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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編
27/144

かつての友人

 ダスクはすっかり見損なっていた。


 それは強い光の中で小さな光が認識できないように、昼間の星さながらに認知する事を拒んだ。あるいは堅固な遁甲が、認知する能力を鈍くさせていたのかもしれない。どちらにせよ、皇太子の大きな魔力にかき消され、あまりに小さな魔力を見損なっていたのだ。


 それに気づいたのは、彼が遁甲をすり抜けてこちら側に入った時だった。もう少し早く気付いていれば、何かと理由を付けてダスクは一時ここを離れていただろう。


 だが、決して彼を嫌っているというわけではない。好ましいわけでもなかったが、ただひたすら苦手なのだ。


 彼の本質は間違いなく善だろう。それは二十有余年にじゅうゆうよねんの付き合いで学んでいる。臆病者だと自分を揶揄する彼は、虚勢を張るために今のような態度を取るようになった。今では、それが虚勢を張る為なのか、それとももうそれが地になってしまったのかは本人でも判らないようだ。ダスクは、この虚勢を張った態度がひどく苦手だった。


 昔はまだ、彼の本質を垣間見せる事が多々あった。それはひどく好感の持てる男だったと記憶している。

 臆病者であった事は確かだが、それは心根が優しく穏やかな気性であった事の証左に他ならない。そんな自分を守るために、彼が虚勢を張らなければならない状況に置かれていた事も承知している。だが、長年の虚勢で彼は徐々に歪んでいき、その姿を見るに絶えなくて、ダスクは次第に彼から離れて行った。その痛々しい姿が、友人であった彼を守ってやる事ができなかった自分の不甲斐なさを責めているようで、ダスクは彼から逃げたのだ。


 重い足取りで、ダスクは応接室へと向かう。居留守を使っても良かったが、そうなれば顔を見るまで毎日のように押しかけて来るだろう。なら一時、我慢する方がずっといい。


 そしておそらく彼にはもう、自分が生きている事を見抜かれているはずだ。彼の情報網は侮れない。そして彼自身、真贋を見極める確かな目を持っている事を、承知していた。


「…相変わらず、どうしてあんたには遁甲が効かないんだ」


 忌々し気に言い放つユルングルの声が響く。


「だから言っただろう。俺に敵意はこれっぽっちもない。俺を通したくないのなら、性格の悪い者も通れないようにする事だな」

「そんな事をしても無駄ですよ。彼は偽悪者ですから」


 ソファに腰かけて、くつくつと笑うゼオンの言葉を、ダスクは扉を開けながら一蹴した。


 ユルングルの部屋の隣に作られた応接室は、簡素な部屋が多い中で一応客を迎えられるように一通り応接室としての体を成している。ユルングルとゼオンは卓を挟んで向かい合わせに置かれたソファに腰かけ対峙していた。


「彼の本質は善です。彼を通さないようにしたいなら、おそらく誰一人、遁甲をすり抜けられないでしょうね」


 淡々と言い放つダスクの姿を、ゼオンは待っていたと言わんばかりににやりと笑って視界に入れる。


「…よお、シスカ。相変わらず顔は綺麗だが、ずいぶんと無様な姿になったもんだな」

「…そうですか?おれは割と気に入っていますよ」


 そう告げるダスクの声は冷ややかだ。相変わらずの絶対零度の態度に、ゼオンは面白くなさそうに軽く息を吐いた。


「…ダスク、お前こいつと知り合いか?」


 二人のやり取りを横目で眺めていたユルングルが怪訝そうに口を挟む。沈黙するダスクの代わりに、ゼオンが言葉を返した。


「俺の初恋の相手だ」


 その言に、その場にいた全員が瞬く。


「ゼオン!その紹介はやめてくださいとお願いしたはずですよ!」

「仕方がないだろう、事実なんだから」


 いつもは無表情で素っ気ないダスクが、この話題を振ると面白いほど過剰に反応するので、ゼオンは必ずと言っていいほどこの台詞を吐く。顔を真っ赤にして憤慨するダスクを、ゼオンはくつくつと笑い飛ばした。


