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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編
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クラレンス家とフォーレンス家

 ラヴィの生家であるクラレンス家は、代々世継ぎである皇太子の補佐官を務める、由緒正しい家柄だった。


 爵位こそ伯爵だが、皇太子の側近として仕えるので、その存在は侯爵家よりも重いとされている。にもかかわらず、爵位が伯爵止まりなのは一つの家に権力を与え過ぎないようにという配慮なのだろう。『伯爵位だが伯爵ではない』と言われる二家の一角だった。


 そのもう一角をなすのが、クラレンス家の本家筋にあたるフォーレンス家だ。代々、第一位皇位継承権を持つ皇太子にはフォーレンス家を、第二位皇位継承権を持つ皇子にはクラレンス家を補佐官として就けるのが習わしだったが、フォーレンス家には現在、嫡子ちゃくしがいない事から、クラレンス家の嫡子であるラヴィが代行するという経緯いきさつがあった。


 だが過去において、フォーレンス家に嫡子がいなかったわけではない。ラヴィは当時まだ幼かったが、子息が二人いたと記憶している。


(…ああ、確かに、こんなお顔をされていたな…)


 ラヴィはフォーレンス家の広間に飾られた家族の肖像画を眺めながら、うろ覚えだった記憶の糸を手繰り寄せる。九つ離れたフォーレンス家の長男は、幼いラヴィが憧憬の念を抱く相手でもあった。


「…貴方もよく懐いていたわね」


 突然後ろから声をかけられて、ラヴィは過去の記憶へと飛んでいた意識を慌ててこちらに引き戻した。


「ご無沙汰してしまい申し訳ございません。リアーナ様」

「いいのよ。貴方はユーリシア殿下の補佐官だもの。お忙しいでしょう?」


 軽くこうべを垂れるラヴィに、リアーナは柔らかい笑みを向ける。


 リアーナはフォーレンス伯爵夫人で、現皇王の妹にあたる人物だ。つまり、ユーリシアの叔母にあたる。

 降嫁こうかしてフォーレンス家に嫁いだのだが、美しく聡明で慈悲深いリアーナは民からの信頼も厚く、惜しまれての降嫁だったとラヴィは聞いた事があった。年はすでに50を越えているが、その品格は衰えることなく、リアーナの中に確固たるものとして存在している。


「実はそのユーリシア殿下がお体を壊し、ひと月ほど休養なさる旨をご報告に参ったのです」

「まぁ!ユーリシア殿下が?ご容態はいかがなのですか?」

「大事ございません。ですが念の為ご休養を、という事で陛下に願い出たのです」

「…そう、そうなのね…。よかったわ」


 ほっと胸を撫で下ろす様は、心底ユーリシアの体を心配しているのがよく判った。


 ユーリシアの母、つまり皇妃はもうこの世にはいない。ユーリシアがまだ幼い頃に病で崩御し、それからはリアーナが母代わりとしてよくユーリシアの面倒を見ていた事を、ラヴィは覚えている。

 息子のように育てた事もあって、リアーナは今でも甥のユーリシアの事が可愛いようだ。あくまでフォーレンス家の代行としてユーリシアの補佐官に就いているため、定期的な報告が義務付けられていたが、フォーレンス家に訪れるたび決まってリアーナはユーリシアの話を催促した。

 ユーリシアの話を一喜一憂しながら聞くリアーナの姿は、ラヴィにとって非常に好ましく映った事は言うまでもない。


 そんなリアーナに偽りの報告を上げる事に、幾ばくかの罪悪感が疼く。


「ご自愛ください、と殿下にお伝えしてね」


 心配そうに告げるリアーナに、ラヴィは、承知いたしました、とこうべを垂れた。


「お時間はあるかしら?お茶でもいかが?」

「…ぜひ」


 微笑を返して、広間から客間に通される直前、ラヴィは無意識にまた肖像画を視界に入れる。そんなラヴィの様子に気付いたリアーナは、客間のソファに座るよう促しながら、声をかけた。


「…今日はずいぶんとあの肖像画に興味がおありなのね?」

「…懐かしく、見ておりました」

「…もう十六年だものね」


 感慨深げに声を落としながら、リアーナは淹れた紅茶をラヴィの前に差し出す。


「まだ覚えてくれているのね、あの子たちの事を」

「…正直、令弟れいてい殿下の事はあまり覚えてはおりません。ご病弱で部屋からお出になる事はあまりございませんでしたし、5歳という幼さで薨去こうきょされましたから」


 フォーレンス家の子息には『殿下』の敬称がつけられる。それは例え降嫁したとはいえ、まぎれもなく皇族の血が流れているからだ。存命していれば皇位継承権第三位の皇子となっていただろう。だが、そうなる前に彼はわずか5歳で薨逝こうせいした。


