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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編
32/144

再会・前編

「ユーリシア殿下が、まだリュシアの街にご滞在されているのですか…!?」


 思わずミルリミナがそう声を上げたのは、工房の隅でモニタに事のあらましを説明された時だった。


 ミルリミナがリュシアの街に赴いてからの二日間、工房でモニタの姿が見当たらなかった事に、ミルリミナはひどく後ろめたさを感じていた。不用意にユーリシアの事を任せてしまった事で、モニタに何かしら面倒をかけてしまったのかもしれない。ずっとそう憂慮していたが、ユルングルの目があったため大っぴらに誰かに聞く事もできず、かと言って一人でリュシアの街に出る事も叶わなかった。

 何も伝えず遁甲を出れば無用な心配をかけるだろうし、かと言ってユルングルに街に行くと伝えれば、必ずついてくると答えただろう。


 どうにもできなくて昨日ダスクに相談しようと診療所を訪れたが、あいにくの不在でそれすらも叶わなかった。夕刻までには帰るだろう、というダリウスの予想は見事に外れ、結局ダスクへの相談は宙に浮いたまま翌朝ようやくモニタの姿を見つけて、今に至るのだ。


 モニタは声を上げるミルリミナの口元を慌てて抑え、人差し指を立てる。


「しーっ!ユルンに聞かれたら事だわ」


 周囲に視線を送りながら声を潜めるモニタに、ミルリミナも慌てて周りを確認する。

 軽く汗ばんだのは、夏の日差しの為だろうか。それともユルングルが聞いていたら、という焦りの為だろうか。


「…ごめんなさい。それで殿下は____」

「レオリアよ。ここでは彼の事をそう呼びましょう」


 モニタの提案に、ミルリミナは頷く。


「…レオリアさんは今どこに?」

「キリの店で働いてるわ」

「!……働かれているんですか?」


 思いがけない言葉にミルリミナは目を丸くした。

 仮にも皇太子が店で働いているなど、おそらく誰も想像すらしないだろう。

 いい擬装だとは思う。思うが、皇太子として堂々たる振る舞いを見せるユーリシアを知っているだけに、ミルリミナですらその姿を想像しようにもひどく難しい。


 困惑と同時に、一度は見てみたいと言う好奇心が沸き起こるのは仕方のない事だろうか、とミルリミナは心中で言い訳してみる。


「あのラヴィって従者は優秀ね。どこからかキリに店の情報を得て、働く算段までつけたんだから。部屋は私の部屋の下を使ってもらってるわ。近くにいてくれた方が何かと安心だから」


 言われてミルリミナはさらに申し訳ない気持ちになる。

 あの時モニタに任せてしまった所為で、ユーリシアの世話を丸ごと押し付けた形になってしまった。この二日間、欠かさず顔を出していた工房に来る事ができなかったのも、間違いなくユーリシアの事があったからだろう。本来なら自分がして然るべきものを、モニタに代行させてしまった事に、ミルリミナはどうしようもなく罪悪感を抱かずにはいられなかった。


「…ごめんなさい、モニタさん。ご迷惑をおかけしてしまって……」

「あら、どうしてミルが謝るのよ。あなたは何も悪くないでしょ?」


 大した事ではないと言わんばかりに、モニタは声を上げて笑う。その心遣いが嬉しい。


「そんな事よりも彼、ずいぶんユーリの事が気に入ったようね。工房に住んでいてあまり街には出てこないって伝えたんだけど、工房に住んでるならいつかキリの店に顔を出すだろうって、ひたすら待つつもりみたいよ」

「……え?」

「ユルンに外出許可をもらうのは骨だろうけど、会いに行ってあげなさいな。…ミルも会いたいんでしょ?」


 その問いに、ミルリミナは自分でも頬が紅潮していくのが判って、思わず手で頬を隠す。


 だが妙に複雑な気分だ、とミルリミナは思う。

 モニタが言うようにユーリシアに会いたいし、ユーリシアが会いたがってくれているのも嬉しい。だが、ユーリシアがその感情を向けている相手はミルリミナではなく、ユーリという少年だ。ユーリと会う事を希望し、そして会ったところで彼は決してそれをミルリミナとは認識してはくれない。その事実が、幾ばくかの寂寞感せきばくかんを抱かせるから、素直には喜べなかった。


 そんなミルリミナの内心を悟ったのだろう。モニタは軽くミルリミナの背中を叩く。


「いいじゃない、ユーリでも。彼に会える事に違いはないわ。いつかミルとして彼に会える時が、必ず来るわよ。ね?」


**


 モニタに促されて工房から帰ったミルリミナは、早速ユルングルに街に出る許可を貰おうと、彼の部屋に向かっていた。


 ユルングルの部屋は四階の、階段から数えて二つ目の部屋だ。そのさらに隣にダリウスとダスクの部屋が続いている。ダスクの部屋が一階から四階に移される際、ミルリミナの部屋も同じく三階に移された。それはもともと足が不自由だった事への配慮だったが、今はその必要がなくなった事と、何よりダスクの部屋だった場所が診療所に成り代わったため、不特定多数の人間が一階を出入りする事を鑑みて移されたのだろうと、理解している。