「今でこそ中性的な見た目になったが、十代の頃はそれはもう美少女と見紛うばかりの外見だったんだぞ。なあ、ダリウス」


 嬉々として告げるゼオンに振られたダリウスは、いかにもバツが悪そうだ。


「……所見は控えさせていただきます」


 ユルングルの後ろに控えていたダリウスは、言って軽く頭を下げる。


 確かに初対面の場で、女性の神官は珍しいと思った記憶はある。加えて綺麗な人だと思った事も確かだが、ダスクの沽券に関わる事なのでダリウスは言うに留めた。


「…お前は存外、顔が広いな」


 半ば呆れながら、ユルングルは扉の前で立ったままになっているダスクに視線を向ける。


「…顔が広いのはおれではなく彼ですよ」


 同じくダスクも、呆れて息を吐いた。


 情報局統括という立場上、ゼオンは各国を訪れる機会が多い。当然、顔も広くなるわけだが、ゼオンはとりわけフェリシアーナ皇国に訪れる事が頻繁だった。その目的も、ダスクは承知していた。


「で?用件は何だ?まさかダスクをからかう為に来たわけじゃないだろう。…いつもの用向きなら、話す事はないぞ」

「…相変わらず取り付く島もないな。そんなに俺の助けを借りるのは嫌か?」


 飄々とした笑みを崩さぬまま、ゼオンは告げる。


 ゼオンは『リュシテア』の支援を何度も申し出ていた。もちろんそれはラジアート帝国が表立って支援するわけではない。表向き友好関係を築いている手前、反乱軍の支援をしていると判れば、両国の関係が一気に悪化するだろう。当然ゼオン個人が秘密裏に支援を申し出ていたわけだが、ユルングルはこの提案を一蹴していた。例え個人からであっても、他国の人間からの支援で事を成せば、後々どんな厄介ごとが起こるか目に見えていた。それが、このゼオンであればなおさらだろう。


 だがダスクには判っていた。ゼオンからの支援で事を成しても、見返りなどの要求はおそらくないだろう。ゼオンの目的はただ一つ。このフェリシアーナ皇国を潰してほしいだけだ。


 この異常なまでの魔力至上主義が彼にはことさら癪に障るのだ。昔から他者を虐げる行為に強い拒否反応を示していた。その本質は、性格が歪んだ今も変わってはいない。だからこそ、このフェリシアーナ皇国の存在が忌々しい。それを壊してくれるであろう存在があれば、ゼオンは見返りなど考えずに支援を申し出る事は想像に難くない。それを行うのがユルングルという特別な存在であればなおさらだろう。


 だが、とダスクは思う。

 彼がユルングルにそれを勧める行為には若干の矛盾が生じる。それは、ゼオンが生まれてこの方ずっと恐怖を抱いていた類の事だ。臆病者になった原因も、虚勢を張る事になった原因も、全てはそこにある。あれほど嫌悪していた事をユルングルに勧めるのか、そう思うとどうも釈然としなかった。


「この国の事は、この国に住む俺たちだけで処理する。誰の手も借りるつもりはない」


 眉を顰めて告げるユルングルは、どこまでも頑なだ。相変わらずのその態度に、ゼオンはあまり頓着していない様子で一つ笑みをこぼした。


「…まあ、いいさ。今日の用向きはそれじゃない」


 言って、軽く目線だけダスクに向ける。


「…シスカがそう簡単にくたばるとは思っていないが、確証がなかったんでな。表向きは、聖女の顔を拝みに来た」

「…!…ダスク、お前まさか…さっき隠そうとしたのはこいつの存在か?」

「まさか。気付いていれば、迷わずご報告しておりましたよ」


 言いながら、ダスクはゼオンに視線で釘を刺す。おそらくゼオンならすでに皇太子の存在に気が付いているだろう。余計なことをユルングルの前で言われてはたまったものではない。


