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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編

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再会・後編

 キリの店までの道のりは、まるで迷路のようだった。


 少し開けた広場から裏道に入り、まるで木の枝のような分かれ道を何度も右に左に曲がった先に、ようやくキリの店はあった。ダリウスには通い慣れた道だろうが、おそらく自分一人では決してたどり着けないだろう、とユーリは思う。

 これほど複雑な場所に店を構えている理由は、リュシアの街にとって工房がいかに重要な拠点であるかを、まさに物語っているようだった。


「…こんにちは」

「…ああ!いらっしゃい、ユーリ」


 遠慮がちに店の扉を開けるユーリの姿を見止めたキリは、得心したように破顔する。そして同時に、ユーリの後ろに控えていたダリウスを見て、キリはひどく狼狽した。


「…あ、何か用かい?ダリウス。頼まれ物は昨日渡したはずだが……」


 あからさまに挙動不審になるキリに、ダリウスは軽く一礼する。


「ご安心ください。心得ておりますので」


 言われてキリは、ひと呼吸置いてから大仰にため息を吐く。肩を落としてひどく安堵する様は、彼の容姿を幾ばくか老けて見えるような印象を与えた。


 キリはわずかばかり間を置いてから、再びダリウスに視線を戻す。


「…ユルンはいいのかい?」


 少しうれわしげに聞いたのは、いつもユルングルを一番に考えるダリウスの心中をおもんばかっての事だろう。罪悪感に苛まれないかと言外に含んでいるのを感じて、ダリウスはただ頷く。大丈夫だと言葉で伝えなかったのは、心にわずかばかりの迷いがあるからだろう、とキリは悟ったが、あえて言葉にはしなかった。


「…そうか」


 短く返答して、キリは店の奥に声をかける。


「おーい!レオリア。待ちに待ったお客さんだよ」


 その言葉に慌てて店の奥から出てきたレオリアは、ユーリの姿を見つけるとひどく破顔して駆け寄ってきた。


「ユーリ!来てくれたのか!」


 勢いに任せてユーリを抱きしめる。ユーリは顔が紅潮していくのが判ったが、何とか平静を装った。


「しばらくは会えないと思っていた!モニタが口を利いてくれたのか?」

「あ…は、はい…。そうです…」


 紅潮した顔を悟られまいと、うつむきながら何とかそれを告げるだけでユーリは精一杯だった。

 まさかこれほど全身で喜んでくれるとは、と高鳴る胸を抑えてユーリは思う。何よりミルリミナの時でも、これほど近付いた事はない。なかっただけに、この距離感はユーリにはあまりに刺激が強かった。胸の高鳴りがレオリアに悟られるのでは、とユーリは内心狼狽し、それすらも悟られないかとハラハラした。


 そんな二人を訝しげに見つめるダリウスの視線に、レオリアは気付く。


「…彼は?」


 波が引くように、レオリアの表情から笑顔が消える。なぜかひどく警戒しているように、ユーリには映った。


「…僕の世話をしてくださっている方です」

「…ダリウスと申します」


 短く言って、ダリウスは軽く一礼する。自分の言動があまりに折り目正しすぎる事を、とりあえずは自覚しているので、挨拶するに留めた。


「ユーリ。私は用事を済ませてきます。また迎えに来ますので、ここで待っていてください」

「あ、はい!」


 それだけ告げると、ダリウスは踵を返し扉に手をかける。

 店から出る瞬間、視界の端で捉えたレオリアの姿は、まるで自分からユーリを庇護するように前に立ち、警戒心を露わにしているように見えた。


「……レオリアさん…?」


 ダリウスが出て行った扉をめつけるように見つめたまま動かないレオリアに、ユーリはおずおずと声をかける。その声に反応してレオリアは小さく息を吐いた後、なぜだかひどく申し訳なさそうな笑顔でユーリの顔を見返した。