 階段を上がり、ミルリミナはユルングルの部屋を見取って足を止める。扉を叩こうとして、その手が一瞬、逡巡した。


 正直ユルングルが二つ返事で色よい返事をしてくれるとは思えない。

 別に『リュシテア』の捕虜になったわけでもなかったし、自由にしてもいいと言われたが、遁甲の外に出る事だけは別なようだった。それは聖女ミルリミナの存在が外部に知られる事を警戒しての事だったが、それよりも重きを置いていたのはミルリミナの身の安全なのだろうと、他ならぬミルリミナ自身が承知していた。

 それが判るだけに、あまり強く要望するのもはばかられたのだ。


 ひと呼吸おいて、ミルリミナは意を決してように扉を叩く。意を決したはずなのにひどく遠慮がちになった事に、ミルリミナは内心まだ迷いがあるのだと悟った。


「どうぞ」


 そう返ってきた声は、なぜか部屋の主のものではなかった。怪訝に思いながら、ミルリミナは遠慮がちに扉を開けてみる。


「……ユルンさん?」


 そう言って開いた扉の向こうには、ベッドで横になっているユルングルと、その傍に立っているダリウスの姿があった。一瞬、ユルングルが体調を崩したのかと憂慮したが、ダリウスの手に採血の一式があった事を見咎めて、何をしていたかをすぐに悟る。


「……採血、していたんですか?」

「……ああ、…もう在庫がなかったからな……。少しでも残しておいた方が、安心できる……」


 そう答えるユルングルの顔色は、青白い。

 そうしてダスクの為に採血をして倒れてから、まだ二十日も経っていない事に思い至って、ミルリミナは一度撫で下ろした胸に、再び憂慮の念を抱く事になった。


「いつも、こんな短期間で採血を行ってるんですか?」


 医学の心得が皆無に近いミルリミナでも、これほどの短期間で血を抜く事が普通でない事は判る。何より今のユルングルの状態を見れば、決して身体を慮った行為でない事は火を見るよりも明らかだった。


 つい責めるような口調で問いただしたミルリミナに、軽く息を吐いて答えたのはダリウスだった。


「このような危険な事、普段は決していたしません」

「では……?」

「…三日ほど前にキリさんが、怪我をした幼子をダスクさんの元に運んできました。幸いその子供は輸血が必要という事はございませんでしたが、肋骨が三本も骨折している状態でした。折れた肋骨が内臓を傷つけていれば、間違いなく輸血が必要でしたでしょう」


 ミルリミナは、はっとした。その子供に心当たりがあったからだ。

 三日前リュシアの街で、他ならぬミルリミナが庇ったあの子供だった。


「……判るか、ミルリミナ……。…リュシアの街ですら、安全じゃない……。…連中は…女だろうが、子供だろうが…容赦はしないんだ……」

「……知っています。…彼らは平気で人を傷つける。たとえ自分が傷ついても、決して己の行いを改める事はしない……」


 それは皇宮内でも嫌と言うほど見てきた光景だ。

 遠い昔、一人の低魔力者の令嬢を囲って皆が嘲笑していた光景を思い出す。あの時ミルリミナがワインをかけた令嬢は、その後もやはり低魔力者を侮蔑する事をやめなかった。


 ミルリミナの言葉に、ユルングルは力なく頷く。


「…いつまた血が必要になるか判らない……。そしてそれが日常的に起こるんだ……わずかでも、俺の血液があれば…助かるだろう……」


 横になったまま、そう告げるユルングルの声は弱々しい。話す事がことさら億劫そうだった。


「だからと言って、無理に採血されて貴方がお倒れになっては意味がないのですよ。ユルングル様がどうしてもとおっしゃるので最低限使えるだけの量は採りましたが、こんな無茶は今回限りです。よろしいですね?」


 珍しく強い口調で、ダリウスはユルングルをたしなめる。

 焦燥感に駆られての行動なのだろうとミルリミナは理解したが、例えそれが善意に基づく行動であっても、決して褒められる行為ではないはずだ。

 弱ったユルングルを心配するダリウスの気持ちが、ミルリミナには痛いほど理解できた。


「……判ったから、そう怒るな……。…今日一日は安静にする……約束する…」

「三日間です。最低でも三日は安静になさってください」

「……判った、判った………」


 ユルングルは不承不承といった感じでため息を落とす。そして扉の前で立ったままになっているミルリミナに視線を向けた。


「……で?…俺に、何か用があったんじゃないのか……?」


 問われてミルリミナは逡巡した。


 この話題を先に振られて、街に出る許可が貰えるとは到底思えなかった。何より、やり方は間違っているとはいえ、この街の住人の為に心を砕いているユルングルを見ていると、ユーリシアに会いたいという個人的な恋慕の情に振り回されている自分が情けなく矮小に思えて、なおさら切り出す事ができなかった。