 そんなダスクの心中を悟ってか、ゼオンはただ不敵な笑みだけをダスクに返した。


「…街で聖女に会ったぞ。残念ながら素顔は拝見できなかったが、ずいぶん可愛らしい少女だな」

「…!」

「オパールの首飾りを付けさせたのが失敗だったな。あれのおかげで聖女の存在も、お前の存在にも確信が持てた」


 相変わらず目聡い男だ、とダスクはため息をつく。教皇に隠し事ができない事とはまた別の意味で、この男を欺く事はひどく難しい。


「…ミルリミナには何もしていないでしょうね?」

「ずいぶんとご執心なようだな。…まあ、仕方がないか。彼女はお前の妹によく似ている」

「…!」

「ユニ=アーリア…だったか?文字の上でしか知らないが、生きていればあんな感じ____」


 ゼオンが言い終わるのを待たずに、ダスクは壁を右の拳で勢いよく打ち付ける。その表情には明らかに怒気が滲み出ていた。それはもしかしたら、殺気だったのかもしれない。


「妹の名前を気安く呼ぶな…っ」


 血反吐を吐くように絞り出した声は、恐ろしいほど低い。ダスクはそのまま荒々しく扉を開けると、不快気に部屋を後にした。


「…相変わらず、妹の事になると感情が抑えられないんだな」


 呆れたように頬杖をつきため息を落とすゼオンの肩を、今度はユルングルが愕然とした表情で荒々しく掴んだ。


「…待て。今、なんて言った…?…ユニ=アーリアだと……?」


 ユルングルはその名に聞き覚えがあった。いや、低魔力者であればこの名を知らない者などいないだろう。

 八年前、解放軍『リュシテア』が生まれるきっかけになった、無残な死を迎えた少女。そして、ユルングルが密かに想いを寄せていた相手でもあった。


「…ダリウス。お前まさか知っていたのか?ユニがダスクの妹だと…?」


 問われたダリウスは、バツが悪そうに無言で頷く。


「…ダスクさんに託されたのです。妹を頼む、と」


 ユルングルがユニに出会ったのは、6歳の頃だった。

 平民として暮らすようになってから約一年後、突然ダリウスが共に過ごす家族として、三つ年上のユニを連れてきた。親に捨てられた事で心を閉ざしていた自分をおもんぱかって連れてきたのだろうと、ユルングルは思っていた。


 その思惑通り、ユニはユルングルの心に臆する事なく平然と入ってきた。もとより世話好きで物怖じしない性格が、ユルングルの心をほとんど無理やりこじ開けたのだろう。引っ込み思案だったユルングルを、有無を言わさず連れ回して実に楽しそうに世話をするユニを、ユルングルは戸惑いながらも受け入れるようになった。


 まるで姉弟のように育ったユルングルは、次第にユニに想いを寄せるようになる。


 おそらくユニは、自分を弟のようにしか思っていないだろう。16になっても感情を表に出す事が苦手で相変わらず引っ込み思案だった自分を情けなく思い、なおさらユニに想いを伝える事などできなかった。


 いつか、もっとましな人間になったら、せめてユニを守れるような男になれば____そう思っていた矢先、ユニは突然亡くなった。


 その死に様は、あまりにひどいものだったという。亡骸は見るに堪えないほど無数の傷跡で覆い隠され、その顔も生前のユニを彷彿させる事はなかった。


 正直なところ、ユルングルにこの時の記憶はほとんどない。あまりに無残な亡骸を記憶に留めておけるほど、当時のユルングルは心が強くはなかったのだろう。ただ、ユニの亡骸を呆然と眺めていた神官がいた事は、なんとなく覚えている。おそらくあれがダスクだったのだろうか。