「…キリさん。店の裏を使っても?」

「二階でも構わんよ」

「いえ、外の方が涼しいですから。行こう、ユーリ」


 キリに了承を得て、レオリアはユーリを店の裏へと促す。

 周りの建物に囲まれた小さな一角に、所狭しと大小さまざまな木箱が置かれている雑然とした場所だった。レオリアはそのうちの手頃な木箱に座るよう促して、自身も腰かけた。


「すまない、散らかっているだろう?今、倉庫の整理をしているところなんだ」


 告げるレオリアの顔は、よく見ると埃を被っている。顔だけでなく服も煤だらけで、ユーリが来る直前まで作業をしていた事が見て取れた。


「レオリアさんが倉庫の整理を?」


 驚いて思わずそう訊き返した事をユーリは後悔したが、レオリアは特に気にする様子もなかったので安堵する。


「力仕事は得意なんだ」


 そう屈託なく笑って答えた後、レオリアはおもむろにユーリの足に目線を移した。


「…その足、まさかとは思うがさっきの男にやられてはいないか?」


 思いがけない言葉に、ユーリは目を瞬く。


「もしそうなら____」

「違います!ダリウスさんはそんな方ではありません!寡黙な方ですが、穏やかで優しい方です、撤回してください!」


 レオリアの言葉を遮り、ユーリは思わず声を荒げる。よりにもよってダリウスに対するこの誤解だけは、どうしても許容できなかった。

 確かに寡黙ゆえに誤解されがちだろう。だが人一倍気を遣うその人柄を、ユーリは知っている。今もこうやって、ユーリを気遣って街まで送ってくれた。一番大切であろうユルングルを欺いてまで。


 相手がユーリシアでも、いや、ユーリシアだからこそ、その誤解を抱いてほしくはなかったのだ。


 ひどい剣幕でまくしたてるユーリを見て、レオリアは安堵したように息を吐き、破顔する。


「…ああ、そうか。よかった…。君がそこまで怒るのだから誠実な人物なのだろう。侮辱してすまなかった。彼が戻ってきたら詫びよう」


 レオリアのその様子に、ユーリは先ほどの態度の意味を悟った。


「…僕を、気遣ってくれたんですか?」

「邪推だったようだがな。…高魔力者を見ると、偏見の目で見てしまうのは悪い癖だ」

「ご自身も高魔力者なのに?」

「違いない」


 言われてレオリアは声を上げて笑う。


 レオリアでいる時のユーリシアは、ミルリミナが知っているユーリシアとは、また違う顔を見せる、とユーリは思う。それは女であるミルリミナの前では見せない、そして皇太子である時もまた見せない顔だろう。何の肩書もない、ただのレオリアとして振る舞う自由な姿は、おそらくユーリシアの本質そのものなのかもしれない。


 ユーリはそんなレオリアの隣が、妙に居心地が良かった。ユーリシアとミルリミナの時にはできなかった、お互いの素直な感情を気兼ねなく見せる事の出来る関係が、ひどく好ましい。

 ミルリミナである事を隠している罪悪感は多少なりともあるものの、そこには確かに気安い関係が築かれつつあったのだ。


 ひとしきり笑いあった後、ユーリはふとレオリアの視線が自分に向けられていると事に気付く。


「あ、あの…何か顔についていますか…?」


 膝に肘をついて露骨にユーリを見つめるので、ひどく居心地が悪い。目線をどこに向けたらいいのか判らず、ユーリは面映ゆい気持ちで目線を下げた。


「…いや、やはり似ているなと思って」

「…似ている?僕が、ですか?誰にです?」


 問われてレオリアは、ユーリにも判るくらいおもむろに穏やかな表情に変わった。


「…俺の、大事な人」


 慈しむように答えたその声音に、ユーリは一瞬どきりとする。


「…その目まぐるしく変わる表情も、すぐ顔を赤らめるところも、それから、その強い眼差しも」

「………え?」


 怪訝そうに見返すユーリに、レオリアは微笑を浮かべる。


「…彼女は信念のある女性でね。君のように困っている人間を見ると助けずにはいられないし、見て見ぬ振りもできないんだろう。その為なら、たとえ自分に害が及んでも甘んじて受け入れる、そういう気概のある女性なんだ。…そういう時の彼女の眼差しが、君に似ている」


 一体誰の話をしているのだろう、とユーリは怪訝に思う。

 何だかレオリアの話す人物像が自分とかけ離れているようで、ひどく不安に駆られた。


「…昔こんな事があったそうだ。低魔力者の女性が数人の高魔力者に虐げられていてね。周りの人間はそれを遠巻きで見るだけで誰も助けようとしなかったらしいが、彼女は躊躇う事なく嘲笑の輪に入ってその女性に手を差し伸べたらしい。…その後、彼女はどうしたと思う?」


 突然問われ、ユーリは答えに困って口を噤む。

 これはいつの話だろうか。ミルリミナにとって日常茶飯事の出来事だったので、いつの話なのか判断が難しい。あるいは自分の話ではないのかもしれない。


 困惑するユーリに笑みを一つこぼして、レオリアは言葉を続けた。


「相手を盛大に転ばせてワインをふっかけたそうだ。勇ましい女性だろう?」


 言って、レオリアは声を上げて笑う。そうしてようやく何の話をしているのかをユーリは悟って、赤面した。


「…あ、あの……ちなみにその話は、どなたから……?」

「彼女のお父上からだ」


(お父様ったら…っ)