 病弱であったのは、彼が低魔力者であった事に他ならない。髪の色は闇を思わせる黒。無魔力者であったミルリミナよりも若干明るい印象だが、それでも黒には違いない。それを思えば、有する魔力の量はたかが知れているだろう。


 生まれた時からひどく病弱で、何度も倒れては死線をさまよったと聞いている。そして、とうとう5歳という若さでその命が尽きたのだ。


 ラヴィよりも二つ年下の彼に、ラヴィは二、三度拝謁した覚えがあった。


 ひどく頼りなげで引っ込み思案だった彼は、十一も離れた実兄を慕って片時も離れたがらなかった。そんな弟を兄もまた可愛がり、甲斐甲斐しく世話をしている、そんな仲のいい兄弟だった。


「…ですが、令兄れいけい殿下の事はよく覚えております。私にも大変良くしていただきましたから」


 寡黙な人物だったと、ラヴィは記憶している。

 本人曰く口下手だったためか、あまり話をしない印象が強いが、周りによく気を遣う穏やかな人物だった。


「貴方はよく、あの子について回っていたものね」

「…お恥ずかしい限りです」


 くすくすと笑うリアーナに、ラヴィは恥じ入って面映ゆい表情を見せる。


 彼はとにかく何でも器用にこなす人物だった。文武両道で寡黙でありながら礼節正しく、その姿はまさに模範とすべき皇族の姿そのものだった。そんな彼を、幼いラヴィが尊敬の意をもって慕うのは自明の理だったのかもしれない。


 病弱な弟を溺愛する姿に少なからず悋気りんきを起こした事を思い出し、ラヴィは心中で自嘲した。


「…令兄殿下からその後、音沙汰は……?」


 遠慮気味に訊いたその質問に、リアーナは少し寂しげに、言葉もなくただかぶりを振る。


 彼が消息を絶ったのは十六年前。彼が19、そしてラヴィが10の頃だった。溺愛していた弟が薨逝し、日に日にふさぎ込むようになったと、ラヴィは人伝ひとづてに聞いた覚えがある。それは彼の置かれている立場がひどく複雑だった事も、おそらく関係していたのだろう。


 彼は皇位継承権第二位の皇子だ。同時に皇太子の補佐官に就くべき立場でもある。だが仮にも皇位継承権第二位である皇子に補佐官を務めさせるべきか否か、そんな議論が貴族たちの間で飛び交うようになった。それはあまりに不敬ではないか、という意見と、フォーレンス家の立場を重視すべし、という意見で真っ向からぶつかり、挙句の果てには継承権を剝奪すべしという声まで出てきた。結果、彼は自ら皇位継承権を放棄したのだ。


 その心中はいかばかりか、今ではもう想像するしかない。最愛の弟を失い、皇位継承権まで奪われ、彼は心の支えを失ったのかもしれない。あるいは、しがらみが全てなくなった事で、今まで張りつめていた糸が切れたのかもしれなかった。どちらにせよ、彼は自らを消すという選択をしたのだ。


 それは弟が薨去した三年後のこと。次第に足遠くなっていた屋敷から忽然と姿を消した。

 皇位継承権を放棄したとはいえ、皇族であった彼の失踪は多くの貴族に衝撃を与えた。大規模な捜索も行われたそうだが、その消息は杳として知れなかったと、ラヴィは他ならぬリアーナから聞いた事を、今でも覚えている。


「…今ではもう、あの子の好きにさせているのよ。気が済んだらきっと帰ってくるわ」


 リアーナはこの十六年間、決して彼が亡くなったとは言わない。消息を絶った時の彼の精神状態を考えれば、自害という道を選んでいてもおかしくはないが、リアーナは決してその可能性を認めなかった。


 それは母としての最後の拠り所なのだろうと、ラヴィは思う。

 いや、思っていた。おそらくは、母だけが感じる確固たる勘なのかもしれない。


「…御馳走になりました。長居をしてしまい申し訳ございません」


 紅茶を飲み干し、ラヴィはソファから立ち上がる。


 リアーナの見送りを受けて玄関に向かう途中、広間にある肖像画をラヴィはもう一度視界に入れた。そこに描かれている、金髪の少年。昨日、低魔力者の街で見かけたのは、彼ではなかっただろうか。寡黙で、だが穏やかな印象が重なる。


 確証はない。だがラヴィの心内こころうちで確固たる真実に変わろうとしている。

 幼い頃、あれだけ憧れ尊敬の念を向けた相手を見間違えるはずがない。そんな自負。


 ラヴィは玄関まで見送ってくれたリアーナに謝意を伝え、そして告げた。


「令兄殿下の……ダリウス殿下のご帰省を、心よりお祈り申し上げます」


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