「…まあ、妹と言っても血の繋がりはないがな」


 ゼオンの言葉で回顧から戻ったユルングルは、再び瞬いてダリウスに視線を向けた。だが、ダリウスにとっても寝耳に水だったのだろう。目を丸くしてゼオンを注視しているようだった。


「何だ、あいつはやはり自分の事は何も話していないのか」


 二人の様子に、ゼオンは、やれやれ、とため息をつく。


「シスカは元々ラジアート帝国の生まれだ。…その出自はあいつ自身も知らないようだが、その後の足取りは容易に辿れた。青銀髪は珍しいからな。一番古い記録に青銀髪が出てくるのは奴隷商人の商品一覧表…あいつがまだ、赤子の頃の話だ」

「………奴隷、だって…?」


 ユルングルは言葉に詰まる。


「当時、帝国ではすでに奴隷制度は撤廃されていたが、フェリシアーナ皇国ではつい最近まで奴隷制度が当たり前のように存在していたせいもあって、奴隷商人が各国で暗躍していた。…帝国にいた連中は今では綺麗さっぱり掃討させたが、奴らが持っていた資料に青銀髪の赤子の記載があった。残念ながらどのような経緯で奴隷商人に売られたのかは書かれていない。金に困って親が売ったか、もともと捨てられていたのを奴隷商人が拾ったか…何にせよ、帝国で奴隷商人の手に渡ったあいつは、奴隷として売られるためにフェリシアーナ皇国に連れてこられたらしい」


 ゼオンの口から告げられる事実に、二人は言葉を失う。


「だが、フェリシアーナ皇国で奴隷として売られる前に、あいつが乗っていた奴隷商人の馬車が、崖から転落したそうだ。乗っていた連中は奴隷を含めて全員死亡。シスカだけが運よくかすり傷程度で助かった」


 それは果たしてシスカが高魔力者であったために起きた奇跡だろうか。それとも、シスカを助けようとする何らかの意思が働いたのだろうか。昔から見えない何かに守られているような気がしていたゼオンには、後者のように思えてならなかった。


「…そしてたまたま通りかかったのがアーリア夫妻だ。二人はなかなか子が授からなかった事もあって、シスカを養子として引き取った。…ずいぶん可愛がって育ててもらったらしいな。シスカが14の時に、念願叶って夫妻の実子であるユニが生まれたが、それでもその態度は変わらなかったそうだ。…だが母親は産後の肥立ちが悪く、ユニを出産した翌年死亡。父親も後を追うようにその半年後に事故で亡くなったそうだ」


 残されたシスカは、育ててもらった恩返しとして1歳半になる妹を自分の手で育てる覚悟を決める。幸い父方の叔母が二人を引き取ってくれた事もあって、医師の真似事をしながら生計を立て、17歳で教会に入った。教皇に心酔した事も大きかったが、何より教会に入る際、俗世との関りを捨てる代価として多額のお金が残された家族に渡されるからだ。

 それは奴隷商人に身を売る行為とよく似ている、とゼオンは思う。シスカは一度、身を売られ、二度目は自ら身を売ったのだ。


「…その叔母もユニが9歳の頃に病でこの世を去った。あとはお前たちの知るところだろう」

「…なぜ、そんな話を俺たちにした?」


 ユルングルの問いにゼオンは珍しく穏やかな、そして小さな笑みをこぼす。


「…曲がりなりにも、あいつの友人だからだ。シスカは心内こころうちを誰にも告げずに一人で考え、自分で自分自身を追い込む癖がある。しかも困った事にその自覚がない。周りが気を揉んでやらないと自滅する呆れた奴だ。だが、あいつの内情を知らなければ気を揉む事すらできんだろう?」