「あ…いえ。大した用ではないんです。また今度にしますね」


 そう言って、そそくさと部屋を出ようとしたミルリミナの背に、ダリウスの声が響く。


「ユルングル様。この後街に出る用事があるのですが、ミルリミナ様をお連れしてもよろしいですか?」


 ミルリミナは目を瞬いて、ダリウスを振り返った。


「……ミルリミナを…?」

「ずっと遁甲の中だけでは息が詰まるでしょう。モニタから前回、街に出た時とても楽しそうだったと報告を受けております。私が一緒なら問題はないと存じますが」


 淡々と告げるダリウスの言を、ユルングルは吟味しているようにしばらく考えたのち、小さく頷いた。


「…判った…。…お前が一緒なら、心配はないだろう……。…ミルリミナ、楽しんで来い……」


 そう言ってユルングルは弱々しく笑う。

 そんなユルングルの姿を、ひどく裏切っているような気分で視界に入れて、ミルリミナは胸が疼くの感じた。いつもは皮肉ばかりいう癖に、こういう時に限って素直に笑顔を見せて優しい言葉をかけてくれる。それがいっそう罪悪感を掻き立てて、いたたまれなくなるのだ。


 ミルリミナはそんな複雑な心中を悟られまいと、必死に平静を装いながら笑顔で謝意を伝えて、準備のために部屋を後にした。


「では、行ってまいります。ユルングル様の事はダスクさんに一任しておりますので、しばらくすればこちらにいらっしゃるでしょう」

「……余計な事を…。……子供じゃないんだ…一人でも、問題ない………」

「そう言ってすぐ無茶をなさるでしょう?監視だと思って諦めてください」


 弱々しいながらも眉根を寄せるユルングルを見てダリウスは笑い交じりにそう告げると、ミルリミナの待つ外へと足早に向かった。



「差し出た事をしてしまいましたか?」


 ずっと浮かない顔をしているミルリミナに、ダリウスは申し訳なさそうに声をかける。遁甲を出てからずっと押し黙っていた事に気付いて、少年の姿をしているミルリミナは慌てて首を横に振った。


「いえ!違うんです!…とても助かりましたし、嬉しかったのですけれど、素直に喜べなくて……」


 言葉尻を濁す少年に、ダリウスは視線で先を促す。


「…ユルンさんは、いつも人の為に自分を犠牲にするんですね」

「…そうですね。ダスクさんもです。あのお二人は、いつも他人の為に奔走なさる」


 ダリウスの言葉に、ミルリミナは頷く。


「…なのに私はそんなユルンさんを騙すんです。騙して、嘘をついて、ユルンさんが何よりも憎んでいる相手に、会いに行こうとしている。会いたいのは事実だし、会いに行けるのはとても嬉しいんです。でも、騙しているのにあんなふうに笑顔で優しい言葉をかけられたら、罪悪感ばかりが先に立って、素直に喜べないんです」


 うなだれて告げるミルリミナの様子に、ダリウスは小さく笑みを向ける。

 自分に対して嘘偽りのない言葉で本音をこぼしてくれるのが、素直に嬉しく好ましい。何より己の主をこうやっておもんばかってくれる心根が、非常に有難かった。


「……あの方は、いつもそうなのですよ」

「……そう?」

「いつもはこちらがうんざりするくらい察しがいいのに、こちらが罪悪感を抱いているときに限って、それが発揮されないのです。ああやって優しいお言葉をかけてくださるから、余計、罪悪感を抱いてしまう。時々、罪悪感を駆り立てる為にわざとされているのかと勘繰ってしまう時もございます。…だとすれば、あの方らしいでしょう?」

「え……?」


 ミルリミナは一瞬、ぎくりとする。それを受けて、ダリウスは軽く笑いを含みながら言葉を続けた。


「ご心配なく。あの方はそれほど器用ではありません。あれは紛れもなくユルングル様の本心です。ですからどうぞ素直に受け取ってあげてください。騙された上に、せっかく快く見送ったのにそのお心を無下にされては、あんまりでしょう?」


 やんわり告げるダリウスの気遣いが嬉しい。それはミルリミナだけでなくユルングルに対する気遣いも見て取れて、気を遣いすぎると評されたダリウスらしい、とミルリミナは思った。


 吹っ切れたように破顔するミルリミナを見て取って、ダリウスも同じく笑顔を返す。

 そして何やら妙に懐かしさを彷彿させる少年に、ダリウスは静かに問いかけた。


「…それで、私は今の貴女を何とお呼びすればよろしいですか?」


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