば、否が応でも気付きます。…日中はキリさんの店にいるようですが?」

「…ええ、そこで働かれているそうですよ」


 答えながら、何でもお見通しなのだ、とダリウスは半ば呆れながら驚嘆する。


 ダスクは、この街の迷路のような複雑な道も特に意に介さないようだった。

 初めての往診の日、迷ってはいけないと気遣って同行したものの、何も助言する必要もなく迷いのない足取りで目的地にたどり着くので感服した事を覚えている。


 ダスク曰く、神官なら誰でもできるという話だったが、それが本当ならこれほど厄介な人種はいないだろう。


「…殿下らしいですね。彼はよく市井に下りていらっしゃいましたから」


 言って、視線をダリウスに移す。


「…どうでしたか?成長された殿下のお姿は?」

「……ずいぶんと、ご立派になられておいででした」


 返答しながら、途端に柔らかい表情に変わる。

 子供好きなダリウスの事、幼少の頃のユーリシアに思いを馳せているのだろう、とダスクは悟った。


「…感慨深いでしょう。……ですが同時に、ユルングル様に対して、ひどく後ろめたい気分なのではありませんか?」


 的を射られて、ダリウスは弾かれるようにダスクを見返す。


 以前はユーリシアに対する感情は、まだ希薄だった。それは幼い頃のユーリシアを彷彿して、わずかばかりの罪悪感が疼く程度だったが、こうして会った今その比ではない。そして成長したユーリシアに感慨深いものを感じれば感じるほど、ユルングルに対して申し訳なさと後ろめたさを感じずにはいられないのだ。


 眉根を寄せて押し黙るダリウスに、ダスクははつらつとした声を上げる。


「いっそのこと、二人を会わせてみましょうか?」

「……はい?」

「意外と上手くいくかもしれませんよ」


 破顔して告げるダスクに、ダリウスは絶句する。


「…い、いえ…っ!それは、あまりにも危険です…!一触即発は必至でしょう!刺し違えるやもしれません…!」

「おれにはおれの思惑があった事をお忘れですか?ダリウス殿下におかれましては、ご承知していただいたと存じ上げますが?」

「……そ、それは……」


 勢いに任せて立ち上がり青ざめた表情で訴えるダリウスを、ダスクはわずかに冷ややかな態度で応酬する。それでもなお、言い淀むダリウスに小さく息を吐いて、何やら考え込む仕草を見せた。


「………あ、あの…?」

「……ふむ、判りました。今のは冗談と受け取ってください」


 満面の笑みで告げるダスクを、ダリウスは内心狼狽しながら見つめる。こういう時のダスクの笑顔は信じてはならないと、長年の付き合いで心得ていた。


「……ダスクさん、何をなさるおつもりです……?」


 不安げな表情を向けるダリウスに、ダスクはひたすら満面の笑みをたたえる。


「言ったではありませんか、冗談だと。ユーリシア殿下とユルングル様を会わせるような事はしません。お約束いたしますよ」

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