 言ってゼオンは立ち上がり、一つの小瓶を差し出した。


「…これは?」

「シスカへの手向けだ。一応死んだ事になっているからな。『幻肢』の薬だと言えば判るだろう。痛みが強く出た時に飲めと伝えてくれ。…行くぞ、アル」


 未だ整理がつかないといった様子の二人を残して、ゼオンは後ろに控えていたアルデリオと共に足早に辞去した。屋外に出ると、日差しはすっかり夕暮れの色味を帯びている。


 シスカはまだ憤慨している頃だろうか。そしてそのあと必ず自責の念に駆られるのだろう。シスカが人を心底嫌うことなど決してない事を、ゼオンは承知していた。 


 シスカの冷たい態度は、これ以上関わるな、という忠告だ。変わっていく自分を、シスカは受け入れられないのだろう。あるいは何でも自分の所為にしたがるシスカの事、いらぬ責任を感じているのかもしれない。どちらにせよ、忠告だけで終わるという事は、自分から離れるつもりはないのだろう。それができるほど、冷酷にはなれないのだ。


 ゼオンはシスカの言葉を思い出す。シスカはゼオンを『善』であると評してくれた。未だにそう思ってくれる事が、なんとも面映ゆく、有難い。だが、おそらくシスカが思うほど、自分の中に『善』は残されてはいないだろう。汚い事も、酷い事も、散々やり尽くした。ゼオンの両の手は、昔と違って血に染まっている。


 いつか、それを神官であるシスカに懺悔する時は来るのだろうか。

 そしてそれを聞いたシスカは、それでもなお離れないでいてくれるのだろうか。


 そんな来るかどうかも判らない未来を心配している自分に驚き、ゼオンは自嘲気味に一人笑みをこぼした。


**


「…入るぞ」


 軽く扉を叩いて、ユルングルはダスクの部屋へ足を踏み入れる。ダスクは背を向けたまま、明日の往診の準備をしているようだった。


「…ユニの兄貴だったんだな」


 返事をしないダスクに、ユルングルは遠慮がちに声をかける。ユニに兄がいる事は昔から知っていた。小さい頃からしきりに話す兄の話題は、いつも自慢話だったことを覚えている。


 ダスクは手を止め、ゆっくりとユルングルを振り返り深々と頭を下げた。


「…ダリウスから聞いております。とてもよくしてくださったとか。…お礼を申し上げるのが遅くなりました事、お詫び申し上げます」

「…よせ。世話になったのはこっちだ…」

「あの子は平民です。本来であればユルングル様と共に過ごさせていただくなどおこがましい身分のはず。ですがあの子は、ユニはとても嬉しそうでした。貴方の話をするユニの笑顔が、頭から離れません」

「…よせ…っ!……よしてくれ。俺はユニを守れなかった…!責められこそすれ、礼を言われる筋合いはない…っ」


 ユルングルは自分の不甲斐なさに眉根を寄せて、どこにもぶつける事の出来ない怒りを、拳に込める。


 ユニは19で亡くなった。三つ年上だった彼女は記憶の中で19の姿を維持したまま、今ではもう自分の方が五つ年上になっている。それがなおさら、彼女がもうこの世にいないことを告げているようで、いたたまれなくなる。


「…あの日、ダリウスも同じことをおれに言いました」


 瞼を閉じて、ダスクはあの日の事を振り返る。


 ユニの無残な亡骸を茫然自失と眺めていたダスクに、ダリウスは膝をついて懇願するように謝罪した。ダスクから託された大切な妹を守れなかった事、守れる力が自分にはあったのに、このような結末になってしまった事、全ての責任を背負って、ダリウスは自分を断罪してくれと告げた。


 だが、ダスクにはできなかった。確かにダリウスを責めれば幾分かの溜飲は下がるだろう。罵倒し、やり場のない怒りをぶつけ、責任をすべてダリウスに押し付ければ、心はずいぶん楽になる。それでなおさらダリウスは己を深く悔いるだろうが、代わりに自分の心の平穏が手に入るのだ。だが、ダスクにはどうしてもできなかった。