 何とも形容しがたい恥ずかしさが込み上げてくる。彼女を助けた事に後悔はないが、自分でもやり過ぎたと自覚はある。あるだけに、その話を持ち出されると、何とも言い難い自責の念にわずかばかり襲われるのだ。


 そんなユーリを見て取って、レオリアは小さく微笑む。


「君も妙な奴だな。まるで自分の話をされて恥ずかしがっているみたいだ」


 的を射られて、内心ぎくりとする。


「……何だか、自分の事を言われているみたいで…」

「経験があるのか?」

「……似たような事なら」

「君も大概、向こう見ずだな」


 レオリアはくすくすと軽く笑う。そうして、柔らかい視線をユーリに向けた。


「…だからだろうな、本当によく似ている。…まるで彼女が隣にいてくれているみたいだ」


 おそらくその視線の向こう側に、ミルリミナの姿を重ねて見ているのだろう。愛おしそうに、だけどもひどく寂しそうなその笑顔に、ユーリは胸が痛んだ。


 自分がミルリミナだと告げられない事が、ひどくもどかしい。これほど自分を求めてくれているのに、それをとても嬉しいと感じているのに、そう思わせてくれる彼は誰よりも辛そうだった。そんな彼の隣にミルリミナとして傍にいられない事が、何よりも悔しい。そしてそう思えば思うほど、自分はミルリミナだと告げてしまいそうになる衝動を、ユーリは口を噤む事でなんとか抑えるので精一杯だった。


 わずかに流れた静寂に、レオリアの静かな声がかそけく響く。


「……だけども、君は彼女じゃない」


 呟くように告げたその言葉は、風の音で消え入りそうなほど弱々しい。


「どれほど似ていても、君は彼女じゃないんだ…」


 まるで自分に噛んで言い含めるように、レオリアは言葉を重ねる。その様があまりに弱々しく、まるで迷子になった子供のように心細そうなレオリアの姿を、ユーリはただ見つめる事しかできなかった。


 ひと呼吸おいて、レオリアはおもむろにユーリに視線を向ける。


「ユーリ。俺は彼女を探している」

「……え?」

「俺の前から彼女がいなくなった。もう二十日経つ」


 『攫われた』ではなく『いなくなった』と表現したのは、ユーリがリュシテアの人間である可能性と、もしくは親しい友人にリュシテアの人間がいる事を配慮しての事だろう。


「彼女はこの街のどこかにいる。そこまでは突き止めたが街中探しても見当たらない。…なら、どこにいるかは判るだろう?」


 レオリアの顔は自然と険しいものになった。真っすぐに、ユーリの瞳を見据える。


「頼む、ユーリ。遁甲を越える方法を教えてほしい。彼女は遁甲の向こう側にいる」


 強い眼差しでユーリを見据えるレオリアに、先ほどの弱々しさはない。ただひたすら、覚悟を決めた人間が放つ強い光だけが、その瞳にはあった。


 ユーリは一瞬たじろいで目線を逃がそうとしたが、レオリアはそれを許さなかった。


「ユーリ!…頼む……っ!」


 懇願するレオリアの顔は、なおいっそう力強かった。


**


 キリの店を後にしたダリウスは、特に目的もなく街を散策していた。


 ユルングルの事が心配ではあったが、ミルリミナを置いて帰っては不審に思われるだろう。かと言って行く当てもなく、ダリウスは途方に暮れて、ただ街を散策していた。


 その道中、ダリウスはミルリミナに触れるユーリシアを思い出す。


 高魔力者は、聖女に魔力を吸われるのではなかっただろうか。だからこそ、自分はできるだけミルリミナに触れないよう意識していた。

 だが、誰よりも魔力を有しているユーリシアには、その力が発動する気配はなかった。それはミルリミナが操魔で制御ができているためか、もしくは別の要因によるものか、ダリウスには判断がつかなかったし、ミルリミナにもおそらく判らないのだろうと思う。だからこそ、昨日ダスクに相談を持ち掛けようとしたのではないかと、ダリウスは思った。