 まだ少年だった頃のダリウスを知っている。幼いながらも己が背負った重責を理解し、それを貫こうとする気概のある少年だった。

 信頼に足る人物だと思ったからこそ、彼にユニを託したのだ。そして十年間、ダリウスはその信頼に応えてくれた。確かに無残な最期を迎えてしまったが、本来妹を守ると誓ったのは他でもない自分自身だ。その責任を全てダリウスに押し付けるのは、あまりにも無責任な行為だろう。


 そう思うとなおさらダリウスを責められず、何度も詫びるダリウスを、ダスクはその場で許した。


「…ダリウスを責められるはずもありません。ましてや貴方が罪悪感を抱かれる必要もない。…裁かれるべきは、兄であるおれです」


 いつもこうだ、とダスクは自嘲する。どれほど腹に据えかねても、何故か相手を罵倒できない。そうすることで己の心が安らぎを得られると判っていても、まるで強迫観念に囚われているかのように、相手に対して怒気を向ける事ができなかった。そしていつも、己の所為だと怒りを飲み込んで、次第に心が疲弊していくのだ。


 そこに至って、ダスクははたと気付く。

 ゼオンはきっと、そんな自分の性格を知っているだろう。そしてゼオンはいつも、会えば妹の話を振ってくる。それを自分がひどく毛嫌いしていると判っていて、怒鳴ると判ってあえてその話題を振ってくるのだ。

 思えば自分が気兼ねなく怒気を向ける事の出来る相手はゼオンしかいない。


(…なんて判りにくいんだ)


 『怒りたければ素直に怒れ。自分の中にしまい込むな』

 そう告げるゼオンの声が耳に届いたような気になって、ダスクは心中で失笑する。


 悄然とうなだれていたダスクの表情が、わずかばかり穏やかになったのを見て取って、ユルングルはゼオンから託された小瓶を卓の上に置いた。


「……これは?」

「ゼオンからだ。『幻肢』の薬で、痛みが強く出た時に飲めと言っていた。…お前、まだ痛みがあるのか?」

「…いえ、もうほとんど痛みはありません」


 嘘ではない。確かに普段はもう痛みはほとんどないと言ってもいい。だが、時折我慢できないほどの痛みがダスクを襲う事があった。


 それは幻肢の症状が出ている時。ないはずの腕を動かしている時ではなく、動かなかった時だ。動くと思っていた、ないはずの腕が、時折全く動かなくなる。そんな時は決まって激痛がダスクを襲う。それはあまりに耐えがたく、操魔で痛みを遮断する事すら許してはくれない。ただひたすら痛みが治まるのを待つしかないのだ。


(…そんな事まで、予測がつくのか……)


 いつもながらゼオンの先見の明に、ダスクは驚嘆する。


 正直この薬は有り難い。喉から手が出るほど欲しいが、今までのゼオンに対する自分の態度を省みると、平然と受け取る気にはなれなかった。


「…おれには無用のものです。彼に返していただけますか?」

「俺はお前たちの小間使いじゃないぞ。返したいなら自分で返せ」


 正論過ぎて、ダスクはぐうの音も出ない。

 言いながら部屋を辞去しようと足を進めたユルングルは、扉の前でドアノブに手をかけながら、ダスクを振り返った。


「…ちなみに、それは友人からお前に対する手向けだそうだ。友人からの厚意を無下にするかどうかは、自分で決めるんだな」


 それだけ言って、小瓶を卓に残したままユルングルは部屋を後にした。


 ダスクは、ややあって残された小瓶を手に取る。

 かつての友人だと思っていた彼は、あれだけ悪しざまな態度を取られたにもかかわらず、未だに自分を友人だと言ってくれる。その気持ちが有難く、申し訳ない。


 知己の心遣いに感謝し、ダスクは小瓶をポケットに優しく入れた。


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