 そんな事を考えていたからだろうか。曲がり角から駆けて来る幼子に気付かず、ダリウスは足に小さな衝突を感じて、ようやく我に返った。


「…ああ、すみません。怪我はありませんか?」


 慌てて転んだ幼子を抱き起したが、尻もちをついた事に驚いたのだろう。怪我はなさそうだがひどく泣きじゃくるので、ダリウスは幼子を優しく抱きかかえた。


「驚いたでしょう。よそ見をしていた私が悪かったですね。申し訳ありません」


 穏やかに笑って、幼子の涙を優しく拭う。その様子に安堵したのか、幼子はすぐに泣き止んで、自分の頬に触れるダリウスの手を握った。その小さな手が、遠い昔に見た手と重なる。


 ユーリシアを最後に見たのはいつだっただろうか。自分の手を小さいながらも力強く握ったあの幼い手は、今やミルリミナを、ひいてはこの国を守る力強い手に成長していた。


(…ずいぶんとご立派になられた)


 遠巻きに何度かユーリシアを見た事はあったが、その容姿までは判別ができなかった。あれほど近い距離で見たユーリシアの顔は、思った以上に精悍で頼もしい顔つきに変わっている。その成長が嬉しく、感慨深い。


「…ああ、ダリウスさん!ごめんなさい!」


 幼子の母親らしい女性から声をかけられて、ダリウスは遠い昔に回顧していた意識を慌てて今に戻した。


「…いえ、こちらが悪いのです」


 言って、幼子を母親に返してやる。母親は謝意を伝えて何度も頭を下げ、抱きかかえられたままの幼子は姿が見えなくなるまで手を振るので、ダリウスもならって手を振り続けた。


「…相変わらず、子供の扱いが上手いねぇ」


 ようやく幼子の姿が見えなくなったところで、聞き覚えのある声が後ろから響く。振り向くと、腰の曲がった老婆が呆れたような顔でダリウスを見ていた。


「ミーナ様。見ていらしたのですか?」


 ミーナ、と呼ばれた老婆の髪は明るい。ダリウスよりも少し暗い金髪で、昔からフェリダンを嫌ってこのリュシアの街に住み続けている、変わり者の老婆だった。


「…子供は聡い。人間の良し悪しを見るには子供が一番さね」

「そんなにいいものではございません。ただ子供の扱いに慣れているだけです」

「お前さんは相変わらず殊勝だねぇ。褒められた時くらい素直に受け取ったらどうだい?」

「…恐れ入ります」


 ダリウスは苦笑しながら、軽くこうべを垂れる。


「…それにしても随分と深く考え事をしているようだね。…お前さんの後を誰かがずっとけてる事にも気づかないくらい」

「!」


 言われてダリウスは慌てて辺りを窺った。文字通り辺りを見渡したのではなく、気配を探ったのだ。


「…あんたをジーっと見つめてる。目的はユルンじゃなくあんただろうさ」


 ダリウスは頷く。

 確かに、ひどく纏わりつくような視線を感じる。髪色が目立つので、ユルングルの客もまずはダリウスを狙うが、これは明らかにダリウスの客だろう。


 これほどあからさまな視線を見過ごしていた事に、ダリウスは心底自分に呆れかえった。


「ご助言、感謝いたします」

「どうするつもりだい?おびき寄せて片付けるかい?」

「…いえ、ミルリミナ様もご同行されております。今はひとまずいて、早々に遁甲に戻る方がいいでしょう」


 遁甲に入れば、少なくともミルリミナの安全は保たれる。元凶を断つよりも、まずは安全を確保するのがダリウスのやり方だった。


「…そうかい。気を付けな」


 老婆に謝意を伝えて、足早にその場を去る。


 今、ミルリミナが狙われる事はないだろう。あのユーリシアの傍なら誰よりも安全だ。ならば、しばらく街を彷徨って尾行を撒けばいい。そう思いながらも、ダリウスは何やら腑に落ちない感じが不快だった。


 確かに纏わりつくような視線を感じるが、この視線に敵意を感じない。敵意を感じないのに、おびき寄せようと思っても何故か近づいてはこなかった。それがひどく底気味が悪い。


 こういう場合、相手の目的が他にある事をダリウスは知っていた。


(…私の生活圏を探っているのか)


 言い換えれば、棲み処を探しているのだ。

 ダリウスは得心し、通い慣れたリュシアの街を見つめる。


 この街は尾行を撒くには丁度いい。裏道が無数にあり、通い慣れなければこの街に住む者でさえ迷う事がある。そういう街に作り替えた。


 ダリウスは誰にともなく頷いて、足早に歩を進めた。

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